第5話 かつての魔王はライバルに?

 遅刻しておきながら妙に堂々と教室に表れた小柄な少女に対して、流石の環も大きく反応した。


 それも、無理からぬことと言えよう。

 どこか不吉に紫掛かった、強くウェーブする長い黒髪。

 やたらと不気味に輝いて見える瞳に、犬歯が目立つ口元。


 全てが、前世において『魔王』と呼ばれた姿そのままなのだから。


 『魔王』エイティ・バオゥ。

 数百年の時を生きたと言われているが、その生涯の大半は詳細不明。

 目的も、思想も不明。


 わかっているのは、彼女が人類に対して喧嘩を吹っかけ、実際その支配域の過半数までを奪い取ったこと。


 それから。


 環と光、そして庸一の前世での死因に深く関わっている、ということである。


「貴、様っ……! よくも兄様を……!」


 室内にも関わらず唐突に吹き始めた風に、環の髪がブワッと舞った。


 キレている・・・・・


 現世においては、出会って一時間も経っていない。

 けれど、前世では文字通り彼女が生まれてから死ぬまで十五年もの時を共に過ごしてきたのだ。


 庸一の判断は迅速であり、ゆえに次の行動に移るのにも躊躇はなかった。


「待て、環!」


 環がそれ以上のアクションを起こす前に、庸一は素早く後ろからその身体を抱きしめる。


「そいつは、もう違う・・・・! 敵対する必要はないんだ!」


 言葉少なに、それでも伝わると信じて環の耳元で叫んだ。


「……にい、さま」


 環の動きが止まる。


「そん、な……」


 果たして庸一の想いが伝わったのか、その身体から徐々に力が抜けていった。


「そんな、朝から大胆ですわ!? 嗚呼、けれどわたくしいつでも準備は出来ておりましてよ! エデンへと向かいますか!? それとも、保健室で!? 兄様が望むのならわたくし、このままここで致すのも吝かではない所存ですことよ!?」


「お、おぅ……」


 果たして庸一の想いが伝わったのかは、かなり微妙なところであった。


 が、とりあえず環から物騒な気配が消え去ったことだけは事実である。


「なんじゃ、この珍妙な生物は……?」


 クネクネと身を捩る環へと、当の『魔王』が胡乱げな目を向ける。


「うん、まぁ、確かに今のこいつの姿は珍妙と言わざるをえないが……メーデン・エクサだよ。お前だって知ってるだろ?」


 かつて魔王と対峙していた時の、凛とした表情とは似ても似つかぬ雰囲気ではあるものの。

 顔つきそのものは同じだからわかるだろうと、庸一は短くそう説明した。


「メーデン……?」


 けれど、少女は全くピンと来ていない表情だ。


「ほら、死霊術師の……」


「あー……あの、前世のアレかえ?」


「うん、そうそう」


 補足すると、若干心当たりがありそうなリアクションとなってきた。


 とはいえ、大変曖昧っぽい調子は変わらずで。


(つーか、自分が死んだ原因・・・・・・を作ったうちの一人だろ……魔王ってのは、そういうとこのスケールもデカいのか……?)


 なんとはなしに、そんなことを思う。


「今は、魂ノ井環って名前でさ。今日、ウチのクラスに転校してきたんだ」


「あぁ、魂ノ井。コヤツがかえ」


 今度は非常に明快に、少女の表情が理解の色を宿した。


「こっちの名前の方がピンと来るのか……?」


「妾を誰じゃと思うておる。暗養寺あんようじくろぞ?」


 尋ねた庸一に、少女……黒は、その薄い胸を自慢げに張った。


「ん、それもそうか」


 それに対して、庸一もあっさりと納得して頷く。


 暗養寺家。

 世界に名だたる暗養寺コンツェルンの中核をなす一族である。


 元は江戸時代から始まる呉服問屋を営んでいたらしいが、戦後のゴタゴタの中を色々と上手いこと立ち回った結果、今となっては日本でも有数の企業グループにまで伸し上がっていた。


 そして黒は、その当代総帥の一人娘なのだ。

 転校生の情報の一つや二つ、事前に掴んでいたところで何ら不思議ではなかった。


 最近聞いた情報ということであれば、前世の記憶よりも鮮明に残っているものなのかもしれない。


 庸一は、そんな風に納得した。


「ま、とにかくだ」


 もう暴れだしそうな気配がないことを確認し、庸一は環の拘束も解く。


「これで、わかったろ?」


 それから、イタズラっぽく笑ってみせた。


「はい、兄様……」


 どうやら、環にもその意図が伝わったようだ。


「挙式はいつに致しましょう?」


 どうやら、環にはその意図が伝わっていなかったようだ。


「『勇者』に『魔王』……二人と現世で既に会ってたから、お前と再会した時もそんなに驚かなかったってわけなんだよ」


 聞かなかったことにして、話を進める。


「前世で死ぬ瞬間同じ場所にいた奴のうち、三人が自然と集まったんだからな。お前とも、いずれこっちで再会出来るって信じてたのさ」


「再び愛し合うことになる運命を信じて待ってくださっていたということですのね!?」


「……うん、まぁ、そんなようなもんだ」


 だいぶ豪快に認識がすれ違っていることには気付いていたが、面倒だったのでそのまま頷いておくことにした庸一であった。


「というかだな、メーデン……ではなくて、環」


 と、そこで口を挟んできたのは光だ。


「魔王のこと、そんなにあっさりと信じていいのか? 私は、奴に野心がないことを信じるのに一ヶ月はかかったんだが……」


「は? 兄様が間違ったことをおっしゃるとでも?」


 おずおずと尋ねる光に、環の視線に宿る温度が氷点下にまで下がった。


「そ、そうは言わないけど……」


「それに、結局は貴女も同意見なのでしょう?」


 光がビクッと震えたところで、環の目に籠もった威圧感が少し柔らかくなる。


「あっ、なるほど。つまり、私の判断を信頼してくれているがゆえということか?」


 一瞬、パッと表情を明るくした光だが。


「いえ、そういうわけでは」


 環の返答に「そうなのか……」とすぐにシュンとなった。


「というか、見ればわかるでしょう? 魂のありようが、あの頃とは全く違います。今の魔王の魂からは、邪悪さや野心……そういったものがすっかり消えていますわ」


「そう……なのか? 相変わらず、死霊術師の見る世界はよくわからんな……」


「まぁ……たとえそうであっても」


 すっと環が真顔となる。


「兄様の取り成しがなければ、今すぐ滅ぼしているところですけれど」


 あまりに冷たく響くその呟きは、如何なる感情が込められたものなのか。


 光が、緊張に満ちた顔でゴクリと喉を鳴らす。


「とはいえ、兄様が許すというのならわたくしはそれに従うのみですわ」


 しかしすぐに環の纏う雰囲気が弛緩し、光もホッとした表情を浮かべた。


「……そんなことよりも」


 と、環は再び視線を鋭くする。


 その目を向ける先は、庸一と会話している黒であった。


「つーか黒、いい加減始業前に来いよ。なんで毎日の如く重役出勤なんだよ」


「えぇじゃろ別に、出席簿上遅刻は付いとらんのじゃし」


「公立高校にまで効果を及ぼす暗養寺コンツェルンの圧力の恐ろしさだよな……けど、あんま家の力にばっか頼るのは良くないって前から言ってんだろ?」


「とはいえ、我が家には無理矢理に妾を起こせるような存在なぞおらんからのう……それとも、お主が起こしてくれるのかえ?」


「……まぁ、モーニングコールくらいならな」


「くふふ、言うたな? ならば毎朝その声を聞かせよ。さすれば、妾も始業時刻までに登校してやろうではないか」


「なんで起こしてもらう立場で偉そうなんだ……」


「この妾を起こす役割なぞ、世界広しと言えど拝命出来るのはお主のみなのじゃからな。光栄に思うが良い、ヨーイチよ」


「へいへい、ありがとうございますよっと」


 などといった会話を聞くにつれて、環の手がギリギリと強く握りしめられていく。

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