第2話 今更ながらの名乗り合い

 歩き出そうとした庸一の襟首を後ろから引っんで止めた後、二度に亘って叫んだ少女。


「わたくし! 兄様が! 兄様の! 兄様に! 兄様で!?」


 何やら大変興奮した調子で引き続き捲し立てているが、何が言いたいのかはよくわからなかった。

 というか少女自身、どうやら感情が昂りすぎて自分でも何を言っているのかよくわからなくなっている様子である。


「兄様は……ハッ!?」


 グルグルと回り始めていた少女の目が、唐突に焦点を取り戻す。


「まさか……そういうことですの……!?」


 その表情は、世紀の発見でもしたかのようなものだ。


「さては兄様、わたくしのことがわかっておいでではないのですね!? 未だ、前世の記憶が戻ってらっしゃなくて……!」


「いや、前世の記憶なら持ってるしお前のこともちゃんとわかってるぜ?」


 庸一は平静な口調で答える。


「俺の一歳下の妹だった、メーデン・エクサの生まれ変わり……だろ?」


「滅茶苦茶正確にわかってらっしゃるわ!? 滅茶苦茶正確にわかってらっしゃるわ!?」


 またも二度に亘って少女が驚きを表明した。


「だったら、その淡白な反応はどういうことですの!?」


 そして、再び庸一に詰め寄る。


「どういうこと、っつっても……」


 再度、腕時計へと目を落とす庸一。


 始業のチャイムが鳴るまで、もうさほどの余裕は残っていなかった。


「もうすぐ学校始まるし」


「学校!? 学校ですって!?」


 眦を釣り上げて少女が叫ぶ。

 その背後に、ピシャリと雷が落ちる光景が幻視された。

 前世であれば、比喩ではなく実際にその光景が目の前で展開されていたことであろう。


「学校など! どうでもよくて! ここは!」


 両手と両足を大きく開き、腰を落として天を仰ぐ少女。


「輪廻の先で再び巡り合った兄妹の再会を喜ぶべき場面ですわよねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 その体勢で、空に向けて咆哮する。

 ウルフベア──前世の世界に存在した、狼と熊が融合したような魔物である──が遠吠えを上げる格好にそっくりであるが、そんな姿でさえもどこか絵になるのだから美少女とは卑怯な存在である。


「お、おぅ……生まれ変わっても相変わらず感情表現激しいな、お前……」


 もっとも、間近でそれを見せられた庸一はドン引きの表情であったが。


「さぁ、兄様! いざ参りましょう、わたくしたちのエデンへ!」


 少女が、ガッと力強く庸一の手首を取る。


「どこだよエデンって……」


「具体的に言うと、駅裏のちょっと奥まったところにあるHOTEL EDENへ!」


「ラブホじゃねぇか!」


 小堀こほり市の玄関口である小堀駅には小堀高校に通じるのとは逆側にいかがわしい感じの建物が並ぶ区画が存在しており、子供の教育によろしくないと保護者の皆さんから定期的に突き上げを食らっているのであった。


「んなとこ行かな……って、力強っ!? どうなってんだお前これ!?」


 割と細身に見える庸一ではあるが、その実服の下には鍛え抜かれた鋼の肉体が隠れている。

 前世では、まさしく身一つで魔物共と渡り合っていた冒険者。

 身体を鍛えることの重要性は嫌というほどにわかっているため、転生してからというものほとんど首が座った直後から密かに鍛え続けた結果である。


 ……が。

 そんな庸一が踏ん張っているにも関わらず、少女は平気な顔で庸一をズルズルと引きずっていた。


「濡れ場の馬鹿力ですわ!」


「そんな日本語はねぇよ!?」


 ツッコミを入れながら、どうにか手首を捻って少女の手から脱出。


「あのな、メーデン……じゃなくて、えーと……」


 諭そうとして、妹の現世での名を聞いていなかったことに今更ながらに気付く。


「あら、わたくしったら。まだこの生での名前を名乗っておりませんでしたわね」


 少女も同じことを思ったらしく、片眉を上げた。


「わたくし、今は魂ノ井たまのいたまきという名を貰い受けております。今生でもよろしくお願い致しますわね、兄様」


 ニコリと微笑み、一礼。

 前世から変わらぬ、優雅な仕草であある。


 つい先程まで奇行に走っていたのと同じ人物だとは思えない変わり様だが、庸一にとっては前世で割と見慣れた光景でもあった。


「あぁ、俺は平野庸一だ。よろしくな、環」


 少女……環に向けて、庸一も微笑みを返す。


 お互いに、懐かしさと喜びの混ざり合った笑顔を交わし合う二人。

 今の肉体としては血が繋がっておらずとも、そこには確かに兄妹の絆が感じられた。


「さて、それではいざエデンに向かいましょう!」


「いや名乗り合ったら行っていいとかそういう制度ないからな!?」


 が、再び環が庸一の腕を取って引きずりだしたため色々と台無しな感じとなった。

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