1-18『魔法使いの定例会』

「それでは、自分はここで失礼するであります」


「おう。案内役の任務、ご苦労だったなイケト」


 扉を背にシェイドが向かい合うのは、直立不動の姿勢で敬礼する案内役の男、イケト。伸長差故に若干シェイドを見下ろす形となっているが、今は瑣末な問題である。

 彼は今、シェイドをこの場所に連れてくるという役目を終え、自身の通常業務こと王都魔導部隊員としての訓練に戻ろうとしていた。


「その役目は、殆ど果たせなかったでありますが……。でも久々に隊長と会えて嬉しかったでありますよ」


 そう言って軽く苦笑するイケトは、しかし満更でもなさ気にはにかんで見せる。

 

「俺もだよ。旅をしている間は逐一気にしちゃいられないが、こうして久しぶりに会ってみると存外嬉しいもんさ。……それと元隊長な、現隊長ハルザが聞いたら凹むぞ」


 対するシェイドもそう言いながら、どこかスッキリとした表情を浮かべている。

 そして二人は黙って見つめ会うと、互いに腕を肩の位置まで持ち上げ、ガッシリと組み合うような固い握手を交わした。


「男の友情というやつか。生憎とワシにはよく分からんが……お主はどうじゃ、エステル?」


「残念ながら。ですが、とても素敵に思います。叶うならば、私も十年前にあのようにお見送りしたかったです」


「!?」


 一方、そんな男二人を見る少女達の視線はどこか冷ややかだ。特にエステルに至っては、麗しい微笑みを浮かべつつも輝きの消えた瞳を浮かべている。

 そんな視線を視界の端に捉えてしまったのか、シェイドの肩が一瞬ビクリと大きく跳ねた。


「そ、それではシェイド殿、失礼するであります!」


 またイケトも、彼と同じものを背中に感じたのだろう。いっそビームでも出るんじゃないかと思えるプレッシャーの巻き添えを受け、早口な別れの言葉と共にそそくさと踵を返し歩き出す。

 その後姿は再開の感慨も別れの哀愁も感じさせない、なんとも呆気ない――もとい潔いものだった。


「お、おおぅ……」


 シェイドも、エステルの視線に気圧されたのかイケトを呼び止めようとはせず、けれど離したばかりの手を名残惜しそうに彷徨わせる。

 しかし無情にも、その背中は足早に遠のいて行き、やがて廊下の角を曲がったところで視界から完全に姿を隠した。

 途端、シェイドは観念したようにガックリと肩を落とす。そして、これから説教を受ける子供のようにシュンと縮こまりながら、エステルと向かい合った。

 だが、


「ふふっ。それでは、私も失礼致しますね。キツネも、またお話しましょう」


「う、うむ。またの、エステル!」


 そんなシェイドの姿を見て満足したのか、或いは少しばかりやり過ぎたと思ったのか。エステルは言外に「これくらいで許してあげますよ」と悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ドレスの裾を摘み優雅に一礼してみせた。

 そして、ポカンとした表情を浮かべるシェイドの顔を満足げに眺めてから、キツネに手を振り上機嫌にその場を後にした。


「話は終わったようじゃな」


 すると、ここまで静かに成り行きを見守っていた老人が不意に口を開く。

 そして、


「では参ろうか、魔法使いの定例会ミサへ」


 どこか呆れた様子でシェイドの傍に寄ると、慰めるように少年の肩を叩き扉の中へと誘うのだった。


「……ちょ、ワシを置いて行くでない!」


 それから数拍遅れて、キツネも二人の男の後に続いた。



※ ※ ※ ※ ※



「……のぅシェイド、ワシはいつまでこうしていればよいのじゃ?」


 不満気なキツネの声が、短く響く。


「この空間を抜けるまで、だ。もしここで好き勝手に動き回って迷子にでもなってみろ、冗談抜きで永遠に外へは出られないぞ。大人しく、良い子にしててくれ」


 それに応えるように、脅すようなシェイドの声が続けて響く。

 二人は今、一面暗闇の中で“互いに固く手を握り合いながら”誘うように先を歩く老人に続いていた。


 此処は、シェイドとキツネが扉を通った先に現れた、壁はおろか天井すらも見当たらない暗くて広い巨大な空間。

 どこに視線を向けようとも、目に映るのは纏わり付くように漂う黒い靄と暗闇ばかり。唯一光源と呼べるものがあるとすれば、足元で道標のように等間隔で並んでいる青白くて丸い光だけ。

 だのに、周りを歩く人間の姿は足の先から頭の天辺までハッキリ捉えられるという不可思議な事象は、この空間が異質なものだと認識するのに充分だった。

 そんな中、シェイドの言葉に眉を顰めたキツネの声が再び響く。


「だーかーらー、ワシを子供扱いするなと言うとるじゃろがい! ……というか、そもそもこの部屋はどうなっておるんじゃ。どう見ても、屋内の広さでは無いと思うんじゃが」


 繋いだ手は離さず、けれどその手ごとブンブンと揺して抗議するキツネは再び周りを見回す。けれどやはり景色に変化は見られず、今も黒い靄が視界を遮るばかり。

 扉の向こうの目的地、即ち定例会が行われている場所へすぐに辿り着けると思っていたキツネからすれば、文句の一つや二つ零してしまうのも仕方ないのだろう。

 そんな時、前を歩く老人が口を開いた。


「ハッハッハ。この空間は特殊な魔法で異界化されていて、外界の理では量れぬようになっておる故な。もう暫く辛抱されよ、お嬢さん」」


 老人はそう言い、哄笑を上げてキツネへと振り返る。その表情はなんとも愉しげで、顔中の髭と皺さえ無ければ一瞬少年と見紛う程に英気に溢れたものだ。

 だがそう応える老人を、キツネは間髪入れず指差して言う。


「そもそも、いきなり現れてからずっと気になっておったが、主は一体何処の誰なんじゃ。魔法使いというのは、扉から出てきたこととそのローブを見れば自ずと察しは付くが、分かるのはそれだけ。まずは名乗りを上げよ。というか、多分主よりワシのが年上じゃからお嬢さんはやめい。あと異界化って何?」


「ハッハッハ、元気な娘じゃの。しかしこれは失敬した。膿が自己紹介を忘れるとは、シェイド殿と再び合間見えたことに余程浮かれていたようじゃ」


 捲くし立てるようなキツネ独特の距離の詰め方を、しかし老人は豪快に笑って往なす。

 これぞ年長者の余裕とでも言うべきか、初対面時から苛立ちを見せていたシェイドとは違い、まさしく大人な対応で応えて見せた。

 そして老人は、軽く流されどこか不服気な少女の視線を物ともせず、やがて名乗りを上げる。


「では、改めて。――膿はクローバ・ダレイ。魔法以外はこれといった才を持たぬ、ごくありふれた年寄りじゃよ」


 そう言って老人――クローバ・ダレイは一旦足を止めるとキツネと向かい合い、被っていた鍔広帽子を胸に掲げ、丸い肌色の頭を深々と下げた。


「クローバ・ダレイ、クローバ……。その名、どこかで耳にしたような……」


王城ここに来る途中、定例会に来ているであろう魔法使いについて少し話したろ? その内の一人がこの爺さんで、魔法使い序列第五位にして王立ラーマイド魔法学園の学園長だよ。……ったく、これのどこが“ごくありふれた年寄り”なんだか」


「ハッハッハ! 研鑽を重ね続けた果てに気付けば辿り着いていたまでのこと、人の域からは到底逃れ切れておらぬよ」


「人の域なんて言葉が出てくる時点で、とっくに常人の壁はぶち破ってんよ」


 そう言って高らかに笑うクローバは、肩を竦めるシェイドを背に再び前を歩き始める。

 続くシェイドもヤレヤレと首を振ってみせたものの、それ以上何かを言う事も無く後に続いた。

 だが、


「第五位ということは、主はシェイドよりも強いのか?」


 そんなキツネの無邪気な質問に、シェイドとクローバは再び歩を止めた。


「「無いの(な)」」


「お、おおぅ……」


 続けてハッキリと、二人は口を揃えて否定の言を告げる。その息の合いっぷりは、宛ら双子の兄弟のようだ。

 これにはキツネも一瞬たじろいで見せたが、すぐにどういうことじゃと首を傾げた。


「シェイドが九位で、主が五位なわけじゃろ? ならばそう考えるのが妥当ではないのか?」


「あー……。そういや前にも、似たようなやり取りがあったな」


「そういえばそうじゃのう。確かあの時は、ワシとガンマ殿についてじゃったか」


「?」


 確かに、キツネの言い分は筋の通ったものではある。しかし同時に彼女には、魔法使いという概念に対する決定的な理解が欠けていた。

 そんな少女の疑問に、シェイドはどこか懐かしさを覚える一方で、直後には面倒臭そうに頭を掻く。

 代わりにクローバが、その疑問に答えた。


「子供等の中にも時折勘違いしている者がおるんじゃが、魔法使い序列というのは所謂戦闘能力を指した格付け、とう話ではないんじゃ。評価の基準は魔法の技術と知識が主であり、戦闘面は重要視されておらんのじゃよ。故に、膿の序列がシェイド殿より高いからと言って、膿がシェイド殿より優れた戦闘力を持つということにはならんのじゃ」


「……ふむ、なるほどのぅ。不思議パワーでドンパチしているイメージばかり抱いておったが、その実魔法使いとは戦士ではなく、研究者の立場に近い訳か」


「ほほぅ、研究者と例えるか。じゃが概ね、その理解で間違っておらぬよ」


 キツネの見解に意表を突かれたかのような表情を浮かべたものの、その理解に満足したのだろう。

 クローバは、難しい問題を解いた生徒を褒める教師のような微笑みを浮かべながら頷くと、再び前へと向き直り歩き始める。

 その一方で、


「尤も、研究者と言っても魔法の極点に立つ存在であることに違いは無い。そこを勘違いして余計なちょっかいを掛けると痛い目見るぞ。魔法の技術は、そのまま戦いにも応用出来る訳だからな」


 シェイドは注意事項を読み上げるように、クローバの説明に補足を加えた。

 そしてその説明を受けて、キツネも気付くことがあったらしい。


「そういえば、大百足の時に土を噴き上げておったの。地に触れて何やら呟いておったが、あれも主の言う魔法の応用か?」


 二日前、シェイドが宙に打ち上げた大百足のことを、キツネはふと思い出す。

 あの時見た光景は、宛ら地を割き溢れ出す大地の咆哮とも思える、噴火にも見紛う土砂の奔流。その勢いを以って大百足から地を奪った、不可思議な力。

 アレもまた魔法の応用とやらなのかと、少女はシェイドを見上げながら首を傾げた。


「ああ。元素魔法の一つ、グノーマだ。どう操るかは人によって様々だが、あの状況ならああして使うのが一番手っ取り早かっただろうな」


「元素魔法? ぐのーま?」


 一つの疑問が解消されたかと思えば、二つの謎が即座に顔を出す。当然、キツネは頭に疑問符を浮かべる。

 しかしシェイドも慣れたもの。少女がそう反応することを先読みしてか、滞りなく淡々と説明を始めた。


「元素魔法、正式名称は“四大元素魔法エレメント”。それぞれサラマンドウンディーナグノーマシルヴェストレから成る魔法の基本元素だ」


 そう言いながら、シェイドは説明に応じた魔法を掌から自在に発動し操って見せる。

 サラマンドには、揺らめく火を。ウンディーナには、渦巻く水を。グノーマには、乾いた土を。シルヴェストレには、靄を揺らす風を。


「これら四元素全ては極一部の例外を除き、知性を持った遍く種族が産まれながらに有する力。言ってしまえば、生き物に血が流れているくらいあって当たり前のものだ」


「ほうほう、サラマンドーッ! ……何も出んぞ」


「叫ぶだけで使えちまったら、この世は早期の内に滅んでるよ。……っていうか」


 掌を頭上に掲げてポーズを決めるキツネに、シェイドはヤレヤレと首を振る。

 だが直後、少年は何かを思い出したように少女へ問い掛けた。


「よくよく思い出してみればお前、大百足に追われている時地面スレスレを飛んでなかったか? どう考えても魔法を使っていたように」


「何を可笑しなことを。神は飛ぶじゃろ、普通」


「――」


 日本人が初めて黒船来航を迎えた時も、きっと今のシェイドと同じ顔をしていただろう。

 その様相は、まさしく絶句。一体こいつは何を言っているんだと、まるで理解が追いついていないものだった。


「ハッハッハ! 実に愉快なことを言いなさる。じゃが、その感性は才に通ずるが故、大切にされよ。――さて」


 一方、それを背中で聞いていたクローバは他人事のように愉快気だ。けれど、すぐさま表情を引き締めると一呼吸つき、その場に一旦足を止めた。

 何事かと、キツネがひょっこりと老人の後ろから顔を出す。

 そこにあったのは――。


「改めて、よくぞおいでなされた、二人とも。此処より先は正真正銘、魔法使いの集会場」


 暗闇の中にポツンと佇む、真っ白な両開きの扉が一つ。

 しかし空間にはまだまだ奥行きが感じられることもあり、ただでさえ奇妙なその扉は、より一層異質な印象をキツネに与えた。

 老人は続ける。


「キツネ殿。本来この部屋は、資格無き者が足を踏み入れるなどあってはならぬこと。何より今は、自身が召喚者を自称する“被疑者”であることを努々お忘れなきよう」


「……」


 真剣な声色は、正しく威厳に溢れたもの。

 それから一拍置いてキツネは、自分が無意識の内にピンと背筋を伸ばしていたことに気付く。

 やがて、


「では、参ろうか」


「ほら、行くぞ」 


 クローバの言葉を合図にシェイドが手を引き、つられてキツネは一歩踏み出す。

 そして、大きく扉が開かれた。

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