1-17『有罪 ~Guity~』

 ――王城内、一階東廊下。

 時刻は、正午を回った頃。城内に忙しなく響くのは、数多の人間が行き交う賑やかな喧騒。加えて今日ばかりは、王城一階の隅にひっそりと続く、普段は人気の無いこの場所もまた例外ではなかった。

 魔法使いの定例会ミサが行われている部屋へと通じるその廊下に、キャッキャウフフな少女達の声が響く。


「――まぁ、ということはつまり、キツネは召喚者かもしれないと? なるほど、それを確かめる為に王城へ入らした訳ですね」


「かもしれない、ではなく、事実そうなんじゃがな。ま、結果が出れば自ずと分かることじゃ。それよりエステル、ワシ的には王族の日常とか知りたいんじゃが。普段はどんなことをしておるのか、聞いてもよいか!」


「ええ、勿論です。まずは何からお話ししましょうか?」


 そこで交わされていたのは、意気投合した少女二人による和気藹々とした和やかで華やかな語らい。

 種族から見た目、身の振りに至るまで何もかもがまったく似通っていないというのに、その様子は宛ら姉妹と空目してもおかしくない程に仲睦まじいもので、気付けば名前で呼び合う仲にまで発展していた。


 だが、そこから三歩程下がった位置に立つ二つの影は、そんな少女達の後になんとも神妙な面持ちで続いていた。


「シェイド隊ちょ――殿、自分はこの空間がとても辛いであります」


「喋るなイケト、そして何も考えるな。存在感を極限まで薄めて、自分を空気だと思え。そう、俺たちは空気なんだ」


 二つの影――イケトと呼ばれた案内人である筈の男とシェイドは、互いに小声でそんな呟きを交わす。チラリと様子を窺うようにシェイドが視線を上げれば、そこに映るのはキツネとエステルの後ろ姿。

 しかし視線を上げたシェイドとタイミングを同じくして後ろを振り返ったエステルは、ニコリと、朗らかな微笑みを浮かべてみせた。


「……」


 直後、シェイドは目が合う寸前ですぐさま視線を足元に戻す。

 その表情はやはり気まずそうで、まるで悪戯が見つかった家犬のように小さく背中を丸めていた。


「どうしてこうなったんだか……」


「それもこれも、全てシェイド隊ちょ――殿の自業自得でありますからね。……フッ、存じておりますよ。昔、エステル様との間に何があったのか」


「うぐっ……、いやアレはちょっとした――。え、何で知ってんの?」


 言い訳がましく狼狽えるシェイドを窘めながら、イケトは疲れた表情でニヒルに笑う。どうやらこの男、シェイドの肩を持つ気は一切ないらしい。

 その時、


「実はワシも、先程から密かに気になっておった。丁度良い、王女様とシェイドとの間に何があったのか、一つ話してみよ」


「またややこしい奴が!」


 どうやらエステルとの会話に興じる一方で、男二人のコソコソ話にも聞き耳を立てていたらしい。

 キツネは隣の少女の視線も引き連れながら、興味津々でシェイド達の間に割って入った。


「そうですね。あれは十年前、シェイド殿が王都魔導部隊隊長の任から退かれる数日前のことでした」


「おい待て止め」



 ――十年前。


 時刻は夕暮れ時。王城横に広がる庭園に、すっかりと橙色に染まった陽の光が降り注ぐ頃。

 人の気配がすっかりと薄まったその場所で、一人の少女と男の逢瀬が密かに行われていた。


エステルは、ずっとあなたのことを想いつづけておりました。好きです大好きです。――ですから、どうか行かないで」


 この日、顔を真っ赤に染めて涙を目尻いっぱいに蓄えた六歳の少女エステルは、持てる勇気の全てを振り絞って男に愛を打ち明けていた。

 その幼気ながらも健気な姿は、なんといじらしいことだろう。少女は目の前の男の手を力いっぱい握り締め、声を震わせながらそう懇願していた。

 対する相手の男はというと、


「ありがとう。気持ちはすごく嬉しいよ、エステル」


 少女の手を優しく握り返し、片膝を地面に付けて視線を合わせると微笑みながらそう言った。

 その微笑みを向けられて、少女は只でさえ真っ赤な顔を更に濃い色へと変える。

 しかし男は、少女の反応を然程気に留めず言葉を続けた。


「でも、俺にはどうしても叶えたい夢があるんだ。だから、どうか引き止めないでくれないか?」


「夢……ですか?」


「ああ」


 そう言って頷く男は立ち上がると、夕暮れに落ちる太陽を眺めて黄昏る。

 男が視線を向ける先は、王都の壁を超えたずっと向こう側。少女がまだ知らないであろう広い世界を、静かに見据えているように見えた。

 その姿が、涙でボヤけた少女の目にはあまりにも輝いて見えて――。


「……わかりました。もう、引き止めません。――ですがっ!」


 何度もしゃくりを上げそうになりながら、しかし少女は必死に下唇を噛み、「ここに居て」と、思わず喉の奥から溢れかけた気持ちを抑え込んだ。

 少女は気付いたのだろう。自分の言葉などでは、もはや男を引き止めることなど出来ないことに。

 故に少女は。それでも少女は、最後に深く食い下がる。


「どうか王都を発つ前に、最後のお見送りをさせて下さいまし。そして年に一度、私の誕生日を祝いに王城へいらして下さい。それから週に一度は、お手紙を寄越して下さい。それから――」


 刹那的に思いついた、我儘とも取れる一方的な願いの数々。

 しかし彼女が本当に求めているのは、そんなことではなく――。


「それから……、それから……――」


 吐く息ばかりを絶え間なく使っていたこともあり、少女は一旦言葉を区切ると俯きながら肩を上下に揺らす。

 そして息を整えた後、胸の前で両手をギュっと握り、決意の込もった瞳で男を見上げた。


「私の告白に、答えて下さい。それが、私からのお願いです」


 涙で赤くした瞳であっても、それでも決して男から目を逸らすことなく、少女は鼻を啜り上げて願う。

 きっとこれが、少女にとって心に折り合いを付けられる最大限の譲歩だったのだろう。

 そんな少女の想いに、男は一体何を感じたのか。


「……フッ」


 優しく笑う男は徐に人差し指を立てると、それを軽く自身の唇に当てる仕草をした。

 そして――。


「――……。……………ッ!?、!?!?」


 その指を、少女の唇に押し当てたのだ。


「あ、ああ、あわわ、あわわわわわわわ」


 直後、今なら体温だけでお湯を沸かせるのではないかと錯覚する程に、少女の顔は猛烈に熱を帯びる。

 加えて脳内では、羞恥、興奮、感動、驚愕、喜び、疑問etcといった感情に関連するワードが瞬く間に巡り始めていた。

 否。そもそも、そもそもである。 


「とととと突然、いい一体何を――!」


 そう口走ることを、一体誰が咎められるだろう。

 男の突然の行動は、無垢な少女にとって到底理解し切れるものではなかった。……もっとも、満更でもない気持ちが彼女の振る舞いの中でしきりに見え隠れしているのは、言わぬが華なのだろうが。

 一方男は、そんなアタフタする少女の様子を未だ微笑ましげに、しかしどこか緊張気味に眺め続ける。

 暫くして少女も、そんな男の視線に気付いたようで――。


「~~~~~っ!」


 少女は羞恥に耐え切れず、男の返事も聞かぬまま急ぎその場を後にする。

 そして、


「………………はぁー。出国前にこういうのは、勘弁してほしかったんだけどなぁ……」


 少女がその場を離れるや否や、男はそう言って疲れたように乾いた溜息を零したのだ。


 要するに男は、一世一代の勇気を振り絞った少女の告白に、あろうことか返事を誤魔化してみせたのだった。



「詳しく話すと長いので、要約するとこんな感じであります。因みにシェイド殿はこの数日後、エステル様へ何も告げずに王都を発たれて以降一度も王城にいらしておりません」


有罪ギルティ。ド有罪。最低じゃなおまえ、そりゃ大広間でのエステルの態度にも納得じゃわ。時代が時代なら打ち首一直線じゃぞ。そもそもなんじゃ、あの指を使った擬似接吻。自分に酔い過ぎじゃろ死んでしまえ女の敵」


「めちゃくちゃ言うでありますね。いやまあ正直、自分も概ね同意見でありますが。子供誑し込んで何やってんすかアンタ」


『バーカバーカ』


「止めて……止めて……」


 話を終えて直ぐ、呆れと怒りが織り交ざったキツネの罵声が、掌で顔を覆い弱々しく声を上げるシェイドに降り掛かった。加えて何度も繰り返し頷くイケトからの追撃と、便乗するミギウデの罵倒によってその威力は更に増す。

 哀れなり、ここにシェイドの味方は誰一人居ない。唯一何も言わないエステルも、ニコニコと和やかで不気味な笑顔を浮かべるばかりだ。

 当然である、彼女は彼の被害者なのだから。

 しかし、


「イケト。少々、脚色が過ぎるのではありませんか?」


 その笑顔は不思議なことに、シェイドに向けられたものではなかった。何処と無く圧を感じさせる声色で、エステルはイケトの方を向く。

 またシェイドも、頭を掻き毟りながら弁解にもならない言葉を並べる中、ふと気付いたようにイケトに向かって言った。


「あの時は、俺も別件で舞い上がってておかしくなってたというか……。ていうかイケトお前、ホントになんで知ってんだよ!?」


 話を終えて尚微笑みを崩さないエステルと、黒歴史を暴露され余程堪えた様子のシェイド。対照的な反応を見せる二人が、それぞれイケトに物言いを挙げる。

 だが、


「そりゃあ見てましたから。というか見てしまいましたから、一部始終」


「……えぁッ!?」


「……」


 その言葉で、二人の主張は瞬く間に一蹴された。

 後に続くのはシェイドの悲鳴にも似た驚きの声と、これ以上藪を突付いてなるものかと瞬時に口を閉ざしたエステルの沈黙のみ。


 かくして、和やかな静寂から和気藹々とした声に包まれていた廊下に、再び静寂が舞い戻る。

 しかしてその静寂は、シェイド(とエステル)にとってひどく心地の悪いものであった。



※ ※ ※ ※ ※



「到着です。シェイドは存じておいででしょうが、こちらが集会場となります」


「……知ってるとは言っても、俺も数える程しか来た覚えがないんだけどな」


「というか、何気に案内人の役目の殆どを、終始エステル様に取って代わられてしまったであります。お給料に響かなければ良いのでありますが……」


 そんなこんなで城内を歩き続けていた一行は、廊下の最奥に構える部屋の前に辿り着く。

 見ればその部屋は、魔方陣の紋様が施された両開きの黒い扉に堅く閉ざされており、資格無き者は何人たりとも寄せ付けんとする重々しい空気を漂わせていた。


「これまたなんとも厳かな扉じゃのぅ、正に歴史を感じる造りをしておる。……ワシ、この世界の歴史とか一切知らんけど」


「ふふ。召喚されたばかりでしたら、それもそうでしょう。――かつてロード自らが人々の声に耳を傾けられた際、優秀な魔導師達の集まりが必要だというお言葉を人々に授けられ、その為に数多の魔導師が叡智を結集させた場所、そこへ通じる扉ですから。然もありません」


「成る程のぅ」


 落ち着いて見えて、その実お気に入りの玩具を誇らしげに自慢する子供のようにエステルは語る。その振る舞いは王女としてではなく、歳相応の少女のように見えなくも無い。

 そんな珍しい場面にイケトが密かに目を丸くする一方で、しかしキツネは話もそこそこに扉の端を眺めていた。

 それに気付いたエステルは、不思議そうに小首を傾げる。


「どうしました?」


「いやなに。この扉、そろそろ限界が近いと思っての。見てみよ、蝶番など随分弱っておるではないか。ほれ」


「そうですか? 私にはそうは見えませ――ッ!」


 盛者必衰、諸行無常、兵どもがなんとやら。なんだかんだと言いつつも、キツネからすればそれは不必要ムダに大仰な古臭い扉にしか見えていなかった。そう思えるのは、どんな歴史を持とうともいずれは崩れ消え行く物の儚さを知るからか、或いは異世界の歴史に対する無知無関心故か。両方だろう。

 ともあれ、キツネはエステルが何かを言い掛けている間にも、扉の蝶番に軽く触れた。

 その時――。


「待ちなさいキツネ!」


 突如、血相を変えキツネに向かって手を伸ばすエステルから、取り乱すような制止の声が上がった。

 だが時既に遅く、


「えっ――」


 キツネが蝶番に触れた直後、扉に施された紋様が紫色に怪しく輝き出し、直後油が跳ねる音を何倍にも増幅したような破裂音が扉から連続して響き始める。

 しかしてその音の正体を突き止める間は寸分も無く、次の瞬間、紋様から迸る壮烈な光が尻餅をついたキツネ目掛けて襲い掛かった。


「危っぶねえ!」


 しかし少女は、寸でのところで幸運に恵まれる。幸いなことに、咄嗟にミギウデを伸ばしたシェイドがキツネと光の間にギリギリ体をねじ込んだことで、光が立ち所に霧散していたのだ。

 だが、彼の後ろで目を丸くするキツネは、状況が飲み込めず呆然と口を開いたまま衝撃の言を漏らす。


「な、なんなんじゃ一体……」


「怪我はありませんかキツネ! ……本当に、申し訳ありませんでした。本来なら真っ先に説明すべきことだというのに、こんな危険な目に遭わせてしまい……」


 そんなキツネの身を案じたエステルは、謝罪と共に急ぎ彼女の傍に駆け寄る。

 どうやら余程キツネのことが心配なようで、キツネの肌に触れ、怪我はないかと何度も身体の状態を確かめていた。

 一方、当のキツネは呆然としたままで、怒るよりも恐怖するよりも先に、何が何だかと幾つもの疑問符を頭に浮かべていた。


「あ、ああ、うむ、怪我は無いから大丈夫じゃ。しかし今の光は……?」


「対侵入者用の自動防衛魔法式『応雷』。大昔の天才魔法使いバカ共が自分達の知識を部外者から守る為に造り上げた、面倒臭い仕掛けだよ」


 そんな時、キツネの疑問に応える声が、彼女の前に立ち呆れた様子で頭を掻くシェイドから挙がる。


「魔法使いの称号を持つ者、或いは王家の血を引く者以外が不用意に扉に触れると、今みたいに稲妻・・が飛び出るようになってんだよ。幸い今のは大した威力じゃなかったけど、扉を壊す勢いの衝撃でも加えれば人一人殺せるくらいのが飛び出てくるぞ」


「んなッ――」


 絶句。

 思わずポカンと口を開いたまま黙り込むキツネは、何も言えずに瞬きを繰り返す。

 だが直ぐに言葉の意味と今の状況を理解するや否や、まるで飛び掛るようにシェイドに詰め寄った。


「そんな危険なものなら先に言ってくれんかの!? というか防衛というより、こりゃどう見ても迎撃じゃろう!? 道理で此処だけ人通りが無い訳じゃ、だって怖いモンね!」


「だよな、俺もそう思う。思うから揺らすな」


 至極当然の反応である。その大昔の魔法使い共とやらは、一体何を思ってこんな危険なギミックを仕込んだというのか。

 キツネは勢いよく立ち上がると、淡々と語るシェイドの胸倉を掴みガクガクと揺らす。

 そのすぐ隣では、


「申し訳ありません……、責任は私にあります」


「そもそも案内役は自分の仕事なのでありますが……」


 キツネの無事にホッとしながらも、自身の不注意に不甲斐なさを隠し切れないエステル、そして責任の行方に怯えるイケトが、それぞれ俯き頭を抱えていた。

 ――その時。


「……先程から随分騒がしいと思ってみれば、そんなところで一体何をしておる」


 不意に、老人のような嗄れた声が、シェイドら四人の間を風のように通り抜けた。

 そしてそれに気付くや否や、四人は揃って声のした方向、即ち扉がある方と反射的に顔を向ける。

 そこ居たのは、


「おや、そに居られるのはエステル様ではありませんか。それに……いやはや、こうして顔を会わせるのは何年ぶりか。これはまた、随分と久しい顔があるではないか」


 鍔が肩幅ほどある黒いトンガリ帽子を目深に被り、瘤の付いた杖を持つ、大きく白い髭を顔の下半分に蓄えた老年の男。白いローブの下に埃一つ無い黒い衣服を纏うその出で立ちは、正しく威厳溢れる大魔法使いと呼ぶに相応しい。

 そんな男が、どこか感慨深い声色でそう語りつつ扉の向こうから姿を現した。

 それから男はその場を黙って一瞥すると、魔方陣の紋様が刺繍されたローブを翻して言った。


「そこな少女のことは聞き及んでおる。よくぞ参られたな、シェイド殿」

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