1-15『噴水前の邂逅』

「右を見ても左を見ても、触れられる距離に人、人、人! これだけ多くの人間の気配を間近で感じるのは、一体いつ以来じゃろうか」


 馬車で通った道を戻り、三つに分かれた街道の中央から再び広場へと戻ったキツネは、感慨に胸を弾ませつつ喜色満面の笑みで顔を右上げる。その視線の先には、十数分前と変わらない人々の行き交いが今も続いていた。

 しかし、


「……と、喜び勇んで来たはいいんじゃが」


 途端、キツネの顔に陰りが差す。

 その表情はまるで、『遠足当日に雨が降り、予定が来週にズレた時の子供』のような、そんなどうしようもない哀愁が込められていた。

 一体何が彼女をそうさせたのか、キツネは広場中央にある噴水の縁に腰掛けると頭を抱え溜息を零す。


「ハァー……。元より物見遊山に留めるつもりだったんじゃが、やはり関わりを求めようとする衝動は抑えられんものじゃな。人間を近くで眺めるだけでも充分満足できると思っておったのに、どうやらワシは、ワシが思うよりずっと人に飢えておるようじゃ。――じゃからといって無一文で店の者に声を掛けても迷惑じゃろうし、買い物客等もまた忙しそうじゃ」


 少女の言う飢えとは、決して空腹を指してのものではない。……いや、朝食として口にした携帯食料とシェイドに買ってもらったリンゴン一つだけでは、おおよそ満腹と呼べる状態でもないのだが。

 今の彼女が内に秘めているのはそういった物欲的なものではなく、もっと精神的なもの。

 言うなれば人との触れ合いや関わりに、異様な欲求を抱いていたのだ。


「だって一応、ワシ神じゃし? 地球あっちでは信仰ありきでギリギリ顕在していた身としては、やはり周知されることが割と重要というか、やはりその辺不安なわけでの」


 余程心細いのだろう、誰に向けたわけでもない言い訳はブツブツ延々と続く。

 けれどそんなことをしたところで、当然ながら声を掛けよう等と考える物好きが現れる筈も無い。むしろ変な奴が現れたと、周囲の空気に独特な緊張感が漂い始めていた。

 しかしその時、


「まぁまぁまぁ、そのように神妙な表情かおで頭を抱えられて、どうなさったのです?」


 そんな空気を物ともしない透き通るような女の声が、キツネに向けて掛けられた。



「いやなに、ちょいと人とのコミュニケーションに飢えておっての――って、お主は?」


 独り言の最中、不意に声を掛けられたこともあり、それが自身に向けてられた言葉だと気付くのに数瞬反応が遅れたのだろう。

 キツネは乗りツッコミよろしく流れるように受け応えながらも、すぐにハッとした表情で顔を上げた。


「ふふ、いきなりごめんなさいね。わたくし、ロベナーシャと申します。貴女が随分と悩んでいるように見えたので、思わず声を掛けてしまいました。……ご迷惑、だったかしら?」


 そこに居たのは、青い三角巾に白いシャツと腰周りに巻いた水色のエプロンが目を引く、クリーム色のフワフワとした髪が特徴的な女性が一人。

 年の頃は、二十代半ばといった具合だろうか。深く蒼い瞳に垂れ気味の目尻、そして優しげな微笑みからタンポポの綿毛のような印象を抱かせる、紛れも無い美女だった。


 そんな女性――ロベナーシャは再び優しく微笑み掛けると、名乗りも程々にキツネの返事も待たず彼女の隣へ腰掛ける。

 一方、少女はあまりに自然なその動作に一瞬目を丸くしたものの、少し間を開けつつも気を取り直すと慌てて首を横に振った。


「あいやすまぬ、決して嫌だとか迷惑だとかの意味ではなくての。なんというか、暇を持て余していたところに突然声を掛けられて、一瞬呆けてしまったというか」


「まぁ! でしたら少しばかり、私の世間話に付き合っては頂けませんか?ご覧の通り、お買い物はもう済ませてありまして、後は一人、宿でどう余暇を過ごそうかと考えあぐねていたところでしたの」


 途端、返事を聞いたロベナーシャは胸の前で両手を合わせて瞳を輝かせると、食い気味にキツネへと詰め寄る。確かにロベナーシャの言葉通り、彼女の傍らには露店の茶色い紙袋が置かれており、中には野菜や果物がギッシリと詰まっていた。


「お、おぅ……」


 宿と言う辺り、恐らく王都の住人という訳ではないのだろう。彼女の胸元で揺れている、城門前で渡された蒼いプレートの存在からもそれは窺える。であれば彼女は旅人か、或いは観光客か。

 もっともそれがどちらにせよ、ロベナーシャが今もキツネに深い興味を示していることにあまり関係は無いのだろう。

 そんな彼女に対するキツネの反応はひどく困惑したもので、思わず仰け反るように顔を逸らすと、詰め寄られた分だけ自然と距離を取っていた。


「まぁまぁ、そんなに照れなくてもよいではないですか。女同士、そう恥じらうものでもないでしょう? うふふ、可愛らしいですね」


「……性別云々以前に距離感的な問題があると思うんじゃが。ワシら初対面じゃよな?」


 恐らくこの場にシェイドが居れば『どの口が言いやがる』と野次を飛ばしていたであろうが、それはそれとしてキツネの言い分は尤もである。そもそも見ず知らずの相手にここまでの興味を抱くこと自体、異世界エリクス事情を知らぬ彼女からすれば何かしらの企みではないかと勘繰ってしまうもの。

 加えてロベナーシャの言動には何処と無く胡散臭さが感じられ、たった数言交わしただけのキツネですら、言葉にし難い不審な印象を覚えていたのだ。


 しかし勿論のこと、頭を抱えるキツネに親切心で声を掛けた可能性も充分にあり得るだろう。であれば、多少言動に違和感を覚えようとも、それを理由に相手を邪険に扱うなど言語道断だ。

 ともすれば、


「――じゃが声を掛けてくれたことは、素直に嬉しく思う。その心意気を大切に、精進するがよい。じゃあの」


 キツネは無礼にならないよう細心の注意を払って言葉を選びながら(それでも充分不遜なのだが)、それとなく良い感じのことを言ってその場を去ることにした。

 その際、微笑みながらも何か言いたげなロベナーシャの視線が真横から突き刺さってきたが、キツネは気付かないフリをする。

 だが直後、


「まぁまぁまぁまぁ、お待ちになって下さいまし」


「ぬ、ぬおッ!?」


 この場から離れる為、立ち上がろうと噴水の縁に触れた手を急に引かれ、キツネは大きくバランスを崩した。

 ただ、幸いというべきか、


「バフッ!?」


 バランスを崩した先ではロベナーシャが両腕を広げて待ち構えており、キツネは怪我もなく彼女の腕の中へと包まれる。

 その際、ロベナーシャの程よく豊満な胸に顔を埋めることになった。

 周囲を歩く人々の視線(主に男性)がこの瞬間、一斉に二人に集中する。


「まぁまぁまぁまぁ、お怪我はございませんか?」


「……おい」


 しかし安心も束の間、キツネは怪我をしなかったことに安堵しつつも顔を上げると、困り顔のロベナーシャを険しい表情で睨み付けた。当然だ、そもそもバランスを崩した原因は彼女にあるのだから。

 キツネはそれを咎める為に、ロベナーシャの腕から抜け出そうと体の向きを変えようとして、


「全く、言いたいことが山積みじゃ。一先ず手を離――なんじゃ、これは」


 未だ抱き留める腕を解こうとしないロベナーシャとは別にもう一つ、今も自身の手を握り続けている存在に気が付いた。

 途端、ロベナーシャの瞳に再び強い輝きが溢れ出す。


「まぁまぁまぁ、気になります? 気になりますか? 気になりますよねぇ! どうぞよく、ご覧になって下さいまし。どうです、可愛らしいでしょう? 実はこの子、私が生み出した“傀儡ゴーレム”なのです」


「ゴーレム?」


 数瞬前の困り顔から一転、ロベナーシャは鼻息を荒げてキツネに顔を寄せると熱く語り始める。どうやら手を引いた事への申し訳無さは微塵も感じていないらしい。

 しかしキツネは女の興奮する声を耳に入れつつも、彼女の言う傀儡なるものから目を離せないでいた。

 何せその姿形すがたが、キツネにとってどうにも馴染みを感じるモノと酷似していたからだ。


「生み出した発言については、そういう魔法なのじゃろうと納得できる。だって異世界じゃし。……しかしこれは、ワシのイメージするゴーレム像とは随分かけ離れているというか、どう見ても藁人形ではないかの? いやまぁ、主がゴーレムと言うならゴーレムなんじゃろうが。一時期、小山の奥でよく見掛けたのぅ――って」


 キツネの言う通り、彼女の手を引いていたのは、藁で編まれた人型の小人。

 その大きさは頭から足の先までおよそ五寸程と、見た目も含めて正しく藁人形と呼んでも差し支えないものだった。

 そんな藁人形――傀儡は、今も綱引きのように腰を入れながら全力でキツネの手を引いている。


「とりあえず離、離せぃ! クッ、こやつ、サイズに対してなんちゅう膂力じゃ。というか何故掴む?」


「さぁ、傀儡のすることですから」


「生み出しておいてなんという無責任発言!? というかロベナーシャよ、一応お主にも言うておるんじゃからな。とっとと腕を解かんかい!」


 まぁまぁまぁと人の話を全く聞かないロベナーシャの腕の中で暴れながら、キツネはいよいよ声を張り上げる。

 その際助けを求めるように周りを一瞥したのだが、悲しいことに助けようと行動を起こす者はおろか、こちらを見ている者すら誰一人として居なかった。

 もっとも、それについては実際のところ、キツネが顔を上げた瞬間皆一斉に目を逸らしていただけなのだが。


「畜生ッ、事なかれ主義は異世界でも横行しておるのか! は・な・せー!」


「まぁまぁまぁまぁ――あら、ちょっと失礼しますね?」


 いい加減頭に来たと本気でロベナーシャを剥がしに掛かるキツネは力一杯、彼女の腕の中で抵抗を始める。

 その甲斐あってのことなのか、やがて綻び始める抱擁に隙を見出すと、傀儡諸共振り払うように抜け出した――のだが。


「離――は?」


 謀っていたのか、はたまた偶然か。ロベナーシャはキツネが抜け出すのとほぼ同時に抱擁を解くと、自身の米噛みへ手を当てた。

 そして、まるで誰かと会話でもしているかのように何度か頷いてみせたり、小さな声でまぁまぁまぁとしきりに相槌を打っていた。

 傍から見れば不審以外の言葉で形容し難い行為であるが、それも今更だろう。


 一方、腕を振り払おうと勢い余ったキツネはというと――。


「……それはいかんじゃろ、やっちゃいかんじゃろ」


 いっそ見事な程にバランスを崩し、噴水の中へと着水ドボン。耳の先から足のつま先まで、全身をずぶ濡れにしながら何処か哀しげにそう呟いていた。

 尻尾や耳が垂れているのは、水の重みか不機嫌故か。ともあれキツネは今一度ロベナーシャを強く睨み付けると、水を吸った尾や服の重みにふらつきながらも噴水から這い上がる。

 そして大きく息を吸い、怒りのあかい言の葉を告げようと口を開いて、


「いい加減に――」


「まぁまぁまぁまぁ、ごめんなさい。折角のお話の途中でしたが、少し用事が出来てしまいました。えぇえぇ、とても、すごく、大変残念でございます。ですがお仕事ですから、仕方ありません。仕方ないのです」


 心底残念がるロベナーシャに遮られた。

 そしてそれが、キツネへのトドメになったのだろう。


「……ハァ~~~~~。もうよい、怒る気も失せたわ」


 顔に手を当てどんよりとした溜息を吐きながら、キツネは力なく再び噴水の縁へ腰掛けた。


「まぁまぁ、本当にごめんなさいね。次にお会いすることがあれば、また続きを話し合いましょう?」


「主はあのやり取りを話し合いと呼ぶのか……。――まぁよい、それより用事があるのであろう? どうせワシに構うより有意義じゃろうて、早く行くがよい」


「まぁまぁまぁまぁ、お気遣いありがとうございます。なんとお優しい方、私、貴女のことは一生忘れません」


「想いが重い……。そんなことよりほれ、行った行った」


 そう言って一人感動に震えるロベナーシャを追い払うように手を動かしながら、キツネは疲れ切った笑顔を向ける。果たして、次に会う機会はあるのだろうかと、出来ればその時は暫く先であることを願いながら。

 やがて一頻り感謝の言葉を伝えたところで、ロベナーシャはキツネに背を向け歩き出した。

 しかし、


「時に――」


 ロベナーシャはふと振り返ると、こんなことを尋ねた。


「貴女は、お祭りはお好きですか?」


「は?」


 なんてことない、Yes・Noで答えられる単純な質問だ。しかし何の脈絡も無く繰り出されたその質問は、同時にキツネの虚を突くものだった。

 故に警戒する暇も無く、キツネは素直に頷く。


「う、うむ。祭囃子の音やドンチャン騒ぎは嫌いではないが」


「……まぁ、まぁまぁまぁまぁ! でしたら五日後に、この近くで大きなお祭りが催されますから、是非いらして下さいな。その際は、特別な席をご用意させて頂きますので」


 そんなキツネの返事を受けて、ロベナーシャはまるで童子のように、花が咲くような満面の笑みを浮かべた。


「嗚呼嗚呼、素晴らしいです。こんな素敵な少女と出会えるなんて、私はどれほど恵まれているのでしょう……! これもあの方のお導き、私、ここで死んでも悔いはありません」


「そんな大袈裟な……。というか、祭りとは一体どのような」


「まぁまぁまぁまぁ、ここでお話してしまっては興が削がれてしまうというもの。是非、その日が来るまで楽しみにしておいて下さいな。うふふ」


 そう言ってキツネの言葉を遮り、人差し指を唇に当てたロベナーシャは、身を翻すとご機嫌な足取りで広場の雑踏に消えて行く。

 そしてそんな様子を眺めるキツネは呆然と、嵐のように現れ去って行った女の背中を見えなくなるまで目で追い続けた。

 しかし、それも数秒のこと。


「――……。…………。…………ハァ~~~~~~~。なんだったんじゃ、あ奴。言うだけ言うと一人満足して何処かへ行きおったぞ」


 少女は異世界エリクスに召喚されて以来一、二を争う大きな溜息を吐くと、心底疲れ切った顔で空を見上げた。

 陽はまだ高く、青空には雲一つない。 


「……全く、興が削がれたのはワシの方じゃ。最早人と話す気力も残っておらん……戻るか」


 草臥れ儲けの骨折り損という程ではないが、すっかり人と接したい欲求を失ってしまったキツネは腰を上げると、自身も広場の雑踏へ足を運ぶ。

 その際、それまでのやり取りを眺めていた周囲の人の波がキツネを避けるように動いたが、当の本人はそこに一瞥くれてやる気力も無いらしく、大人しくシェイドの元へと戻るのだった。

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