1-14『デナの価値』

「――よし。一先ず到着だ、お疲れさん」


「ワシはもう少し、あの大通りを眺めていたかったのじゃが……。じゃが、うむ。こちらの賑わいも、趣があって中々に良いではないか」


 沢山の商店が建ち並び、人でごった返す大通りを抜けたシェイドとキツネは、無事に広場へと辿り着く。

 しかし彼等が辿り着いたその場所もまた、大通り程ではないにしても多くの人で賑わいを見せていた。見れば大きな噴水が広場の中央に鎮座し、そこから少し間を空けて囲うように露店が並んでいる。


大通りあっちの方は、行商人達が滞在期間中に一デナでも多く稼ごうと鎬を削っているからな。対して広場こっちでは、都内の住人に向けた日用品や食料品なんかを主に扱っているんだ。稀に旅の曲芸団なんかが来ることもあるが、普段は大体こんな感じだよ」


「成る程、じゃからここでは、通りのような血走った眼をした商人が見当たらんわけか。というか銀貨の時も思ったが、デナとはなんじゃ? いや、通貨単位であることは流石に分かるのじゃが、一デナ辺りの換算価値が分からん。円? ドル? ユーロ?」


「お前もちょいちょい、俺の知らない言葉を出してくるよな。でもそうだな、例えば――」


 そう言うと、シェイドは邪魔にならないよう道の端に馬車を停め、キツネを連れて市場に繰り出し手近な露店へと足を運ぶ。

 そして店主の了承を得てから、商品として並んでいる赤い果物の一つを手に取った。


「例えばこのリンゴンっていう、何処にでも売られている今が旬のありふれた果物。これ一つで大体百デナ前後になる。その辺りから、異世界そっちの価値観と摺り合わせてくれ」


「ふむ――。ということは、百デナでおよそ百円といった認識で良いようじゃの。……三万デナの重み、今更ながら実感するの」


「実際は一万デナだった訳だがな。あ、これもう一つ下さい」


 どうやらキツネなりに解釈したらしいと、シェイドはどこか満足げな表情でリンゴンを二つ購入する。

 そして店主の笑顔を背に受けながら店を後にすると、ついでに他の露店も見て回ることにした。



※ ※ ※ ※ ※



「ふぅ……よし、こんなもんでいいだろ。ほら行くぞ、キツネ」


 二人が露店を見て回ってから、およそ二十分程が経った頃。

 馬車の隣に立つシェイドは大きく膨らんだ巾着袋を肩にぶら下げながら、上機嫌な様子でキツネに呼び掛けをしていた。

 見れば巾着袋の口元からは、買ったばかりの塩が入った袋や横長の箱に小分けされたバター、そして携帯食料を包む銀色の包装紙の一部が顔を覗かせている。

 一方、


「う、うむ。今行く」


 そんなシェイドとは対象的に、キツネは物足りなげな表情で広場の露店を眺めていた。

 不思議とその横顔が寂しげなものに見えるのは、一体如何な理由があってのことなのだろうか。


「さて、では行こうではないか。……ところで何処に向かうのじゃ?」


 しかしそんな表情を見せたのも、ほんの数瞬のこと。

 何事も無かったかのように気持ちを切り替えるキツネは、シェイドの元へと駆け寄った。


「やっぱり聞いてなかったのか。王城だよ王城、向こうでデーンと構えてるだろ」


 やはり大通りでの話をちゃんと聞いていなかったようで、シェイドは肩を竦めながらも広場を少し進んだ先にある三つに分かれた道の真ん中を指差す。

 釣られてキツネもそちらを向くと、道の先には目的地である白を基調とした巨大な建物が確かに存在を主張していた。


「ほほぉ。まだ些か距離があるというのに、いやはやデッカイもんじゃのー。これだけ大きければ、都内中どこからでも見えるのではなかろうか? 少なくともアレを目印にすれば迷子にはならなそうじゃが」


「実際、見ようと思えばどこからでも見れるぞ。まぁ、逆もまた然りってやつだが」


「というと?」


「王城からなら、都内どこでも上から見下ろせるってことだよ。――ほれ」


 興奮するキツネに補足を加えながら、シェイドは御者席に腰掛けると手を差し伸べる。


「ほう、気が効くではないか」


 そしてキツネも差し伸べられた手を掴むと、シェイドの隣に座った。


「――して、どのようにして入城するんじゃ。やはり身分証とか必要なのか? ワシ、そういうの一切持ち合わせておらんのじゃが」


「ああ、心配すんな。そっちは俺の方で用意があるから」


 シェイドはそう言うと巾着袋の口を開き、ギチギチに詰った中身を掻き分けるように奥へ奥へと腕を沈める。

 そんな姿をすぐ隣で眺めるキツネは目を細め、「……たまの整理くらいはしておるのか?」と呆れた表情を浮かべていた。


 それから一分程が経ち、どうやら手応えを感じたらしいシェイドの表情が微かに緩む。

 直後、勢いよく引き抜かれた腕の先には、白い布のようなものが握られていた。


「これが俺の身分証、所謂“魔法使いの外套ローブ”ってやつだ」


 そう言ってシェイドがキツネの前で自慢げに広げたのは、魔法陣と思しき紋様を模した金色の刺繍が背面に施されている白い布。

 外套と呼ぶだけあって、それには腕を通す長い袖があり、加えて襟の後ろには少し大きめのフードも縫い付けられていた。


「ほほう。中々どうして、見事に拵えられた外套ではないか。巾着袋の底で眠らせておくには、あまりに勿体無い逸品じゃのう。……して、これがどう身分証に――ん?」


 だが、それだけを見せられても反応に困るというもの。

 確かに彼女が語った通り、衣類としての質は中々のものなのだろう。現にキツネは、手に心地良く馴染む感覚を楽しむように生地を撫でている。

 しかし同時に、それが身分証とどう繋がるのだろうという疑問を感じてもいた。

 だが、すぐに気付く。


「魔法使い? ……ああ、成る程。つまりそういうアレか、この外套は」


 果たして正解か否か。キツネは一瞬言葉を詰まらせた後、シェイドの顔を覗き込みつつ探るように呟く。

 すると、


「ん、正解そういうこと。これは魔法使い序列に名を並べる者のみが着用を許される、文字通り魔法使いの証だ」


 シェイドも、キツネが察しをつけたことに気付いたのだろう。一度大きく頷いた後、台詞の後半を引き継いだ。

 

「ふむ、であれば心配は無用か……無用なのか? ともあれ、それさえあればいつでも城を出入り出来るというわけか」


「いーや、別にいつでもって訳じゃねぇよ? ここ数日が、特別都合がいいってだけだからな」


「それは、どういうことじゃ?」


 その言葉に、キツネは頭に疑問符を浮かべて首を傾げる。

 一方シェイドもその反応は予想していたようで、手綱を握り進行方向に馬車を進めつつ語りだした。


「王都グローリアでは二ヶ月に一度、三日間だけ“定例会ミサ”と呼ばれる魔法使いの集会が王城内で催されるんだ。そしてその期間内に限り、魔法使いは面倒な手続きを一部省略して入城することが許されるんだよ。尤も、全手続きが不要とまではいかないんだけど……『定例会とはなんじゃ?』って顔をしてるな」


 チラリとシェイドが横目を向けると、キツネは「うむ、ようやくワシのことを分かってきたな」と謎の上から目線で満足気に頷く。

 一瞬その態度に微かな苛立ちを覚えはしたものの、シェイドはそれを溜息一つで流し構わず定例会とはなんたるかの説明を付け加えた。


「定例会ってのは、『交流し、互いの叡智をより深めよう』って名目から始まった魔法使いの集まりだ。そこで行われるのは、欲と策謀に塗れた魔法使いたちによる裏の掻き合い――とかなんとか。尤も、今はそんなの宣伝文句以上の意味も意義もないんだが」


「ならば何故、今も続いておるのじゃ?」


「これで意外と歴史が古くてさ、半ば惰性で続いている行事なんだよ。だから一応次はいつやるかって知らせは届くんだが、律儀に毎回出席してる奴なんて殆ど居ない。居たとしてもせいぜい、王城務めで立場上欠席し辛いガンマ、王立ラーマイド魔法学園の学園長クローバと、王都で暮らすレイぐらいだろうさ。それと偶に、用事で近くを通った魔法使いが“ついでに”顔を出すことがあるとか、ないとか」


「過疎集落の法事かな? 世知辛いのぅ。 ――して、今主が名を挙げた者達もやはり」


「魔法使いだ。どんな奴らかは、まぁ会えば分かるだろうさ」


 そしてそんな雑談を交わしつつ、ゆったりと馬車を進めることおよそ十五分。



「――さて、それじゃあ門番と話してくる。手続きが済んだら呼ぶから、大人しくしててくれよ」


 王城前、王都外縁のものと比べれば流石に迫力不足感が否めないものの、それでも充分に立派な壁と門の前に二人の乗った馬車が辿り着く。

 そのすぐ傍らには、門番の男達が立ち塞がる。全身をすっぽりと鎧で覆う衛兵二人と、胸元に白い魔方陣が描かれた黒い装束を纏う怪しげな男二人の計四人だ。

 やはり国の最重要拠点を護る立場にある為か、仏頂面の彼等から親しみやすさは微塵も感じられない。


「だから、ワシを子ども扱いするでないと……まぁよい。適当に、その辺で時間を潰すとするかの」


「馬車で待っててくれるなら、こっちも気が楽なんだけどな……。頼むから、問題だけは起こさないでくれよ。あと、あんまり遠くへ行かないこと。間違っても王都から出るんじゃないぞ」


「ワシってそんなに信用ない?」


 しかしそんな雰囲気を一切意に介さないシェイドとキツネは、短い付き合いの中である種恒常化したやり取りを交わしながら一旦別行動に移る上での話し合いをする。

 そして、互いに納得する結論に至ったのだろう。


「魔法使い殿、そろそろよいか?」


「ああ、待たせて悪いな。――いいかキツネ、絶対に問題を起こすなよ?」


「くどい。知った道以外は通らんから安心せい」


 鎧に身を包んだ門番の男に急かされるシェイドを尻目に、キツネは馬車から降りるとエリクスに召喚されて以来となる単独行動を開始する。

 心なしかこれら一連の仕草が矢鱈と軽やかに見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。なんせ暫く振りのプライベートタイムなのだから、無理もない。

 そんな少女の視線の先には、今しがた通ったばかりの道の先にある、尚も賑わいの音が続いている広場。

 向かう足取りを軽快に弾ませながら、キツネは元気よく走り出すのだった。



 しかし、彼女はまだ知らない。

 後に広場にて果たす偶然の邂逅が、やがて王都グローリアを揺るがし、更には世界そのものを巻き込む大事件へと繋がることに――。

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