1-12『衛兵』
「ど、奴隷商人だって!?」
「おいおい、それってマジなのかよ?」
「お尋ね者のガルガダックって奴じゃないのか? ヤバイんじゃねーの!?」
先程の少年が騒いだことを起点に、後方の馬車群――即ちオッベの馬車群に騒つきが広がる。
そこから聞こえてくるのは、様々な感情を孕んだ声の数々。一つは驚愕、一つは疑惑、一つは焦燥、一つは――。
鼠算式に増えていく喧騒はやがて最後列にまで届き、遂にはシェイド達より先の列にまで不穏な空気が伝播し始めていた。
「キツネ、今日中の王都入りは諦めろ。代わりに
「いや、この事態に主の落ち度はなかろう。星の巡りが悪かったのだと受け入れよう」
「ど、どうしてそんなのんびりなんですか!? は、早く閉じないと……!」
一方シェイド達の馬車では、もはや完全に諦めムードの
そんな二人にアメリアは慌てながらも喝を入れ、開かれたままの幕を急いで閉じる。
だが、もう遅い。後方の前列に構える馬車は既に荷台の中身をしっかりと捉えた後であり、オッベのお抱えと思しき護衛の面々が続々と馬車から降りてきていた。
やがて、
「て、抵抗は無駄だ、大人しく投降しろ!」
シェイド達を乗せた馬車は瞬く間に左右両側を挟み込まれ、逃げ場を封じられていた。もっとも、シェイドには自衛の手段として以外で逃げる気も戦う気もないのだが。
しかし周囲を囲む彼等にそんな思いが伝わるわけもなく、皆一様に眉間に皺を寄せ馬車を睨み付ける。中には今にも武器を振り回しそうな者や、魔法を放とうと両手を翳す者までいた。
「ど、どどどどうしましょう……。こ、この状況、あ、明らかに私達が奴隷商人と思われていますよね!?」
「そうみたいですね」
事態は中々に深刻な状況であるというのに、いっそ開き直ったシェイドは暢気な口振りでそう言うと、巾着袋から携帯食料を取り出し粘土のようなモチャモチャとした食感を味わい始める。
これにはアタフタと目を回していたアメリアも一瞬動きを止め、困惑気味に声を荒げた。
「ど、どうしてそんな他人事なんです!?」
「こうなるともう、焦ったところでどうしようもありませんから。アメリアさんも、少し落ち着きましょう?」
「あ、あなたはもっと緊張感を持ちませんか!? 」
「食べます? 種類は豊富ですよ」と巾着袋ごと携帯食料を差し出すシェイドに頭を抱えながら、アメリアはどうしましょうと狭い車内を忙しなく、しかし器用に歩き回る。
その様子がキツネの目には、宛ら檻の中で退屈そうに動き回る大型動物のように写っていた。
しかし当然のことながら、状況はそう和やかなものではない。今も馬車の外では、目尻を鬼のように吊り上げた男たちが声を上げているのだから。
「……な、何事もまずは対話から、人は話し合いで和解できる……という考えは、き、希望的観測が過ぎますか……?」
「ですね。そもそもこの状況で一歩外に出ようものなら、聞く耳一つ持たれることなくあっという間に囲まれて――。まあ、碌なことにならないでしょうね」
「で、ですよねー……」
結局、平和的解決も望めないことにアメリアはガックリと肩を落とし、キツネの隣に腰を下ろすと光の消えた濁った瞳で膝を抱える。
もはやこの状況を打開する手立てはない。既に荷台の中身を見られていることからも、時間が解決してくれるとも思えない。
なにより、完全に諦めの境地に達しているキツネと悟りを啓くシェイドが、単純に頼り無かった。
(せ、せめて酷いことにはなりませんように……)
やがて馬車を挟む男たちの足音が徐々に近付き、車内へ響く喧騒も外とそう大差ないものになる。
そしてアメリアは覚悟を決めるように、強く瞼を閉じた。
その時だった。
「――。――……? あ、あれ……?」
まるで夢から覚めるように忽然と、騒ぎの音が止んだ。
「なんじゃ、どうした?」
不思議そうに顔を上げるアメリアに続いて、キツネも耳をピクリと動かし馬車周辺の気配を探る。
だが、
「……音が止んでもしやと思ったのじゃが、変わらず人は馬車の周りに集まっておるようじゃの。しかし急に声が止むなど――いや、待て」
あくまでも止んだのは喧騒だけ。馬車に群がる人の気配は依然として薄まることはなく、向ける敵愾心も変わってなどいなかった。故に、尚更腑に落ちない。
キツネは首を傾げ、声の一つ、物音の一つも聞き逃さないよう両耳に全神経を集中させる。これがもし、突入を仕掛ける前触れなのだとしたら、いよいよ年貢の納め時なのだろうと考えながら。
だが実際はそうではなく、やがてキツネの耳は城門の方角から駆け付ける多数の足音を捉えた。
「一体……騒…だ。道…開けなさい!」
「……か! 奴…商人が…の馬車……だ、早…捕…えてれよ!」
微かに聞こえるのは、若い男のものと思しき声。再び騒つきが勢いを取り戻し始めていた為に、キツネも部分的に聞き取るのがやっとだった。
だが、新たに数を増した男たちの声が徐々に馬車へと近付いてくることで、その内容も詳らかになる。
「ど、奴隷商人だって!? ……キミ達は下がっていなさい、ここは我々“衛兵”が対応しよう。協力、感謝する。――という訳で団長、お願いします」
「ったくテメェは、自分が確認しますって気概は無ェのか」
途端、キツネとアメリアの顔が瞬く間に青ざめた。
きっと衛兵ならば、話せば理解してくれるだろう。だが今の状況からその段階へと至る為に、一体どれ程の時間と自由を失うことになるのか。
そんな考えが二人の脳裏を過り、流れる汗は額から頬へ、首筋から胴へと止め処なく滴った。
だがそんな時、
「よし、ちょっと出るわ」
先程の悟りを啓いていた姿とは打って変わり、妙に自信に満ち溢れた表情で立ち上がる男が居た。
――シェイドである。
「何を考えておる!? 馬鹿かお主、馬鹿なのかお主は!? この状況で外に出ようものならどうなるのか、それは他ならぬ主が語っておったであろう?」
「そうだな、でも状況が変わ
途端、荷台の幕を開こうと立ち上がるシェイドの腰に、爪を立てたキツネが強くしがみ付いた。これにはシェイドも堪らず悲鳴を上げる。
しかし、キツネが止めに入るのも当然のことだった。彼自身が話した通り、今外に出ようものなら碌な目に合わないだろうことは想像に難くないのだから。
或いは、シェイドが力ずくでこの場を収める可能性もあったが、それではいよいよ以って誤解を広げ、事情の説明に説得力が伴わなくなってしまうだろう。
とどのつまりはドン詰り。キツネは、このタイミングでこちらからアクションを仕掛けることに意義を見出せなかったのだ。
「説明は後でするから、とりあえず離せ! 痛いから、爪が深く刺さってるから!」
「嫌じゃ、主の自爆特攻にワシらを巻き込むでない! その幕を開けた途端、男達が雪崩れ込んできたらどうする!」
「大丈夫だって! てか痛い、ホントに痛いって!」
「だったらその大丈夫な根拠を説明せんかい!」
必死の形相で進行を阻むキツネを振り解こうと、シェイドも躍起になって身を捩り足を踏み出す。
しかし当然そんなことをすれば、爪が更に食い込むのは自明の理。その度に、悶えるような唸り声がシェイドの口から零れた。それでもキツネは、掴む力を緩めようとはしない。
傍から見ればなんとも滑稽な有様なのだが、本人達にとっては真剣そのものだ。
だが、そんな根競べもすぐに終わりを迎える。
「お、お二人とも、お、落ち着いて下さ……あっ」
「すまんのアメリア、こ奴の暴走を止めるにはこうするしか……あっ」
不意に、キツネの力が緩む。シェイドの身体が、一瞬の浮遊感を覚える。
刹那、
「離ベフッ!?」
気付けばシェイドは、どこか既視感溢れる姿勢で盛大に顔面からスッ転んでいた。無論、床との接吻も忘れていない。
「それはダメだって言っただろ……、やっちゃダメって言っただろ……。……お?」
「……」
やがてシェイドは、痛みと悲愴に満ちた文句を繰り返しながらゆっくりと身を起こす。
感情の矛先は勿論、青い顔をしているキツネに向けて。だが、怯える彼女の視線はシェイドに向かっておらず、その先に伸びる影を捉えていた。
その姿に疑問を覚え、彼女の視線を追う様に顔を上げたシェイドは、キツネの力が抜けた理由を眼前に垣間見る。
「……ハァ、ったく」
そこに居たのは、背負った大剣の柄に手を掛ける、見るからに屈強な肉体を誇る大男。
顔には深い傷跡が右目を跨いで縦に一本線を引くように刻まれており、伸びっ放しで碌に手入れもしていないであろう長髪からは、男の粗野な性格が一目で見て取れた。
なにより体躯は勿論のこと、鋭い目付きを初めとした人相の悪さはガルガダックにも引けを取らず、加えて男の放つ威圧感は獅子すら逃げ出すと言われても信じられる程だ。
そんな男は車内を見渡し溜息を一つ吐くと、見下ろすようにシェイドと目を合わせて、言った。
「なァにやってんだ、魔法使いさんよォ」と――。
※ ※ ※ ※ ※
「いやー助かった。やっぱり持つべきものは仕事仲間だよな!」
「元だろ、元。……ったく、今回限りにしろよ、こういうことは」
なんとも上機嫌気味なシェイドの声と、手綱を握り呆れた風に溜息を零す大剣の男の声が御者席から上がる。
現在、シェイド達一行は馬車の操縦を大剣を背負う大男に託し、並ぶ馬車の列を横目に城門に向かって移動している真っ最中だった。
そんな中、キツネとアメリアは――。
「なにがどうなっておるのか、お主は分かるか?」
「い、いえ、その、全く……」
男二人の様子を荷台で不思議そうに眺めながら、事情も飲み込めないまま場の空気に身を任せていた。
「気を付けるよ。それにしてもいいのか? こんな横入りみたいな真似して」
「おいおい、知らねェのか? 急病人や重傷者が居た場合、または犯罪者の護送に限り優先して入都することが、七年前から正式に認められるようになったんだよ」
「お、とうとう法で定められたのか。まぁ確かに、今までは現場の判断に一任だったもんな」
「ああ。おかげで対応に追われた日にゃ、苦情と抗議で現場がエライことに……」
「あん時は大変だったなぁ。――っと、いかんいかん。雑談に花を咲かせる前に、幾つか報告しなきゃならないことがあるんだ。片手間でいいから、とりあえず聞いてくれ」
「お前じゃあるめぇし、聴きながらでも馬車の操縦くらいできらぁ」
旧知の仲と思しき男との再会に加え、シェイドはかつての苦労話に花を咲かせて上機嫌に口を動かす。
しかし途中で今語るべきはそんなことではないと気付き、自身の道中に起きたこと、即ち大百足のことや電雷灯を所持していたガルガダックについて知ってることを話した。
「電雷灯を、コイツ等が? ……どういうことだ」
その中でも大剣の男が特に興味を示したのは、ガルガダックが電雷灯を所持していたことについて。
男はシェイドから話を聞くと、眉間に皺を寄せ何かを考えるように片目を瞑っていた。
だが、そうこうしている間に馬車は城門前に辿り着く。
「……分かった、とりあえず詳しい話は詰め所で聞こう。だが、その前に許可証の手配が先だ。すぐ用意してやるから待ってろ」
そう言ってシェイドに手綱を投げ渡す男は、馬車から降りると早足で審査官の元へ向かう。
一方その後姿を眺めながら、シェイドは「わかってるよ」とでも言うように荷台へ振り返った。
「さて、何から話せばいい?」
「この状況に関わること全てじゃ」
「全てと来たか」
途端、待ち草臥れたと言わんばかりに、荷台から身を乗り出したキツネがシェイドの隣に腰を下ろす。どうやら未だに今の状況が解せないようで、説明を求めるタイミングを今か今かと探っていたらしい。
そんなキツネの影の苦労を知らないシェイドは、これまたどこから話せばいいのかと困ったように頭を掻いた。
「ならば具体的に訊ねよう。今は一体、どういう状況なんじゃ? それにあの男は、一体何者じゃ? 主とは随分と親しい間柄のようじゃが」
だが、その反応はキツネも織り込み済みだったらしい。
はぐらかす隙も与えまいと先んじて繰り出された言葉に、シェイドは目を丸くする。
しかし同時にそれは、考え倦ねていたシェイドにとっても好都合だった。
その時、
「そうだな、アイツは――」
「っと、悪いな。ご覧の通り後ろが詰っかえてる。続きは門を越えてからにしてくれ」
シェイドが口を開こうとしたタイミングで、門番と話をつけた男が馬車へと戻る。彼の手には、入都許可証と書かれた紙と短い紐の付いた掌サイズの蒼いプレートが三枚握られていた。
そしてワザとらしく丁寧な仕草で頭を下げると、軽く笑って、急かすように言う。
「ようこそ、王都グローリアへ。ほら、とっとと入りやがれ」
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