1-11『若商人と大銀貨』

「キミのような人間にとって、聞いたことはあっても見た事はない代物だろう。これは“大銀貨”と言うものでね、なんとこれ一枚で三万デナの価値を持つ」


「どうだ、羨ましいだろ?」


 歳は二十代前半だろうか。短くも丁寧に手入れされている髭と金持ち特有の派手で豪華な服装以外、顔つきも体格もこれといった特徴の無い男。そしてそれは弟であるブルペンも同じで、髭と身長以外の印象は殆ど兄と変わらない。

 そんなオッベは、商売人とはとても思えない類の笑顔をニヤニヤと浮かべ、大銀貨なる物を片手に得意気に振舞う。

 そしてその顔は同時に、シェイドの反応を窺っているようでもあった。

 一方、


(いやああああああ! 面倒くさいのに掴まったーッ!! こいつら城門前で割り込みしようとしてた連中だあああああ!!)


 シェイドはなんとも迷惑そうな表情で頭を抱えながら、嘆きを胸中に爆散させていた。当然だ、まさか面倒の方からやってくるとは思ってもいなかったからである。

 思わず口からも同様の言葉が零れそうになったが、そちらは咄嗟に下唇を噛むことで辛うじて堪えることができた。

 だが、その反応をどのような意味と捉えたのか、オッベ兄弟は機嫌よく饒舌に磨きをかけていく。


「そこで一つ相談だ。もし良ければ、この大銀貨をキミに譲ってあげようかと私は考えている。無論、タダではないがね」


「ないがね!」


 何時の間にやらオッベ兄弟は踏ん反り返るように胸を張り、明らかな蔑みを込めた視線でシェイドを見下ろす。

 その表情には、『所詮貧乏人など皆卑しく、大銀貨これを見せびらかせば簡単に胡麻をするのだろう』という思いが込められていた。

 誰の目から見ても分かる、明らかな侮蔑に他ならない。


「……ハァ。それで、条件はなんでしょうか?」


「(フッ、貧乏人め)いやなに、簡単なことを一つ」


 それでも面倒くさそうに顔を上げながら、しかし大銀貨から目を離さないシェイドを見て、オッベは口角を更に吊り上げた。

 もはや商売人云々以前に人としてどうかと思えるような表情になっているのだが、本人にそれを自覚している様子は無い。

 変わらずそんな笑顔を貼り付けたまま、男は条件を述べた。


「見ての通り、我々は街から街、国から国へと巡る行商人でね。ここに並ぶ商売敵共に出遅れないよう、一分一秒でも早く入都したいと常々考えていたのだよ。ただ今回は、前の町で少々揉め事が起きたせいで出遅れることとなったのだがね。当然、それを理由に横入りを許してくれるような連中など商人には居ないだろう。そしてそれは入都審査官も同じこと。ならば追いつけずとも、せめて差を縮める為の努力を私はしなくてはならないのだよ。そこでキミに声を掛けた。――これだけ言えば、察しが付くだろう?」


「なーるほどぉ……」


 長々と語られる話に「あー、はいはい」「そうだねー」等と相槌を打ちながら、シェイドはオッベが言い終えると同時に深々と、けれどどこかわざとらしく頷き返す。

 その様子を見るに、果たして本当に話を聞いていたのかは定かではない。しかしどちらにせよ、顎に指を当て考える仕草をすることたっぷり十秒。


「そういうことなら――」


 急かすように、或いは苛立ちを表すかのようにつま先で何度も地面を叩くオッベ兄弟を横目で眺めながら、シェイドは一つ頷くと男へ手を伸ばす。

 途端、オッベはしたり顔で手にする大銀貨をシェイドの手に握らせようとした。

 だが、


「お断りします」


 シェイドは掌を向け、堂々と断りの意を表した。


「……ハァ?」


「?」


 これにはオッベも素っ頓狂な声を上げ、ブルペン共々理解出来ないと言いたげに目を丸くする。

 そして手に握る大銀貨とシェイドの顔を交互に見やり、やはり不可解そうに首を傾げた。


「分からないね。何を断る理由がある? ……あぁ成る程、私の言いたいことが伝わっていなかったのか? 要は並ぶ順番を譲ってくれという、至極単純なお願いなのだが」


「兄ちゃん、俺適当にブラついてるね。馬鹿とは長く話すなって、父ちゃんもよく言ってたし」


 しかしすぐに、オッベは合点いったと再び笑みを浮かべる。

 恐らく目の前の少年は先程言った言葉の意図を理解していないのだろうと、今度は無駄に回りくどい言い方を止めて包み隠さずそう言った。

 背後では、すっかり飽きが回った様子のブルペンが、兄から離れシェイドの馬車を値踏みするように周囲をグルグルと歩き回っている。


「だから断るっつってんだろ」


 だがやはり、シェイドの返事は変わらない。それどころか、若干苛立っているようにすら感じられる声色で語気を強めた。

 その言葉で再び固まるオッベを横目にシェイドは大きな溜息を吐くと、諭すように言葉を続ける。


「よーく考えながら、此処に並ぶ列を見ろ。――ほら、ここまで他に遅れをとってんだ、今更馬車一台分の時間なんて誤差みたいなもんだろ? 横着しないで素直に並んでおけよ。その方が、無用な恥を掻かなくて済むと思うぜ?」


 そう言ってシェイドが視線を前に向けると、高級感漂う馬車の荷台から二人のやり取りを覗く六歳ほどの少年と目が合った。一体なにが面白いのか、少年は二人の方を向いたままクスクスと小さく笑っている。

 それに対し、シェイドはにっこりと微笑み手を振ってみせた。


「それがなんだと、それより断る理由を聞かせてくれ。キミこそ見た所、一分一秒を惜しむ理由はないように思えるが? よもや三万デナという価値すら分からない、という訳ではあるまい?」


「それをアンタが言うのか。……あー、はいはい、分かった分かった。分かったから大人しく後ろに並んでくれ」


 対照的にオッベは少年を見ようともせず、憤るようにシェイドへ詰め寄る。余程切羽詰っているのだろうか、もはや余裕を取り繕うとすらしなくなっていた。これでは、扱える単語が多いだけの駄々っ子と変わらない。

 やがてシェイドはそんな男の相手すら億劫になったのか、投げやり気味にそう言うと、以降彼が何を言おうと相手にしなかった。


「この……ッ、貧民のガキが、下手に出れば調子に乗りやがって……! ……フンッ、まぁいい。貧民の分際で、大銀貨を溝に捨てたことを後悔するがいいさ」


 これには、オッベも怒髪天を突いたのだろう。憤りを露にしてシェイドの胸倉に掴み掛かると、勢いよく拳を振り上げる。

 しかし既の所で理性が働いたのか、はたまた拳を振り下ろす勇気までは無かったのか、バツの悪い表情で掴み掛かった手を乱暴に離す。

 代わりに吐き捨てるようにそう言うと、怒りの発露に地面を踏み鳴らして歩き、最後までシェイドを睨みながら自身の馬車へと乗り込んで行った。

 やがてオッベが所有していると思われる他の馬車群は、揃ってシェイドの馬車の後ろに並び始めた。


「……ふぅ、もう出てきても大丈夫だぞ」


「疲れた、めっちゃ疲れたのじゃ……」


 途端、話が終わると同時に、キツネが荷台からひょっこりと顔を出す。

 見れば彼女の表情は連勤明けのサラリーマンのようにすっかりと草臥れ切っており、その奥では怯えた表情のアメリアが、腕の中でジタバタともがくガルガダックの首を締め落としているところだった。

 「突然ガルガダックあやつが大声を出して暴れ始めたから大変じゃった」とは、キツネの談。しかし幸いなことに隔音の水晶が機能していたことで、その声が外に漏れることは無かった。

 余談だが、コイッツはキツネ渾身の右ストレートを顎に受け、言葉を発する前に気絶ダウンしている。


「ワシの性格上、主等の話に首を突っ込んでも余計にややこしくするだけであろうからの。どうじゃ、この気配り精神!」


「ああ、助かったよ。今後もその調子で頼む」


 お疲れさんと頭を撫でるシェイドに、キツネも満足げな笑みを向ける。

 そしてそのままガルガダックを絞めるアメリアの加勢に向かおうとして、キツネはふと疑問を呟いた。


「それにしても主よ、あれだけの悪態をよく我慢できたの。一体なんなんじゃ、あ奴らは」


「若い商人だよ。それも昨今ではホントに珍しい、飛びっきり甘々に育てられて自尊心が天を突き抜けちゃった類のな。……まぁ自尊心が高いこと自体は別に悪いこととは思わないんだけど、最初から見下しの姿勢で接してくるのは、流石にな」


 ハァと息を吐き、シェイドは一旦言葉を区切ると深呼吸するように空を仰ぐ。

 そして大きく背筋を伸ばした後、話を続けた。


「それに急いでいるからってのも嘘ではないんだろうけど、絡んできた理由はそれだけじゃないんだろうよ。多分、こんな身窄ら……お手頃価格感溢れる馬車の後ろに並ぶが癪だったんだろうさ、あれは」


 そう言ってシェイドが前を向くと、荷馬車からこちらを覗く少年を再び視界に捉える。

 ただ、オッベと言い合っていた時とは違い、少年の視線は呆っとキツネ一直線に伸びており、仄かに頬を赤く染めていた。

 そしてシェイドに釣られてそちらを向いたキツネと目が合うや否や、少年は顔を果実のように真っ赤にして馬車の奥へと引っ込んだ。


「にはは……にしても、本当によかったのか? ワシは三万デナがどれほどの価値か知らんが、話を聞く限りそう安い額でもないのであろう?」


 そんな少年の様子を微笑ましく眺めながら、キツネはシェイドとオッベのやり取りを思い出してどこか心配そうに訊ねる。

 別段、キツネからすれば全く無関係の話なのだが、そのことがなんとなく気になっていたらしい。もしや自分達が居る所為でシェイドに不利益を蒙らせたのではないかと、その表情はどこか申し訳なさげだ。

 対してシェイドは、なんともいえない表情で腕を組みながら、しかし隠す理由も無いと頷いて言った。


「正直な話、アレが本物の大銀貨だったなら、アメリアさんには悪いが順番を譲っていた。なんなら靴も舐めてた」


「主の自尊心プライドは星の裏側まで突き抜けておらんか? ……ん? 本物なら、とは」


「言うまでもなく、アレは大銀貨じゃない。前の荷馬車の子供は、それに気付いてたんだろうな。オッベが『三万デナ』とか『大銀貨』って言葉を使う度にクスクス笑っていたよ」


「えぇ……」


 驚きより呆れの感情が強く込められたキツネの反応に、シェイドもなんとも言えない表情で続ける。


「かと言って全くの偽物かと言われれば、そういう訳でもない。アレは小銀貨と言って一万デナの価値しかないんだ。いやまあ、それでも充分高価なんだけどさ」


「硬貨だけに?」


「は?」


「や、なんでもない。続けとくれ」


 変な物を見るようなシェイドの視線を避わし、キツネは咄嗟の呟きを無かったことにして続きを促す。

 対してシェイドも、特に追及はしなかった。ンンッと喉を鳴らして話を戻す。


「経済的に恵まれているとは言えない人間が銀貨を目にする機会なんてそうそう無い。それに銀貨かそうでないかの見分けはついても、大きさについてはどうだろう。小銀貨を持ち出して『これは大銀貨だ』と堂々と言われてしまえば、そういうものかと信じてしまってもおかしくないだろうさ」


「ファンタジーのお約束から習うに、銀貨があるなら銅貨もあるのでは? そして大銀貨があるのなら、大銅貨もあるじゃろ? そういう硬貨ごとのサイズの違いから気付かぬものか?」


「金、銀、銅貨それぞれに大きさの規定があるんだよ。実際、大銅貨と大銀貨で大きさを比べた場合、大銀貨の方が若干小さいんだ。だからその辺の知識が無い相手は勿論、仮に識っていても実物を見たことが無ければ、説明次第でコロっと騙せるんだと。というかファンタジーのお約束ってなんだよ」


「くぁ~……。む、だが待てしばし」


 シェイドの問いには答えず、キツネは感心と呆れが混在した声を上げる。それは言外に「もっと違うことに知恵を絞ればよいものを」と、そう嘆くような悲哀を滲ませていた。

 だがその時、ふと小さな疑問が脳裏を過る。

 そしてそれに気付いた時、キツネはどこか警戒するような動きでシェイドを見た。


「主はどうしてそのような詐欺紛いの事情に詳しいんじゃ? ……まさかッ!」


「安心しろ。騙されたことはあっても、騙したことは一度も無い」


「あ、被害者そっち側じゃったかぁ……。すまん、傷を抉った」


「気にすんな。あの出来事があって今の俺がある」


 薄っすらと目尻に涙を浮かべ、遠くを眺めるシェイドの瞳に映るものは何か。

 気にするなと口では言うものの「忌まわしい記憶だ」と小さく吐き捨てる声は、幸い誰の耳にも届いていなかった。

 ただ一人を除いて。


『根に持ち過ぎだろ。宿屋でたかが銀貨一枚ボッタクられたくらいで』


「おい、たかがってなんだよ。あん時の俺にとって、定まった価値のある物は超貴重だったんだからな!」


 これまでずっと黙っていたミギウデがポツリと呟き、その内容に聞き捨てならないとシェイドも反応を返す。シェイドにしてみれば、反応して当然の言葉だったのだろう。

 だが、


「ぬおっ、びっくりした。……主は時偶、独り言が激しいの。ワシ、ちょっと怖い」


「あ、ごめん」


 傍から見ればいきなりキレたヤバイ奴だと思われても仕方ない。

 キツネの冷ややかな視線を浴びてシェイドは縮こまるように背中を丸めながら、しかしそれを合図に車内は徐々に落ち着きを取り戻していった。


 それから暫く経ち、どこかのんびりとした空気が車内に漂い始める。丁度、ガルガダックを完全に絞め落としたアメリアが、満足げに額の汗を拭っていたところだった。

 まさに、最悪のタイミングだった。



「うわあ!」


 不意に、バサバサと荷台の幕が乱暴に広がる音と、悲鳴に似た叫び声が上がる。

 それは、まだ声変わり前の幼さが残る、十代初め頃と思しき少年の声だった。


「――ッ!」


「んがっ!?」


 刹那、シェイドは咄嗟にキツネを庇うように彼女の頭を荷台の床に押さえつけ、自身も身を屈めて声の出所を睨む。ほぼ反射的に行われたその動作は、此処が銃弾飛び交う戦場であれば大いに役立ったことだろう。

 だが、この場においては状況をより悪化させるスパイスにしかならなかった。


「ひ、人が鎖に繋がれて、それに、押さえつけられてる獣人も……!? に、兄ちゃん、アイツ巷で噂の奴隷商人だよ! ちょくちょく荷台が揺れたりして、なんか怪しいとは思ってたんだ! そしたら生物の不正密輸なんて目じゃないもんが出てきた!」


 途端に、少年――ブルペンは大声で喚き散らしながら腰を抜かし、けれどどうにか転ぶことなくフラフラした足取りですぐ後ろの馬車に転がり込む。

 一方荷台では、突然の出来事に上手く状況が飲み込めず、押さえつけられた拍子にぶつけた鼻を擦るキツネと顔面蒼白のアメリア、そして唖然と口を開くシェイドが残された。

 直後、やたらと騒がしくなる後方の馬車群とは対照的に、シェイド達の車内では嫌な沈黙が空間を満たしていく。


「急に、なんだったんじゃ一体? あのブルペンとか言う童は、一体何をしに来たんじゃ?」


「知らん。けど今からどうなるのか、大方の察しはついた」


 困惑するキツネの問いに、シェイドは今にも理不尽を呪い叫びそうな気持ちを抑え、あくまでも理性的に応える。

 しかしその表情は今にも泣き出しそうな情け無いものであり、ほぼ全開に開かれた荷台から見える景色にドンヨリとした溜息を零すのだった。

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