1-10『始まりの都·王都グローリア ~城門前~』
「……んぅ」
馬車を
耳をピクリと揺らしたキツネは、小さく声を漏らして目を覚ますと気怠げに上体を持ち上げる。
そして、もうすっかりと慣れた馬車の揺れをものともせず、彼此一晩中手綱を握り続けているシェイドの隣に腰を下ろした。
「ん、起きたか?」
「うむ」
短くそれだけ言葉を交わすと、互いに沈黙。
今も馬車は、変わらず動きを止めることなく進路を進み続けている。変わった部分があるとすれば、周りの景色ぐらいだろうか。
キツネが眠りに就く前とは違い、辺りは荒野を思わせる砂色を基調とした風景に変わっていた。けれど全く緑が無い訳ではなく、遠くの方には河が、周囲にも微かだが草原が続いていた。
しかしながら遮光物のない御者席は朝の日差しに強く照らされ、キツネの目を否応無く細めさせる。けれどその表情に、不快な様子は無い。
「少し休憩したらどうじゃ、主もだいぶ疲れが溜まっているであろう? せめて一、二時間は目を瞑らんと身が持たんぞ。それと馬も休ませるべきじゃ」
「この馬は飲まず食わずでも五日は走り続けられるタミナ種だ、一日ぐらいなら問題ない。あと俺も三徹までは余裕だから、大丈夫。それに――」
そう言ってシェイドは言葉を区切ると、前を見るよう視線を促す。
その行動にキツネは首を傾げながら、しかしシェイドが勧めた通りに前を向いた。一瞬、日差しに再び目を細めるが、それにも慣れ始めた視界は徐々に写りを良くしていく。
やがて少女の瞳に写ったものは――。
「……おぉ!」
感嘆の声が自然と上がり、キツネは花が咲くような表情で瞳を輝かせ双眸にその姿を捉える。
見れば遠く、明らかに自然が生み出したものではないもの、つまりは人工物と断定していい巨大な建築物が、地平線から徐々に顔を覗かせていたのだ。
そしてそれは一目見て分かる、白を基調とした美しい城と、真っ白で巨大な高い壁であった。
「アレが見え始めたってことは、この馬車なら到着までそう時間も掛からない。――キツネ、アメリアさんを起こしてやってくれ。多分、身嗜みの準備が終わる頃には到着するだろうからな」
途端、朝特有の爽やかで透き通るような空気が終わりを迎え、車内は慌ただしく忙しない雰囲気へと変わり始める。
しかしながら、それは焦りではなくシェイドの安心とキツネの期待による胸の高鳴りから発生したもの。
故に、
「請け負った。して、アレが主の言っておった」
「ああ。――アウニグラル王国首都・王都グローリアだ」
どこか弾むような声で言葉を交わす二人を乗せて、馬車は進む速度を上げるのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「入都の目的を確認致します。都内での商いとのことですが、間違いありませんね?」
「えぇ! その為に、わざわざドルーゴで貴重品を掻き集めて来たんですから! ほら見て下さいよこの品々、特にこれなんて」
「――はい、確認が完了しました。こちらが入都認可証となります。ようこそ、王都グローリアへ」
陽の光を真っ向から浴びて一際白く輝いて見える巨大な城壁を前に、沢山の人や馬車が一寸の隙間も惜しむように長い列を作っている。
見れば、城門入り口では複数の門番による入都の検問が行われており、並ぶ馬車の所有者は皆自分達の順番が訪れるのを今か今かと待っている真っ最中だった。
今もまた数台、商人の所有する馬車が王都の土を踏んだばかりであり、その光景を順番待ちの人々が羨ましげに眺めていた。
その中に、
「どうにも場違いな気がして仕方ないんじゃが……」
列の最後尾、辛うじて城門から見えるかどうかというような場所に、居心地の悪そうな声を出すキツネ達の乗る馬車があった。
何やら思うところがあったらしく、キツネは辛抱堪らんとシェイドの隣から荷台へと移り、手足を投げ出すように仰向けで寝転がっている。
そんな少女の口には、朝食にとシェイドから渡された携帯食料が咥えられていた。
「キ、キツネさん、お行儀が悪いですよ……。で、ですが、その、お気持ちは分かります……」
そんなあまりにもだらしない姿を見て思わず窘めるアメリアだったが、しかし同時に密かな共感も示す。
「こればっかりは仕方ない。ちょっと前に王都で大規模な騒動を起こしたバカが居たらしくて、それ以来列は一列に、検問もより慎重かつ厳重に時間を掛けて行われるようになったんだとさ。ま、気長に待とうぜ」
一方、そんな二人の愚痴を御者席で聞いていたシェイドは、慣れているのかやけにのんびりとした口調でヒラヒラと手を振る。
時折進みはするものの、思うほどに列は動かない。であれば気張っていても仕方ないと、彼の表情から手綱を握っていた時の緊張感は失われていた。
そんなシェイドの言葉を受けて、キツネは蛞蝓のように気怠げな動きで身を起こす。
「そーいうことではなくてじゃなー……。いや勿論、それもあるんじゃが――」
そう言ってキツネはシェイドの背中に撓垂れ掛ると肩に顎を乗せ、目の前の、そしてその先に続く列を指差す。
「なんじゃ、この如何にもな高級感を醸し出す馬車の群れは。そしてなんじゃ、多少の趣こそ違えどそんな感じの馬車が前に延々と続いておるこの状況は。正直なところ、このような安っぽい馬車ではガッツリ浮いて仕方ないと思うのじゃが。ワシ、胃が痛い」
「んな気にすることでもないだろ。……ていうか、これ一応は他人の馬車だからな? 犯罪者とはいえ言葉は選べよ――ん?」
ぶー垂れるキツネの頭を軽く叩き、シェイドは呆れたように肩をすくめる。
しかしその直後、ふと何かに気付いたように上半身を右へ傾けると覗き込むように身を乗り出した。
「おわっ! ととと……」
途端、シェイドに身を預けていたキツネは不意に支えを失いジタバタと腕をバタつかせた。だが咄嗟に腕をピンと伸ばしたことで、どうにか持ち堪えてみせる。
なんとか顎をぶつけずに済んだと安堵の息を零し、キツネはジットリとした視線でシェイドに訴えた。
「動くのなら先に言ってくれんかの、ちょっと危なかったぞ。して、どうしたんじゃ?」
「ああ、すまん。最後に馬車を進めてから結構経ってる気がしてさ、もしや随分な大所帯に検問が手間取っているのかと思ったんだが、どうも違うらしくて」
「むー? ……見えん、膝を借りるぞ」
その言葉を聞いて、シェイドの隣に座ったキツネも真似るように上体を左へ傾けた。しかし前を並ぶ馬車の列が若干左寄りにうねっている為に、思うように先が見えない。
それでも数秒は粘っていたキツネだったのだが、結局諦めてシェイドの膝に腰掛けると同じように覗き込んだ。
「うーむ、なにやら派手な装いの男と門番が揉めておるようじゃな。男の
「ホントかよ、なんて迷惑な。……てか、そんな詳しく見えるのか?」
「ワシも元は野生の獣、耳を澄まし目を凝らして意識を向ければ、このくらいは容易いものよ。なにせ険しき野生を生き抜く為に必要な
「なら、どうしてコイツらに捕まったんだよ」
「……人生、いや
「それを野生と呼んでいいのか?」
得意気に語っていたものの、横目でチラリとガルガダックを見たシェイドにそう突っ込まれるや否や、キツネは言い訳を重ねてシドロモドロに引き下がる。
そして「お、話がついたようじゃぞ!」と、今の会話を強引に断ち切るように再び体を傾けた。
それに対し、シェイドも特に追求しようとせず同じく城門前へ目を凝らす。
「どうやら男の完敗のようじゃな。一目で不機嫌と判る顔をして、馬車を引き連れこちらに向かってきておるぞ」
「ってことは、俺たちの後ろに並ぶ訳か。アメリアさん、荷台の幕に隙間は無いか確認を頼んでも?」
「は、はい」
シェイドの声に返事を返し、アメリアは鎖で繋がれる男二人の間を通って荷台の幕がきちんと閉じているかの確認を始める。
別に荷台の中身を見られたところで、シェイド達にやましいことは何一つ無いのだが、第三者がこの状況を見てどう思うかは、また別の話だ。
それを危惧して、一行はなるべく面倒事を起こさないよう細心の注意を払う必要があった。
「一応、念には念を入れておかないとな。もしも余計な騒ぎが発生したら、場合によっては今日は王都に入れないと思った方がいい。周りの高級感で落ち着かないだろうが、大人しくしててくれよ」
「子供扱いするでない。……それに此処まで来てまた馬車で一晩というのも流石に嫌じゃしの、うむ」
キツネはそう言うと再び荷台へ移り、アメリアを手伝おうと男二人の間を通ろうとする。
しかしふと、その足が止まった。
「それにしてもこ奴ら、一体いつまで寝続けるつもりじゃ? 流石にここまで目を覚まさんと、反って心配になるんじゃが」
そう言って、キツネは俯くような姿勢で項垂れるコイッツの顔を覗きこんだ。
彼等が鎖で繋がれてから、既に丸一日が経とうとしている。だのにキツネもアメリアも、彼等が目を覚ましている姿を一度も見ていない。なにより呼吸こそしっかりとしているように見えるが、キツネには、彼等に意識があるように感じられなかったのだ。
そんな心配と不安が脳裏を過り自然とその場に膝を付けるキツネは、息を確かめるようにコイッツへ顔を寄せた。
だが、
「ああ、そいつら起きてるから、あんまり近付き過ぎないようにな」
シェイドの言葉に、ピタリとその動きが止まる。
そしてそれは、二人の会話を聞いていたアメリアも同じだった。
「……なんじゃって?」
「い、いいいい、いいいいいま、な、ななんととととと」
続けて二人は油が切れた機械のようにガクガクと、特に顕著なアメリアは今にも軋む音が鳴りそうな挙動で振り返る。シェイドが座る方向へ。
「心配すんな、妙なことすりゃ容赦なく殺すって言い聞かせてある。最悪一人を生け捕りにできれば依頼の達成条件としては十分だからな」
恐らくは彼女達を心配させまいと考えて、加えてガルガダック等への牽制も含めてそう発言したのだろう。
シェイドはすっかりと肩の力を抜いているようで、その実彼等に対する警戒だけは一切解いてはいなかったのだ。
しかし、
「物ッ騒! いや、そういうことではなくってじゃな……ってアメリア、しっかりせいアメリアッ!」
「あ、あわわ、あわわわわわわわわ」
重要なのは、そういうことではなかった。知らぬ間にガルガダック等の意識が戻っていたこと、そしてそれを不意なタイミングで伝えられたことこそが、彼女達にとって問題だったのだ。
結果、アメリアは壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返し、キツネはそんな彼女を落ち着かせようとオロオロと手を彷徨わせ、シェイドはのんびりとした表情のまま「あれ?」と一筋の汗を垂らす。
阿鼻叫喚とまではいかないまでも、収拾をつけるには骨が折れそうな騒ぎが狭い車内を瞬く間に満たしていった。
そんな時、
「――ごきげんよう少年。一つ相談したいことがあるのだが、いいかい?」
「いいかい?」
地面を踏む音と共に、列の外、道の端からシェイドに近付く影が二つ。
何処と無く軽々しい雰囲気を纏う男の声と、十代初めと思しき幼さの残る子供の声が、突如シェイドに向けて掛けられた。
「ちょっと立て込んでるんで、また今度」
「なっ……!」
しかしそんな余裕は無いと、シェイドは声の主へと振り向こうともせず掌を突き出して断りの返事を返す。
これには話しかけた男も面食らったようで、思わず目を見開いて固まっていた。
だが男はその衝撃からすぐさま立ち直ると、ワナワナと肩を揺らし始める。男の米噛みには、薄っすらと青筋が浮かび上がっていた。
「すんませんアメリアさん、ホントすんません。今のは俺が悪かっ――。……なんですか、というかどちら様ですか?」
「私はオッベ・ジャモバ。そして彼は私の弟ブルペン、兄弟で行商を生業としている者だ。それよりもキミ、今の態度はあまりに失礼ではないかな」
「そうだぞ、貧乏人」
すると男――オッベ・ジャモバは何を思ったのか、突如シェイドの肩を掴むと強引に自分の方へ身体を向かせ、
「確かに、いきなり声を掛けた私にも非はあるだろう。その点は謝罪しよう。だが初対面の相手、ひいては目上の相手に対する礼儀としてだね――」
「そうだそうだ!」
呼吸の手間も惜しむが如く、矢継ぎ早に口火を切った。そこに弟――ブルペンも便乗して声を上げる。
「え、えぇ……」
対するシェイドは、突然捲くし立ててきたオッベに困惑しながらも渋々目を合わせると、「それで、ご用件はなんでしょう?」と早々に結論を迫る。
それほどまでに、オッベの長々とした説教には中身が無かったからだ。
「――ハッ、確かに貧民の子に礼儀を説いても無駄か。いや失敬」
途端、値踏みするかのようにシェイドの足のつま先から髪の毛先まで眺めるオッベは、その返答に明らかにバカにした様子で笑う。
そして徐に懐へ手を差し込むと、銀色のコインを取り出した。
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