幕間Ⅱ『馬車での道行き』

「のぅ、シェイドよ。どうして主は、己を他人に語られることを拒むのじゃ?」


 晴れ渡った空の下、陽の位置が朝から昼へと移る頃。長閑な景色広がる原野を駆ける、一台の馬車から幾つかの声が上がる。

 一つは、頭に獣の耳を生やし、今も不思議そうに首を傾げる少女――キツネのものだ。

 そしてもう一つは、


「急にどうした?」


 慣れない手つきでどうにか馬を御しながら、馬車の速度を一定に保ち走らせる少年――シェイドのものだった。



 現在シェイド達一行は馬車を奔らせ、王都を目指し広大な原野を東に向けて移動している真っ最中である。

 この馬車は本来、人身売買組織の組員であるとされるガルガダックとコイッツの所有物であったのだが、今は「有効活用」と称するシェイドの手によって扱われている。

 当初は「悪人と言えど、他者の所有物ものを勝手に扱うのは……」と意外にも難色を示していたキツネであったのだが、「王都まで歩きなら三日、でもこの馬車なら一日足らず」と言うシェイドの囁きにあっさりと掌を返した。

 その様は荷台の隅に座るアメリアが、


(な、なんて素早い変わり身……。い、いえ、私も異存はないのですが……)


 と戦慄する程だ。


 そんな車内で、キツネは執拗に食い下がる。

 しかして彼女の言い分は、至極真っ当にして尤もなものであった。


「自分のことを人に語られる、ソレを嫌がる人間というのも当然居るじゃろう。しかし主のソレは、他と聊か毛色が違う気がしての。無論、何もかも全てを話せ等とは言わぬ。しかし右も左も分からぬ身としては、先を預ける者のことだけでもなるべく知っておきたいのじゃ」


 事実、キツネが持つエリクスの知識は極僅かなものであり、もしかすれば言葉を覚えたばかりの幼子が相手でようやくマウントを取れるレベルと言っても過言ではない。

 そんな彼女が「魔法使い」とだけ名乗る目の前の男に不安を覚えない筈も無く、加えてつい先程まで囚われの身であった事を鑑みれば、本来取り乱していてもおかしくない状況にあるのだ。

 その言葉にシェイドは、


「――……すまん。言われてみれば、確かに俺の配慮が足りてなかった。申し訳ない」


 今も緊張した面持ちで手綱を握っている為に、前方から目を逸らすことは出来ない。

 しかし、今のキツネがどのような立場にあるのか理解に至ったのだろう。己の浅慮に頭を痛めるように、シェイドは謝罪の言葉を口にした。

 対してキツネは、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で目を丸くする。


「お、おぅ……。流石に何か一言あるべきじゃろうと思ってはいたが、ガチトーンで謝られるとは思わなんだ。なんか逆に引くんじゃが」


「ひどくない!? ……って、お前が無駄に元気で一瞬忘れ掛けてたが、コトがコトだったからな。それと、頭殴ったのも悪かった」


 あれだけの目にあっていながらも普段通り振る舞うキツネに、少なからず彼女を慮っていたシェイドは見事に調子を狂わされる。

 仕返しに殴られても文句は言えないと覚悟していた彼にしてみれば、この上ない肩透かしだ。

 結局妙に釈然としないまま、シェイドは再度謝罪の言葉を口にしていた。


「構わん。ワシも無神経が過ぎたのじゃろうし、お互い様じゃ。――して、問いに答える気は?」


「……何から話せばいい?」


 観念した声で言うシェイドに、キツネはニンマリとした笑顔で頷いてみせた。



※ ※ ※ ※ ※



「俺が何者で、どうして町渡りの丘あのばしょにいたのか――。……え、それだけでいいのか?」


 意外なことに、キツネからの要求はたった二つ。シェイドの“詳しい”素性と、町渡りの丘に居た目的についてのみ。

 何を訊かれるものと身構えていたシェイドは、これ幸いと思いつつも、やはり拍子抜けしたように念を押した。


「うむ、あまり根掘り葉掘り尋ねるのも気が引ける上に、何より覚え切れる気がせんのでな。じゃが共に行動するにあたって最低限、それだけは知っておきたいのじゃ」


 ジッとシェイドの横顔を見つめながらキツネはそれだけ言い、裁量は任せると説明を促す。対する少年は、横目でチラリとキツネを見ると口をへの字に曲げて考えるように唸り声を上げた。

 別に、今更語ることを躊躇している訳ではない。何から話そうか、どう説明すればいいかと、語るに適した言葉を探しているだけだ。

 しかしそんな逡巡も、ものの数秒。頭の中で話す内容の順序を確立させたシェイドは、やがてポツリポツリと語りだした。


「……俺の素性、魔法使いってのは、昨日少しだけ話したよな? つまりはそういうことだ。で、俺が町渡りの丘に居た理由だが――」


「いや待て分からん。地球にも三十路過ぎて童貞まほうつかいは居たが、実際に術を操る者は見たことないぞワシ。まずは魔法使いがどういったものなのかを、ちゃんと説明せい」


 当然、キツネがそんないい加減な説明に納得する筈も無かった。

 次に移ろうと早口で捲くし立てるシェイドに待ったを掛けて、どういうことかと追求する。

 しかしシェイドも頑なに口を噤み、中々開こうとしない。


「お主、なんでも答えると言っておったよな。約定を反故にする気か? ワシ、そういったことに関しては一切妥協せんぞ」


「だから俺は魔法使いだって言ってるだろ? それで充分だろ? それでだな」


「だったら、ワシのカテゴリーは神なんじゃが? ワシが同じことを言ったとして、主は納得できるのか?」


「……」


「どうなんじゃ?」


 その言葉に、シェイドは苦い顔をして押し黙る。

 それでも一切手を抜かないキツネの厳しい追求に、ジワリジワリと汗を浮かべる。

 やがて、


「……魔法使いってのは、旧代の域に達した魔導師に与えられる、つまるところ称号みたいなもの、要は魔法の権威だな。今のところその称号が与えられているのは、世界に十二人。その内の一人が俺だ」


 根負けしたしように、溜息交じりに口を開いた。


「ほほぅ。旧代に、魔導師……。くぅ~! 心が疼く素敵な響き……ではなく、魔法が使える者の名乗りとばかり思っていたが、魔法使いとはそう安いものではないのじゃな」


 特に驚いた様子もなく、キツネは淡々と相槌を打つ。

 これにはシェイドも少しばかり面食らったようで、溜息と共に遠くを眺めるように目を細めた。「シュウの時は、もうちょっと反応良かったのに……」と、どこか拗ねるような呟きを零して。

 だが、そんな彼に追い討ちが続く。


「して、獣王バフマンとやらは序列十一位だそうじゃが、主は?」


「あー……」


 キツネの口からバフマンの名が出たことに、シェイドは一瞬驚いたような顔をする。しかしすぐに、気まずそうな表情で視線を彷徨わせた。

 しかし答えない訳にもいかないと、幾らか声のトーンを下げて手早く答える。


「……九位」


「なんじゃ、意外と健闘しておるではないか! ならば何故語りたがらぬのか、尚更気になるのぅ」


 中々語りたがらないシェイドの反応から、てっきり末席なのだろうと思い込んでいたキツネは感心した声色で言う。

 しかし聞いた限りでは、魔法使いであることだけでも充分に誇れることであり、ひた隠そうとする理由が見当たらない。

 そんな当然の疑問をキツネは抱き、どういうことかと尋ねると――。


「魔法使いは称号であって、職業じゃない……ッ」


 その追求に遂に白旗を挙げたシェイドは、これ以上は察してくれと、強く首を絞められているような呻き声で捻り出すように言った。

 それから暫くの沈黙が続き、そこでキツネは何かに気付いたらしい。不意に眼差しを生暖かいものに変えると、優しくシェイドの背中を叩いた。


「……なるほど、スマンかった。まぁアレじゃ、異世界といえどその若さなら、まだまだ幾らでも挽回は利くじゃろ。今は経験を積み重ねる期間と割り切れば、無職ニートも存外悪くないとワシは思うぞ?」


「ボカした意味が無ェ!? それと、せめて旅人と呼んでくれ」


「そうじゃな。夢を追う旅人じゃな」


 ガックリと肩を落とし「だから言いたくなかったんだ」と、シェイドは落ち込んだ気持ちを口にする。

 これにはキツネも申し訳無く思ったようで、「なぁに、大丈夫じゃ大丈夫じゃ」と慰めのエールを送っていた。

 しかし、この場で最も気まずい思いをしているのは恐らく、


(わ、私はなんとお声掛けするのが正解なんでしょうか……)


 計らずも荷台で二人の会話を耳にしてしまい、如何ともし難い表情で天井を見上げるアメリアなのだろう。


「……俺の素性については、もういいだろ? じゃあ次に、何が目的であの場所に居たかについてだが」


「他にも主に聞きたいことは山程あるのじゃが……。いや、ワシも傷口を広げるような真似は好かん、続けるがよい」


 心に受けた傷をどうにか乗り越え、何事も無かったかのように気を取り直すシェイドは、そう言って語りを再開する。

 未だにキツネからの生暖かい視線がやんわりと突き刺さっているが、それらは一切合切無視していた。


「ガルガダックとその取り巻きであるコイッツ、二人の賊がこの辺りを通るという情報を聞いた俺は、義憤に駆られ急ぎ馳せ参じた」


「ハッ、なんじゃその胡散臭い小芝居」


 両手が自由に動かせていたらなら、きっとこれでもかと大仰に振舞っていたであろう。先程の話を蒸し返されない内にどうにかキツネを引き込ませようと、シェイドは半ば自棄気味に身振り手振りに力を込める。

 しかしそんな大袈裟で嘘臭いシェイドの語りを鼻で笑いながら、キツネは「それで?」と続きを促す。

 心なしかシェイドは、その反応にションボリと肩を落としていた。


「えっと、ガルガダックとコイッツについては、今更説明は要らないよな?」


「うむ。人身売買組織とやらに関わっておるのじゃろう?」


 キツネは呆れた表情で荷台を振り返り、鎖で縛られ微動だにしないコイッツを見ると溜息をつく。

 それに釣られるように、シェイドもヤレヤレと肩を竦めて嘆くように呟いた。


「このご時世に、ホントよくやるよ。一度街に出向けば奴隷を見掛ける、そんな時代はとうに終わってるってのに」


「人身売買などという物騒な言葉で大方察してはいたが、案の定あったか奴隷文化……。まったくこれだから異世界は」


「気持ちは充分に理解できるが、たまたま少ない例にぶち当たっただけで全体もそうだと決め付けるのは止してくれよ。続けるが――」


 キツネの言い分に理解を示しつつ、異世界エリクスへの一応の擁護も交えながらシェイドは続ける。


「元々アイツ等……主にガルガダックは賊として、国際規模で指名手配を受けるお尋ね者だったんだ。だから当初はアルカトラズで解決すべき案件だったんだが」


「ある……なんじゃって?」


国際魔導師取締り機構アルカトラズ、端的に言えば、大陸中に支部を構える治安維持を目的とした大規模ギルドだ。……で、この件は本来早期に解決する筈だったんだ」


「だった、ということは、そう上手くは行かなかったと」


 キツネの言葉に、シェイドは頷く。


「ああ。そもそも足取りが中々掴めず、それでも漸く発見したとか思えばすぐに逃げられるは返り討ちに会うはで、ガルガダック追走劇は当初の想定以上に難航していたらしい。そんな折、どこからかとある噂が流れるようになった」


「噂?」


 人差し指を唇の前に立て、シェイドは思わせぶりな仕草をする。

 そして思わず手放した手綱を慌てて握り直すと、特に声量を抑える訳でもなく普通に言った。


「ガルガダックには闇組織の後ろ盾があって、そこで匿われているんじゃないかって話だ。当初は眉唾だったんだけどな」


「じゃが……」


「ご覧の通り」


 シェイドは肩を竦め、キツネはヤレヤレと首を振る。


「出所は開示されていないが、人身売買組織との関わりに関する決定的証拠が見つかったんだと。そしてそれが判明するや否や、緊急性が爆発的に上がった。なんたって人身売買だ。昔はどの国にもあって、今じゃどの国でも黒歴史。そんなものが未だどこかで続いているとなれば、各国各大陸のお偉いさんは大騒ぎなんてモンじゃなかった。そんな訳で、国もアルカトラズを待ってられないと冒険者ギルドや魔法使い達おれたちにまで協力依頼を寄越すようになった」


「冒険者! ギルド!」


「そっちの話は、また追々な。――ここまでくれば、俺がどうして町渡りの丘あのばしょに居たかも分かるだろ?」


 そう言って、シェイドはキツネに目配せを一つ。

 それに応じるように、キツネは組んでいた腕を解くと合点いったと言わんばかりに掌を叩いた。


「つまり主は、あ奴らがどこに現れるのかを予測して、予めあの場所に張っておったという訳か……。随分とまぁ、気の長い奴じゃのぅ」


「と、思うじゃん? 実は今回の件、完全に偶然だったんだよ」


「……は?」


 直後、キツネはつんのめるような仕草をして目を丸くすると、さらりと言ったシェイドを見る。


町渡りの丘あのばしょに居た本来の目的は元々別にあってさ。正直今回の件はついでのようなもんで、まさか本当に遭遇するとは俺自身思ってなかったんだよ。やっぱりアレだな、こういうのって探そうと思って探すもんじゃないな。くぅ~、無欲って大事!」


「えぇ……」


 独特な音調の鼻歌を口遊み、語るにつれて上機嫌になっていくシェイドの様を眺めながら、キツネは困惑を口にする。

 そんな彼女の思いを他所に、ガラガラと一定のリズムを刻んでいた馬車は、御者の気持ちを表すかのように進む速度を少し上げるのだった。







『なーにが無欲だ。依頼が来てからずっと無防備な歩き旅だったくせして、よく言うぜ』


 揺れる馬車の中で、姿無き声がヤレヤレと言い放つ。

 その声に応える者は、誰も居なかった。

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