1-9『いざ、王都へ』
「(おーいキツネ、生きてるかー?)」
気絶したコイッツを黒腕の掌中に収めながら、シェイドは指先で掻き分けるように小さく幕を払いつつ、幌を張った馬車の荷台を慎重に覗き込む。
それは、再びガルガダックのような不意打ちを受けないよう警戒してのことであり、足音を殺し、呼び掛けも最小限の声量に留めていた。
ならば今の呼び掛けに意味はあるのかと、ミギウデは疑問に手首を捻る。
一方、
「!」
キツネの凛と立った耳に、その呼び掛けは確と届いていたらしい。
声が聞こえた瞬間こそピクリと耳を揺らしたキツネだったが、それがシェイドのものと察した途端、然もありなんと澄まし顔で目を瞑った。
まるで初めからそうなる事を知っていたかのような振舞いだが、得意気に膨らむ小鼻と左右に揺れるご機嫌な尻尾が、説得力を削いでいることには気付いていないらしい。
やがて幕の隙間の間隔が徐々に広まり、光の筋が荷台に届くや否やすぐさま外界と荷台の隔たりが取り払われる。
そして、
「フッ、ワシを待た眩しッ!? あと臭ッ! 焦げ臭ッ!」
薄暗い空間に突如として突き刺さる容赦ない陽の光と焦げカスのような臭いが、余裕の決め顔と共に出迎えようと企むキツネの表情を豪快に歪ませた。
当然のことながら、依然鎖で繋がれているキツネにそれらを回避する術はない。出来たとしても、今は目を瞑りジタバタと頭を振り回すのが精一杯だった。
「……ふぅ、元気そうでなによりだ」
そんな様子を見て安心したようにホッと息を吐くシェイドは、のんびりとした足取りでキツネに向かうと手足の鎖を解き始める。
その際、日差しも相まってより険しくなったキツネの視線がバッチリと睨んでいたが、シェイドは
やがて全ての鎖が解かれると、キツネはグッと背筋を伸ばして肩を何度か回した後、シェイドへ向き直る。
「……最後の最後で言いたい事が出来たが、まずは礼を言おう。感謝する。主が来んかったら、今頃どうなっていたことやら」
腹を擦り、キツネは心底安堵したように目を細めると、そう言って深く頭を垂れる。
しかしすぐに顔を上げると、
「じゃが、決めゼリフを遮ったことは許さぬ。せっかく考えておったのに、無駄にさせおって」
唇を尖らせ、拗ねるようにそっぽを向いた。
「悪い悪い」
もっとも、それが彼女なりの照れ隠しであることに、シェイドは短い付き合いながらも気付いていたらしい。
茶化すようなことはせず、けれど忌憚なく笑い掛けながら謝意の言葉で応えてみせた。
「うむ、よい。――それと、あの娘の鎖も解いてやってはくれんか? ワシが捕まるより更に前から繋がれておったようなんじゃ」
その態度に満足したのだろう。キツネは納得いった様子で頷くと、会話の区切りを見計らうように後ろを振り返る。
何事かと、シェイドが釣られて視線を辿ると、
「……」
そこには、キツネと同じように鎖で繋がれ、目隠しと猿轡を嵌められたまま項垂れる女の姿があった。
「……っ! 大丈夫ですか、俺の声は聞こえてますか?」
キツネに言われるまで、気付かなかったのだろう。
単純に、攫われたのがキツネ一人だけだと思い込んでいたからなのか。はたまた、内心ではキツネ以外に気を配っている余裕もない程焦っていたのか。
ともあれ、一瞬ギョッとしたように半歩程仰け反るシェイドだったが、すぐさま目の色を変えると安否を確かめるべく声を掛けた。
しかし、反応は無い。
「どこか怪我でも……って訳じゃなさそうだな。なら、捕まった際に精神的な――」
「おーい、意識はあるかー? 危機は去ったんじゃ、何かしら反応しとくれー」
しかしキツネは、そんな女の頬をペチンペチンと小気味の良い音を鳴らしながら繰り返し叩いてみせた。
叩かれた場所がすぐに赤くなっていることからも、彼女がどれだけの力を込めているのかが伝わるだろう。
「容赦ないなお前!? ――って、今は鎖か」
これにはシェイドも驚愕を露にしたが、そんな場合じゃないと己に言い聞かせ目隠しと猿轡を外すと手早く鎖を解く為の行動を再開した。
幸い女は息をしているらしく、ボロ切れのような傷だらけの服装で紛らわしいものの、身体に目立った傷は見られない。
加えて命に関わるような緊急性が見られないことからも、意識の覚醒に繋がるキツネの行動を止めようとはしなかった。
その甲斐あってのことなのか。やがて女は鎖から解放されると、
「う……、あ……?」
「お」
「まったく、心配させおって」
意識を取り戻したのか、或いは正気を取り戻したのか。心配するように覗き込む二人の影を、うわ言と共に呆然と見上げていた。
※ ※ ※ ※ ※
「わ、私は、その、アメリア、アメリア・クィツンと申します。……あ、危ないところを助けて頂き、な、なんとお礼申し上げればよいか――」
「構わん構わん。というか、その言葉はシェイドにこそ送ってやるがよい。ワシはなーんもしとらん」
「そ、そうなのですか……?」
再び覆いが被せられ、馬車の荷台に数分前までの薄暗さが戻った頃。落ち着きを取り戻した女――アメリア・クィツンとキツネの二人は、馬車の御者席に並んで座り言葉を交わしていた。
会話の内容は、コイッツを荷台の鎖に繋いだ後「ガルガダックを掘り起こしてくる」と言い、事情の説明をキツネに丸投げしたシェイドについて。
今の二人にとって恩人と言える、謎多き魔法使いの少年についてだった。
「シ、シェイドさん……、黒腕の魔法使いシェイド……さん。き、聞いた事のある名前です……」
鎖で繋がれていた恐怖が収まっていないのか、或いは彼女生来のものなのか。未だたどたどしい口調のアメリアは、シェイドの名を聞いた途端、感嘆とも意味深とも付かない呟きを零す。
「なんじゃ、あ奴とは知り合いじゃったか。或いは遠縁の親戚か何かであったか?」
キツネは耳聡くその呟きを聞き取っていたようで、そう言って首を傾げ頭に疑問符を浮かべる。
その反応にアメリアは、とんでもないと慌てて首を横に振った。
「い、いえ、随分と名の通った方でしたので、思わず……。で、ですが、あそこまでお若いとは、その、お、思っていませんでした……。う、噂に聞いた黒腕も、なんだか想像と違っていましたし……」
「そうか、有名なのか。……え、あ奴有名人なの? 何をやらかしたんじゃ?」
あまりにも自然な
もしこの場にシェイド本人が居たならば、なんともいえない悲しげな視線をキツネに向けていたのだろう。
しかしそんなキツネの反応に、今度はアメリアが疑問符を浮かべた。
「い、いえ、何かをしでかしたという訳ではなくて、ですね……。えっと、あの、お仲間、なのですよね……? ご、ご存知、ないのですか……?」
「すまんの、ワシは、その……そう! ある意味箱入り娘のようなもので世情に疎いんじゃ。それにシェイドとは、まだ昨日今日の短い付き合いしかなくての。ワシは仲間と呼ぶことに躊躇いは無いが、あ奴がどう思っているかは知らん。というか、当の本人が素性を語りたがらんのじゃよ。道行きの中で度々尋ねてはみたが『その内わかるさ』等ともったいぶりおってからに」
「そ、そうなんですか……。そうなん、ですか……」
思ってもみなかったキツネの返答に、アメリアは笑顔とも困り顔ともつかない曖昧な表情を浮かべて考えるように黙り込む。
だって普通は思わないだろう、深い仲でもなければ長い付き合いがある訳でもないのに、危険を省みず助け出してくれる相手が居る等と。
それから暫くの沈黙が続き、
「――あ、あの、差し出がましくなければ、お教えしましょうか……? その、シェイドさんについて……。わ、私の存じ上げる限りではありますが、や、やはり異性との二人旅は不安もありますでしょうし……」
「え、よいのか? いやー、助かる!」
その言葉を待っていたとでも言うように、キツネはワザとらしく目を輝かせた。
だが、
「やめい」
直後、背後からキツネの脳天に力の篭った手刀が振り下ろされた。
「痛゛ッッッあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「ったく、ちょっと目を離すとこのキツネは……。すいません、俺、自分の事を
頭を抑えてのた打ち回るキツネを無視し、件のシェイドがそう言って荷台からぬるりと姿を現した。
あまりに不意な出来事だった為に、アメリアも一瞬何が起きたか分からず目を丸くする。しかし状況を飲み込んでいくにつれ、その顔色を徐々に青く染めていった。
「ヒッ! いいいい、いえ、その……、ご、ごめんなさい……! 本人の許しも得ず、おおお恩人に対し大変な無礼を……」
「いやまぁ大方、
未だ痛みに唸るキツネを指差して、シェイドは一応の理解こそ示してみせながらも、それでも二人にジットリとした視線を送る。
その視線にアメリアは額に幾つも汗を浮かべ、戦々恐々と震えながら何度も頷いた。
「……随分と早い帰りじゃの。というか、ワシとアメリアとで態度違くない? 実年齢、多分ワシの方がずっと上じゃぞ? この場における年長者ぞ?」
一方、殴られた挙句指を差されたキツネは不機嫌そうに二人の間に割って入り、扱いの差に不満を訴える。
「俺、被害者、お前、加害者。加えてお前は連行中の身。これ以上の説明が必要か? それに、逃げられないよう地面に埋めたコイツを掘り返すだけだったからな、そう時間は掛からなかったよ」
対してシェイドはキツネの不満をバッサリと切り捨てながら、ミギウデの掌中で痙攣を起こす男を転がすように荷台へ放った。
見れば、長さが肘から手首程まである黒い棒状の物体の先端が、微かに稲妻を迸らせて男の臀部に突き刺さっている。
「こ奴はアニキ……じゃなかった、ガルガダック。――はぁ、成る程。ワシはこの棒で昏倒させられ、連れ去られたという訳か。やってくれおって、ほれほれ」
生きてはいるのだろう。しかしガルガダックは、痙攣による反応以外の動きを見せない。常人ならば、本当に生きているのかと不安になりそうなものだ。
しかしキツネはこれを機と捉えたようで、ガルガダックを鎖で繋ぎ始めるシェイドの邪魔をしないよう気を付けつつも、足のつま先で軽く小突いてみせたり、かと思えば今度はすぐ傍で軽くシャドーボクシングを始めてみせた。
そんな時、
「あ、あの、や、やりすぎて起こさないで下さいね……。――あ、あれ?」
御者席と荷台の仕切りで半身を隠しながら覗くようにその様子を眺めていたアメリアが、ふと何かに気付いたように呟いた。
「そ、その刺さっている棒、も、もしかして、で、“電雷灯”では……?」
「知っているのかアメリア!?」
「!?」
「き、急に大声を出さないで下さい……」
キツネの突然の大声に、アメリアだけでなくシェイドの肩も一瞬跳ね上がる。
流石にマズイと思ったのだろう。キツネはシェイドが振り向き何かを言うより先に、お口チャックの仕草をして黙り込む。
代わりに『続きをどーぞ』と両手で表現し、正座してアメリアの言葉を待った。
困惑しながらも、アメリアは再び語りだす。
「た、確かここ数年で、大国の衛兵達が暴動や騒ぎを鎮圧する際によく扱われるようになった魔道具、そ、その一つだった筈です……。し、市販されるような物ではありませんし、本来彼のような賊が手にしているなど、あ、ありえない代物なのですが……」
途端、ピタリと動きを止めたシェイドの様子を窺うように、アメリアは自身が抱いた疑問を語り終える。
それから暫くの沈黙と、
(……衛兵という概念に今一ピンと来んが、要するにアレか。警察官が持っている筈の拳銃なり警棒なりを、何故かゴロツキが手にしていた。ということか? ――待ってそれヤバくない? )
ことの重大さを自分なりの解釈で理解したキツネの、重い空気だけが残った。
だが、
「なら、確認しに行けばいいんじゃね?」
「……え?」
やけに軽い口調で発せられた言葉が、荷台に短く響く。
そして呆気に取られて思わず呟きを零すアメリアを他所に、声の主――シェイドは続けて言った。
「別に目的地が変わる訳でも無し。向かう先が一緒なら、手間もそれほど掛かんないだろ」
そう言って腰を上げると、そのまま御者席に移り東を見据える。
すでに、ガルガダックは鎖で繋がれていた。
「向かうは東、国の
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