1-8『黒腕の魔法使い』

「魔法使い序列……。確か王都に向かう途中でも、そんな単語を耳にしたような」


「まさか、そっちも説明が必要ッスか……?」


「いや、不要じゃ。後でシェイドあやつに詳しく聞けばよい。それより、そのバフマンがなんじゃって?」


 「そんなことすら知らないんスか?」とでも言いたげなコイッツの声色に、キツネは鎖で繋がれた手首を揺らして応えてみせる。

 確かに、詳しくないというのは事実であり、加えて興味がそそられることも否定しない。しかしキツネは「後でシェイドに聞けばよい」と、ガルガダックと獣王バフマンの因縁、その行く末をこそ優先した。


「なんじゃもなにも、そこで終わりッスよ。どうにかこうにか命からがら逃げ延びて、以来アニキは獣人に強いトラウマを抱えてんスよ。腕っ節だけは自信があったそうッスけど、その自信も真っ向から打ち砕かれたって話で、えぇ」


「はぁ……。ガルガダック、あ奴も難儀じゃなぁ。いや、自業自得か」


 事の顛末を聞き終えて、キツネはつまらなそうに息を吐きながら御者席側から覗く外の景色に目を移す。

 無事にこの拘束から逃れることが出来た暁には、ガルガダックに向けて嫌がらせの一つや二つでもと企んでいたのだが、自力ではそれが叶わないと悟ったのだ。

 嫌がらせなら自信があると豪語するキツネも、真っ当な腕力の前ではどうしようもない。

 しかし、キツネはここでふと、あることに気付く。


「そういえば、外が随分と静かになっておらんか? どれ、ワシが確認に行こう。その為にこの鎖を」


「あ、俺が見てくるッスよ。お嬢ちゃんはまた蹴られないように、次から静かにしておくことをお勧めするッス」


「チッ」


 再び舌打ちを鳴らし、キツネは無駄と理解しつつも背を向けるコイッツを恨みがましく睨みつける。

 しかしその行いも虚しく、またコイッツもそれに気付いた様子もなく馬車の外へと消えていった。



「――……はぁ、行きおったか。さて、あの者らにシェイドの相手が務まるのかのぅ」


 もはや意識の有無すら疑わしい程に静かな女と二人残され、キツネは静かに天井を見上げて小さく呟く。

 彼女が思い起こすのは、不可思議な力まほうで土を巻き上げると共に巨大な黒腕を振るい、いとも容易く大百足を吹き飛ばしたシェイドの姿。そして、脈動し蠢く黒腕。

 男たちがアレに勝利した未来図ビジョンを想像出来ないキツネは、次に馬車へと足を踏み入れるのは、果たしてシェイドかあの男たちかと、分かりきったその時が来るのを待つことにした。


「いうて、ワシもシェイドの力量が、この世界でどれ程のモノなのか知らんのじゃがな」


 最後に、そう付け加えて――。



※ ※ ※ ※ ※



 ―――一方。


「な、なんスか、これ……」


 悠々と馬車から降りてすぐ、コイッツは視界一面に広がる異様な光景を前に言葉を失っていた。

 見れば、まるで巨人が掬い抉ったかのように地面に空いた穴が至る所に見受けられ、先程まで長閑だった景色の面影を、もう殆ど残していなかったのだ。

 仮に『ここで大きな合戦があった』と言う者が居たならば、まだ無理矢理にでも納得できただろう。それ程までにこの惨状は、“個人同士の争い”で説明がつく規模を越えていたのだから。

 なにより、単独でそんなことを出来る者が居たとすれば、それは間違いなく――。


「い、いや、ないないないないない。ありえないッスよね、まさか“魔法使い”がこんなところに居るなんて、そんな」


 頭を振って、コイッツはふと脳裏に過った可能性を即座に否定する。しかし同時に現実は、揺るぎない事実として今も視界に映り続ける。

 結局コイッツは他に可能性を見出すことが出来ず、ただ呆然と景色を眺め続けた後、思い出したように辺りを見回し歩き出した。

 もしかすれば、これは全てアニキ――ガルガダックがやったことであり、そのうちひょっこりと、襲撃者の首を掲げて現れるのではないかと期待して。

 しかしこの瞬間から、ほんの数秒前に抱いた自身の考えと矛盾していることに彼は気付いていなかった。


「お、おーいアニキー! クソガキとっちめたんでしょー? 早く出てきて下さいよー!」


 どれだけ歩き回っても、どれだけ探し回っても、ガルガダックは姿を見せない。やがてコイッツは痺れを切らし声を上げて呼び掛けてみるものの、やはり応える声は無い。呼び声はただ虚しく、青空に溶けていくばかりだ。

 ゾワリと、不吉な予感に彼の首筋の毛が揺れた。


「あ、アニキー? そういう冗談は笑えないんで、そろそろ出て来てくれたらな~、なんて……」


 尚もそう続けながらも、コイッツは事の深刻さを薄っすらと察し始めたらしく、直ぐにでもその場から走り出せるよう腰を低くして辺りの警戒に意識を裂く。

 この時点で、既に彼の心に余裕は無かった。あるのは不吉な予感と、それをどうにかして否定しようとする理性だけ。

 しかし同時に、未だ姿を見せないガルガダックがどこに居るのかと考える度に、最悪の可能性が脳裏にチラつくようになっていた。


「……」


 青い顔をしたコイッツは、ゴクリと唾を飲み込みもう一度声を上げようと大きく息を吸う。

 次の呼び掛けこそは、ガルガダックが姿を表すと期待して? 否、不安で身体が震え始めた己を誤魔化す為に。

 その時だった。


 ――ブォン!


「……へ?」


 背後から、自身の背丈の倍はある長く太い土色の角柱が二本、コイッツの体を挟むように両肩ギリギリを通り過ぎ、五~六歩ほど手前の地面に深く突き刺さった。

 その後数瞬遅れて風が起こり、重量感ある物を振り抜くような風切り音が彼の耳に届いた。


「……ッ!」


 直後、コイッツは何も言わず一直線に前へと駆け出す。それは、ここが危険な場所だと理性が告げたからか、或いは本能が逃げろと警鐘を打ち鳴らした為か。

 どちらにせよ、留まり続ければ死に摘まれると直感したコイッツは、この場から一秒でも早く逃れたいが為に、脇目も振らず無我夢中で走り続けた。

 しかし、そうは問屋が卸さない。


「うひゃ!?」


 走り出して直ぐ、数歩先の地面が彼の背丈を易々と越えるまでに噴き上がると、壁の如く固まり聳え立ち、その行く手を塞いだのだ。

 ならば別の逃げ道はと急いで方向を変え再び足を動かすものの、やはり行く先々で阻まれる。

 そして気付いた時には、


「あ……、あぁ……」


 聳え立つ土壁が周囲を幾つも囲っており、コイッツは完全に逃げ場を失っていた。

 いや、脱出の手段としては、無理にでもそれらを乗り越えるという手もあった。が、その間に再び角柱が飛んで来る感覚が男を苛み、彼に二の足を踏ませていたのだ。


「どうするッスかどうするッスかどうするッスかどうするッスかどうするッスか――。ふ、ふぅ……」


 だからといって、このまま此処に留まり続ける訳もにもいかない。その選択は、座して死を待つのと変わらない。

 一瞬とも永遠とも思える思考の果てに、遂に決断を下したコイッツは、やがて不安定な呼吸と共に震える手を前を塞ぐ壁へと伸ばす。

 彼は賭けたのだ、無事に目の前の壁を乗り越えられるという己の可能性に。


 しかし不幸な事に、


「こういうの、袋の鼠って言うんだっけか。確か、シュウがそんな事を言ってた気が」


「――ッ」


 突然真後ろから発生した姿無き声が、男が辛うじて保っていた最後の理性すらも消し飛ばした。

 今の彼に残されたモノは、乱心のみ。そして狂乱に陥った彼は掌を真上に掲げると、絶叫した。


火よサラマンド火よサラマンド火よサラマンド火よサラマンド火よサラマンドーッ!」

 

 その様は、まるで火薬庫に火種を放り込んだが如く。

 絶叫するコイッツの掌から噴き出すように、大人一人程度なら度易々と飲み込めるであろう巨大な炎塊が何度も繰り返し放たれた。

 加えて運悪く、混乱する彼の放った炎は特定の狙いを定めたモノでは無かったらしい。駄々を捏ねる子供のような無秩序さで、辺り一体に容赦ない炎塊が降り注いだのだ。


「おい待てやり過ぎだ!」


 それを見て、流石に焦りを覚えたのだろう。意図せずとも彼をここまでの混乱に陥れた元凶ばかやろうは、土壁の上からその姿を露にしてコイッツを怒鳴りつけた。

 直後、


火よサラマンド、燃やし尽くせぇぇぇえッ!」


 コイッツは声のした方向へと怒号を上げて、反射的に炎塊を放っていた。


 それは、生存を強く求したが故に成すことの出来た、死中に活を見出す起死回生の抵抗か。或いは、偶然が生み出した奇跡の一手か。

 巨大な炎塊は、人の反応速度を遥かに凌駕したスピードで声の元へと迫った。


「死ねぇぇぇぇぇぇぇえ!!!!」

 

「ッ――」


 放たれたと認識した時点で、回避は間に合わない。その為に足を動かそうと考えた時には、既に人の身は炎に抱かれ焼き尽くされる。コイッツの放った炎とはつまり、そういうものなのだから。

 やがて数秒も待つことなく、そこには焼けた足場と人が居たことを思わせる影だけが、物言わず佇む事となる筈だった。

 “筈だった”のだ。


「ハァ……、ハァ……。これ、なら……」


 トドメを確信したのだろう。立ち上る黒煙を見たコイッツは荒れた呼吸を整えるように俯くと、どこか満足げな笑みを浮かべる。己が手で勝ち取った生存に心臓を高鳴らせ、感傷に浸りながら。

 だが、


「――……正直なところ、所詮はガルガダックの腰巾着と侮っていたんだが、念には念をと警戒して正解だったよ。ホントに」


 そんな余韻を粉々に打ち砕く声がした。


「なっ!?」


 あろうことか声の主は未だ健在らしく、あれだけの炎を受けていながら、緊張感こそ滲ませつつもそう宣ってみせたのだ。

 これには、コイッツも驚愕に顔を上げる。

 視線の先には、


「腐っても国指定のお尋ね者、俺のトコこっちにまで話が流れてくる訳だ。……志願すれば王都魔導部隊にだって入隊出来る実力だろうに、もったいない」


「――嘘、っしょ」


 禍々しい、そんな言葉を体現するかのような巨大な黒腕を背中から突き出し、惜しむように首を振る少年の姿があったのだ。

 そしてその姿は間違い無く、自分達を襲撃したクソガキその人であることにコイッツは気付く。――力の差も分からない、無謀で生意気なだけだと思っていたクソガキが、火傷はおろか煤の一つすら無く、そこに立っていたのだ。

 加えて彼がそこに居るということは、つまるところガルガダックが敗北したことを決定付ける瞬間でもあった。


 しかしコイッツが思わず呆然とした理由は、それだけではない。


「ど、ドス黒い巨大な腕を背中から生やしたガキ……って、まさか……ッ!」


「今度はこっちの番だ。――歯ァ食いしばれ」


 襲撃者は、重力に身を任せて倒れるように土壁から飛び降りると、頭から一直線にコイッツへと迫る。その際に、黒腕を大きく振りかぶった。


「ど、どうして、こんな所に居やがるんスか……!」

 

 一方、身体が強張り動けなくなったコイッツは、迫り来る黒腕を前に絶望を悟る。

 初めから、勝機など無かったのだと。


「ま、魔法使い序列第九位、退魔の右腕を宿す魔法使い――」


 なにが「それなりに名を上げた傭兵」だ、なにが「瞬速ガルガダック」だと、恐らくその辺で倒れているであろう強面の男のことを思い返しながら。


「黒腕の、シェイド……!」


 直後、固く瞼を閉じたコイッツの言葉を最後に、土埃が勢いよく舞い上がった。






『ったく、お前も甘ェよな。あのまま殴り潰したところで、もう片方が生きてりゃ何の問題も無ェってのに』


 土埃が徐々に晴れていく中、気を失ったコイッツを掌中に収めた黒腕――ミギウデは、不満気に言う。

 見ればニギニギと手を握る力を強めたり、かと思えば緩めたりをと、今すぐ男を握り潰したいという衝動を持て余すかのように繰り返していた。


「別に不殺ころさずを気取ってる訳じゃないぜ? ただ、二人生かして捕まえたら、追加報酬も期待出来るカナーって」 


 対して少年――シェイドは視線を明後日の方向に向けながら、どこか言い訳がましく答える。

 それはもう、今更理由を取って付けたかのような演技臭さで。


『ほぉーん?』


「……なんだよ。それより、キツネの無事を確かめに行こうぜ」


 どこかネットリとしたミギウデの相槌に怪訝な表情を浮かべかながら、シェイドは馬車へと足を向けた。

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