1-7『瞬速ガルガダック』

「ホ、ホントいきなり、なんスかアンタ!? あっぶないじゃないッスかー!?」


「おーい、キツネー。此処かー?」


 どうやら受け身を取ることに成功していたらしく、馬車から投げ出された痩せた男は思いの外元気そうに抗議の声を上げた。

 一方そんな声が聞こえていないのか、或いは気付いていながら無視しているのか。黒髪の訪問者――シェイドは振り返ることもせず、悠々と荷台を覗き込む。

 その時、


「うおっ!?」


「チィ!」


 薄暗闇の中、荷台の奥から突然現れた強面の男の振るうナイフが、シェイドの鼻先数ミリを通り過ぎた。


「あっぶね!? 」


「死ねぇ!」


 シェイドは咄嗟に仰け反ることで男の切り払いを躱し、足場を強く蹴って後方へと大きく距離を取る。仰け反ったままの不安定な姿勢で追撃を受けることを避ける為だ。

 しかし男はそれを予測していたかのように馬車から飛び出すと、まだシェイドが地に足を付けるより早く、彼の懐へと迫った。


(速いッ!)


 シェイドは瞬時に男に対する認識を改め、落下の勢いを殺すことなく強引に上体を後ろにずらして着地と共に身を屈める。

 その判断が功を奏し、本来ならシェイドの喉を貫く筈だった男の一突きは、空を突くに留まった。

 だが、


「おらぁッ!」


「……ッ!」


 そんな無茶な着地に反動がない筈も無く、シェイドに一瞬の硬直が生まれる。加えて男も、そんな隙を見逃さなかった。

 男は怒号と共に大きく右足を振り上げると、回避不能と判断し防御の為に胸の前で腕を交差させたシェイドに蹴りを放つ。

 その衝撃は並大抵の蹴りの威力に収まらず、シェイドは内臓が浮かぶような感覚を味わいながら、土埃を巻き上げ十メートル以上の距離を吹き飛ばされた。


「さ、流石ッスねアニキ! クソガキ相手に一切手を抜かない大人げ無い姿勢、俺マジ感動ッス!」


「コイッツてめぇ、明らかにバカにしてんだろ。んなことより馬車の状態を確認をしやがれ」


「了解ッス!」


 その様子を馬車の陰から覗くように見ていた痩せた男――コイッツは、襲撃者の力量を把握すると途端に軽々しい態度を取り戻す。

 そして男に言われた通り馬車の無事を確認する為、大きく凹んだ御者席に手を置いた。

 一方、


「……身体強化の固有魔法。事前に分かっちゃいたが、一気に距離を詰めて来た素早さにあの蹴りの威力、こりゃ思った以上の使い手だな」


 呼吸を整え、シェイドは片膝を付きながらも冷静に男の分析に勤しんでいた。

 しかし蹴りをまともに受けた右腕はダラリと力なく垂れ下がっており、とても無事とは言い難いものだった。


『おいおい、どうしたどうした。えらくカッコ付けて登場した割に、初っ端から押されてねぇか?』


「うっせ、ちょっと腕が痺れただけだ」


 そんなシェイドの様子を、これまた案じる素振りの一つも見せないミギウデは茶化してみせる。

 ひどく薄情に思える態度にシェイドは悪態をつくものの、しかしいつものことだと突っ掛かろうとはしなかった。

 事実、これまで彼がどのような窮地に立たされようともミギウデはそんな態度を一貫してきたというのだから、もはや今更言うことは何もないのだろう。

 代わりに、


「それに、お前も知ってるだろ? 日々を清廉潔白に生きる魔法使いってのは、戦闘時における縛りが多いんだよ。大変なんだぜ、殺す以外の方法で反抗する相手を無力化するってのは」


『俺が出れば、殺さずとも早々に片が付くんだがな。一発どうよ?』


「早々に身バレもするけどな。ま、ヤバイと思ったらいつも通り頼らせて貰うさ」


『ヒュー。毎度話が早くて助かるぜ、相棒』


「そりゃどうも」


 自身の世知辛い立場について、そんなこと分かり切っているであろうミギウデにわざとらしく語った。要するに嫌味だ。

 しかしミギウデにそんなものが通用する訳も無く、むしろ自分が出ようかと提案すらしてみせる。

 対してシェイドも期待通りの返答だと満足げに頷き、やり取りも程々に立ち上がった。

 そして、一歩一歩を踏み締めて着実に迫る強面の男を見据える。


「さっきからなぁにブツブツ言ってやがる、命乞いか? 一応聞いてやるぜ、叶えてはやらねェが」


「なぁに、ただの作戦会議だよ。――もう膝は付かねぇぞ?」 


 直後、口端を吊り上げ不敵に笑うシェイドと、素早い動きで迫る男との間に爆発のような衝撃が巻き起こった。



※ ※ ※ ※ ※



「あーあ、本格的に死んだッスね、あのクソガキ。ま、弔ってやる気も起きねぇッスけど」


 御者席に凹みこそ出来ていたものの、馬車を動かす上での支障が無いことを確認したコイッツは、鎖で繋がれている二人の状態を確かめるべく荷台に足を踏み入れる。

 外では意外にも瞬殺といかなかったらしく、爆音を挙げて今も戦い続ける男二人に首を傾げもしたが、それも持って数秒だと然程気に留めていなかった。

 そこにはコイッツが強面の男に対して持つ信頼と、それに足る実績があったからだ。


「なんせアニキは、かつての戦争でそれなりに名を上げた傭兵だったッスからね。別名『瞬速ガルガダック』、クソガキとは経験値が違うんスよ、経験値が」


 自分の事ではないというのに、コイッツは鼻高々に語ってみせる。

 その直ぐ傍では、キツネが呆れた表情でその様子を眺めていた。


「……それを聞こえよがしに語って、ワシに一体どんな反応を期待しておるのじゃ。他人ひとの威を借りて踏ん反り返るなぞ、阿呆の極みと笑えばよいのか? ……虎の威を借る側が言うのもアレじゃが」


「いやー、こう言えばお嬢ちゃんも完全に諦めがつくかなーって。知り合いッスよね? あのクソガキ」


「一夜を共にした仲じゃな」


「ヒュー!」


 何を勘違いしたのか、コイッツはキツネの返答を聞くや否や、上機嫌に口笛を鳴らす。

 それは、キツネがシェイドの、またシェイドがキツネの特別な相手であるとした上で、彼女が絶望する様を見るのが楽しみだといわんばかりのモノだった。

 これについては、キツネの言い方が認識の差異を無駄に広げていることも影響しているのだが。

 しかし少女の呆れた表情は、崩れない。


「身内を信頼するのは理解出来る。が、それで相手の力量を軽んじるとは、まだまだ青いの」


「……?」


 そんなキツネの呟きに、言っている意味が分からないとコイッツは首を捻る。

 否、言葉の意味そのものは理解しているのであろう。だが、キツネの言い方では、まるで少年クソガキにも勝機があるかのように聞こえたのだ。

 コイッツは何度も脳内でキツネの言葉を反芻し、それでもそうとしか受け止められないことに頭を悩ませる。

 しかし数秒の後、


「プッ! っくっくっく……。あぁ、成るほど、そういうことッスか」


 掌で顔を覆い今にも噴き出しそうな笑いを堪え、キツネの言いたいことに合点いったと何度も頷いた。

 即ち、全く言葉通りであること。シェイドがガルガダックに勝算があると、そんなことを大真面目に語っているのだと、コイッツは怪訝な表情で自分を見るキツネのことなど気にせず、握り拳を膝に何度も打ちつけプルプルと身体を震わせた。

 やがて顔を上げると、


「アーッハッハッハ! いやー、単純にして直球で、その上愉快な冗談ッスね! 捻りが受ける昨今で、そこまで真っ直ぐなのは逆に意表を突かれたッスよ!」


 まるで道化の踊りを笑うかのように、コイッツは哄笑を上げ手を叩く。

 これにはキツネも目を丸くし、一体何がこの男にウケたのだろうかと小首を傾げた。


「うーむ、異世界人のツボが全く分からん。それとも箸が転んでもおかしい年頃か? 乙女か?」


「アッハッハッハ! ……いやー、笑わせてもらったッス。お礼と言っちゃあなんスけど、何か聞きたいことがあれば答えてあげるッスよ? どうせ目的地までは、まだ掛るッスからね。俺にとっちゃ、暇と退屈が一番の敵なんスよ」


「……ほう」


 コイッツは一頻り哄笑を上げ終えると、気分を良くしたのだろう。なんとも胡散臭い笑みを浮かべてそんなことを言い出した。

 一瞬、キツネは男の甘い提案に警戒をみせるものの、それが油断や慢心から来たものだとすぐさま悟る。

 そんな姿に少女は呆れ交じりの溜息を零そうとしたが、しかしこのチャンスを逃す手はないと、小手調べの意を込めてまずは一つ訊ねてみることにした。


「ならば今のワシでも出来る、この鎖の解き方を」


「無理ッスね。他には?」


「チッ」


 蝿叩きで撃墜される羽虫のように、キツネの質問は容易く打ち落とされる。その流水の如き鮮やかな手際に、キツネは肩を落とすと共に舌打ちを鳴らした。

 事実、現状彼女が知りたいことなどそれ以外に無い。自分がこのまま連れて行かれた先でどのような目に遭うか等、知りたくもないのだから。

 しかし、だからといってこのまま情報を得られるチャンスを不意にすることもまた、憚られた。

 故に、


「……そうじゃな。それでは完全な興味本位ではあるが、真面目な質問を一つ」


「いいッスよぉ」


 先ずは一つ、男の口を軽くすることから。

 それを深く意識しながら、


「あの男、ガルガダックと言ったか。あ奴が獣人とやらを嫌う理由を聞かせて貰いたい」


 堂々と、ガルガダックの秘密に踏み入った。




「いきなりぶっ込んできたッスね」


「ちょっとくらいエエじゃろ? このままじゃとワシ、完全に蹴られ損なんじゃ」


 未だじんわりとした痛みが続く腹部に目を落としながら、キツネは苦い顔をするコイッツに懇願する。無論、悲しげな表情も忘れない。

 とは言いつつも実際のところ、キツネ自身そう簡単に話して貰えるとも思っていなかったのだが。


 この質問はあくまでも探り。まずは無理な頼みを断らせた上で、控えている本命の要求を通し易くする下準備のつもりだったからだ。

 尤も、本来この手段は対等な、或いは相手より高い立場の側が取引を行う際の手段であるのだが、キツネはそのことを知らない。

 だが、


「そういや、あれだけ蹴られてまだそんなに時間も経っていないのに、意外とピンピンしてるッスね。やっぱり獣人は傷の治りとか速いんスか?」


「いんや。獣人は知らんが、ワシのはただの痩せ我慢じゃ。今も結構ズキズキきておる。まぁそんなことより話してみよ、責任はワシが持つ。……というか、ワシと接しておった時のあの顔が更に渋くなると思うと、面白そうだと思わぬか? ていうか、ぶっちゃけ一矢報いたい」


「嬢ちゃん、案外いい根性してるッスね……。でも確かに、弱み握られて慌てふためくアニキを見れるってのも面白そうッスね。いいッスよ」


「いやーやっぱり無……、マジか」


 本来なら断って然るべき筈のキツネの質問に、「面白そう」という言葉に反応したコイッツは驚く程あっさりと首を縦に振ってみせた。

 どうやらこの男が測る物事の判断基準は、主に『面白いか、否か』の二択に絞られているらしいと、キツネは彼がこのような稼業に身を堕とした理由の一端を垣間見た気がした。

 しかし同時に今のキツネにとってはむしろ、その考えを持つ人間は都合のよい相手でもあった。


「どう話したもんスかねぇ。やっぱりとある獣人に手も足も出ず、ボコボコにされた時のことからッスかねぇ」


「いやいや、せっかく話してもらえるなら別の……って、なにそれ凄い気になる」


 そう前語りを入れてから、コイッツは語り始めた。



「もう十数年以上前になるッス。長年続いた大陸戦争が終結してから暫く、傭兵としての食い扶持を失っちまったアニキが山賊として活動していた頃――」


「すまぬ。その話、長くなるか?」


「ん、そうでもないッスよ?」


「ならよかった。続けとくれ」


 耳をピクリと動かし、一瞬待ったを掛けたキツネは、その返事を受けて「なんでもない」と続きを促す。

 その言動にコイッツは首を傾げながらも、またすぐに語りを再開した。


「? まぁ、いいッスけど。――ある日、アニキがいつものように山道を行き交う人間を品定めしていた時のこと。遠方から、如何にも襲ってくれと言わんばかりの煌びやかな馬車が向かってくるのを捉えたんス」


「成る程な、オチが読めた」


「あ、やっぱり? ――で、狙いを定めてその馬車に襲い掛ったんスけど、乗っていたのが獣人で」


「じゃと思った」


「しかも運悪く、相手はあの“獣王バフマン”だったんスよ。そっからもう、見るも悲惨、聞くも悲惨、語るも悲惨な有り様たるや」


 ワザとらしい泣きの演技をしながら、コイッツは人のトラウマを嬉々として語る。見る人が見れば、頭に角、背中に黒い羽、腰に尖った尻尾を生やしている姿を幻視してもおかしくないだろう。

 一方キツネは話を聞きながら、またも現れた聞きなれない名前に、もう何度目かになる首を傾げて訊ねた。


「ちょっとよいか。その獣王バフマンとは、一体何者じゃ?」


「……マジスか!? 知らないんスか!?」


 キツネの質問から一拍置いて、コイッツは信じられないモノを見るような目でキツネを見る。

 そこにワザとらしさや胡散臭さは微塵も無く、正真正銘の驚愕が刻まれていた。言外に、世間知らずというニュアンスも含めて。


「知らんもんは知らん」


 けれどそんなことなぞ何処吹く風、キツネは聊かばかり眉間に皺を寄せはするものの、一蹴するように言う。

 そんなキツネの言葉にコイッツは深く息を吐くと、やけに仰々しく言った。


「はぁ……。――獣王バフマン、現魔法使い序列第十一位にして、獣人初の魔法使いのことッスよ」

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