1-4『キツネと魔法使い』
キツネが少年に語った内容とは、次の通りである。
「いやー、と言っても実際のところ、ワシもよくわからんのじゃ。とうとう終わりが来たんじゃなーなんて思いながら目の前が真っ暗になった瞬間、気付けば見知らぬ原野にポツンと一人きり。何が起きたと混乱しながらも適当に歩き回ってみると、遠目に地中から這い出る百足が見えての。なんかもう色々と衝撃が強すぎて意味もなく呆っと眺めておったら、こちらに気付いた百足が急に地面に潜りだして、そっから命懸けの鬼ごっこの始まりじゃ」
「……なるほど、わからん。いや言葉の意味は理解は出来たけど、うん、わからん」
「じゃろ? ワシもそう思う。ーーさて、話したコトじゃし、主も名乗りを上げたらどうじゃ」
話を聞いた少年は頭を抱え、狼狽するように自分が面倒ごとに巻き込まれた不条理を嘆く。なまじキツネの語る言葉の意味"だけ"は理解出来た為に、それが殊更拍車を掛けていたのだろう。無論、状況については謎だらけのままだ。
一方キツネは、何が解決した訳でもないのに矢鱈と得意気な
「はぁ……。ーーシェイド、魔法使いのシェイドだ。そう名乗ってる」
「うむ、シェイドじゃな。しっかし魔法使いときたか、ならばあの大百足を地中から放り出したのも、不思議パワーで納得出来んことないか。そうそう
大きな溜息を零すものの、「分からないものはしょうがない」と思考を切り替えた少年ーーシェイドは、どこか遠くを眺めるように目を細め諦めに満ちた声で答える。
一方それを聞いたキツネの反応は彼と真逆で、満足げな表情で何度も深く頷いていたーーのだが。
「シェイド、主の魔法で大百足を倒せるのなら、どうしてワシを追ってきた? その必要無かったじゃろ、絶対」
途端、目尻を吊り上げ眉間に皺を寄せ、キツネは恐ろしい(と、本人は思っている)剣幕でシェイドに詰め寄りどういうことかと問い質す。そこに、シェイドを巻き込んだことへの反省は、無い。
人はそれを逆ギレと呼ぶのだが、それを指摘した所で話が進まないだけだと理解していた少年は、なるべく気にしないよう努めつつ答えた。
「生息地の関係上、どうしても見過ごせなかったんだよ。あの大百足は本来"ドルーゴ大陸"の砂漠地帯に生息している生物で、間違っても此処"ディーア大陸"で自然に現れることはないんだ。それが町渡りの丘なんていう、そこそこ人が通る場所に出現したとなれば、到底放置していい問題じゃあない。過去にはどこぞの"闇|組織(クラン)"が生物の不正密輸をした所為で、生態系が滅茶苦茶になったこともあった訳だし。そんな訳で、お前に話を聞く必要があったんだ」
「続々出てくるの、知らない単語。なんじゃ、パルスのファルシのルシがコクーンでパージか? 公用語を使ってもっと手短に、そんで分かりやすく説明してくれ」
「……」
溜息と共にヤレヤレと首を振るキツネの言葉に、シェイドの脳内でブチリと何かが千切れるような音が響いた。
続けて無意識に持ち上がった右手の握り拳を、咄嗟に伸ばした左手でどうにか抑え強引に押し留める。キツネの言が事実であるならば、彼女は異世界から来たばかりの異世界人。こちらの常識や礼儀を勝手に当て嵌め憤慨するのも違うと思ったのだろう。……それはそれとして、態度については物申したい気持ちが彼の中で溢れていたのだが。
シェイドは気持ちを落ち着けるように大きな深呼吸を二度繰り返した後、内容を噛み砕いて説明し直すことにした。
「皆が通る道に、人に危害を加えるやばい生き物が現れた。でもそいつは本来ここらに生息していない筈なのに、おっかしいなー。第一発見者に話を聞かなきゃ!」
「把握。確かに、そりゃ話を聞かねばならんの」
「なんなんだろう、この疲労感……」
掴み所のない、とは正反対。むしろ取っ掛かりが多過ぎるやり取りに疲れたのだろう。最後は半ば投げやり気味に、シェイドは説明責任を果たす。
そして幸いなことにもキツネが今の説明で理解に至ったらしいと、密かに安堵の息を零していた。
『態度や礼節には割とうるさいお前が、よくここまで堪えられたもんだ。その辺自由な俺でさえ、思いの外辟易してるっつーのに』
「慰めになってねぇからな、それ」
そんなシェイドにミギウデは本心から感嘆し、ここまで我慢強くキツネと接していた少年を称賛する。当人からすれば、大変不本意極まりないものではあるのだが。
ともあれ、ここで漸く互いが求める情報の一端を掴めたことで、僅かだが心に余裕が出来たのだろう。
「そら、もう充分休んだろ。そろそろ立て、これから王都へ向かう」
「王都ァ!? あ、耳はやめるのじゃ擽ったぃうっへっへっへ」
シェイドはそう言うと、王都という単語に驚愕するキツネの耳を摘み立ち上がらせ、目的地の変わった歩き旅を再開した。
「っと、その前にーー」
※ ※ ※ ※ ※
「ーーのぅ、シェイドよ。王都には、一体いつになったら着くんじゃ? いい加減、気も体力も滅入ってきたぞ」
「この調子だと、あと三日は掛かりそうだ。……もし目的地がトーポリのままなら、今頃見えてくる街明かりに胸を弾ませていたんだろうなぁ」
「うびゃぁ……、その嫌味ったらしい言い方止めんか。主には悪いと思っとるが、ワシと出会ったが運の尽き。切り替えてゆけ」
「こいつ、ホントにこいつ……」
シェイドがキツネをお供に歩き旅を再開してから、およそ十時間弱。二人はすっかりと陽が落ち暗くなった夜空の下で、町渡りの丘に生い茂る緑の道を歩いていた。そこには、目的地である王都へ向かうのなら、この道を真っ直ぐ突き進んだ方が早いというシェイドの提案があったからだ。
そしてなにより、彼にはこの道を行くもう一つの理由があった。
「ハァ……。とにかく、身体を休めたいならせめて見晴らしの良いトコまで我慢してくれ。最近は賊の出現報告も多いし、いざって時になるべく直ぐに対応出来るようなーー」
「なら、あそこはどうじゃ?」
そう言ってシェイドの言葉を遮りキツネが指差したのは、なだらかな他の丘と比べて地面が一際盛り上がり、そこに背丈の低い木が数本立つ丘の上。
闇夜を照らす月(によく似た星)の明かりが逆光となり、そこに生まれた微かな影が輪郭を暈して一回りも二回りもその姿を大きく見せている。
実際はそれぼどの高低差がある訳ではないのだろうが、それでも周囲を一望出来だけの高さもあり、シェイドが提案した条件に最適な休憩場所となっていた。
「……悪くはない、な。よし、なら今夜は此処で野営といくか。陽が昇ったら、また出発だ」
そう言って、シェイドは様子見を兼ねてキツネより一足早く丘の頂上まで辿り着くと、巾着袋からせっせと道具を引っ張り出す。
そして足元に人を三·四人程度なら余裕を持って包み込めるであろう大きな布と、杭を四本。ランプのような光を灯す掌サイズの水晶玉に、取り外し可能な円筒型の突起が付いた銀色の道具を並べた。
少し遅れて上ってきたキツネは、それらを見て首を傾げる。
「何をしておるんじゃ?」
「簡易天幕と、晩飯の準備。晩飯の味付けは、塩かバターくらいしかないが我慢してくれ」
そう言って、シェイドは最後に紙で丁寧に包装されたあるモノを取り出す。
途端、それを見たキツネはギョッとした表情と共に、「うえぇ……」と明らかな不快感を示して見せた。
「やはり食うのか、ソレを……」
「携帯食料もあるにはあるけど、新鮮な内に食える物があるならそっちが先だ。なーに、こう見えて栄養満点だし、味もそこまで悪くない」
シェイドが、取り出した紙の包装を丁寧に解く。その動きに連動して、キツネもより一層表情を、険しくする。
やがて包みを全て剥がされ中身が暴かれた時、キツネは諦めるように溜息を零した。
「あの大百足も、まさか自分が食われる側になるとは思わんかったじゃろうな……」
大百足から切り取られ、妙に燻んだ桃色の筋肉らしき部位が未だ脈動するように蠢く様を眺めながら、キツネはそう呟くのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「っはー、なんじゃろうなぁ。美味くもなく、けれど警戒していたほど不味くもなかったこの感じ。なんかこう、出そうで出ないクシャミみたいでモヤモヤする」
「文化も歴史も、そして恐らく価値観も、何もかも違う異世界の食べ物を好き嫌いせずちゃんと食べられたんだ。味の問題なんて二の次でいいだろ。ーーていうか、確か元は野生の獣だったんだろ? 虫とか木の実とか、普通に食ってたんじゃないのか? ……お前の言ったことが事実ならって体での質問だが」
夕餉を終えて、シェイドは取り外し可能な円筒型の突起が付いた銀色の道具ーー携帯型魔導火起こし機の火を消しながら、初めて食べた百足への感想を述べるキツネに向けてささやかな疑問を質問としてぶつける。
やることと言えば、残りは寝床の準備だけということもあり、実際のところそ問い掛けは質問というより雑談に近しいものであるのだが。
その意を汲んでのことなのか、既に寝る気満々で横になっていた少女も、その問いに「にはは」と笑って頬を掻くと、昔の出来事を噛み締めるように答えた。
「生前は、色々あって人間と同じものばかり食べておったからの。そういった慣れもあった所為か、どうも虫を食い物として見れんのじゃ。貴重なタンパク質であることは、一応理解しておるんじゃがのぅ」
そして「あ、それとタマネギも駄目じゃ。絶対駄目じゃ」と冗談かしめて続けた。しかし、目は笑っていなかった。
幸いにも
「がっつり飼い慣らされてないか、それ。っと、よし、出来た」
ともあれ、そんな雑談の間にもシェイドは木の枝に布を被せ、四隅を杭で打っただけの簡易天幕を完成させる。
見栄えとしては粗末な作りもいいところだが、準備の手軽さや回収のし易さからお金の無い旅人の間でよく利用されてる設営方法だという。
但し耐久性からプライバシーに至るまで、あらゆる点で心許ない箇所も多いのが玉に瑕ではあるのだとか。
「雨風防ぎたい時ならもう少し手間も加えるが、嵐が迫ってるって話も聞かない。それにこの時間に此処に来る奴なんてまず居ないだろうから、人目を気にする必要もない。ってわけだから、王都に着くまで寝床はこれで我慢してくれ」
「……!」
シェイドはそう言いながら、腕を組んでキツネからの言葉を待つ。そこに秘められていたのは、「文句があるなら寝床は使わせん」という言外の圧力だった。
しかしチラリと横目でそれを見たキツネは、意外にも嬉しそうな表情で身を起こすと中を覗き込み歓声を上げた。
「おお。良いなぁ、こういうの……! 歩けど歩けど変わらぬ景色や、想像と大分違った異世界の世情にウンザリもきたが、いやはやこれじゃよこれ! くぅ~、ロマンがあるのぅ!」
これまで散々文句を垂れ流してきたキツネに対し、次は何を言ってきやがると構えていたシェイドは、彼女の無邪気な反応から拍子抜けするように踏鞴を踏む。
一方、そんな少年の様子に気付いていない少女は、山吹色の瞳を爛々と輝かせながら天幕に入ると、ひょっこりと顔を出し童女のよう微笑んで見せた。
「これぞ異世キャン△、なんちゃって、ニヒヒ。ーー満たされた腹に、見上げれば手が届きそうなほどに散らばる無数の星々。程よい眠気に瞼が微睡めば、穏やかな風が頬を撫でる、か。おや? もしやこれは、最強なのでは?」
「……なにが最強なのかは分からないけど、詩の才能はあると思うぜ。知らねぇけど」
手放しに喜んでいるキツネの姿を見て、その日起きたアレコレに対する毒気が抜かれたのだろう。シェイドは、自分が不思議と心穏やかになり始めていることに気付く。
果たしてそれは、少女の無邪気さ故のものか、はたまたーー秘めたる魔性からなされたものか。
(元は獣、然れど神の現し身か……。まぁ、気にするものでもないか?)
しかしシェイドは、「それがどうした」とでも言うようにフッと笑みを浮かべると、すっかり詩人気分に浸るキツネを茶化してみせる。
そしてどこか晴れ晴れとした面持ちで、同じく夜空を仰ぐのだった。
「……」
丘のすぐ下でそっと息を殺す、何者かの存在に気付かぬままーー。
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