1-3『その素性は別料金』
「さて、それじゃあ色々聞かせて貰おうか」
威圧するような少年の言葉に、少女は押さえ込んだ吐き気共々ゴクリと唾を飲み込む。
それは大百足という難から逃れ、切れ掛かっていた緊張の緒を締め直す為か。はたまた大百足以上の脅威と成り得る存在が、今も目の前で黒腕を晒し己を見下ろしている事実からか。
こと後者において、少女は間違いなく巻き込んだ側、即ち加害者側である。下手な言い訳など出来たものではない。
「先に言っておくが、嘘や誤魔化しで乗り切れると思うなよ?」
どちらにせよ、未だ気を抜くには尚早だと理解した少女は、大量に噴き出る汗と共に渾身の作り笑いを浮かべて両手を頭の後ろに組む。
そして敵意が無いことと抵抗の意思が無いことを、真摯に伝えることにした。
「アー、アー。ハロー、ハロー? グーテンモーゲン、コマンタレヴー?」
「馬鹿にしてんのか」
どうやら顰蹙を買ったらしいと少女は即座に口を噤む。冷静になって思い返してみれば、最初に衝突した時から確かに言葉は通じていた。
外国人に日本語で話し掛けられたにも関わらず、どういう訳か英語での会話を試みてしまう心理から来たものであろうが、言ってる場合ではない。
表情に出さずとも、少女は(やっちまったか)と内心焦りに焦る。大百足を倒してくれたことに感謝こそしてはいるが、彼がその力を以って、己に危害を加えないとは限らないのだから。
「ハァー……、とりあえずお前は何もんだ? 名前は、出身は?」
しかしそんな少女の思いとは裏腹に、少年は気怠げに頭を掻きながらそう問い掛ける。
その眼差しは幾分かの呆れの感情を覗かせつつ、けれど今は何を優先すべきかを冷静に見定めているようだった。
「それを聞いてどうす……ハッ! ――人に名を尋ねるのなら、まずは自分から名乗るのが礼儀じゃろう?」
「……」
だからこそ、そこに交渉の余地を見込んだらしい少女は若干強気に答えてみせた。……嘘である。本当はその台詞を言ってみたかっただけだろう。
加えて今の状況でその発言は悪手だったらしく、少年は米噛みに青筋を浮べながら無言で少女ににじり寄った。
「すまんすまんすまん! 調子に乗り過ぎ
「いい加減にしとけよ? な?」
冷静とは言ったものの、決して怒りを忘れている訳ではない。
眉間に皺を寄せて少女の両頬を引っ張る少年は、低い声でそう警告するのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「ワ
真っ赤に滲んだ両頬を涙目になりながら手で押さえ、少女――キツネは自身の名と出自、またそれに連なる出来事を淡々と語り始める。
もっとも真に全てを語ろうものなら、日が暮れる程度では到底収まりが尽かないだろう。それを危惧し、彼女が実際に語ったのはこの地に来る直前までの出来事(※プロローグ参照)であるが。
「こう、身体の感覚が徐々に無くなっていっての。とうとうワシも消えるのじゃなぁと思っていたら、あら不思議――」
しかしながら、彼女が語った内容はあまりに荒唐無稽。真実を謳って口から出た言葉とは、とても思えるものではない。
当然だ。見た目十歳に届くか否かという少女がいきなり「ワシは齢五百を越える」などと言い出し、更には信仰によって人の形を得た等と語り、挙句自らを神の現し身と宣ってみせたのだから。
だというのに、
「――つまり、ワシは気が付いたらこの地におったという訳じゃ。あともっぺん言うけどワシ、神の現し身的な? 崇めてもよいぞ」
説明の度に大きく振るう一挙手一投足、そして事実その場に居たかのような臨場感で語る言葉には、虚言だと切って捨てるには憚られる真実味があった。
「ニッポン、ねぇ。この辺じゃあ聞かない地名だな」
「ほう、神云々の下りは丸々スルーときたか。しかし」
その語り口に感化されたのだろうか。一部を除いて半信半疑のまま、しかし強く否定することもせず、少年は一言呟くと考えるように黙り込む。
対するキツネは少年の反応から、やはり此処は己が知る世界ではないのだという確信を得ていた。
「薄々察してはおったが、やはりか。此処が日本国内の未開の地で、主がそこの原住民というのであればいざ知らず、言葉が通じておるのに日本を知らぬなど有り得まい。であれば、やはり此処は異世界ということになるな。ご都合翻訳万歳! っつー訳でワシ、異世界人。よろしくネ」
「なに言ってんだコイツ」
『さぁ?』
一人納得している当人を他所に、少年は黒腕に問いかけつつ未だ疑い深くキツネを睨む。当然だ、いきなり目の前で「自分、異世界人です」等と宣われ、「なるほど、そうなんだ!」と信じることが出来るだろうか。答えは勿論、否。
少なくとも真っ当な生き方をしている者であれば、それこそ真に受けるなど有り得ない。まず間違いなく頭のおかしな奴、或いは大法螺吹きか何かだと疑いの目を向けるだろう。そもそも、言葉が通じる=異世界という捉え方自体がおかしな話だ。
やはり所詮は戯言に過ぎず、即興で語ったにしては多少引き込まれる程度のものでしかない。
そう、少なくとも“真っ当な生き方をしている者”ならば、そう答えたのだろう。
「まあ事の真偽はともかく、知り合いに似た境遇の奴が居ないでもないしな。加えてお前が“召喚者”を自称するなら、どちらにせよやることがあるし、なによりここ三日はギリギリだが都合もいい」
「!」
そんな予想外の反応に、キツネの耳がピクリと動いた。
『大方、話はついたってコトでいいか? なら、俺はさっさと引き篭もらせて貰うが』
「ああ。お前に感謝するってのはなんか癪だけど、助かった」
『ハッ』
キツネの言葉を全て信じた訳ではないのだろう。果たしてそれが嘘か真か、少年は先程より幾分態度を軟化させはするものの、だからと言って鵜呑みにする訳ではないと暗に告げる。
しかし何かしら思い当たる節があるのも事実だったようで、少年は黒腕を仕舞い込むと
一方、
「マジか、アフターケア万全じゃな異世界。……いや、雑なところだらけじゃったわ。聞いておるかー、ワシを呼び出した神だか女神だか。もし居るのなら、次はもっとマシなチュートリアルを用意せーい!」
少年の言葉を聞いていたキツネも、どうやら一応の目的が出来たらしいと密かに安堵する。もっとも、再び彼が己を置いて行こうものなら、今度は腰ではなく首に、爪を立ててしがみ付いてやろうと企てていたのだが。
ともあれ、キツネは緊張の線がようやく解けた開放感から、身を放り出すようにその場で仰向けに寝転がる。視界の端では、行く先の目処を立てた少年が呆れ半分でその様子を眺めていた。
その時ふと、キツネは疑問を抱く。
「ところで、さっき主が呟いた“召喚者”とはなんじゃ? いや、大凡の見当は付くんじゃが、念のため」
「ある日突然“エリクス”に召喚された、異世界人の総称だ。やってきた手順は俺の知る限り、『転寝してたらいつの間にか』とか、『トラックに轢かれそうになった子供を庇ったら』とか、そんな感じ。トラックが何かは知らないけど」
急な問い掛けにも淀みなく答えてみせる少年に感心しながら、キツネは続けて沸いた疑問に首を傾げる。
「ふむ、所謂異世界召喚という奴か。では、今主が言ったエリクスとはなんじゃ? 会話の流れから察するに、この世界の呼び名という事でよいのか? 地球みたいな」
「まぁ、概ねそんなところかな。因みに現在地は、ディーア大陸アウニグラル王国領中央南部に位置する丘陵地帯。通称町渡りの――」
「待て待て待て、この世界における基本的な知識すら持たぬというのに、そんないっぺんに言われても覚え切れんわ。それより、ワシは主が何者であるかを先に知っておきたい。いい加減、素性を明かしてもよいと思うんじゃが?」
逐一説明するのも面倒臭いと言わんばかりにまとめて語ろうとする少年に対し、キツネは急いで待ったを掛ける。
それは彼女が言う通り、何が分からないかも分からない状況で説明を受けても、理解はおろか内容すら頭に入ってこないだろうことは明白だったからだ。
加えて理由はもう一つ。少女にとって目の前の少年は、この世界以上に量り難い存在だったのだ。
だが、
「その前に、あの大百足について色々話して貰うぞ。俺の素性はその後だ」
ここから先は別料金だとでも言うように、少年は即座にキツネの言葉を遮る。
そんな態度に少女は驚愕の表情で上体を起こすと、納得いかぬと分かりやすく憤慨してみせた。
「おぬっ、童女の名や出自を聞き出しておきながら自分は名乗らんと言うのか!? これが異世界人の手口……汚い、流石異世界汚い。やーいやーい、衛生面中世!」
「童女ってお前、自分で齢五百を超えるとか言ってなかったか? あと中世が何かは知らないけど、エリクス、その中でもディーアはサフィーアに並んで衛生面万全だこの野郎」
「不覚、肉体年齢で答えるべきじゃったか……。というかまーた知らん単語が出てきおったな、別段気にするものでもないのじゃろうが」
「どうでもいい、さっさと話してくれ」
キツネの抱える疑問を置いてけぼりにして、少年は雑に発言を促す。
そんな態度にキツネは再び不満気な表情を浮べながらも、直後には首を傾げて更なる疑問を口にした。
「言うて、あの大百足についての知識なぞ、ワシも高が知れておるぞ? というか主の方が詳しいじゃろ、現地人じゃし」
「いや、俺が知りたいのはそういうことじゃなくて」
キツネの疑問にヒラヒラと手を振り、少年は言葉を続ける。
「いつ、何処で、どうやって襲われるに至ったか、その辺を詳しく知りたいんだ」
「……。ああ成る程、そういうことか」
思いの外真剣な口調で問い詰める少年に、キツネは一瞬驚いたような顔を浮べつつ、しかしすぐに合点いったと掌を合わせる。
確かに、この世界の生物や生態系についてなど、端的に言えば自称部外者である彼女が知る筈も無い。しかし出会った
何故ならキツネは、自らが実際に目にし、体験したあるがままを語ればいいだけなのだから。
「ならば参考になるかは分からんが、口を開かせてもらおうかの」
そして特に重くも無い口を開き、キツネは事の顛末を語り始めるのだった。
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