第一章 神治魔法世界エリクス
1-1『貧乏少年の道すがら』
「――この辺でいいよ、おっちゃん。この先は歩いて向かうから」
「本当にいいのか? こっちは危ねぇ所を助けて貰ったんだ。ちぃっとくらいなら、あんちゃんの為に遠回りしても構わねぇんだぜ?」
「だーいじょぶだって。それにおっちゃんにも都合があるんだろ? 気にすんなって」
ここは、辺り一面に緩やかな凹凸が波打ち、見る場所全てを緑に染め上げる丘陵地帯。通称『町渡りの丘』。神治魔法世界エリクスの東方、ディーア大陸アウニグラル王国領中央南部に位置する広大な広原だ。
まだまだ陽が高い晴天の下に穏やかな風が吹き抜ける昼下がり、茶色い髭を蓄えた推定四十代ほどの男と、幌付き馬車の荷台で荷物を整える十代半ばほどの少年が言葉を交わしていた。
「でもよぉ――」
そう言い渋る男の身なりは華美なもので、両手十本の指には宝石の付いたリングをこれでもかと嵌め、首には見ているだけで肩が凝りそうな飾りをジャラジャラと何重にも垂らし、おまけに服は高級な生地で拵えられている。
また馬車の荷台には、奇妙な形のオブジェや斑模様の壷といった珍しい品々が所狭しと並べられていることから、男が今まさに商いに向かう途中の行商人であることが窺えた。
「気持ちだけ受け取っておくよ。それに元々歩き旅だったんだ、むしろ此処まで乗せてもらっただけでも俺からすれば十分有難いってもんさ」
対する少年はというと、年期を感じる肌着の上に泥や虫食いで薄汚れた外套を羽織っただけのひどく質素な出で立ちであり、所持品は「全財産」と書かれた底が深い円筒型の巾着袋だけという、お世辞にも裕福とは呼べないものだった。
しかしながらその顔立ちには目を見張るものがあり、鋭くも凛々しいダークブラウンの瞳と、すっと通った鼻筋、そして深みのある濃い黒髪が、少年から不思議な魅力を醸し出していた。
もっとも身なりは勿論のこと、適当に掻き上げたようにしか見えない雑な
とはいえ金の匂いがしないのであれば、商人からすれば関わり合うだけ時間の無駄と断じて然るべき相手である。
けれど男はそんな常識から外れ、貴重な時間の浪費を惜しむことなく少年に声を掛け続けていた。
「そうはいかねぇ、俺も商人の端くれだ。受けた恩も返せねぇなんざ、面目丸潰れもいいとこだ」
「んなこと言われてもなぁ……」
道の外れに停められた馬車に、どこから見ても貧乏人の佇まいをした少年と、そんな少年に腰を低くする豪奢な男。もしこの場に事情を知らない第三者が居合わせたなら、その奇妙さに首を傾げただろう。
しかし男は体裁も外聞も気にした様子は無く、尚も一人の人として少年に礼を尽くす。
その理由は如何なものか。やがて当時の出来事を思い出すように、つらつらとその顛末が語られた。
「あんちゃん、俺ァ商人の癖して賊に襲われた挙句、肝心の護衛にも逃げられちまったんですぜ? そこを偶然通りがかったあんちゃんが助けてくれて、そりゃあ千切っては投げ千切っては投げの大立ち回り! おまけに途中まで同じ道を行くってんで護衛もしてもらった。だってのに、その対価が道半ばまでの同乗だけってのは、安く仕入れて高く売ることを信条にしている俺みたいな商人でも憚られるってもんだ。それにだな――」
男は鼻息荒く少年に顔を近づけ、己が窮地から救われた時の心境をこれでもかと語る。それはもう本当に、熱く、暑苦しく。
どうやら夢中で語る男には少年の引き気味な表情すらも見えていないらしく、また恩人の顔に唾が跳ねていることにも気付いていなかった。
「な、なあ、おっちゃん? 気持ちは嬉しいが少し落ち着こう? あと、その舐めるような視線はよくない。なんだか背筋がゾワゾワする」
男が一つ語るごとに、元々激しい弁は更に燃え上がり、その度に炭を燃やし続ける列車の如く勢いは増していく。
それにつれ、最初は困惑しつつも相槌を返していた少年だったのだが、言い知れぬ悪寒が背筋を駆け抜けたことで待ったをかけた。
しかしブレーキの壊れた列車はやがてその視線に熱を篭め始め、どこかうっとりとした流し目で少年を見ると、言い放つ。
「――つまりはな? 俺とあんちゃんの出会いは運命的なものなんじゃないかって思うんだ。だから次の町で、共に一晩しっぽり語ら」
「わかった、わーったよ! だったら借しってことで、次に会った時は割安で適当なもんでも売ってくれ。それでいいだろ?」
その言葉に命以外の身の危険を感じた少年は、脱線を始めた話のレールを修正するように声を上げるのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「――じゃあ改めて。ありがとな、おっちゃん」
「あんちゃんも、道中気をつけてな。いくら近くに寄ったとはいえ、歩きだとトーポリまでまだ半日はかかるんだ。賊なんかは勿論、魔獣の類にも注意してくれ」
長く熱い問答の末、少年はどうにか男を納得させることに成功し、ぐったりとした笑顔と共に改めて感謝と別れの言葉を口にする。
対する男は未だ名残惜しそうに少年を見つめながら、やはり心配そうに様子を窺っていた。
「……やっぱり、もう少しだけ乗って行かないか? 」
そう男が心配し、半ば引き止めるような形で声を掛けるのも無理はない。当然だ、見た目十四~五歳程の少年が、肩に担いだ巾着袋たった一つで旅を続けると言うのだから。それに加えて一人旅、それも歩きとなれば、その危険性は語るまでも無い。人を襲う獣や盗賊からすれば、そんなもの格好の獲物でしかないからだ。
故に男は余計なお世話だと自覚しつつもその不安を見過ごせず、口では気前の良い返事をしてみせたものの、やはり恩人であることも含め快く送り出す程の決心もついていなかった。
けれど、
「魔物が住まう嵐の海を、三ヶ月かけて越えたこともあったんだ。地に足付けて半日歩くくらい、なんてことねぇさ」
少年は、心配無用と言わんばかりにヒラヒラと手を振ってみせる。その顔には余裕を感じさせる涼しげな笑みを浮かべており、安全に目的地へ着くための確かな企みを匂わせていた。
「ほぅ……」
しかし当然のこと、そんな言葉を鵜呑みにするほど男も世間知らずではない。せいぜい言葉の綾、もしくはなにかしらの比喩、または意気込みの表明や鼓舞の類だと思っていた。
普通なら、若さ故の無謀と一蹴して然るべきところだ。
だが、
「……ったく、そうかい。長々引き止めて悪かったな、あんちゃん。――良い旅を」
自信に溢れた今の少年の面構えを見てしまえば、これ以上赤の他人が食い下がるのもまた、無粋と思えたのだろう。男は観念したように少年に背を向けると、馬車の御者席にどっかりと腰を下ろす。
そして暇を持て余すように足元の草を食んでいた馬の手綱を叩くと、馬車は嘶きと共にガラガラと音を立てて動き出した。
「あんがとなー、おっちゃーん!」
「おーう!」
徐々に離れていく後姿を見送りながら、少年は改めて大きく手を振り最後の別れを告げる。すると男もそれに応えるように振り返り、大声で返事をすると共に笑顔で親指を立ててみせた。
しかしそんなやり取りも束の間、やがて馬車は丘の上に到着するとそのまま遠ざかって行く。
そしてその姿が視界から消えるまでを見届けたところで、少年はようやく腕を下ろしたのだった。
「――……さてと、俺もぼちぼち向かうとするか。てかあのおっちゃん、見た目が成金趣味全開な癖して、思いの外気のいい人だったな」
ふぅ、と溜め込んだ息を吐き出し腰に手を当てた少年は、座り通しで固くなっていた体を解すように上体を反らしつつ、ぽつりとそんなことを呟き歩き出す。
その内容は、先ほど別れたばかりの男について。一人になった今だからこそ言える、当たり障りの無い独り言だった。
「正直最初は、噂に聞く人身売買関係の闇商人だと思って近付いたけど、残念ハズレ。真実は賊を前に護衛に逃げられた不幸な商人でした、っと」
『そうでもないぜ? 結果途中までとはいえお前に護衛されたってんなら、あのおっちゃん的にはむしろ幸運な方だっただろうさ。特に、安全面や金銭面なんかでな』
だが、そんな独り言に反応する者が居た。
「流石に、一部始終を見ておいて放置ってのも後味悪いしな。それにタダ働きは大嫌いだけども、ありゃ言ってられる状況じゃなかったし」
周囲はおろか、仮に周辺一帯を空から俯瞰して見渡したとしても、先程別れた商人を除いて人影は見当たらないだろう。だというのに、得体の知れない嗄れた声はまるで少年のすぐ近くに居るかのように反応し、また少年も驚く素振りを見せることなく平然と会話を続けていた。
そんな少年に、声は唆すように甘言を囁く。
『そう言って一デナにもならない厄介事にどれだけ首を突っ込んできたことか、そんなだから金が貯まらねぇんだよ。どうせならそれを出汁に、金品の一つでもせびりゃあよかったのに』
「バーカ、実は賊と繋がってるんじゃないかって疑われた何時ぞやの日を忘れたのか。言っておくが、俺はあん時のこと未だに根に持ってるからな」
『おっと、墓穴掘ったか』
しかし少年は声の提案を真っ向から切り捨てる。理由は単純で、かつて声の言う通りに行い苦い経験を味わったことがあったからだ。
どこか恨みの込もった少年の言葉に、しかし声は反省の色も無く飄々としてみせる。対する少年もその態度に諦めたような溜息を零しつつ、どうせこれ以上は言っても無駄だと会話を切り上げた。
『んなことよりトーポリまで持つかぁ、体力。見栄張んのは勝手だが、大海路横断の時ほど体力がある訳でもねぇだろ? 身体動かすのは健康にいいが、無理して壊しちまったら本末転倒だぜ?』
「あん?」
だが声はまだ話し足りないようで、多少乱暴な物言いではあるものの、まるで年寄りを労わるように語り掛ける。
しかしその心遣いは不要だったらしく、また年寄り扱いに不服な様子の少年は「わかってないな」とでも言いたげに掌を両肩の位置まで持ち上げつつ、やれやれと首を横に振ってみせた。
「活力溢れる育ち盛り、“肉体年齢”十五歳を舐めちゃいけねえ、まだまだ伸び代の塊だっての。――それに、早々に目的を達成してもつまんねぇだろ?」
『そう言い続けておよそ十年、準備期間含めりゃ百年弱。目的こと“理想のアトリエ探し”の進歩の程は?』
「……さーて、元気よく行こうじゃないか!」
意気軒昂と言えば聞こえは良いが、その実まったく計画性を感じない少年の言動に、今度は声が呆れたように溜息を零す。
そんな反応を無視して、少年は構うことなくズンズンと歩を進めた。それは語る体力を歩く力に充てる為か、はたまた返す言葉に詰ったからか。十中八九、後者だろう。
こうなったら最後、少年が暫くの間一切口を開かないことを声は知っている。故に声もまた、一方的に話すのも虚しいだけと見えない口を閉ざそうとして、
『なぁ、ありゃあなんだ?』
商人の馬車が去った方角とは反対側の丘から微かに見える、遠く扇状に土煙を上げて迫る謎の物体に思わず疑問の声を上げた。
「……あれは」
どうやら少年も数瞬遅れて気付いたらしく、足を止めると目を細めて前方を凝視する。
しかし距離が相当に離れていることもあり、望遠機能を持たない人の目には、それがどういったものなのか詳しく映らない。
それでも、
「あの特徴的な耳と尾は……、どうやら獣人っぽいな。前傾姿勢、というより四足歩行で全力疾走中のよう――あれ?」
何かしら気付いたことはあったようで、少年は遠目からでも分かる特徴を即座に挙げ連ねる。
だが直後、少年は微かな違和感から表情を懐疑に歪めた。
『どうした。晩飯の献立でも思いついたか?』
「ちがわい。いや、よく見れば浮いてねぇかなって、アレ」
少年が指差すのは、未だ勢いよく迫る土煙。しかし先程までソレは遠く彼方にあったというのに、気付けばグングンと少年との距離を縮めその全容を露にしていた。
それに対し、その光景をどこから見ているのか、またどうやって見ているのか定かではない声も、土煙の大元を確かに捉える。
『お、よーしよしよし俺にも見えた。ありゃ浮遊系の魔導師か? 獣人の身体能力に飛行魔法まで付いちゃあ、龍に鉄鎧もいいとこだな。お前でも手を焼くんじゃねぇか?』
「お前の相手をするよりは楽だろうさ。精神面なんか特にな」
そんな軽口を飛ばし合いつつ、少年と声は互いが確認した情報に間違いはないかと短く意見を交わす。
即ちその内容とは、目の前で土煙を上げて迫る者の正体について。
見慣れぬ赤と白の装束を纏い、それに負けない真っ白な髪を持つ、獣の耳と尾を生やした宙翔る少女についてだ。
「それじゃ、意見と認識が一致したところで――」
たった二つの確認事項、しかし現在知りうる最大の情報量。その確認が取れた少年は、短く息を吐いて足を肩幅まで開き、迫り来る少女と土煙に備えて腰を落とす。
大事なのはタイミングだと、強く己に言い聞かせながら。
刹那――。
「ここで華麗に避けドブフォ!?」
少年の鳩尾に、少女の強烈な頭突きが炸裂した。
少年の体捌きは、決して悪いものではなかった。
衝突の寸前、左足を軸に右足で強く地面を蹴り、宛ら弧を描くようなターンで少女直撃コースからその身を華麗に翻してみせたのだから。
ただ一つ誤算があるとするならば、
「びゃあああああああああああ!!!」
『あの速さからまさかの直角旋回ときたか、やるなぁ嬢ちゃん!』
少女の動きが、慣性すら凌駕すると想定出来なかったことだろう。
泣きじゃくりながら少年の鳩尾へ頭突きを決めた少女に向かい、声は感心するようにそう言ってのけるのだった。
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