お稲荷様と魔法使いのアトリエ
佐藤 景虎
プロローグ 誰も知らない神話の終わり -And for the next story -
「まったく、人とはなんと身勝手な生き物か。苦境に立たば神を求め縋り、逆に災を鎮められねば元凶扱いすらしてみせたというのに。時代が移ろえば全てを忘れた挙句、無責任にも放ったらかしとは」
町を一面見渡せる崖の上、緑が鮮やかに生い茂る小山の中腹。木漏れ日の下、欠けた小皿だけが供えられすっかり苔むしたボロボロの木の祠を前に、狐のような耳と尾を生やした巫女服の女が独り言ちる。
女の長髪は絹の衣が如く、この地上において比較に能う物が存在しないであろう程に純白可憐。長い睫の奥に潜む伏目がちな山吹色の瞳は、宛ら宝石のよう。
その声は、聞いた者を瞬時に情欲の渦へと流し込むかの如く妖艶であり、微笑みの裏に魅せるどこか憂いを帯びた横顔は、溜息一つで世男の心を容易く射止めるに足る魔性を孕んでいた。
「……とうとう、あの娘も逝ってしもうたか。人の一生とはなんとも儚く、その上ひどく呆気ないものよ」
だが、此処に女の美しさを評する者は居らず、またその憂いを取り払う者も居ない。あるのは慰めるように吹き抜ける暖く穏やかな風と、木々の間に羽を休める鳥達の囀りのみ。
人っ子一人居らぬ只中に立つその女は、けれどどこか満たされたような表情を浮かべていた。
「であれば、次は支えを喪ったワシの番か。――尤も、平穏の内に逝けるのであれば、ワシも満足じゃがの。忘れ去られる者の最期にしては、上出来じゃろうて」
ポツリと、そんなことを呟く。その独白に込められた想いは一体どれ程のものか、それを推し量れる者はいない。
しかし、崩れるように透けていく自身の指先を眺めるその表情は、決して悲観的なものでもなかった。
「ただ毛の色が白いだけの、ごく普通の狐じゃったというのにな。それを
言葉とは裏腹に、女はころころと鈴の鳴るような声で笑う。そこに一切の悪感情は無く、例えるなら、付き合いの長い友人と交わす軽口のような親しみを滲ませていた。
やがて女は一頻り笑声を上げた後祠から離れると、木々が開けた崖の上から町を見下ろす。
「変わらんな。嗚呼、変わらん」
そこに広がっていたのは、人々が織り成す何の変哲も無いありふれた日常。
学校で勉学に勤しむ少年少女達。公園で遊ぶ幼子と、それを優しく見守る母親。午後に向けて気合を入れる休憩中のサラリーマンや、数人で集まり団欒する老人達。
なんてことない、どこにでもある平和で平凡で、退屈な人の営みだ。
――けれど、美しく代え難い光景が、見渡す限りに広がっていた。
「ワシという存在がこの世に与えた影響なぞ、広大な砂漠にある砂の一つまみ分にすら過ぎぬもの。故にこの消滅もまた、なんの影響も及ぼすまいて」
自嘲気味に、それでいてどこか気高く語り、女は一面広がる景色を双眸に焼き付ける。
もはや腕や足はその形を成しておらず、残る感覚も、感慨も、感動も、得られるのは感性からのみ。
ならばきっと、これが最後の
人に忘れ去られた物の怪は脆く、単独では長くその姿を保つことはできない。なぜならそれらは正負を問わず、人の想いや願い、信仰によって産まれた存在に過ぎないのだから。
こと、宇宙創世の頃より存在した“神”と呼ばれる上位体と異なり、概念が自我を得たソレらはひどく儚い。存在を定義付ける存在、つまりは崇める者、知る者が居なければ、我が身を保つことすら出来ぬ程に。
知らぬ概念とは、即ち存在しないも同じこと。であればそれは、“死”とどのような違いがあろうかと、かつて
「さて。ではそろそろ、ワシも逝くとしよう。――小物とは言え、神としての自我を抱いておよそ五百年以上。人の軌跡を眺め続けるという暇つぶしも、存外つまらないこともなかったぞ」
そう言い終えた直後、まるで真っ黒なペンキで塗りつぶすように、視界から光すらも失われる。同時に、先ほどまで吹き抜けていた暖かな風も気付けば感じられず、鳥の囀りは聞こえなくなっていた。やがて最後に残ったのは、その身が光の塵となって天へと散る浮遊感。
けれど女に嘆きはなく、代わりに最期の瞬間まで、人間への慈愛を抱き続けていた。
――でも、最後に未練を残したくなかったなぁ。
しかし女は終わりの間際、幼子のようにふと思い返す。成すことのできなかった、ささやかな未練を。
――今期イチオシのアニメ、最終話まで見たかったなぁ……。
直後、女の姿は勿論、気配すらもその場から忽然と消え去った。それは即ち、この世で女を知る者が誰一人として居なくなったことの証明であり、同時に世界から女の存在が完全に消滅したことを表していた。
残されたのは、今も変わらず吹き抜けて行くだけの暖かな風と、鳥達の囀りのみ――。
故に、誰も知らない神話は此処で、人知れず幕を閉じる。そして再び誰かが己を求める日まで、女は少し長めの眠りに就いた。
その眠りはきっと、もう二度と覚めることはないと知っていながら。
だが、
「……どこじゃ、此処」
暗い筈の視界に光が射し、瞼が日差しの熱を感じ取る。
そのことに違和感を覚え目を見開いた
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