第十章 辺境伯の孫娘

 アストライアはお茶を用意して机に座っているアリシアとリイの前に置く。アリシアは頭を下げ、リイは難しい表情をしていた。

 それを見ながらアストライアは壁際にフードを被って立っている軍師の隣に立つ。

「リイが貴族のこと知っていたのかしらぁ?」

「いや、知らん。と言うかあんな粗暴でガサツな女が帝国でも随一の名家の血を引いているとか信じられん」

 軍師の言葉に中身が入った状態でお茶が投げつけられる。アストライアは素早く退避し、軍師は熱々の中身を浴びて床を転がり始めた。

「フォォォォォォォォォ!」

「本人の前で悪口を言う気概は買うけど相手を選ぶことね」

「あっつぅい!」

 熱い熱いと喧しかったのでアストライアは魔腕で軍師を担ぐと外の水桶に投げ込みに行く。

「それで? 私がリ、リ、リンディア・フォン・メルカッツってどう言うこと?」

「え? あの……あのお二人は放っておいていいのですか?」

『ダメアストライア! 俺は人類だから! 肺呼吸だから水の中じゃ呼吸できない!』

『あらぁ、あなたならきっと今すぐ進化してできるようになるわよぉ』

『どうせ溺れるなら水じゃなくてアストライアのおっきいおっぱいの中が…あ!?』

『あなたのこれは潰した方が良さそうねぇ』

『らめぇぇぇぇ! それ潰されたら女の子になっちゃうぅぅぅぅぅ!』

「いつものことよ」

「……えぇ」

 リイがいつものことと言ったらアリシアにドン引きされた。これはきっと軍師のせいだと思うので後で軍師を的にしてダーツで遊ぶことを決めるリイ。きっとアストライアも乗り気になるだろう。

 若干内股気味な軍師と潰せなくて舌打ちをしているアストライアが帰ってきたところでアリシアは口を開く。

「リイ様……リーディア様はヨアヒム・フォン・メルカッツ様の孫娘になられます」

「それがおかしいのよ。私の両親はカサの民よ? それがなんで怨敵であるメルカッツ家と血の繋がりができるの。証拠でもあるの?」

 その言葉にアリシアは一枚の肖像画を取り出す。

「こちらの肖像画がリーディア様のお母様であるイーリス様の肖像画になります」

「あら、ちょっと若いけど本当に母さんだわ」

 アリシアが取り出した肖像画を見て驚きの表情になるリイ。

「リイは母親から聞いたことないのか?」

 軍師の言葉にリイは少し考え込むが、何か思い出したのか手を叩いた。

「そういえば私が十歳くらいの時に『お母さん実は帝国の貴族出身なのよ』って言っていたわね」

「思いっきり答えじゃないか」

「その後に『お父さんが好みすぎたから追いかけて襲ってリイを作ったのよねぇ』ってカサの民としか思えない発言していたから嘘を言っているのだと思っていたわ」

「うわ……カサの民に馴染むの早すぎ……?」

「イーリス様……!」

 ドン引きしている軍師に嘆いているアリシア。そしてアストライアは笑っていた。

「と言うか家出同然に飛び出した娘をメルカッツ辺境伯は探さなかったの?」

 リイの言葉に難しい表情になるアリシア。それを見てリイは鼻で笑った。

「ふん、家を出て行った時には探さなかったくせに今更孫娘を探すとかどういう神経しているのかしらね」

「いえ、そう言うことではなく……」

 リイの言葉にどこか言いずらそうにするアリシア。そして覚悟を決めたのか口を開いた。

「私もメルカッツ家にお仕えする前のお話で、どこまで真実かわかりませんが……メルカッツ辺境伯は当然のようにすぐに捜索隊をお出しになられました。そしてカザル族にいることを突き止められ、お迎えにあがりました。しかしイーリス様が『はぁぁぁぁぁ!? 私にはもう最高の夫と最愛の娘がいるから帰る気ありませんけどぉぉぉぉぉ! お父様にはクソして寝ろって言っておいて』と言われて追い返されたと」

 アリシアの言葉に手で顔を覆うリイ。

「リイのお母さんは凄い人ねぇ」

「とても貴族の育ちとは思えないな」

 アストライアと軍師のツッコミに耳が痛いリイ。確かに滅茶苦茶なところがあってよくカザル族全体が振り回されていたがいい母親ではあったのだ。

 その言動がカサの民に馴染みすぎていてリイにはイーリスの『あ、私貴族なのよ』発言が戯言にしか聞こえなかったという問題が発生したが。

 とりあえずリイはアストライアが再び用意してくれたお茶を一気に飲んで真剣な表情になる。

「私がメルカッツ辺境伯の孫娘と言うところは納得しましょう。母さんの暴走で駆け落ちしたと言うことよね」

「いや、聞いている限り完全に押しかけ女房かましているぞ」

 とりあえず余計なことを言った軍師には椅子から飛び立って飛び蹴りを入れておく。

 綺麗に鳩尾に入ったために「ふごわぁぁぁ!」と呻いている軍師を無視してリイは席に着く。

「あの、リーディア様。あの方は……?」

「無視していいわよ。ただのバカだから」

「む、無学にバカと言われる屈辱……!」

 再び余計なことを言った軍師にジャンピングカカト落としを叩き込む。するとビクンビクンと痙攣を始めた。

「え〜と、それで何の話だったかしら?」

「え? 本当に無視されるのですか?」

「リイがメルカッツ辺境伯の孫娘と言うことがわかってどうするの? ってことじゃないかしらぁ」

「ああ、それね」

 本当になんでもないかのように話しを進めるリイとアストライアに、アリシアは後で軍師に優しくしようと心に決めた。

 アリシアは居住まいを正して真剣な表情でリイを見つめて口を開いた。

「今、メルカッツ辺境伯家は危機に陥っております。メルカッツ辺境伯ヨアヒム様がご病気で重篤になられ、それを好機とみた弟のシュターデン子爵ウィリアム様や周辺の貴族達がヴェスラの乗っ取りを企んでおります。ヴェスラは帝国の盾とも呼ばれる重要拠点。それを守護するのはメルカッツ辺境伯家以外ありえません」

 そしてアリシアは頭を下げた。

「リーディア様! どうかメルカッツ辺境伯家にお戻りになられ、ヴェスラとヴェスラに住む民をお守りください!」

「いやよ」

 リイの即答にアリシアの動きが止まった。

「だ、ダメなのですか……?」

「常識的に考えなさい」

「カサの民が常識語るとか何の冗談?」

 リイは失礼なことを言った軍師に対してアストライアに合図を出して折檻させる。

「待て待て待て! アストライアはこの短い時間に俺達に馴染みすぎじゃない!?」

「あなた達のノリがアトラティカに近いのが悪いわねぇ」

「アトラティカもバカばっかりかあちょっと待って……アァァァァァァ!」

 見るとドン引きするような折檻を加えているアストライアをアリシアは気にする余裕はない。リイの方が重要だからだ。

「な、何故ですか!?」

「答えならあのバカが言ったわね。私がカサの民だからよ」

 リイの言葉にアリシアは絶句する。

「し、しかし! リーディア様には紛れもなくメルカッツ辺境伯家の血が流れております!」

「そうなんでしょうね。それを疑う気はないわ」

「ならば!」

 アリシアの言葉を止めるようにリイは口を開く。

「私に帝国の血が流れていたとしても、私の魂はマンダリア大平原にある。その魂が叫ぶのは大地を駆けろと言う叫び。決して貴族になって人を統治しろと叫ぶことはないわ」

 それを聞いてアリシアは気づく。リイは帝国と言う器に留まろうとしないだろう。カサの民の魂は誰かに支配されることを嫌う。下手をすれば帝国に対して反乱を起こすだろう。

(だけど……その心の強さこそがメルカッツ辺境伯家当主に必要な資質……!)

 メルカッツ辺境伯家は確かに帝国随一の貴族だ。しかし、隣にいるのは嵐のように侵攻を繰り返すカサの民。そのためにメルカッツ辺境伯家当主に必要なのは絶対に諦めない心だ。

 メルカッツ辺境伯家の血とカサの民の魂。

 偶然に結びついた絆がメルカッツ辺境伯家にとって最高と言える資質を持った少女を生み出した。

 メルカッツ家に仕える騎士としてそれがわかるアリシアにここでリイを諦めるということはできない。

 だから行動した。リイに向かうように床に直接正座し、手のひらを床につけ、額が床につくまで伏せ、その状態のまま口を開いた。

「リーディア様! どうかメルカッツ家をお助けくださいませ!」

 そう土下座である。それも軍師がやるような汚らしい土下座ではない。騎士が礼儀として身につけている完璧な土下座だ。それに対する感想もまた決まっている。

「「「う、美しい……」」」

 そう美しいのだ。完璧な動作と完璧な角度、そして土下座をしているにも関わらず卑屈さを感じず、むしろ堂々とした雰囲気。

「こ、こいつはすげぇ。騎士の土下座なんてそう見られるもんじゃないぞ」

「この土下座を前にしたらどんな要件でも受け入れちゃいそうねぇ」

 アストイライアの言葉の通りであった。その見事な土下座に見惚れたリイはつい頷きそうになってしまった。慌てて首を振りつつリイは叫ぶ。

「土下座をしてもダメなものはダメよ!」

「そこをなんとか!」

「ク!?」

 アリシア渾身の土下座リベンジ! その美しさはもはや芸術と言っても過言ではない!

 芸術というものに一切興味がないカサの民にも通用する土下座! すごいぞ土下座!

「ふむ、なぁリイよ」

「なに?」

 アリシアに立つように言っているリイ(だがアリシアは認めてくれるまで土下座は解かないと言っている)に声をかけてくる軍師。

「メルカッツ辺境伯家の当主となれば地位と名声、そして富が手に入る。それでも拒否するのか?」

 軍師の言葉に不服そうな顔になるリイ。

「帝国の人間は金で買えるかもしれない。でもカサの民の魂は金で買えないわ」

 そこにあったのは明確な拒否。地位や名声、富と言ったことより自分の魂の方が大事だということだ。

 それに気づいた軍師は一瞬だけ呆気にとられるが、すぐに大笑いする。

「はははは! そうか! カサの民の魂は金で買えないか!」

「当然でしょ。カサの民が従うのは己の魂だけよ」

「くくく……はははははっ! 素晴らしい! 素晴らしいよ! ああ、俺が憧れた人は確かにいるのだ!」

 そして狂ったように喜ぶ軍師。それを見てリイとアストライアは小声で会話する。

「ついに壊れたかしら?」

「殴ったら治るかしらねぇ。こう斜めくらいからいいのを入れれば」

 リイはアストライアの意見を入れてアストライアに軍師を殴らせる。

 殴られた軍師は高笑いしながら壁に激突する。それでも笑い続けていた。

「「……えぇ」」

 流石にドン引きするリイとアストライア。この状況でも土下座を続けるアリシア。

 一言で言ってカオスであった。

「フゥ」

 そして一息つきながら軍師は立ち上がる。

「リイ、お前メルカッツ辺境伯家に戻れ」

「はぁ?」

 突然の言葉にリイは呆れた声を出す。

「何言っているのバカじゃないの?」

「言葉だけでいいよなぁ! 俺を殴る必要はないよなぁ!」

「あぁ、ごめんつい」

「あ、真面目に謝る必要がないと思っているな……!」

「戯言を言うからつい」

「ああ、いや。メルカッツ辺境伯家に戻れって言うのはマジ」

「は?(威圧)」

「お、俺は脅しには屈しないぞ……!」

「足が震えているわよぉ」

 とりあえずアストライアは全員を落ち着かせてから席に座らせる。そうは言っても座っているのはリイとアリシアで、軍師とアストライアは机の脇に立っている。

「それで? 軍師はなんでリイにメルカッツ辺境伯家に戻るように言ったの?」

「リイが俺の求めた人だったからだ」

「……はぁ?」

 リイは『何言っているんだこいつ。ついに頭がおかしくなったか』と言った表情で軍師を見る。

「俺は師匠に言われてイヴァリースの大陸を旅した。そこで見たのは人の醜さだ」

 そして軍師は吐き捨てるように語り始める。

「自分の利益のために他人を利用するのは当然。時に自分の家族さえも切り捨てるゴミをたくさん見た。俺が感じたのは絶望だ。人とはこんな醜い生き物なのか。俺はこんな醜い生き物のために師匠の下で学んだのか。そして俺は結論した」

 リイはそこで気づいた。軍師の瞳に狂気が宿っていることを。

「人類は滅びなければならない」

 その言葉にリイもアアストライアもアリシアも飲み込まれた。その狂気に飲み込まれたと言ってもいい。

「そして俺は最後の希望だと思ってマンダリア大平原に足を踏み入れた。そこに居たのがお前だ、リイ」

 軍師は言葉を続ける。

「最初は面白い人間もいると思っただけだった。心は純白のように澄んでいる。だが、決して曲げない心を持っている。子供以外でそんな人間を見るのは初めてだった。だがな、今気づいた」

 そして軍師は狂った笑みを浮かべながらリイを見る。

「リイ、お前がこの大陸を治めるべきなんだ。純粋でありながらハッキリとした自我を持つリイこそが」

 その雰囲気に飲み込まれたアリシアが息を飲むのが響く。それすらも気にせずに軍師は言葉を続ける。

「リイ、俺が大陸を奪わせてやる」

 軍師の言葉に嘘偽りは一切ない。リイが『イヴァリースを奪う』と言えばその才能を発揮してイヴァリースを戦乱に巻き込むだろう。

 だからリイの返答は決まっていた。

「お断りよ」

 明確な拒否であった。

「私は自由を愛するカサの民。大陸を統一するなんて御免よ」

「ふふふ、断るか」

「ええ、断るわ」

 断られたにも関わらず軍師は機嫌が良かった。それを不審に思ったのはアストライアであった。

「断られたのに機嫌がいいのねぇ」

「ああ、これで簡単に俺の口車に乗ったら興醒めしていたところだ」

「どこまで自分勝手なのよあなた……」

 リイの呆れた言葉に軍師は機嫌が良さそうに笑った。

「それでいいんだ。俺が憧れた人(リイ)はそうあるべきなんだよ」

「……それじゃあ私に大陸を奪わせることは諦めたってことでいいのね?」

「いや、それは諦めてない。いつか上手いこと乗せて奪わせる」

「こいつ……!」

 リイの言葉に軍師はニヤニヤと笑っている。拳をプルプルさせるリイ。呆れたように首を振るアストライア。上機嫌に狂っている軍師。

「え、え〜と。メルカッツ伯爵家については……?」

 椅子に正座という器用な事をしながらアリシアが手をあげて言ったことでようやく元の話題に戻る。

「私はメルカッツ伯爵家に戻る気はないわよ」

「いや、お前はメルカッツ伯爵家に戻った方がいい」

 リイと軍師はお互いに胸ぐらを掴みあう。アリシア的には軍師を応援したいところだが、先ほどからの力関係からそれも期待薄だとも思う。

「なんで私が貴族にならなきゃいけないのよ」

「お前が上に立つべき人だからだ」

「興味ないわ」

「興味あるなしじゃない。やるべきなんだよ」

「はいはい二人とも、ちょっと落ち着いてねぇ」

 ヒートアップしてきた二人に水をぶっかけて物理的に冷やすアストライア。

「お互いに言うことは平行線だから目線を変えましょおぉ」

 そう言ってアストライアは手を叩きながら二人を落ち着かせ、軍師の方へ向く。

「軍師、リイがメルカッツ辺境伯家を継ぐ利点は何かないのかしらぁ。継ぐべき、ではなくてリイが継ぎたくなるような話よぉ」

 その言葉に軍師は少し考え込む。そして真剣な表情で口を開いた。

「シュターデン子爵の嫡男は勇猛を持って知られる人物だ。カサの民的に戦ってみたいと思わないか?」

「いえ、確かにカールス・フォン・シュターデン様は勇猛を持って知られておりますが、戦ってみたいと言う理由で釣られるはずが……」

「そ、そうよバカにしないで! 確かにちょっと戦ってみたいしできることならアストライアとの戦いみたいに死力を尽くしたいと思っているけどその程度で釣られると思わないで!」

「すごい釣られている……!」

 戦慄するアリシア。しかしカサの民的に勇猛を持って知られる人物と戦うのは誉れであり、むしろ戦いたいくらいだ。

 そして悪い笑顔を浮かべながら軍師は言葉を続ける。

「さらに付け加えるならシュターデン子爵家には騎士モルトもいるはずだ」

「も、モルトって言うとカサの民相手に一歩も退いたことがないあの!?」

「そう、あのモルトだ。シュターデン子爵家の軍事面に不安を抱いたメルカッツ辺境伯がシュターデン子爵家の将兵を鍛えるために送り込んだ」

「むむむ」

「むむむ、じゃないでしょぉに」

 呆れたようにアストライアが突っ込むが二人は聞いちゃいない。

「で、でも帝国の貴族になるのは……」

「リイ、逆に考えるんだ」

「逆?」

「貴族の地位なんていつでも放り投げていいと考えるんだ」

「いえ、流石にそれはメルカッツ伯爵家が困るのですが……」

 アリシアの言葉を無視して天啓が降ってきたかのような表情になるリイ。

「どうだリイ。お前にとっても悪い話ではないと思うが?」

 軍師の言葉に頷きながら軍師の手をとるリイ。

「いえ、あの……」

「とりあえずメルカッツ伯爵家のために戦ってくれるらしいからいいんじゃないかしらぁ」

「いえ、我々には後継者も必要で……」

「とりあえずの落とし所よぉ」

 アストライアの言葉にアリシアは悲しそうに首を縦に振るのであった

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