「彼女」は葉桜が好きである。
当たり前のことだが、葉太と桜子は魔法学院で顔を合わせることになる。
その中で、葉太は徐々に彼女の容姿に慣れていった。毎回、恋人のことを考えるはめになっては気疲れする。何よりそれは桜子に対しても、恋人に対しても失礼だろうと考えていた。
休日明けの桜子は、学院生活を普通に送り続けた。クラスの中心にいて、率先して級長として責任を果たしてくれている。
元気で明るく、十五歳にしてはしっかりしている。桜子はそういう印象を持つ生徒だ。
だが、葉太の中から彼女の言葉が離れることはなかった上、桜子は授業の時には話してくれたが、それ以外の時に近づこうとすると彼からそれとなく離れた。
それどころかある時、公園で話したことは忘れて下さい、と言ってきた。友達の悩みは自分で解決すると。
果たしてそれは本当だろうか。彼女はいつもクラスの中心にいるが、頑張りすぎているという印象をやはり受ける。
どんな時でも明るくふるまいつつも、時々見せる疲れた表情が葉太を心配にさせる。疲れた様子の彼女に、クラスメイトが声をかけている場面を何度か見たが、桜子はそんな時もきまって何でもないと笑うのだった。
葉太は彼女の様子を眺めた結果、自分の考えに間違いはないと確信し、話す機会を待つことにした。
桜子は真面目な生徒だ。とすると、あの公園にきっと葉桜を見に来るだろう。
『私は確かに桜の花が好き。けど、葉桜も葉桜で好きなの。だって、花が散った後に力強い葉を芽吹かせるのよ? 赤い葉桜を見る度に、来年も桜は花を咲かせてくれる。そんな
桜子に言ったのは恋人の言葉だ。
あの公園には恋人とよく行っていた。数年たった今でも、葉太があの公園に桜を見に行くのは、彼女への想いをたちきれていないからだ。三十歳にもなって情けないことであるとは、彼も思っているのだが。
その公園で会った、彼女に似た桜子。
桜子のことが気になるのは、自分の生徒だから心配である。それだけの理由なのか、葉太には自信がない。
桜子は桜子で、彼女は彼女だ。切り放して考えろと、彼は何度も心の中で繰り返した。
そんな風にまどろこしく日々が過ぎて春も終わりに差しかかると、桜も散り、国のあちらこちらで赤い葉桜が見れるようになった。
国が流す放送魔法で葉桜が赤みを増している、と伝えられたある休日、葉太は公園に向かってみることにした。
いるかもしれないしいないかもしれない。どっちにしろ行かなければわからない。
公園全体を彩っていた水色の花の面影は全くなく、赤い葉桜が代わりに公園に色を与えていた。
真上からの日光が当たる葉桜は、いっそう燃えているかのように見えて、水色の花を咲かせる木と同じ木だとは思えない。風が吹けばカサカサと音をたてて、火の粉を散らすように葉が揺れる。
桜子の言う通り、儚いものにひかれるのか、葉桜を見に来る人はあまりいない。散歩している人が数人いるだけで、公園は帯びている色とは反対に静かだ。
葉太は『公園内、浮遊魔法禁止』と書かれた看板の横を通ったところで、足を止めた。
桜子は、いた。奇しくも、あの日と同じ赤いスカートを着ている。しなやかな細い指が、葉桜を囲うように動いて、その手の中に絵画を作り出す。
葉太はほんの少し迷ってから、近づいた。足音で桜子が振り返る。髪が動いて、赤い葉桜に茶色の軌跡が重なった。
「先生……。こんにちは」
「ああ、こんにちは。ちゃんと葉桜見に来たんだな。いたから驚いたよ」
努めて偶然を装いながら、葉太は言葉を返す。慎重にことを運ぼうと思っていた。触れてほしくないことなのだろうから。
「気になったから来てみました。見に来てよかったです、こんなにも綺麗だなんて」
彼女は、本物と絵画の葉桜を見比べる。葉太もそれとなく絵を覗きこむ。
「絵画魔法、上手だな。よくできてる」
「そうですか? でも、まだまだです。この間の重力魔法は難しくて、全然コツを掴めませんし」
「そうなの? 実習の時はできてると思ったけど」
「それは、そう見えただけです」
葉太は覚えている。
彼女が少し手こずっているようだったので、重力魔法の実習の時に手伝おうかと言っても彼女は断ったことを。その後自分でどうにか理解できたのか、他の人に頼まれてやり方を教えていた。
なのに、今になって上手くできないと言う。
どうやら、葉太が思っていた通りで間違いないらしい。
葉太は唇をしめらせると、話を切り出した。どう言うべきかは考えてある。
「そういえば、前にここで会った時」
「は、はい」
「友達の話をしたよね?」
「えと、それは」
桜子が身を固くしたのがわかる。逃げ出される前に、話を進めていく。
「あの後思い出したんだけど、実は先生にも、似た友達がいたんだ」
葉太の言葉が予期せぬものだったのか、桜子は目を丸くした。
「先生の、友達」
「そう。とても……素敵な人でどんな人にも優しくて。なのに、自分に対して自信が持てない人だった」
恋人を思いながら、葉太は言葉をつなげる。
「自分のことをいつも大きく見せようとして、常に明るく振る舞っていて、僕は危うい人だと思っていた」
「危うい?」
「だって、そうやって自分に嘘をついて無理をしていたら、その人に負担がかかる。いつかは失敗してしまうだろうし、その時のショックも大きいんじゃないかなって、心配だった」
「それで、先生はどうしたんですか?」
桜子は、すがるように視線を向けてくる。
「その人に言ったんだ。あなたはそのままで十分に素敵な人だから、そのままを見せればいいって。他の人がそのままのあなたが嫌だとしても、僕は好きだからって」
なんで生徒にこんなことを言っているのか。気恥ずかしくなってくるのを、葉太は必死でこらえる。
「今振り返ると、大それたことを言ったと思うけどね」
「その人はどうなったんですか」
「少しずつ、本当の自分を見せるようになっていったよ」
「周りの人の反応は?」
恐る恐る聞いているのだろう、桜子は手を握りしめている。表面上は落ち着いているが、その目は不安げに揺れていた。
「その人は、そのままでも十分に素敵な人だったから。周りにも受け入れられたし、徐々に友達も多くなっていったよ」
「そう、ですか」
桜子は小さく何度か頷いてから、不安げな声を絞り出す。
「でも、それは人によって結果が違うんじゃないですか? その人は素敵な人だったかもしれない。けど、私は」
そこまで言って、桜子ははっとしたように口に手を当てた。真剣な葉太の表情を見てから、困ったように顔をしかめる。
「君は、自分をどう思っているのかな?」
葉太が優しく問いかけると、
「よくわからないんです、自信がないから」
桜子は葉桜に目を向けた。
「前に言ったでしょう。昔、葉桜が好きだと言ったらおかしいって言われたって。子供の時の些細なことだと思いますけど、今でも私の中に残ってることなんです。本当の自分を出したらダメなのかなって」
「……」
「ねぇ先生。その人は今どうしてますか?」
それは何気ない問いだったのだと思うが、葉太の胸を鋭く突いた。本当のことを言っても暗い雰囲気になるだけだ。何気ない風を装って彼は答える。
「今は遠くにいってしまってね、会えないんだ。でもきっと、向こうでも元気にしてる。周りの人に好かれていると思う」
「そう、なんですね」
桜子は息をはあっと吐き出すと、手の中の葉桜の絵に目をやった。
「私、葉桜に憧れてたんです」
その唇が小さく動く。
「私は幼い頃から大人しくて、前に出るのが苦手で。だから、控えめに咲く花の後に芽吹く葉桜にひかれたんです。桜みたいに自分を変えたいって。だから、いつしか自分を演じるようになったんですよ」
桜子は、弱々しく笑った。
「でも、段々疲れてきました……。もしかしたら、本当は周りの人にもバレてるかもしれませんね、無理してるって。先生にはバレてますし」
「悪いけど、それは僕にはわからない。だから春川さん」
「……はい」
「どうするかは君次第だと思うんだ。僕はただ、君が無理しすぎることが心配なだけで」
葉太は桜子をじっと見つめた。
「僕は君の担任だから、何かあったら対処はする。その上で考えてみてくれないかな。本当の自分を出すのかどうか」
桜子は目をせわしなく左右に動かしてから、視線を地面に落とした。伏せられた瞳が睫毛で見えなくなる。そんな表情まで似ているが、違うところもある。
「そういえば、その人は桜の花が好きだったな。大人しく咲いてるのに、みんなの人気者だからって」
「じゃあ、葉桜は嫌いでしたか?」
「いや」
葉太は葉桜を見上げた。木は力強く赤色に染まっている。
「葉桜もその人は好きだった。『赤い葉桜を見る度に、来年も桜は花を咲かせてくれる。そんな
「それって……。先生の言葉、その人の受け売りだったんですね」
「そ、それは言わないでくれるかな。僕だって、本当にそう思ってるから」
葉太は図星をつかれると横に目をそらした。
桜子はそれを見て口元を緩めた。余裕が出てきたようだ。その表情のまま、ぽつりとつぶやく。
「先生があの時、葉桜が好きなことを否定しなかったから、私は先生に悩みを話せたんだと思います」
彼女は、葉太をしっかりと見つめた。
「良かったです。担任が先生で、あの日ここで会うことができて」
「それは……ありがとう」
「何かあったら、助けてくれますか?」
「できるかぎりは」
しっかり答えると、葉太は木の枝に向かって手を振った。
桜子の悩みはひとまず落ち着いたと言える。何かあったら支援もするつもりでいる。
それなのに、いつまでも彼女たちが似ていることをひきずるわけにはいかない。これで、そう思うのを最後にしようと彼は考えた。自分の気持ちにも区切りをつけるべきだと。
葉太の魔法によって、木の枝から六つの小さな葉がひらりと落ち、空中でより集まるとくっつきあって飾りのようになった。
葉飾りは空中を漂いながら、桜子の頭上までくると、彼女の目線の高さまでゆっくりと落ちてきた。
「これは?」
「即席のお守り。枯れたりとれたりしないように魔法をかけてる。好きな葉桜を見て、頑張って。要らなくなったら捨てていいから」
自分の気持ちに区切りをつけるためとはいえ、端からみたら意味がわからない行動だろう。心配になりながらも葉太は言葉をかけた。
桜子はお守りを受け止めるように、両手で椀の形を作った。葉太はそれに合わせて、お守りを手に落としてあげた。
「すごいっ。こんなこともできるんですね。いつか私も、こんな魔法が使えるようになりたい」
「簡単だよ、基礎的な魔法を応用するだけだから」
実際、以前作ったことのある水色の桜の飾りよりずっと簡単だ。あの時、恋人はその飾りをとても嬉しそうに受け取ってくれたことを思い返す。
「ありがとうございます、大事にしますね」
葉桜のお守りを嬉しげに見つめている桜子を見ながら、葉太は強く実感する。
彼女は桜花が、桜子は葉桜が好きで、二人は全く違う人物どうしだと。心の中で重なり合っていた像が、ようやく二つにわかれたのだった。
そんなことを、葉桜を見る度に葉太は思い出す。
あれから、桜子は頑張り過ぎなくなった。無理に前に出なくなった。
本当の彼女は、控えめだけれど気配りができる優しい生徒。だから彼女は結局、友達がいるままだった。葉太が手助けすることなどほとんどなかった。
彼が桜子の担任だったのは一年の時だけで、彼女のいるクラスの教科担当をすることはあったものの、彼女にできるだけ近づかないようにした。あれが彼の区切りだったから。
魔法学院を卒業した後は、植物について研究するために、上級学院で生命魔法学を専攻することに決めたと、教職員づてに葉太は聞いていた。
「相変わらず、赤いな」
公園で葉桜を見上げながら、葉太はつぶやいた。
あれから六年たった今でも、桜は変わらず水色の桜を咲かせて散らせ、赤色の葉を繁らせる。
水色の桜の花と赤色の桜の葉。それぞれが好きだと言った二人。これから先も、この公園にどちらの桜も見に来るのだろう。
葉桜を見ながら葉太は考える。今年の春で上級学院を卒業したはずだが、桜子は今頃どうしているだろうか。葉桜のお守りを、彼女はどうしたのだろうか。
お守りをあげてから、桜子はけっして持っている素振りを見せなかった。
「やっぱ、捨てたよな……」
葉太は苦笑すると、桜の木に背を向けた。そのまま歩き出したものの、すぐに足を止める。その目が、一点で止まると静かに見開かれた。
そこには彼女がいた。あの時と同じように、茶色の髪をたなびかせながらたたずんでいる。
彼女は後ろに隠していた腕を前に出すと、両手に載せた何かを彼に見せた。それを見て、葉太は更に驚く。
「お久しぶりです」
大人になった桜子はそう言って、何年たっても変わらない笑みを浮かべる。それに合わせるように両手の中の葉のお守りと葉桜が、風に吹かれてさわっと小さな音を立てた。
そのお守りも葉桜も、桜子の瞳も、日光を受けて赤色に輝いていた。
葉桜の君に 泡沫 希生 @uta-hope
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