こちらに顔を向けない先輩

 この高校の購買部と学生食堂は同じフロアに有る。

 パンやサンドイッチなどの個別包装されている食品は、購買部で直接購入出来るが、定食や麺類などの学食を利用する場合は、購買部の横にある券売機で食券を購入する必要が有る。


 生徒達にとって、昼休みというのは貴重な時間だ。

 普通の高校ならば、昼休み開始と共に大勢の生徒が詰めかけ、人気があるパンなどの争奪戦みたいなものが勃発するのだが、この高校では様子が違っていた。


 昼休みが始まっておおよそ三十分が経過するまでは、購買部と学食が並んでいるこのフロアには、生徒が誰もやって来ないのだ。いや……正確に言えば『三人の生徒』以外は誰も来ない。


 その三人の生徒が学食から出て行く時間帯を見計らって、数人の生徒がパンやサンドイッチ、或いは飲み物を買いに来る程度だ。

 学食を利用する生徒も、早食いに自信の有る者くらいしか利用しなかったのだが、そういった生徒もそのうち来なくなった。


 誰かがフロアへの入場規制をしている訳では無い。だが、ここ三年近くこういった状態に陥っているのだ。


 大抵の場合、教室で友達同士お喋りをするとしても、昼食直後は体を動かしたくないと思うものだ。動かすとしても少し時間をおいてからだろう。

 午後からの授業がいきなり体育だと、余程の軽い食事でもない限り、食べた直後に運動をすれば、胃の内容物をリバースしてしまう可能性だって充分に有る。


 この高校は進学校であるが故に、敢えて体力作りに力を入れていて、体育授業が週に四回は有るのだ。


 必然的にと言うか義務的にと言うか、限りある昼休みを有効に使いたい生徒達は、弁当を持参するのが当たり前になっていた。弁当持参が無理な生徒も、通学時にパン等を買ってくるので、購買部も学食も利用者はほぼ居なくなっていた。



「あと少しの辛抱よ……」

「そうね、あの悪魔のような生徒はもうすぐ卒業だからね」


 利用者が居なくなった学食の厨房の中。長年ここでパート勤務をしてきた女性二人はそういう会話をしていた。


 購買部のパンやサンドイッチ等も含め、委託で学食に入っている食品提供会社にとっては頭の痛いところだった。


 学校側からの委託を受け、補助金も出ている以上は、儲けが全く無くても学食を放棄する訳にはいかないのだ。


 食品提供会社からは『悪魔』

 生徒達からは『魔王』


 そう呼ばれている生徒……もうお分かりだろう。


 ――それは高校三年の時の南雲だ。


 三人の生徒というのは言わずもがな、南雲、菅原、加賀谷の事である。



 ◇ ◇




「南雲さん、今日は僕がお弁当を作ってくるって言いましたよね?」


 食券の券売機に五百円玉を入れようとしていた南雲に、加賀谷が声を掛けた。


「あ、そうだった」


 南雲は五百円玉を財布に戻した。


「弁当って、俺の分も有るよな、加賀谷?」


「菅原さん。前回のお弁当で、僕が作っただし巻き卵にケチを付けたくせに、作ってきて貰えるとでも?」


「いや、あれはホントごめん……」


 お坊ちゃまなだけに、菅原の舌は肥えている。ケチを付けた訳では無かったが、前回加賀谷が弁当を作ってきてくれた時に、「このだし巻き卵、甘みが強すぎるな」と、言ってしまったのだ。


 加賀谷は南雲の好みに合わせて作っただけだったが、流石に少しだけ癪に障っていたのだ。だが……。


「……そんなに謝らないで下さいよ菅原さん。今度は作ってきてあげますから」


 両手を合わせてまで謝まられては、加賀谷もそう言わざるを得なかった。


「じゃあ、俺はサンドイッチでも買ってから教室に戻るよ……あ、そうだ加賀谷、お詫びって訳じゃ無いけど、飲み物くらい俺におごらせてくれよ」


 菅原が南雲に顔を向ける。


「ついでだから南雲にも何か飲み物買うよ?」


「いや、僕はいいよ。今日はほら、コーヒー入れてきてるから」


 南雲はそう言って、片手に持っていた保温マグボトルを見せながら「先に戻ってるね」と付け加え、自分達の教室の有る校舎の方へと歩いて行った。


「ところで加賀谷は何飲む?」

「えーっと、じゃあ僕は苺牛乳で……あれ、今日は苺牛乳が無いですね」


「バナナオーレでもいいだろ加賀谷」

「う~ん……それはちょっと……」


「苺牛乳はオッケーでバナナオーレは駄目って……そもそも何が違うんだよ加賀谷。どっちも同じ乳飲料じゃないか」

「いいえ菅原さん、苺牛乳とバナナオーレでは全然違いますよ」


 何だか、苺牛乳とバナナオーレの違いについての論議が始まるのだった。



 ◇



 先に教室に戻った南雲は、自分の机の上に置かれた弁当箱に目を留める。


「加賀谷……用意してから学食に来たのか……」


 三学期に入り、自由登校になってから誰も来なくなった教室で、南雲は一人席に着くと、弁当箱を包んでいるハンカチを開いて蓋を開けた。


 ……おにぎり三個……?

 いや、加賀谷の事だ。何か凄い仕掛けが施してあるに違いない。


 そう思いつつ、その小さなおにぎりをつまみ上げると、ポイッと口に放り込んだ。


 ……ん~……アタリとハズレが有るのかな。アタリには大好物の、ミディアムレアな焼きたらこが入っているとか。


 そして、もう一つ口に放り込む。


 ……これもハズレか。じゃあ最後の一個には期待できるな。


 最後の一つを口にポイッ。モグモグモグ……


 え……全部ハズレ……それにしても、おかずは?

 ……あ、おかずは別に作ってきてるのかも知れないな……いやいや待てよ、弁当箱の空きスペースを有効活用しないなんて加賀谷らしくないな。前回の弁当には所狭しとおかずが詰め込んで有ったからな。


 意味分かんないよ加賀谷。それにしてもアイツら戻ってくるのが遅いな。


 南雲は空になった弁当箱をハンカチで包み終わると立ち上がり、加賀谷の席まで行くと、椅子に置いてある通学バッグに手を伸ばした。


 空の弁当箱を、加賀谷のバッグに戻しておいてあげようと思ったのだ。


 ところが、バッグを開けると、そこには弁当箱が二つ入っていた。


「あれ?」


『南雲さん』と書いた粘着メモが貼ってある方の弁当箱を取り出して、蓋を開けてみる。


 ――⁉


 所狭しと、おかずが詰め込んである弁当だ。しかも入っている三角おにぎりには、南雲の好きな『ゆかり』や『のりたま』が振りかけられている。


 これは加賀谷が作ってくれた弁当で間違いない……

 ――じゃあ、さっき食べた弁当は一体……


「……誰の弁当⁉」


 ――ガタッ……


 教室の後ろに置いてある、掃除用具のロッカーの中から音がした。


 ◇


 中に居たのは浅川結有だ。

 彼女は誰も居ない教室を見付けたので、ここで弁当を食べようとしていた。

 そこへ、足音が近づいてきたので、慌ててロッカーに隠れてしまったのだ。


 外の様子は見えないので、まさか弁当を食べられているとは思っていない。


 音を立ててしまったので、気付かれたのだろうと思った彼女は、勝手に教室に入った事を謝って、すぐに教室から出て行こうと決心した。


 ――ところが、恐る恐るロッカーの扉を開ける彼女の目に飛び込んできたのは、深々と頭を下げている南雲の姿だった。


 片手には、見覚えの有るハンカチで包まれた弁当箱。

 もう片方の手には、『南雲さん』と書かれた粘着メモが貼られた弁当箱。


 その両手を前に差し出しながら、顔も見えないほど深々と頭を下げている。


「すみません。お弁当は僕が間違って食べてしまいました。代わりと言ってはアレなんですが、良ければ僕の弁当を食べて下さい」


 あの弁当を見たどころか食べてしまったと言われ、恥ずかしさで胸が一杯になる浅川結有。


「え……あ……あのお弁当は……」


 南雲は顔を上げない。


「ダイエット中でしたら残して頂いて構いません。どうかこれで勘弁して下さい」


「い……いえ……」


 弁当箱をグイッと押しつけてくるので、思わず手に取ってしまった浅川結有。


「僕はすぐに教室を出ていくので安心して下さい。あなたが出て行ったと確認するまでは絶対に教室には入らないと誓います」


 南雲は顔を伏せたまま、加賀谷のバッグを肩に掛けて保温マグボトルを持つと教室を出て行った。



 そこへ丁度、廊下の向こうから歩いてくる菅原と加賀谷。


「君たち。購買部へ戻ろうか」


「何だよ南雲。今更飲み物が買いたいとか言わないだろうな?」


「いやいや菅原。このコーヒーをカフェオレにしようかと思ってさ。牛乳を買いに行くから、付き合って欲しいんだよ」


「やっぱ今更だったか……でもな、牛乳じゃなくても、俺がバナナオーレ買ってるから、それで割ればいいじゃないか」


「……いやそれ美味しくないだろ」


「ものは試しって言葉が……」


「菅原さん。馬鹿なこと言ってないで南雲さんに付き合ってあげましょうよ」


「……そうだな」


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