可愛いベーシスト

 今までの流れで分かるように加賀谷は赤面症だ。


 そのお陰で小中学校ではクラスメイト達に散々からかわれ、それが虐めにまで発展した。だからこそ顔が隠れる大きな眼鏡を掛ける様になった。


 ◇


 ギタリストの神田は過去に同性の恋人が居たが、神田にとって加賀谷は恋人の対象ではなく、弟みたいな感覚で可愛がりたいだけだった。


 午後五時の集合時間にやってきたのは、神田と各種スタッフの四人。

 同じ喫茶ルームの十人掛けの席に全員を移動させた月島は、早速中野佳音に連絡を入れた。


 すると彼女から、当日は菅原と加賀谷も呼んで欲しいという要望があったので、彼らが南雲の精神的な部分を支えてくれている事を実感している月島は快諾した。


 その事は、彼らと数日間過ごした経験がある中野佳音には分かっていた。

 もう二度と迷惑は掛けたくないし、彼らには改めてお礼も言いたい。そう思って要望したのだ。


 南雲のミュージックシーケンサーの音源データを、菅原が持ってきていたノートパソコンに移すと、自宅に居るらしい中野佳音のパソコンへデータ送信を行った。


 ◇


 分かってた人も居ると思うが、ここで少し説明をしておく。


 そのまま使っても差し障りないとも思える、完成度の高い南雲の音源をどうして使わないのかについて。


 骨董品とも言える南雲のミュージックシーケンサー。

 これは南雲が高校一年の時、自作ゲームのBGMを作る為にリサイクルショップで購入した物だが、小遣いを節約したかった彼は、リサイクルショップの動作保証が付いている中で、一番値段が安かった物を購入しただけだ。


 そもそもの音質が良くないので、ハイレゾも含めた『商用』としての音源には適していないのである。


 ◇


 月島は今後のスケジュールについて、喫茶ルームでミーティングを始めた。


 菅原と加賀谷は「自分達は邪魔になるので帰ります」と言ったが、月島は「君たちも関係者だから一緒にミーティングをしよう」と、彼らを引き留めた。

 

 そうは言われても場違いな気がする菅原と加賀谷。


 菅原が片手を上げる。

「じ、じゃあ俺、タイピングには自信ありますから議事録取ります」


 加賀谷が片手を上げる。

「ぼ、僕は皆さんの飲み物を用意します……」


「かがちゃん、俺も手伝うよ。えーっと皆さん何飲みます?」


 加賀谷の肩を抱いて立ち上がる神田を見て、ここのところ心配性になっている月島は、芝浦ひな乃に顔を向けた。


「ひな乃ちゃん頼む。彼らを手伝ってやってくれないか?」


 頼むとまで言われたら断れない。


「分かった。月島さんとナグさんはカフェラテでいいのよね?」


 しまった! というような顔をした月島を見た南雲が咄嗟に答える。


「ひな乃さん、アイスオレでお願いします。月島さんもアイスオレでいいですよね?」


 カフェラテなどと言えば、エスプレッソマシンのスチームでミルクを温めなければいけないが、アイスオレならボタンを押すだけで氷までオートで入れてくれる、インターネットカフェに有るような、各種ドリンクマシンが設置されている事は南雲も知っている。


 気遣いに於ける頭の回転が速い事を改めて実感する月島。


「そうだな。俺も丁度冷たい物が飲みたいと思っていたんだよ」


 すると、菅原も含めた残りのスタッフも、「同じ物でお願いします」と、口々に言った。


 ◇


 飲み物も運ばれ、全員が席に着いてからおおよそ二時間が経過した。

 その間に、学生である南雲達を考慮したスケジュールは大体決まった。


 後は中野佳音からの連絡を待つだけだ。彼女が今回の曲に、どういった楽器が必要かを判断し次第、月島に連絡を入れる事になっている。


 指定された楽器奏者を手配するにしても、このスケジュール通りに動ける奏者でなければならないので、楽器の指定を優先するよう中野佳音には伝えていた。



 暇を持て余した神田は、南雲のミュージックシーケンサーにイヤホンを繋ぎ、片方を自分の耳、そしてもう片方を隣に座っている加賀谷の耳に押し込んで、そのメロディーを聞き始めた。


 加賀谷は真っ赤になりながらも、間もなくその音に聞き入った……。


「……この、さり気なく入ってくるベースが良いですね……メインメロディーと抽象的で、とても素敵だと思います……」


 同じような事を言おうとしていた神田は加賀谷に顔を向けた。


「かがちゃんってベース経験者か……まあ、南雲さんの友達ってくらいだから別に不思議じゃないな……あ、もしかして南雲さんとバンド組んでるとか……」


「い、いえ……ぼ、僕はベースなんて弾いた事無いです……」

「え……じゃあ、俺が教えてあげようか? かがちゃんってベースの素質あるみたいだから、すぐに弾けるようになるよ」


 中野佳音から聞くまでも無く、ベースは必要不可欠だ。しかも神田が言っているのだから恐らく間違いは無いだろう。

 加賀谷がベースならスケジュール的にも都合が良い。だが月島は悩んだ。


 どう見ても……だ。

 顔真っ赤で少女みたいな加賀谷に肩を寄せ、微笑んでいる神田というこの構図は……


 うむむむ……と、額に手を当てる月島。


 ――ところが。


「教えて頂けるんですか神田さん。僕、前からベースやってみたいと思っていたんです!」


「よし。じゃあ俺の事は今後、お兄ちゃんと呼ぶべし」



 ――そして……

 後に一世を風靡する事になるバンドのベーシストが誕生する。


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