こんな仔猫でも、貴方は拾ってくれますか?

 ミャウパー・ミュージック本社ビルのインフォメーションスタッフから連絡を受け、ロビーの喫茶ルームまで降りてきた月島は、南雲の表情を見て芝浦ひな乃が何かをやらかしたのだと思った。


 勿論だが、一緒にやって来た菅原と加賀谷は、南雲の微妙な表情の変化には気付いていない。


 喫茶ルームは割と広く、観葉植物が載せられたプランターボックスで、四人掛け、六人掛け、八人掛け、或いはそれ以上といった感じに仕切られている。

 奥の方には完全に目隠しのパーティションで仕切られているスペースもある。


 エスプレッソマシンまで設置されているドリンクバーもあり、関係者なら無料で利用する事が出来るようだ。



「みんな、エスプレッソでいいかのかな?」


 エスプレッソマシンのホルダーに、挽きたてのコーヒーの粉を詰め終わった月島が、皆に声を掛けた。


 思った以上に優遇されている事を実感する菅原と加賀谷だったが、流石に情報通なオタクだけあって、南雲から聞く以前に、月島が有名な音楽プロデューサーである事は知っている。

 数々のアイドルを手掛けてきた偉大なる御方に気を遣わせるわけにはいかない。


「とんでもないです月島さん。自分達でやりますから」


 菅原が畏れ多い面持ちでそう言っている間に、加賀谷は四面ガラス張りの冷蔵ショーケースから、紙パックの牛乳とステンレス製のミルクピッチャーを取り出した。


 エスプレッソマシンの使い方を知っている様子の加賀谷は、ミルクピッチャーに牛乳を注ぎ終わると、スチームのバルブに手を掛ける。


「君、それではミルク入れすぎだよ。バランスの良いフォームドミルクが出来るスチーミングの場合は、もっとミルクを少なめに……」


 すると、加賀谷が眼鏡を外した。


「いいえ月島さん。ラテアートをする訳では無いですし、南雲さんはフォームドミルク少なめのサラッとしたカフェラテが好みなので、スチームの勢いで空気を取り込んでしまわないようにミルクを多めに入れているんです」


 加賀谷は、伊達に南雲好みのカレーを作っている訳では無かった。眼鏡を外してでも、何か譲れないものが有ったのだろう。


 月島はそんな加賀谷の頭をクシャクシャと撫でた。


「それは済まなかった。君のことはいつも南雲君から聞いているよ。それじゃあ俺にも同じ物を作ってくれないか?」


 無敵の筈の加賀谷は少しだけ頬を染めた。


「加賀谷君って、まるでお子様ね」


 南雲の好みを知っている加賀谷に対し、何だか変なヤキモチを焼く芝浦ひな乃。

 どう考えても彼女の方がお子様だが、加賀谷の脳裏にはドアップの彼女の顔が焼き付いている。


「ひ、ひ、ひなひなひなひな……」


 持っていたミルクピッチャーはガタガタと震え、顔はみるみる真っ赤になった。


「危ないっ、スチームで火傷してしまうぞ」


 月島はそう言って、加賀谷が開けていたスチームバルブを閉じると、ミルクピッチャーを支えた。


 芝浦ひな乃が、学食で加賀谷に顔を近付けたのは、外した眼鏡のレンズの厚みを見て、相当に目が悪いんだろうと判断したからだ。


「あんたそこまで目が悪いのに、何でわざわざ眼鏡を外すのよ?」


 ごもっともな意見だ。

 だが、ちょっと近い。芝浦ひな乃が自分より少しだけ背の高い加賀谷の顔を、間近で覗き込んでいるのだ。


 何も言えず、顔を真っ赤に染める加賀谷。そこへ菅原がフォローを入れる。


「蒸気で眼鏡が曇っちゃうから外したんじゃないかな……」


「コンタクトにすればいいんじゃないの? 折角可愛いんだから」


「――はぁっ⁉」と、目を丸くする加賀谷。


 可愛い生き物に「可愛い」と言われ、湯気でも噴き出しそうな勢いで耳の先まで真っ赤になった。


「それとさあ、菅原君」


 ほんの50センチ程の距離で、芝浦ひな乃に顔を向けられた菅原は焦った。


「な、な、なん……ですか、ひ、ひな乃……さん」


「あんたって特徴無いから、伊達でも眼鏡掛けた方がいいよ。スクエア型なら格好良くなると思うし」


「――なっ⁉」と、目を丸くする菅原。


 ――恰好良くなる……だ……と⁉


 菅原は抽出したばかりの、苦々しくも見えるエスプレッソに、加賀谷がスチームで温めかけていた生ぬるいミルクを注ぐとグビグビと飲み干した。


「めがね屋に行ってきます!」


 すると加賀谷は空になったミルクピッチャーをカウンターの上に置いた。


「眼科に行ってきます!」


「いってらっしゃーい」


 と、二人に手を振る芝浦ひな乃。


 月島が二人を呼び止める。


「ちょっと待ってくれ。一旦外に出ると入って来られないから」


 そう言って、すぐそこにあるインフォメーションカウンターの中に居るスタッフに声を掛けた。


「本日限り有効の通行パスを彼らに発行してやってくれないか?」


「分かりました月島プロデューサー。少々お待ちください」


 スタッフが早速、カウンターに置かれたモニターを見ながらキーボードを操作し始めると、月島は横に居る南雲に顔を向けた。


「南雲君。約束は五時なんだから、彼らと一緒に行ってきたらどうだい?」


 すると、芝浦ひな乃が身を乗り出してくる。


「えーーっ、折角早く連れてきたのにーっ」プゥゥ!


「ひな乃ちゃん。彼らの都合を無視して連れて来るのは良くない事だ」


 月島は、どことなく落ち着きのない南雲を見て、少しの間でも芝浦ひな乃から離す必要が有ると考えたのだ。


「大丈夫ですよ月島さん。僕はもう絶対に逃げないと自分に誓っていますから。それに……彼女の為に早く来たんです」


「ナグさぁん、だーいス……」


 南雲に飛び付こうとした芝浦ひな乃の頭をガッシリとつかむ月島。


「南雲君がそう言うなら良いだろう……では菅原君、加賀谷君、戻った時はそのパスを警備員に見せれば入れてもらえるから」


 ◇


 菅原と加賀谷を見送った月島だが、残った二人を七階にある自分のオフィスルームに連れて行くのを断念せざるを得なかった。


 個室でもある月島のオフィスルームは、常時スタッフが居るわけではない。

 何をしでかすか分からない芝浦ひな乃が危険すぎて、おちおちトイレにも行けないだろう。


 元々約束をしていた時間には、何人かのスタッフが来る事になっているが、それまでは喫茶ルームで時間を潰す方が良いと考えた。



 インフォメーションスタッフからも目に付く六人掛けのテーブル席に、南雲と芝浦ひな乃を向かい合わせで座らせた月島は、南雲の隣に腰を下ろした。


「ねえ、月島さん。飲み物はどうすんの?」


「俺と南雲君はカフェラテだ。ひな乃ちゃん、美味しいカフェラテを作ってきてくれるかい?」


「ヤダ。作り方分かんないし」プイッ。


 そして南雲をチラチラと見る。


「ナグさんの為なら作ってあげてもいいけど……」


 南雲と視線が合った芝浦ひな乃は、頬を染めながらもう一度プイッと顔を背けた。

 彼女は単純に、本人の口から「作って欲しい」という言葉が聞きたかったのだ。


 ◇


 ビルの正面口から出入りする様々な関係者は、目立つ場所に座っている月島に挨拶をせざるを得ない。


 そして、月島という大物の音楽プロデューサーに加え、その同じソファに座っているのは大ヒットメーカーの南雲だ。


 中には有名なシンガーも居たが、皆一応に駆け寄って挨拶をする。


「どうも月島さん、いつもお世話になっています。あ、南雲さん、どうぞお見知りおきを――げっ、芝浦ひな乃!」


 大体がこんな反応を示す。


 月島と南雲には媚びを売っておきたいが、芝浦ひな乃には関わりたくないのだ。


 メディアからは干され、元ファン達からSNSなどで執拗に叩かれている芝浦ひな乃は、当然だが芸能界でも嫌われ者なのだ。



 出入りする人々の挨拶の様子を見ていた南雲。


「月島さん、この席の近くにコンセントって有りますか?」


 月島は立ち上がるとインフォメーションスタッフに声を掛ける。


「すまないが今すぐコンセントを用意してくれ!」


 すると、インフォメーションスタッフが駆け寄る。


「ここにフロアコンセントが有るのでお使いください」


 そう言ってプランターボックスを動かすと、床に埋め込んであるプッシュアップ式のフロアコンセントを指さした。


 ――そして、リュックからいつものミュージックシーケンサーを取り出した南雲は、コンセントを差し込んでヘッドホンを装着すると、後に「奇跡」と言われる事になる曲を作り始めた。



 ◇



 月島と芝浦ひな乃が見守る中、68分で完成した曲のタイトル。


『こんな仔猫でも、貴方は拾ってくれますか?』


 ほんの一部だが、歌詞を紹介しよう。



「――私は仔猫

いつだって寄り道仔猫


綿帽子と戯れて

いつも迷子の仔猫


だけど――いつか――

たどり着きたいの……


甘えたい放題な

ご主人様の元へ――」


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