あざといとさえ感じる程の可愛さ
「あんた達うるさいよ。静かにしてくんない?」
その可愛い顔に似つかわしくない言葉を吐く芝浦ひな乃。
学食内は一気に静まりかえり、観衆は一斉に下を向いたが、その原因は彼女がスマートフォンを取り出した事にあった。
彼女が垢バンなども含めたIPアドレスBANを恐れない事は周知の事実。そして、誹謗中傷する相手が例え一般人だとて、容赦ないというのは有名な話だ。
どれだけBANされたとしても、通信事業会社に多少の違約金を支払い、新規に契約をし直せば、回線固有のIPアドレスは作り直せる。
更にプロバイダーによっては、解約しなくてもIPアドレスを変える事は可能だ。
芝浦ひな乃を怒らせると何処で晒されるか分からない。恐らくこういった心理が働いて皆を黙らせたのだろう。
――だが……実際には、彼女の対象はあくまで芸能関係者であって、一般人を対象にした事は一度も無い。
これは、自分への宛名付きサインや握手の権利を得るため、何万或いは何十万円も注ぎ込んだのに、サインは勿論、握手さえ拒否された大勢の元ファンが、彼女のSNSなどへ燃料を投下して散々炎上させた結果、尾ひれが付きまくって創られた『イメージ』の問題なのだ。
ファンにとっては許せない行為を、彼女は平気で行っていたのだから当然だとも言える。彼女がメディアから干されている現状に元ファンの彼らは、「ざまあ」と思った事だろう。
そして彼らは彼女の元ファンだった事を『黒歴史』として心の中に封印し、ちゃっかり別のメンバーのファンになっていたりするのだ。
彼女が彼らを「気持ち悪い」と言ったのは、彼らが何に執着しているのかという部分に、大いなる歪みを感じたので、そのまま口と態度に出したまでだった。
――そんな事にお金を使うなんて間違ってる。一人で何枚もCDやDVDを買うなんて間違ってる。
社会的、将来的に価値の残らない権利を手に入れる為に、社会人のファンは給料を全て注ぎ込むどころか、返済できる許容を超える借金をしたり、学生のファンの場合でも親のクレジットカードを勝手に使用したりして信頼関係を失ったり、最悪の場合は家庭崩壊をも招いているケースも有る。
芝浦ひな乃は、親や他人に迷惑を掛けてまでサインや握手を求めてくる彼らが、本当に気持ち悪くて仕方が無かった。
そんな彼女にとって、動画サイトで見た南雲のMVは最高にクールだった。
フラッシュライトを反射する南雲の鋭い眼光に、揺るぎのない純粋さを見いだしたからだ。
◇
芝浦ひな乃は月島から話を聞いた時、「きゃあぁぁーっ、それ本当⁉」と、叫びながら、ピョンピョンと跳ね回る程喜んだ。
月島に、「彼は午後五時にここに来るから、その時にまたおいで」と言われても、舞い上がった様子の彼女は、南雲に早く会いたくて仕方がなかった。
月島のオフィスを出たその足で、タクシーを拾って大学まで駆けつけたのだ。
だが、その時点では南雲がキャンバスのどこに居るのかは分からない。
キャンバス内をうろついても、芝浦ひな乃は有名人なので学生達にジロジロと見られる。
「どのようなご用件でしょうか?」と、流石に大学の警備員も芝浦ひな乃に声を掛けた。
――その時、芝浦ひな乃は、講堂から出てきた阿佐ヶ谷ゆうみに目を留める。
……そう言えば、あの子はこの大学を受験するって理由で芸能界を引退したのよね。
芝浦ひな乃は警備員に「あの子に用事があって来たんだけど」と言って、阿佐ヶ谷ゆうみを指差した。
勿論だが警備員は、二人が有名人である事を知っている。ただ、芝浦ひな乃があまりにもウロウロしていたので声を掛けたに過ぎない。
「そうですか、失礼しました」と、お辞儀をすると門の方へと去って行った。
芝浦ひな乃は阿佐ヶ谷ゆうみと親しかった訳では無いが、自分の方が彼女より一つ年上でアイドル歴も長い。一応自分が先輩なので声を掛けやすかったのだろう。
向こうの方へ歩いて行く阿佐ヶ谷ゆうみに駆け寄った。
「ゆうみちゃんってこの大学だったんだ。頭良いんだね」
阿佐ヶ谷ゆうみは、いきなり声を掛けられて少し驚いた様子を見せたが、芝浦ひな乃の顔を確認すると会釈をした。
「あ、芝浦さん……お久しぶりです」
芝浦ひな乃は今まで阿佐ヶ谷ゆうみと話をした事すら無かったが、敬語で返された事に少し嬉しくなるのであった。
「ところでさ、ナグさん見掛けなかった?」
阿佐ヶ谷ゆうみは一瞬顔を曇らせたが、南雲の事で頭がいっぱいな芝浦ひな乃はその表情に気付かなかった。
「……彼なら学食に居ると思います」
「学食?」
「あ、えっと……さっき入っていく所を見掛けたので……」
「ふぅん……で、学食って何処にあるの。ちょっと案内してくんない?」
「……分かりました。こっちです」
阿佐ヶ谷ゆうみは学食の出入り口付近まで来ると芝浦ひな乃に振り向く。
「彼は一番奥のテーブルに居るのですぐ分かります」
「そう……ところでゆうみちゃん……」
「は、はい?」
「……ううん、何でもないよ。案内してくれて有り難う」
そして芝浦ひな乃は学食へと入っていった。
◇ ◇
――話を戻す、というか進める。
スマートフォンを取り出した途端に、一斉に静かになって顔を逸らす観衆を見た芝浦ひな乃は、随分と嫌なイメージが定着している事を改めて感じた。
「ナグさんとツーショット撮りたかっただけなのに……」
プクッと頬を膨らませる芝浦ひな乃に南雲が声を掛ける。
「では、午後の講義に出席するのは止めます。今からオフィスに行きましょう」
南雲は空気を読んで答えを出したのだ。
「――本当⁉」
椅子に座っている南雲と、スマホを取り出す時に立ち上がっていた芝浦ひな乃の身長差はそれほどない。そう、芝浦ひな乃の身長は147センチ。
芝浦ひな乃は満面の笑顔で、幼い子供のようにワーイワーイと三回ほどピョンピョン跳ねた後、南雲に抱き付いて頬ずりをした。
心配しなくても、彼女はヒラヒラするミニスカートの下にレギンスを履いている。
「ナグさん大好きっ!」
……自分の唇に彼女の唇が触れた気がする南雲は、思いっ切り身体を硬直させるのだった。
そして芝浦ひな乃に身体を向けている南雲は、観衆に背中を向けている状態だ。唇が触れたかどうかは観衆には見えていない。
落ち着け――落ち着くんだ僕! 触れていない、決して唇は触れていないぞ! と、自分に言い聞かせる南雲。
「あ、ケチャップ付いちゃった」
芝浦ひな乃はそう言ったあと「エヘッ」と笑い――
――自分の唇をペロリと舐めた。
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