とある少女のものがたり
月島と南雲が交わしていた『雑談』の話をしよう。
――中野佳音と別々の部屋に通された南雲は不安だった。
だが南雲には分かっていた。自分が犯した過ちについて。
その過ちによって中野佳音を傷付けてしまったのだと。
あの時、僕はただ逃げ出しただけじゃないか。
彼女に腕を引かれたとしても立ち止まることは出来たんだ。彼らの話を聞くことは出来たんだ。
――全ては僕の過ちだ。
静かに開くスライドドアを開けた月島。
ミーティングルームに置かれた椅子には座らず、背中を丸めて膝を抱え、床に座っている南雲との再会を果たした月島は、彼を止められなかった責任を感じていた。
沈み込んだ南雲の様子に、謝罪の言葉も、慰めの言葉さえも見付からない月島は、南雲の頭をクシャクシャと撫でた。
人が入ってきた事さえ気付かなかった南雲は慌てて立ち上がると頭を下げた。
「――あの……ご迷惑をお掛けしました」
罵声を浴びせられるだろうと思っていた月島は、その南雲の言葉に驚いた。
「いや、君が謝る事はないよ。君に酷い事をしたのはこちらの方だ。君には本当に申し訳な……」
「違います。悪いのは僕なんです。僕が逃げなければ江古田さんだって、動画を投稿する事は無かったんです。ですから……」
「いや、君には何の責任も無い。君のことを我々が理解していなかったのは事実だ。全ての責任は傲慢だった俺にある。本当に取り返しのつかないことを……」
「いいえ、謝らないで下さい。話も聞かずに逃げ出した僕が悪いんです。本当にご迷惑をお掛けしま……」
「待て、君は何も悪くない。謝らなければいけないのは俺だ」
「謝ってもらう理由はありません」
「……取り敢えず座ろうか」
「分かりました」
テーブルを挟んで席に着いた二人に沈黙の空気が漂う。
何から切り出していいのか悩んだ月島が、ようやく口を開いた。
「これは……ある少女の話だが……
――その少女は幼い頃に両親を事故で失い、親戚の家を転々としていたそうだ。
そのお陰で転校が多く、友達も出来なかった。
そんな彼女は、自分で学費を稼ぐ事を条件に高校へと進学した。
だが、当時彼女を引き取っていた親戚は事業に失敗し、除夜の鐘が鳴り響く最中に彼女を置いて夜逃げをした。
その事を隠していた彼女だったが、三学期が始まってしばらく経つと、保護者が居なくなっている事を学校に知られた。
彼女は別の親戚に引き取られる事になったが、今までの高校に通学するのは場所が離れすぎていたので、転校を余儀なくされた。
二月の中頃だっただろうか。
その少女はとある駅のホームで歌を口ずさんでいた。
誰に聴かせる訳でも無い。
キーラーキーラーひーかーるー……
おーそーらーのーほーしーよー……
この歌を聴いていた男がいた。
男は思わず少女に声を掛けた。
何故そんなに悲しそうに歌うのだと。
彼女は潤んだ瞳を男に向けた。
失恋したからだと彼女は言った。
ホームに電車が入ってくる。
危ないと、男は少女を引き寄せた。
少女の瞳から涙が溢れた。
何処から来たのかと男が訪ねるが、少女は何も答えない。
辺りはもう暗くなっている。
早く帰りなさいと男は言ったが、少女は涙をこぼしながら、帰るところなんて無いと言った。
男は着ていたコートを脱ぐと、少女の肩に掛けた。
そして一枚の名刺を彼女に見せた。
……それがこの名刺だ」
南雲はその名刺を見て、初めて月島の名前を知った。
「それで月島さん。その少女はどうなったんですか?」
「ギブアンドテイクの関係になった……おっと、倫理に触れる関係では無いから、そんなに心配そうな顔をしないでくれ」
「そ、そんな顔してますか?」
「ああ、いい顔だ」
月島は続けた。
「少女には才能があった。歌が上手かったのは勿論だが、歌詞を作る事にも長けていた。だから俺は、彼女が生きていくための手助けをする事が出来た……
自分で歌詞を書いた彼女の曲は飛ぶように売れた。
作詞を自分でやっているとなれば、収入も大きく跳ね上がる。
付け加えて説明しておくが、歌うだけのアイドルというのは、様々な番組に出演したり、コンサートやライヴなどのショーの回数をこなして出演料を稼ぐものだ。
ああ、それと……
著作権として個人に発生する印税は大きいが、それは作詞者或いは作曲者に行くので、歌うだけの歌手には僅かな歌唱印税というものしか入らない。
更に、レコード会社との契約によっては歌唱印税は貰えない場合も有って、余程の売れっ子や看板スターでも無い限り、個人に入る歌唱印税の金額は微々たる物なんだよ」
丁寧に説明してくる月島に、南雲は心が打ち解けていくのを感じた。
「そうなんですか……知りませんでした」
「ああ、勿論だが、自分が歌う曲の歌詞を作っている彼女は、またたく間に誰の力を借りなくても生活できるようになった。
そして……俺の元から去って行った」
「悲しい物語だったんですね……」
「そう思うか?」
「月島さんが良い人過ぎて悲しくなります……その彼女は今どうしているんですか?」
「さあ……まあ、秘密だ」
「そうですね。彼女のプライバシーにも関わりますからね」
「君がそれを言うのか……つくづく君という男は……」
ああ――俺は足を踏み入れてはならないサンクチュアリに踏み込もうとしているのだろうか。
南雲を見詰める月島はそう思った。
◇ ◇ ◇
それからひと月とちょっとの、そう、十月半ばの学食内に話を戻す。
学食の様子を見るに、どうやら一般人も混ざっているようだ。
一般人と言っても、近所の会社の若いOL達や、昼休憩に校外へ出る事が禁止されていない近所の高校の女子生徒達だ。
講堂は別だが、学食に関しては一般に開放している大学は多い。
学生に混じって食事をするのは年輩の人は流石に遠慮をするが、大抵の大学の学食は安くて美味しいというのが相場なので、若い人達には人気があったりするのだ。
南雲から5メートル程の距離を取って、綺麗に円形状の人垣が出来ている。
幸いなことに全員お行儀が良い。
それは恐らく、最前列の座席バリアに座っているのが、この大学の学生達だからだろうと思われる。
だが、ここまでくると流石の菅原と加賀谷も驚きの色を隠せなかった。
「どうする、びっしり囲まれちゃったぞ?」
「菅原さん。嬉しそうな顔で言わないで下さいよ、恥ずかしいじゃないですか」
「いやいや加賀谷。これだけ人が居ても、俺だけは注目されない自信はあるから」
すると……突然周囲の人達がざわつき始めた。
何やら、南雲の不可領域へと侵入を試みる者が居るようだ。
ここから中へは立ち入り禁止よ! 見て分からないの?
と、最前列の女子達がその者に注意をしている。
「私、ナグさんの関係者だから通してくんない?」
『ナグ』というのは、言わずもがなNAGー0.45Rから来ている南雲の愛称だ。
最前列の女子達が、その声の主を改めて確認する。
ミニなのにヒラヒラするスカートを履いた、ゆるい内巻きカールのパッツンなセミロングヘアの少女が立っている。
此処に居る誰もがその顔を知っていた。
――芝浦ひな乃!
そして……彼女はそのまま南雲へ向かって進み出て来たが、彼女に文句を言う者は一人も居なかった。
彼女はそれだけ有名人だ。
芝浦ひな乃。年齢は十九歳――現役バリバリのアイドルだ。
芝浦ひな乃は、悪戯をして怒られているのに無邪気にじゃれついてくる子猫のように、キラキラとした瞳を南雲に向けた。
「よろしくだニャン」
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