必然のエンカウント
音楽コンテンツ前年度売上、業界一位の『ジャウジャウ・エンタテイメント』で、音楽プロデューサーを務める品川は、大人気アイドルグループを手掛けている事で有名だ。
業界二位の『ローリングレコーズ・ジャパン』で、音楽プロデューサーを務める駒沢は、大人気ロックバンドを手掛けている事で有名だ。
業界三位の『ミャウパー・ミュージック』で、音楽プロデューサーを務める月島は、大人気ソロシンガーを手掛けている事で有名だ。
大物といえる三人の音楽プロデューサー。
彼らは、アーティストとレコード会社との、契約等を含めた仲介業務を担うA&R(アーティスト・アンド・レパートリーの略)を連れてやって来た。
音楽プロデューサーがA&Rを連れて来たという事は、契約をしに来たという事だ。
彼らは、高井戸美由紀の音楽界デビューよりも、謎の人物NAGー0.45Rに興味があったのだ。
㈱ダズリング企画のスタッフは、午後一時半にスタジオ集合だったが、各レコード会社の彼らには、ランスルーは三時からと伝えてある。
にも関わらず、彼らが時間よりも随分早く現れたのは、恐らく抜け駆けしようという魂胆があったのだろう。
その事も計算に入れていた豊洲は、演奏ブースに彼らの席を用意していた。
勿論、彼らが来る事は、第三者的な立場にいる南雲には伝えていない。
コントロール・ルームはガラス張りだ。彼らが着席するまで中は見えている。
ところが、ヘッドホンを付けた南雲は演奏ブースに背を向けて、興味津々でモニターを覗き込んでいたので、仕事熱心な専業ADだと思われている。
そのスタッフが音響や映像などの担当ディレクターでもない限り、専業ADをスルーするのは、こういった業界では当たり前だ。
因みに専業ADとは、昇格が望めなくてもその仕事に従事しているAD(アシスタントディレクター)の事だ。
大手レコード会社から赴いてきた彼らは、当然のように南雲に背を向けて着席した。
これも豊洲の計算の内だ。
リハーサルを始めたバンドメンバーを見た彼ら。
「あれ、神田が居ますね……」
品川がそう呟くと、駒沢が話し掛ける。
「奴は確か、去年解散させたバンドの……えぇっと、バンド名は……」
月島が顔を向ける。
「アルティメット・アングルだろ。呆けてんのか駒沢さん?」
「呆けてねえよ月島」
アルティメット・アングルは、去年まで駒沢が手掛けていたバンドだが、神田以外のメンバーがどうにも冴えないので、アルティメット・アングルを解体し、神田を別のバンドに組み入れようと考えていたのだ。
「野郎、俺の誘いを断りやがって……」
すると、脚を組んだ品川が駒沢を横目に見る。
「自分がプロデュースしたバンド名が出てこないんだから、そろそろ引退した方が良いんじゃないですか?」
「ふんっ、飼い殺し常習犯がよく言うぜ……」
「貴方に言われたくありませんよ」
「おいおい、二人とも喧嘩してる場合じゃないだろ」
「うるせぇよ、呆けてるとか言い出したのはオメエだろうが、月島」
座り心地の悪い折りたたみチェアに座らされている駒沢は、只でさえ不機嫌だった。
険悪なムードが漂っているが、リハーサルを見ていた彼らは、このバンドには何かが抜けていると感じていた。
「そろそろランスルーを開始します」
豊洲がコントロール・ルームに合図を送る。
すると、「すみません、お待たせしました」と言いながら、演奏ブースに置かれている電子ピアノへと女性が駆け寄った。
「何だ……やっぱキーボード居んじゃねぇか。遅刻なんかさせてんじゃねえよ豊洲」
口は悪くても耳は確かな駒沢がそう言うと、何かに気付いた様子の月島が話し掛ける。
「駒沢さん。今入ったキーボードって中野佳音じゃないか?」
月島の言葉に、逸速く品川が反応する。
「まさか……彼女は海外遠征に行った筈では?」
「有名ピアニストか……やってくれるじゃねえか豊洲」
「彼女をこんなバンドのキーボードに起用するなんて、勿体ないですね……」
品川の言葉を聞いた月島が、聞こえないほどの声で呟く。
「……金のことしか頭に無いアイドルグループ商人なんか呼んでんじゃないよ豊洲ちゃん」
そしてランスルーが始まると三人は無言になる――
――くっ――そ――何だこのメロディー……それに、ギターとピアノが堪んねー!
◇
ランスルーが終わると、胸が熱くなって堪らない彼らは、無意識に喝采を浴びせた。
彼らは、いくら売れっ子女優だといえ、歌手では無い高井戸美由紀に、そこまで期待はしていなかった。
だから尚更、一分の隙も見当たらないこの曲に驚いたのだ。
高井戸美由紀は、この曲を歌うために生まれたのではなかろうか……とさえ思う程に。
「どうですか? 気に入って頂けましたか?」
にこやかに聞いてくる豊洲。
暫く唖然としていた彼らだったが、アイドルグループを多く抱える、ジャウジャウ・エンタテイメントの品川は危機感を抱いた。
――なんとしても、NAGー0.45Rと会って交渉をしなければ、彼の提供する曲が、いずれ自分の育てた大人気アイドルグループも食ってしまうだろうと。
「高井戸美由紀さんの音楽デビューに関しまして、うちで全面的にバックアップさせて頂きます」
品川がそう切り出す事は百も承知の駒沢と月島。
「うちが引き受けるから引っ込んでろよ品川。これが本物のアートってもんよ。お子様相手のお遊戯とは訳が違ぇんだよ」
「言い過ぎだよ駒沢さん。ほら、品川の顔が真っ赤になってるぞ」
「――くっ……駒沢さん、うちの資金力を甘く見ないで下さいね」
「まぁ、気持ちは分からなくもねぇ。多少の金を積んだって、奴に曲を作ってもらえりゃあ、来年度の売り上げも、ぶっちぎり確定だもんなぁ品川よぉ」
「とか言ってるけど、譲る気はないんだろ駒沢さん?」
「ふんっ月島。そういうオメエだって奴が狙いなんだろ?」
◇
そんなやり取りをしている事を知らない南雲。
「R&Aって何ですか?」
などと、コントロール・ルームの中で質問をした。
「R&AじゃなくてA&Rね。マネージメント契約とか、面倒な業務をしてくれる人の事よ」
南雲に抱き付いて少し浮かれている様子の高井戸美由紀が適当に答えた。
芸能業界の事は分からないが、全ての権利は彼女に譲っている。
「プロデューサーもそうですが、マネージメント契約の話なら僕は関係無いですよね。中野さん、挨拶は断って下さい」
「分かりました南雲さん。彼らにはそのように伝えます」
中野佳音はあくまで南雲に伝えに来ただけだ。
コントロール・ルームから出ると、南雲の意思を彼らに伝える。
「挨拶は遠慮させて下さいとの事です」
話が違うじゃないかと、豊洲に詰め寄る三人。
彼らにとっては、YFDという曲と、たった今聞いた高井戸美由紀の曲を、作った本人とのコネクションが重要なのだ。
彼あってこそ、その先のビッグビジネスにも繋がるのだ。
確かに高井戸美由紀の歌は凄いが、作曲した本人と会えないのなら意味が無い。
ところが、南雲が拒否した事に一番驚いたのは豊洲だった。
豊洲は、南雲は会うはずだと思っていた。
富と名声を手に入れる機会を与える事で、南雲への恩返しが出来ると考えていたのだ。
「わ、私が直接彼と話をしてきます」
豊洲はそう言ったが、中野佳音が出てきたのは、すぐ後ろのコントロール・ルームだ。
「コントロール・ルームに居るのか……彼は?」
月島の言葉と共に三人は立ち上がると後ろに向き直り、コントロール・ルームのガラス越しに中を確認する。
彼らの目には、高井戸美由紀と並んでこちらに背を向け、先程録画したランスルーの再生モニターを見ている背の高い男が見える。
最初にチラリと後ろ姿だけを見て、底辺スタッフでもある専業ADだろうと思っていた男だ。
再び月島が口を開く。
「……彼がそうなのか?」
「え、ええ……」
「彼の名前は?」
「南雲と言います」
いてもたってもいられない彼ら。
――我先にとコントロール・ルームに押し入る。
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