EPISODE5 怠惰・紫の業毒〈オーラ〉
どうしてこうなったのだろう。
朔也の頭の中には、その言葉のみが渦巻いていた。
星が瞬く夜空の下、人気のない鉄橋にて二人の男が対峙していた。そしてそのどちらも異形を成している。
一人は、鬼のような装甲に、顔を竜の仮面で覆われた少年。
もう一人は——、
「いいから答えろ。お前さんはどうして小説を書くのか……そして、お前さんは自分が綴る人生に、一体何を望んでいるのか」
気怠いようで曇った声。それでいて、根幹には熱意が感じられるそれを発しているのは、日本の角を左右に伸ばした、天狗のような面で覆われた怪物だ。
筋肉質な朔也の『憤怒』とは裏腹に、男の体躯はほっそりとしている。だが、下半身に目を向けてみれば、目にした者は口を揃えてこう言うであろう。
ケンタウロス、と。
「俺は……人生とは、刹那の時の中に生まれたエアポケットのような時間を、どう満足に生きるかを問われる『物語』だと思っている」
馬の半身を模した怪物は、紫色の炎を燃やした翼をはためかせ、朔也のもとにゆっくりと近付いていく。
対し、朔也は何もすることが出来ない。いや、正確には、どう動こうとも無意味に終わってしまうのだ。
何故ならば、彼岸咲朔也の周囲だけ、時が物凄く緩慢に動いているから。
「人は皆、人生と言う名の物語を既に歩んでいる……。お前もそうだろ。お前はお前が主人公として、お前の物語を歩んできた。それなのに、何故お前は人生という名の物語の中で、また物語を作ろうとするんだ」
半精半馬の怪物は、静かなる問いを重ねながら、朔也へと歩を進めていく。
淡い柴炎で作られた檻籠の中で。
朔也は、言うことを利かない身体を必死に動かす努力をしながら、目の前の怪物を睥睨していた。
——『怠惰・紫のオーラ』。
「なあ、答えてくれよ。若き新人」
怪物は、アスファルトを蹄で蹴り上げ、両手の鉤爪をかき鳴らして朔也に襲い掛かる。
朔也は、どうしようもない状況の中、ただひたすら嘆いていた。
こんな筈じゃなかった。
そして、どうして憧れの大作家との邂逅が、こんなことになってしまったのか、と。
*
朧月善。
朔也が敬愛してやまない作家のひとりで、彼の作品は最新のものまで全て読破している。
最近ではライトノベルの方にも創作の幅を広げ、純文学上がりの繊細な心情描写と濃厚な人間ドラマ、加えて彼が織り成す独特の世界観やシナリオは、読む人を魅了し、現在ではアニメ化もされて絶賛放送中である。
そんな大御所作家が何故、朔也と出会うことになったのかといえば、きっかけは数時間前の『受賞報告』の直後へと遡る。
「時に、お前は誰か尊敬する作家とか居ないのか?」
不意に問われた質問に、朔也は迷わず朧月の名を出した。そして、それが仇となった。
「だろうな。何せ、部屋にある本棚の中に、その朧月善なる作家の専用本棚があるぐらいだしな。よし、夢が一つ叶った今、もう一つぐらい叶えても罰は当たらないだろう」
淡々と述べられていくその言葉が、朔也には何かの前置きのように聞こえた。そして案の定、その予感は的中する。
「初陣直後で悪いが、お前が家に帰ってくる寸前、『朧月善という男が「役者」の一人である』という『シナリオ』様からの神託が届いていてな」
つまり、とターチスは人差し指で朔也の頬をぷにっと刺し、
「憧れと会ってこい」
「————」
朔也は改めて痛感させられた。
そもそも、この妖精とは存在自体が異なっている。人の情を主軸としている朔也の考え自体が甘いのだと。
「安心しろ、アポは済ませてある。向こうも会いたがっていたぞ」
そして、その行動の速さには、特に脱帽させられたのだった。
ターチスの驚くべき行動力によってセッティングされた朧月との対面は、あのあとすぐ、駅前の喫茶店で行われた。
人気のある全国チェーンで、流行りのタピオカをふんだんに入れたスペシャルメニューもあり、主に女子からの人気が凄まじい。
そんな華やかな店内にそぐわない男が一人、朔也の向かい側の席に座っていた。
波打った髪が眉の下まで覆い、無精ひげが目立つ革ジャンパーの青年。街中を歩いても人の目に留まらないような平凡で貧相な外見。
しかし、彼をよく知る朔也は、胸の高鳴りを抑えるだけで精一杯だった。
「で、お前さんが『七匹の悪魔蜂』の『シナリオ』を発動させた『役者』少年か」
そして、夢と思えるひと時は、その一言によって文字通り夢として終わる。
朔也は唾を飲み込み、口の端が引き攣るのを必死に我慢して口を開く。
「……はい。僕はあなたと同じく、『悪魔蜂』に魅入られた『役者』の一人です。でも、あなたは僕の憧れで……だから、最初から戦う気なんて全然ないです」
「どうかな。一度発動した『シナリオ』は、その物語通りに事が進むと聞く。まあ、そもそも俺はお前さんたちのように、探求したくなるような、崇高なる目的なんて持ち合わせてはいないんでね。細かい顛末は運命様に任せるとしよう」
朧月の、どこか他人事じみたその物言いに、朔也は少しの動揺を覚えていた。
朔也が今まで読んで触れてきた朧月の作品は、どれも生き生きとしていた。ただの『物語』ではなく、まるで誰かの人生を見聞きしているような、そんな感覚。
彼の作品を読んだあとは、いつも濃密なカタルシスに襲われ、中々寝付けない日もあった。
きっとこの人は、誰よりも創作が好きで、何よりも自分の作品を愛しているのだと。そう、思っていた。
沈黙する朔也を見て、朧月は嘆息し、再び話し始める。
「少し、話をしよう。創作に全てを捧げ、期待の新人と言われこの業界に入った男の話を」
そう言って彼はどこか懐かしむような目で遠くを見遣り、滔々と語り始めた。
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