EPISODE4 リザルト
目が覚めると、朔也は教卓の前にあった机の上に突っ伏していた。
戦いの前、織白原が座るように促していた席だ。朔也はつい先刻の出来事を思い出し、悲痛に顔を歪める。
「どうして……っ」
拳を硬く握り締め、この運命の残酷さに、『シナリオ』を発動しようとしていた織白原に、そして彼女を足しけられなかった自分に、激しい怒りを向ける。
だが、今ここで嘆いたところで何も変わらない。それに、あの高慢な妖精にも聞かなければならないことは山ほどある。
「ターチス。お前は、何なんだ……?」
椅子を引いて席を立ち、幽鬼めいた足取りで教室を出て、壁に寄りかかりながら廊下を歩いていく。
いつものように下駄箱で靴を履き替え、部活動に励む生徒達の喧噪に塗り潰されている校庭の脇をとぼとぼと歩いていく。
そうだ。彼らはついさっきまで起きていた出来事を知らない。それは結局、ターチスが張り巡らしていた結界のお蔭でもあるし、『シナリオ』の悪辣な部分でもある。
もし、あのプリントを他の皆が読んでいて、実際に内容の通りの末路を辿っていたらと考えると、ゾッとする。
しかし、今の朔也に、『万が一の事態』を危惧してすぐに対策を講じることが出来る余力も無い。
「やっぱり、割に合わなかったんだ。ヒーローとか、『役者』とか」
現に、この石造りの道と校庭の境界線の向こう側には、スポットライトを浴びるべき役者たちがたくさん居るではないか。
そしてそれは、朔也の身近なところにだって。
「お、朔也じゃん。どうしたんだ? 急にサボりなんて」
爽やかな声がして前を見てみれば、そこにはバスケットボール部のユニフォームに身を包んだ美男子が立っていた。
「伊和霧……」
「ゾンビみたいな顔しやがって。そんなに重体だったのか? 飯はちゃんと食ったのか?」
伊和霧明彦。
成績優秀、スポーツ万能、加えて、甘いマスクに短く切り揃えたブロンド——そんな絵にかいたような美少年である親友は、半分深刻、半分好奇心といった具合に、朔也の顔を覗き込む。
「大丈夫だって。急に腹壊して、家に帰ったら面倒になって休んだだけだから。お前こそ、まだ部活の途中だろ? あの鬼ゴリラキャプテンにこんなところ見られたら不味いんじゃあ……」
早く見逃して欲しいというのが、本心だった。けれど、心配をかけてしまったのも事実。なにより、彼と話していれば、少しは陰鬱な気分も晴れてくれるのではという期待もあった。
「キャプテンは、今日は休み。代わりに、ウチの可愛い小さなマネージャーが顔をこんなにしてみっちりしごいてくれてるよ」
よほど鬼のような形相だったのだろう。その様子を精一杯の変顔で再現してくれた伊和霧に、朔也は笑いだせずにはいられなかった。
「は、はははっ! それ、雪柳が見たら怒るんじゃないか?」
「いや、寧ろ本家の実力ですってノってくれるかもしれないだろうが」
朔也は目尻に浮かんだ涙を指で掬いながら応じる。
「そしたら、いよいよお前らんところに毒されてるってことになるな。あの子自慢のお姉さんに合わせる顏も無いな」
「きっと、雪柳ちゃん同様、寛大な聖女に違いないから大丈夫だよ」
「お前は楽観的だなぁ」
その馬鹿ともいえる前向きさを分けて欲しいよ、と付け加え、朔也は片手を挙げて別れを告げる。
「じゃ、俺はこのまま帰るんで。残りの地獄もせいぜい楽しんでくれ」
「天国を地獄とルビ振るとは、流石小説家の卵だな。そういえば今日だっけ? お前が応募したっていう新人賞の最終選考結果」
そういえばそうだった、と朔也は他人事のように思い出した。朔也半年ほど前にあるライトノベルの新人賞に作品を応募しており、今頃、その最終選考結果——つまり、受賞作品の結果通知が各々の作家へと送られている頃だろう。
「ああ、そうだったな。通ってるといいけど……」
「そんなの、家に帰って確かめなければ分からないだろ? さあさあ、帰った帰った。そんで、うざいくらいの笑い顔か、こちらが嬉しくなる程の悲しい表情のどちらかを見せてくれ」
帰るように促す親友に、朔也は「お前って、ホントそういうとこ……」と、呆れたように言いつつ、素直に校門へと向かうのだった。
そして、元気いっぱいに大きく手を振る彼のユニフォーム姿にかつての自分の姿を重ねてしまっていることに気付き、朔也は顔を少し曇らせて足早に帰路につく。
半端な自分は、何をやっても半端なのだ。
遠巻きに聞こえる懐かしいバスケ部の掛け声を耳朶に捉えながら、朔也は一人、心の中で自分に毒を吐くのだった。
*
あれから数分。
自宅と扉を開ける直前に、ポケットに入れていたスマートフォンが鳴り、相手が伊和霧だと認めて電話に応じる。
恐らく、あの後すぐに解散したのだろう。
急ぎの用事なのか、荒い息遣いと共に、何故か若干こもった彼の声が聞こえた。
『さ、朔也か! あの、その、とにかく大変なんだ!』
「えっと、落ち着け。何がどうした」
通話口の向こうから深呼吸の音が聞こえ、再び通話に戻る。
『……あ、ありのままを話すぜ』
調子の戻った親友は、まるで今しがた理解し難い現象を目の当たりにしたかのようなテンションで告げた。
『——オレ、マネージャーの雪柳魅美奈ちゃんに告白されたんだ』
朔也の脳内を、空白が浸した。
そして数秒の間を挟み、朔也は叫んだ。
「お、え? すげえじゃん! お前、イケメンなのにそんなに告られたことが無かったからさ。寧ろ俺の方がびっくりしてる感じ!」
『オレだって、何が何だか分からねえよ……でも、言われたんだ。好きだから付き合ってくれって……なあ、朔也、オレなんて返したらいいんだろう』
「いや、そこはオーケーだろ! だって、あんなに可愛いくていい子が彼女になるなんて、これからの人生の中でそうそうあることじゃないぞ」
『だよな……。よし、オレ、オーケーって伝えてくる!』
意気込んだ彼の声を最後に、通話は終わった、
朔也はメッセージアプリの画面を眺めながら、暫し茫然としていた。
伊和霧が後輩から告白されて、恐らく付き合うことになるというのは、自分のことのように嬉しい。きっと、逆の立場であったとして、そうしたら今度は伊和霧が心の底から祝福してくれるだろう。
でも、その一方で。
先を越されたという、我ながら子供じみた嫉妬や焦りが自分の中で渦巻きはじめているのを、朔也は自覚していた。
「はあ……俺、やっぱり捻くれてんじゃん……」
ターチスのことも悪く言えないな、と心の中でひとりごち、扉を開けて家の中へ入った。
家の中には誰も居らず、朔也は居間の電気も着けぬまま階段を上がり、自室へと一直線に向かって扉を開けた。
しかしどういう訳か、向こう側から勝手に開けられ、続けて聖女の姿が目前に現れた。
「遅かったじゃないか、私の愛しい愛しい眷属」
手を引っ込めて仁王立ち姿勢に戻った妖精は、不敵な笑みを湛えて朔也を真っ向から見据えていた。
彼女の姿を改めて間近で見ると、思わず呆気に取られてしまう。
白雪を浴びたような素肌は、金色の髪の毛が張り付いていることでより一層艶やかに見える。
そんな世にも美しき妖精は、若草色のワンピースドレスを翻して踵を返すと共に流し目を向け、こう言った。
「まずは初陣ご苦労。英雄として、そして『筆者』として活躍、これからも期待しているぞ」
上からな物言いと先程の激情の再発が、朔也の頬を強張らせる。
だが、それが言葉を成すより先に、ターチスは腰に手をつき、豊満な胸元を露わにするのを気にせず、喜々として続けた。
「そして朗報だ。お前の努力と熱意の結晶を見込んだ優秀な者から、先程電話があってな」
朔也は首を傾げ、へ? と気の抜けた声を漏らした。
そんな自覚無き彼に、ターチスは聖女のような笑みと共に言った。
「おめでとう、若き秀才よ。お前は晴れて一人前の物書きとして、一世を風靡するという資格を得たのだ」
その言葉を理解するのに数秒の間があった。
だがパソコンを開き、『受賞』の通知を確認すると、得も言われぬ感覚が込み上げてきて、思わず親友に電話をかけて激しい胸の高鳴りの旨を吐き出したのだった。
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