EPISODE2 暴食・黄の業毒〈オーラ〉
「『暴食・黄の業毒《オーラ》』……ロード」
静かに詠唱が紡がれると共に、その秘めたる業を司る色を灯した雷光が、爆ぜ上がる。
「——ッ⁉」
朔也は咄嗟に腕を交差させて自身を庇い、爆風に巻き込まれて机の群れ共に教室の後方へと吹き飛ばされる。
重くも鋭い衝撃が全身に殴りつけられ、肺が絞り上げられてまともに呼吸が出来ず、声が出せない。
そんな最中、朔也は霞む視界で、それを目にした。
残滓する稲妻と噴煙の中心に無数の『文字』が発生し、それが織白原に集結し、異形を成していく光景を。
「素晴らしいと思わない……? 人の目を気にして明かすことが無かった己の業を、こんなに清々しい気持ちで露わに出来るのだから」
変貌を遂げた彼女の姿は、禍々しい黒き虫の怪物だった。
昆虫が持つ様な眼球と触覚をヘルメットのように被り、摩訶不思議な紋様が描かれた水着の様な装甲が、白磁の如く透き通った素肌に張り付いている。
異形の怪物と化した織白原は、腕を伝う蜜を妖艶に舐めとると、ハエの羽根を模した金色のそれを煌めかせ、爪先が尖った漆黒のブーツを鳴らしてゆっくりと朔也のもとに歩み寄る。
「先、生……っ」
痣と裂傷が目立つ身体を緩慢に動かして、朔也は目の前の光景に、ただただ悲痛に顔を歪める。
その反応が、怪物にとってはより一層のスパイスとなるとも知らずに。
「仲の良い教え子……そのみずみずしい身体と心の奥底に眠る歪んだ性癖、野心、轟々と燃え滾る劣情や業……それら全て、私は貪り尽くしたい。飽き飽きとしていた平凡な日常に舞い降りた『役者』という冠を携えて……私はまず、君が宿す業を五感で味わいたいッ‼」
半球の形をした双眸に猫のような瞳孔が宿り、朔也を見下ろして愉悦に細められる。
その時、彼の脳内に声が生じた。
『自分が担当する『役者』に因んだ一節の文章を身に纏い、文字通りに文字が怪物と化す術式か……やはり実際に目の当たりにすると中々面白いな。文字を纏う都合上、殆どの装甲が黒一色というのはシンプル過ぎる気もするが』
他人事のように感想を述べ出すターチスに、朔也は文句を言いたい衝動に駆られる。だが、その前に彼女はわざとらしく咳払いし、声を低くして続ける。
『分かっているな、朔也。『オーラ』を打ち込まれただけとはいえ、その女は既に『役者』……余計な情けは不要だ。『シナリオ』通りの災厄をこれ以上広めたくないのならな』
分かっている。朔也は心の中で強く呟き、背後のロッカーに右手を押さえつけて立ち上がる。
『私はお前の部屋の中でしか「魔術」を行使できない。それも、「都合の良い結界を貼ることぐらいのお膳立て」ぐらいしかな』
暗に「基本的には自分で何とかしやがれ」と言っている妖精の言葉に、朔也は、今度は深く頷き、眼前の怪物を睥睨して呟いた。
「『憤怒・紅のオーラ』……」
言の葉が空間のどこかに消えていったと同時に、二つ目の羽音が聞こえ始める。
そして、紅に彩られた翅を従える悪魔蜂を視界の端に捉えた瞬間、朔也は確固たる決意と共に唱えた。
「——ロード」
その瞬間。
織白原が何か言いかけるより早く、鮮血を如く光る赤の雷光が猛り、朔也を変貌させる。
その姿を一言で表するならば、『鬼』が適切だろう。
漆黒に覆われた体表にマグマのような亀裂が迸っている姿は、地獄の番人を思わせる。
割れた額から突き出ている二本の鋭角。それが唸るや否や、露出した半身の筋肉が肥大化し、顔は獰猛たる竜の仮面で覆われていく。
「非常に食べ頃だわぁ……っ! やっぱり思春期に坊やはプレミアねっ!」
先手をとったのは織白原だった。
彼女は臀部から太く長い尻尾を出し、長鋭な針で朔也の身を穿たんと迫らせる。
それに対し、彼は前へ大きく一歩を踏み出し、地響きを生じさせると共に左手で尻尾を掴み取った。
直後、右手の手のひらを織白原に向け、震えを抑えて言った。
「早々にケリを着けさせてください。お互いが正気を失う前に」
掌から赤雷が生じ、柱を横倒しにしたような砲撃となって放たれた。
虫の怪物は甲高く笑って愉快に手を叩き、
「早期決着結構。ま、あくまで私が捕食者であるという事実は変わらないけどねっ!」
尻尾のぬるりとした表面から無数の小さな尾針を発現させ、一挙に朔也をめった刺しにした。
「ぐぁ……っ⁉」
「そして君がスマートに放った怒りビームも、私に飲み込まれてしまうのでしたぁ」
その言葉通り、赤雷の砲撃は織白原が突き出した両手の手のひらへと吸い込まれていった。
一拍の後、大きな振動が、彼女を指先から順に波打たせる。
やがて衝撃が身体の芯まで伝わると、虫の怪物たる美人講師は、赤らめた自らの頬に両手を添え、天を仰いで快哉を叫んだ。
「んっ、んっ! んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんぅぅぅぅぅぅっ‼」
絶頂しているかのように身体を激しく痙攣させる彼女に、全身を刺されて身動きがとれない朔也は、ただ純粋に恐怖を覚えていた。
恐らく、たった今織白原が『喰らった』ものは、雷撃だけではなく、朔也を刺している無数の尾針からも吸い込んでいる『何か』だろう。
そしてその手掛かりは、既にもう掴んでいた。
「……何もかもに飢えて、その度に理性のタガを外して貪り尽くす……」
朔也は震える声で、しかし瞳に強い怒りを灯し、織白原の——その『業』に向かって言った。
「その状態を、人は『空っぽ』と呼ぶんだ」
銃声のような破裂音が、連続に木霊した。
続けて朔也の身体を中心に、紅の雷光が周囲へと勢いよく波紋する。
「ぎゃッ⁉」
唐突に織白原の身体が吹き飛び、黒板に叩きつけられる。同時に、朔也の身体を蝕んでいた無数の尾針が霧散する。
「あんたの業に飲まれる程、俺の胸底で燃える怒りはヤワじゃない」
『逆流』。欲を満たすために貪っていた少年の蜜は、鬼がその身に宿していた怒りの炎だったのだ。
まさしく、神罰を受けし魔物の絵。
だが、当の彼女はそのような無様な最期を望む筈も無く。
「効い、た。——今のは効いたわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼」
飢餓に拍車がかかった業は、己の腹を満たさんと拳を突き出して憤怒の悪魔に襲い掛かる。
朔也もまた、拳を硬く握り締め、床が壊れるぐらい強く蹴って迎え撃つ。
そして、二体の怪物が激しく交錯する。
拳と拳の激突がゴングとなり、雷鳴がけたましく狂乱する。
滅びの波動は瞬く間に教室中へと響き渡り、日常を模した非日常が音を立てて崩れ落ちていく。
床が壊れると共に両者は天井を突き破って飛翔し、織白原は舞い散る瓦礫と共に朔也の首元を目掛けて蹴り放つ。
「ッ!」
朔也は咄嗟に左手で庇い、無理矢理に凹んでいくそれに顔を顰める。
「あはっ! 脂汗の大サービスかしらぁっ⁉」
対し、悦に浸る彼女はさらに蹴りを連続させて放つ。その最中に、朔也は再び自分の体内からエネルギーが貪られていく脱力感を覚えていた。
打撃の嵐に見舞われる中、彼は瓦礫を足場としてジャンプを繰り返し、しかし意識は思考へと注いでいる。
(先生の身体自体に触れるのが駄目なんだ。だったら、一度遠くに……)
最上階の天井を突き破り、一度屋上に降り立ってそれを実行する。
「いけッ‼」
右腕に左手を添え、高出力の雷撃を放つ。
当然、一拍遅れて姿を晒した織白原は、それを難なく回避し、バク転の要領で宙を舞って嘲笑う。
「前菜にしては食をそそらない一撃ねぇ。これじゃあ、メインデッシュを待ち受ける私の気持ちも台無しに……」
「生憎ですが、先生が飢餓を満たされることは金輪際ありませんよ」
朔也は、左手を床に着けながらそう答えた。
そして、織白原もまた、反論より先に彼がとっている行動についての疑問を発した。
「貴女のオーラは怒り任せの強化攻撃の筈……そんな、いかにも衝撃波を散らして勝つつもりっていう所作を見せられても、隙を抉れば——」
彼女が両手の爪をビキビキと硬くしならせた直後、朔也が静かに呟いた。
「ブラフ……ですよ」
その瞬間、大穴が空いた床から放たれた瓦礫の弾丸が、織白原の身体を直撃した。
「づぁッ⁉」
打ち上げ花火のように次々と舞い上がる瓦礫の塊は、赤い雷光を纏って怪虫の装甲を殴りつけていく。
その間、織白原は激しい動揺と共に一つの結論を見出していた。
朔也は、瓦礫を蹴って飛翔する際オーラを綱のようにして一つ一つに結び付け、それらを左手に集約させることで、たった今、起爆スイッチとして起動させたのだ。
つまり、寸前の砲撃は、それ以前に一度放ったものを敢えてブラフの材料とし、本命であるスイッチから意識を逸らす為の布石。
まるで手品師がやる手法。それを、この彼岸咲朔也という少年は、この緊迫し白熱した短いときの中で考え、やってのけた。
「……あはっ! 前言、撤回……まさしく美味であったわぁ……!」
若さと無限の可能性に甘美な味わいを覚えた捕食者は、『役者』としての亀裂の走る『役者』の装甲と共に落下していく。
「先生ッ!」
朔也は条件反射の如く彼女の落下地点に駆け寄っていく。
その時。
『——「七匹の悪魔蜂」にある「暴食」の一節の結末だが』
ターチスの声が、やけに冷たく響いた。
朔也は地を蹴りながら、しかし集中して耳を傾ける。
『「憤怒」にやられた「暴食」は、最終的に「死の向こう側」から漂う芳香に誘われて、手を下されるより早く、自らその命を絶つとされている』
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