EPISODE1 蜂の羽音

「……は?」

 朝の通学路で、朔也は人が消える瞬間を目の当たりにした。

 あまりに突飛過ぎて頭が真っ白になり、朔也は慌ててその少年が消えた家の玄関の前に駆け付ける。

 観客不在のマジックだとしたら、どこかしこにタネが見え隠れしている筈だ。しかし、そんな痕はどこにも無く。

「神隠し……? いや、流石にそんなメルヘンなことは——」

 狐につままれるような感覚と共に道に戻り、眉を顰めながら学校へ向かおうと再び歩を進めた時。

「おい、そこのいかにも拗らせてそうな少年」

 と、盛大に心当たりがある呼びかけが聞こえたものの、ここで振り返ってしまうと万が一に他人のことを指していた場合、非常に恥をかくのでは——といった逡巡をしている隙に、その聖女の如く美しい女性がいつのまにか目の前に立っていて、こう言ったのだ。

「お前だよ、お前。妖精であり過去の『影の戦争』では最強の魔術師と謳われた、このターチス=ザミ様がわざわざ個人として呼び止めたんだ。一言で応じるのが当然というものだろう?」

 第一印象、危険人物。

 これが、ターチス=ザミとの出会いであり、既に事態の引き金が引かれた瞬間でもあった。

 『影の戦争』。

 遥か昔から大戦中までの長きに渡る期間、魔術師と錬金術師の二大勢力が『唯一典』と呼ばれる伝説の書物を巡って争っていた時のことらしい。

 人が消える様を目撃し、直後に自分を魔術師だの妖精だのと騙る美女と出会い——しかしその実、何故か、語られた内容を度が過ぎた妄言であると斬り捨てることが出来ず、朔也は恥を忍んで通学路を逆走し、家に帰ると真っ先に部屋に閉じこもった。

「——『歪み』のせいだな。私のにわかに信じ難い話をすんなりと受け入れることが出来ているのは」

 『歪み』。あの少年は隣り合う異世界においての『神の落とし子』と呼ばれる特別な存在で、彼がこの現世界から向こうの世界へと戻ったと引き換えに、今目の前で足を組んで椅子に座っているターチスをこの世界に寄越したらしい。

「しかし、なにも私は都合の良い交換条件として転移させられたわけじゃあない。もともとこの世界の人間だったからこそ、ようやく向こうの術士様が気を利かせて返してくれたんだ」

 『影の戦争』時に英雄と称されていたターチス=ザミ。驚くことに、彼女の弟子はまだこの世界のどこかで存命中らしい。

 そして、唯一の肉親であった姉妹の姉は、半世紀ほど前に何か強大な『術式』というものを発動したと同時に命を落としたのだとか。

 その、あまりに荒唐無稽でメルヘンが過ぎる話に、何故かついて行けている自分に対し、朔也は困惑していた。その胸中を見透かしたように、妖精は説明を続けた。

「二つの世界を巻き込むこの召喚術式は、この世界に強大な『歪み』を生じさせた。その一環として、いくつかの『術式書録』が既に発動していることだろう。例えば、そう。この蔵揺ヶ丘の町そのものを『舞台』としたものとかな」

 つまり、『歪み』という引き金が引かれたことでこの町に組み込まれている『シナリオ』も発動しており、それが起因して、オカルトじみたことを次々と聞かされても、さながら『友達の目の前に雷が落ちたレベル』の認識や驚きで完結してしまえるのだろうとのこと。

「そして、私がお前の近くに転移してお前を呼び止めたのも、決して偶然じゃあない」

 『影の戦争』時、ターチス率いる陣営の中で奮闘していた術士たちの一人に、彼岸咲の姓を持つ者が居たこと。

 朔也はまごうこと無きその者の血を受け継いでいる。

 さらに、その誇り高き血統の中には、『シナリオ』の『筆者』としての資格も秘められているということ。

 これが、ターチスと朔也を結び付けた因果関係である。

「私もこの故郷ともいえる世界に戻してもらった以上、それ相応の働きはしなければ示しがつかないと思ってな。なに? そうして一度異世界の方に住んでいたかって? そりゃあ、お前。一度死んだからに決まってんだろ」

 ターチス=ザミは、過去に一度死んでいる。

 だが、世界中に自分の記憶を断片的に込めた霊装を散りばめておいたお蔭で、死の間際に超規模術式なるものが発動され、異世界側の住人——それも妖精という、向こうの世界ではヒエラルキーの上層に位置する種族に仲間入り出来たのだという。

「当初の正気を疑うような古臭い思想では、戦の死は何よりも尊ばれ、それは両陣営共通の本願でもあった。洗脳術式でもかけられていたのかってぐらいのイカれっぷりだろ? でもそれは事実……だから、まんまと転生してまで命を延長させてしまったと分かった時には、自分の手で自分を消そうと思った。だが、それはそれで神様にご無礼だって、柄にもなく思ったわけだ。そんなことがあって、今もこうして図々しく生きている。それに、何故かは知らんが、昨今では異世界転生モノという書が流行っているのだろう? 私や『神の落とし子』なんかまさにそのブームのど真ん中を射抜いているじゃないか。ああ、落とし子の野郎は輪廻転生を繰り返した果てに向こう側へと連れ戻された訳だから、厳密に言えば波の中心に居るのは私だけだがな! はははっ!」

 上機嫌に豪語するターチスに、朔也は『シナリオ』の恩恵がありつつもやはり驚かずにはいられなかった。

 やがて、彼女は耳を澄ます仕草をして、満足がいったように頷いた。

微かに異世界と繋がっていたというパストと、散りばめた霊装を辿って宿主の記憶をもとに、自分と関りのある者達や世界での出来事を把握したのだという。

「お前が転移の瞬間を見たっていうクラスメイトの少年は、向こうで『神の落とし子』の役割をまっとうした。少し前に道端の魔剣を引き抜いて『魔剣都市』と呼ばれる場所で生きていかざるを得なくなった少女……これもお前のクラスメイトだな。彼女もまた、今では私の弟子のお蔭で自分の生き方を見出したらしい。もしかすると、お前の優秀な妹さんも、既に『歪み』によって何らかの資格を授かり、何らかの『シナリオ』が絡む事件に巻き込まれているかもな」

 自分の知らないところで、二人のクラスメイト——そして、全寮制のお嬢様学園に在籍している妹さえも、この突如として産声を上げた災厄の最中、自分を見失わずに試練を全うしているという事実。

「というわけで、頼んだぞ、主人公。……お前を中心に、悲劇の螺旋が渦巻き始めるぞ」

 まだ明確に、何かと戦ったり何かを救ったりという固い決意が必要であるなどとは言われていない。

 ただ、自分を中心に、それも身に覚えの無い『シナリオ』の上で、悲劇が描かれていくという恐怖。

 そして、臓腑を撫でられるような重い緊張に心を毟られる中、唐突にアイデアが沸き上がってきたのだ。

 朔也はくつろいでいるターチスに目もくれず、使い込んでいるノートパソコンを衝動的に開き、執筆ソフトを起動させて物語の序章を書き出した。

 『七匹の悪魔蜂』というシナリオを、書き出してしまったのだ。

 その時、自分が過去の傀儡となっていたのだということに、気付く由も無く。

 やがて、彼岸咲朔也は熟考の末、不穏分子を消して回ることを決意したのだった。

「今日は珍しくサボりだったのかしら?」

 好奇心が混じった笑みと共に朔也にそう聞いたのは、国語担当の講師であり彼の恩師でもある織白原柚だ。

 朔也は夕焼け色に彩られた教室内にある教卓に寄りかかり、「まあ、そんなところです」と、そっぽを向いて答えた。

「あら、唐突に新しい小説のアイデアが沸いて、衝動的にパソコンを開いてしまった——という言い訳を期待していたのだけれど」

 織白原は片手に持っていた教材を教卓の上に置き、ハーフアップで結われた栗色の髪を夕日に照らされながら、二席の間隔を挟んで朔也と相対する。

 白生地のニットは彼女の豊満な肢体を強調し、クリーム色のタイトスカートから覗く太腿は、黒いタイツを纏うことでどうしても煽情的に映ってしまう。

 もっとも、その感情の源は、彼女が魅力的な女性だからという理由に限ったことではないが。

「ご期待に沿えず申し訳ございませんでした」

「あらあら、そんな形式的な謝罪なんか求めてないわ。ただ、今から貴方のために行う補修を真面目に受けてくれれば、そしてあわよくば、この次のテストではこんな腑抜けた点数は取りませんと誓ってくれれば、それだけでいいの」

「……その節はマジですみませんでした」

 いつも小説についてのアドバイスなどでお世話になっている恩師が作成陣の仲間入りをした定期テスト……であるのに、あろうことか、朔也は創作を優先してしまい、結果的に赤点をとってしまったのだ。

「因みに、親友の伊和霧君は九割とってたわよ? この事実を知ったうえで、是非、彼への劣等感を糧として頑張って欲しいわ」

「飴とムチの比率がおかしい気がしますね」

 確かに、優秀な親友と比較して朔也のモチベーションを無理矢理上げるというのは有効的な判断だ。

 この瞬間に、骨が軋むような緊張を覚えていなければの話だが。

 ——お前の想い人である織白原とかいう講師……ありゃ、クロだな。

 部屋で、『シナリオ』の術式と朔也の血を辿って彼の記憶を垣間見たターチスが、不意に言い放った言葉だ。

 勿論、すぐに鵜呑みした訳では無いし、信じたくもない。

 しかし。

「とりあえず、さっさとやること始めましょう」

 自分の傍らにある机をコンコンと叩いて着席を促す彼女に、朔也は恐れを抱かずにはいられなかった。

「そっすね。遅くまで学校に居ちゃあ、先生も可哀想ですし」

 朔也はそんな心情を振り払うように飄々と振舞い、示された席の前に立つ。

 ——この『シナリオ』は、お前を中心に『役者』を巻き込んでいく。その辺の覚悟はしておけよ。

 高慢な妖精の言葉が、朔也の脳裏を掠めた。

 たったその一拍の間。

 相対する恩師は、己の業に架せられていた枷を外す。

「——そうねぇ。ずっとお預けをくらったままじゃあ、確かに私が可哀想だわぁ……」

 甘い声が淫靡に響くと共に、

 固まって目を見開く朔也に、恩師は不敵に笑いかけた。

「『役者』に選んでくれたこと、大変光栄に思うわ」

 そして、意を決して彼女の方を向き直れば、既に危惧していた事態が始まろうとしていた。

 髑髏どくろの顔をした黒塗りの蜂が、黄色に光る翅を鳴らし、鈍く光る針を織白原の首元に刺していた。

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