とある歴史解説

 土曜日。俺はまた史郎の店に来た。一三枚のシールを押し付けるためだ。




 ドアを押しながら入り込むと、一人のチェックのシャツを着た男性が史郎と何らかの交渉をしていた。テーブルの上には、昭和の文字が刻まれた人形と箱が見える。


「何とかこれ二〇〇〇〇円行きませんかね」

「これ自体ピーク時に生産された物で絶対数が多いんですよ、当店としても解説書込みだとしても一七〇〇〇円が限度と言う物でして、それがないとなると一二〇〇〇円が精一杯で」

「こっちはどうなんです」

「ああそれはすみません。裸の上に傷みがひどく、物自体は紛れもない四十年物ですがこの状態では二〇〇〇円しか出せませんね。完品なら一〇〇〇〇円出せますけど」


 怪獣の人形に、それからリモコンがついた怪獣のラジコン。そこまではまあともかくいかにも少女が好みそうな人形をテーブルに置きながら向かい合う史郎と男性の姿は正直不可解だった。もっともここにおいてはそれほど不可解でもなく、不可解だと思う方がむしろ不可解なのだろう。


「参ったよな、嫁に二万は持って帰るって約束したのによ、ちょっと電話いいっすか。ああもしもし、トータルで一五〇〇〇円にしかならないってよ。どうする、お前の人形持って帰る?え、一二〇〇〇円だってよ。ああそれでいい?じゃあそうするから」


 男性は妻に向かって結果の報告を始めた。営業畑に属していると山と見る風景だ。最初は不調でも何べんも足を運んでは顔を覚えさせ親しくなる、それが基本と言う物だと上司から教わった。

 その青年が何をしているのかは知らないが、とりあえず予定より下回る結果になってしまった事についてはご愁傷様と思うと同時に、そういう場合には暇があれば時を改めるか、いや場所を改めるかした方が良いのではないかとも思った。




「次の方、大変お待たせいたしました」


 極めてビジネスライクな物言いだが、むしろ心地よい。史郎の呼び付けに応じ俺はカウンターへと向かい、この前と同じように一三枚のシールが入った封筒を無言で史郎に差し出した。


「中身は」

「シールですよ、この前と同じ」


 土曜日だと言うのにこんな事をする理由と言えば、ほぼ金のためでしかない。この前はたまたま二六〇〇〇円と言う大金に化けて調子に乗った訳でもあるまいが、今回もある程度の期待は持っていた。


「今から始めますから」


 手袋をはめながらシールをピンセットでつまむ姿と来たら、まるで切手を扱うようだ。俺自身切手を集めた事なんかないが、傍から見れば似たようなもんなんだろう。あるいは失礼な事を思っているかもしれないが、取り消すつもりはない。




「何だ、さっそく大きいのが出たな。これは一〇〇〇円」

「ふーん」


 そしてその奇妙な期待はさっそく的中した。史郎はよくわからない順番に並び替えられた一三枚のシールの一番上に置かれたシールを嬉しそうにつかみながら俺に見せた。これに一〇〇〇円の値を付けて店は成り立つのだろうか。俺にはとんとわからない。


「次はまあ八〇〇円と、ああこっちは二〇〇円」


 続いて同じカテゴリーでまとめられた二枚。先ほどよりは安いがまあ悪い訳ではない。どうせもう最初の一〇〇〇円の以上高くはならないだろうと高をくくっていた俺は、史郎を名実ともに見下ろしていた。




「これが七〇〇円で、こっちが三〇〇〇円」




 ――そしてたやすく足下をすくわれてしまった。もちろん史郎には何の悪気もなく目の前の仕事をこなしているだけなのだが、俺の心はずいぶんと揺り戻された。

 確かに片方はもう一方より輝きが濃いが、同じシーズンの同じ名前でどうしてこんな差が生じるのだろうか、この前の体験をわきまえた上であったとしてもどうにも不可解だ。


「この二つは四〇〇円と一〇〇円。これは悪いけど七〇円、この二枚は共に一〇〇円で……まあ三枚合わせて三〇〇円。それでこれが四〇〇円で」


 だから安値と言うべき値段で処理されているとほっとする。もっともつい先週までは一円の価値もないと思っていた代物だから七〇円と言うだけで十分にありがたいのだが、この前の三〇〇〇円と言うフレーズで目の玉は十分に飛び出ている。

 その上に今日もまた一〇〇〇円に三〇〇〇円だ。これ以上異次元を見せられると俺の眼球と心臓が持たない。今こうして現実を生きるだけで精一杯だと言うのにだ。廃品回収と割り切るにしては額が大きすぎる。


「次にこれが一二〇〇円だね」

「何一二〇〇円」


 そういう訳で、一二〇〇円と言う値段を聞かされるとオウム返ししかできない。


「これは四枚セットの奴でね、もし全部そろってたら七〇〇〇円だよ。あとこっちは一〇〇〇円だ。つまり合わせて九二〇〇円と」




 もう驚く気さえ起きやしない。その時の俺にとってはともかく、今の俺にとってはただの紙切れに過ぎない代物に合計九二〇〇円の値段が付けられていた。もちろん返事はイエスだったが、口がこわばってその三文字が言えなかった。


「そういえばこの前、三〇〇〇円で売ったあれはどうした」

「あああれ?ネット通販で五〇〇〇円で売ったよ。良かったらうちのサイトを検索して登録してくれないか」


 わかりやすいやぶへびだと言うのに、ついそんな事を言ってしまう。自分が理解できないからと言ってむやみに相手を腐すべきでない事はわかっているが、いちいちありえない世界だ。








 ようやくそれでお願いしますと言う言葉を申し上げて現金をもらったものの、なぜか腰が重くなってしまった。本当ならとっとと帰ってこの結果を報告すべきかもしれないが、まだ嬉しそうにしている弟の話を聞いてやりたくて仕方がなくなった。




 俺が必死こいて二流大学に滑り込んだ中、こいつは小学生の時から名門として名の知れた、超とまでは行かないが一流の大学にスルっと入り込んだ。そしてそれ以来、お互い特別な時間でない以外一度も実家に帰る事なく今まで過ごしている。お互いの人生にむやみやたらに干渉する必要する事もないと思い、必死に生きて来たつもりだった。



「それぞれの理由について教えてくれませんか」

「まずこれなんですけど、チョコじゃなくてアイス版なんですよ。生産数がそれほど多くないので一〇〇〇円で」


 本来なら聞く必要などまるでないそれぞれのシールの背景を聞こうとしたのは、単にヒマなだけだ。家に帰っても特段する事がある訳でもない。強いて言えば子どもたちと遊ぶぐらいだが、その子どもたちも女房と同じように味を占めたのかこんな野暮用に向かう父親を満面の笑みで送ってくれた。あるいはたまには兄弟仲良く過ごして来いと言うのか。そんな事なら家でやるべきだとか言う理屈を抜かす気にもなれなかった。


「チョコが一般的なんだろう、アイスなんてあったか?」

「でもその時はアイスで買ったんだろ」

「お客様にタメ口か」

「そっちが先に言い出したってのに」

「これは大変失礼いたしました」

「今はあくまでも店主と客ですんで、必要以上の話はしたくありません。そういう場が必要だと言うのならばもう少し前提と言う物が欲しいんです。で八〇〇円と二〇〇円ってのはどうしてです」

「まあこれはですね、単純に人気の差です」

「しかし七〇〇円と三〇〇〇円ってのは納得が行かないんですが」

「やはりヘッドと通常の差ですね」

「アイスなら高いのですか」

「共に一〇〇〇円ずつ高くなりますね」


 一種の商談みたいな物かもしれないが、対象がこれだとどうしても緊張感が湧かない。ましてやスーツにネクタイではなく、部屋着に毛が生えたTシャツにジーンズ。しかも二人ともだ。一応清潔感はあるが、だからと言って説得力云々が増すわけでもない。


「それで儲かるんですか」

「さっきも言ったようにあれ一枚で二〇〇〇円儲かってますから。他にもたくさん売れてますから、まあ最近はネット通販中心ですけど」

「ならいいんですけど、それで飯は食えるんですか」

「食えますよ、飢えない程度には」


 どうしても話を反らしてしまう。いいとか悪いとかじゃなく、なぜか方向を違えたくて仕方がなくなる。俺の目の前でこんな子どものおもちゃを大真面目に評論している人間を見たくないと言うのもあるかもしれない、そしてそれがただ一人の実の兄弟と言うのもあるのかもしれない。そしてその事について頭ごなしに説教を垂れてやるには、この場はあまりにもアウェーであると言う現実もある。


「今度プライベートで」

「それからこの二枚と三枚は人気はあるけど数が多いからこんな安値が精いっぱいで、こっちも四〇〇円がせいぜいで」

「それでどうしてこれが一二〇〇円なんだ」

「これはもう完全に人気が落ちちゃってた時で数そのものが少なくてそれで。さっきも言った通りもしこれが四枚セット全部持ってたら七〇〇〇円で」

「そして一〇〇〇円ってのも同じ理由か…ったくこれでそっちの利益を上乗せした値札を付けるんだろう」

「そりゃもちろん」

「ずいぶんと楽な商売だな」


 こっちが理屈を抜かしてやりたい事を察して話題をすり替えて来る。単に元に戻しただけと言うのが正しいし接客業として取るべき態度なのだろうが、思惑を外された気分になりなんとなくけんか腰になってしまう。


「とにかくだ、九二〇〇円下さい」

「はい」


 俺は千円札を叩き付けて万札と百円玉二枚を受け取り、そのまま逃げ出すように無言で店を立ち去った。その必要もまるでないのに無駄にイライラして、無駄に敵前逃亡している。帰りに軽く小走りになったのは運動会のためとか言うのではなく、単に走りたかっただけであり、逃げたかっただけだった。








「あらお帰り、あなたどうしたの」

「帰りにちょっとランニングして来た物でな、それで九二〇〇円だそうだ」

「またずいぶんと大金ね、少なくともあなたにとってはそうなんでしょう」


 女房は無駄に汗だくになって帰って来た俺を暖かく迎えてくれた。これだけでも今日の出来事には価値があったと思いたい。

 その思いがふくらみ顔を緩めさせ、そして冷蔵庫から緑茶を一杯取り出して飲み干すと俺の顔はずいぶんとさわやかになった。


「お昼は悪いけどカップラーメンで、その分夜は丁重に作るから」

「楽しみに待つとするか」


 カップラーメンとは言うものの、正直見た事がないブランドだった。どこで買って来たんだと聞いてみたら近所のスーパーだと言う。俺の会社とはまるで関係のない分野だがこういう商品が発売され、それなりに受けているであろうことを思うとまたいろいろ考えさせられる。


「お休みの日だってのにあなた」

「ああすまん、えーっと説明文は……」


 そんな事を考えながらパッケージをじっと見ていると妻の声が降って来た。職業病と言うほどの物でもあるまいが、どうしても食品パッケージには気が向いてしまう。

 カップラーメンとは関係ない業界とは言えど、どうしてこれが発売されるのか、人気を集めるのか知らなくてはビジネスマンなどやってはいけないとも思っている。


「史郎さんと何かあったんですか」

「何もない、ただあいつの口上を聞いていただけだ。さっさと処理してくれればいいのにああだこうだとまあ」

「あなたとそんなに変わらないんじゃありませんか」




 確かにあいつにとってはああいう口上を並べ立てられる下地がなくてはあの商売は務まりようがないだろう、とは言えそれは俺に向かって振るわれるべき物ではない。

 確かに女房の言った事は実にもっともだ、パッケージを眺めてああだこうだ言うのならばもう少し暇な時か逆により仕事に向いている時にすべきだった。我ながらどうもうまくない。


「あなたって真面目で優しいですけれど、同時に心配症で説教臭いですから。そこを直さないとその内子どもたちから煙たがられますよ」

「直すと言ってもな、何かあるとどうにも口を出さずにいられなくなる。親父もお袋もそんなんじゃなかったはずなのにどうしてかなあ」

「まあとにかくとりあえずおいしく召し上がってください」


 結局のところ、それが一番大事だ。栄養のバランスもさることながら一緒に仲良くおいしい物を食べる事が大事だ。家族それぞれ味覚の違いはあるにせよ、それぞれがそれぞれにとっておいしい物を食べ、そして気分を弾ませる。

 だから早く結婚しろだなんてせかすつもりはないが、どうしてもそうしようとしない人間を見下してしまう。もちろんできない人間を見下すつもりはないが、チャンスがあるのに追おうとさえしないような人間は見下されてしかるべきだろう。




 昼飯を簡単に済ませた後は子どもたちと適当にたわむれ、そして子どもたちが引っ込むと出て来た夕飯はビーフシチューだった。女房の言った通り丁重に作っていたゆえ味は深く、肉がするっと溶ける。


「あら、一〇〇g五〇〇円の特売品だけど」


 特売品を高級品に思わせるのは技術だ。バイトしてただけと自称しているが、結婚するまで八年間もレストランに勤めていた人間らしい素晴らしい技術だ。


「お父さん顔が笑ってるよ」

「お前たちも食べればこうなる」




 娘も息子も俺の言った通りになった。もし結婚に二の足を踏む人間がいるのであれば、俺の家庭を見せてやりたい。俺はこんなに満たされている。その快感を味わえる。

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