もう十三枚

 とにかくシールを売り払ってから十日後、ほとんどその存在を忘れて来た頃に帰宅した俺の携帯に、妙なメールが入っていた。





「お原器ですか。よくわからない封筒みつけました。たぶぬあなたたんだとおもうのでおくりました、そういえぱこのまえのわどうしましたか💣」




 慣れない携帯電話で必死にメールを打ったんだろう、そういえば休み時間に若い連中が母親の打ったメールの載った本を読みながらゲラゲラ笑っていた事もあったが、勧められて少し読んでみると俺も思わず笑ってしまった。だがいざ自分の下に送られて来るとなるとあんまり笑えない。と言うより今年で六十五になるおふくろがどうして携帯電話なんか持ったんだろう。



「どうもありがとう、俺は元気だよ。健康と振り込め詐欺には気を付けてよ、何かあったらまず俺と女房に確かめてから!」


 つい不安が先立ち、こんな重たいメールを送り返してしまう。なぜおふくろが携帯電話なんか持ってるんだろうか。親父が持たせたのだろうか。


「あなたの言う通りお義父さんじゃないの?あるいはお義父さんだって数年前まで現役だったんでしょう、まだその時の使い回しじゃないの?」

「ならいいんだけどな、というか古い奴ってのはどうもセキュリティで不安が付きまとっててな、かと言って新しいのは使いこなせそうな気がしないし……」

「どうもあなたのそういう所がね、まあもちろんよく言えば真面目で用意周到とも言えるけど、ちょっとね」


 丸い卵も切りようで四角とはよく言ったもんだ。さっきのメールだって親思いとも言えるし、親を信用していないとも言える。まあこの場合俺が信用していないのは親じゃなくて携帯電話の方なんだけどな、携帯電話なんて代物を作った奴にもそれ相応のドラマがある。俺は営業畑一筋なんであっちこっち歩き回って様々な人間にも触れて来たが、その度にいろんな背景を持った人間に出くわす。


「そうそうあなた、もう再来週ですよ。今からやっても付け焼き刃でしょうけど、ちょっとは体を動かした方がいいんじゃありませんか」

「ああ、そうだな」


 娘の通う小学校では運動会は秋だが、最近では春にやる小学校も多いらしい。それはさておき運動会で張り切りすぎて怪我をする父親の例は絶えないと言うのに、ついつい無理をしてしまう。

 どこかのテレビ番組で元アスリートの男性が引退してたかが数年で派手にケガをしたと言う話を聞かされて以来、俺は半ばそうなる宿命があるんだから決して無理をしてはならないと開き直っていた。



 一応昔、中高一貫してサッカー部に所属していた。ある時は俺と同じように六年間サッカー部だったと言う男性とそのマネージャーだったという夫婦が店主夫婦を務めている店に売り込みに行った事もある。

 その際にうっかり自分の経歴を話してからと言うもの、えんえん一時間ほど向こうの夫婦の経歴となれそめと自慢話を聞かされた事もある。まあ契約が取れたからよかったものの、高校サッカーで地方大会とは言え準決勝にまでコマを進めたチームのレギュラーと俺を一緒にしないでくれと思いっぱなしだった。




「あっそう……」


 お父さんは嘘は嫌いなんだ、そう言い聞かせた上でとは言え俺の学生時代の成績を話すと娘も息子もがっかりしたような様子で俺の下を去って行く。

 六年間もサッカー部に所属していながら、試合に出たのは四回だけ。しかもフル出場となると高校三年生の時の引退試合にお情けで出ただけであり、トータル出場時間は一〇〇分あるかないか。要するに万年補欠だった。

 ずるい免罪符である事はわかっているが、それでも真実から目を背けるのはどうも気に食わない。エースもいるし、サブもいるし、補欠もいる。それが世の中の構図って奴じゃないだろうか。四回の出場ってのも中学・高校とも三年生になってからと言う全く年功序列のおかげさまな話であり、技量そのものが上がっている訳ではなかった。それでも不思議と満足しているし、心残りはなかった。







 次の日、帰宅して子どもたちに迎えられながら靴を脱ぐと女房が封筒を見せて来た。細長い茶封筒で、住所も郵便番号も何も書いていないし切手も貼られていない。このまま使えそうな封筒だと思いきや、なぜか郵便番号が5ケタだった。

 それだけで相当に古めかしい事、そしておふくろが俺に送って来た物だという事がわかる。


「中身は開けてないのか」

「ええ」


 普段着に着替えて椅子に座り封筒に触ってみると、何かの平らな物体がいくつか入っている事がわかる。茶封筒なので中身は見えないが、おそらくはこの前の段ボール箱と同じだろう。

 中身を切らないように適当に振り、ハサミを持ち出そうとすると女房が手で封を切ろうとしていた。


「万が一って事があるでしょ」


 この前の二六〇〇〇円で味を占めたか、扱いが少し丁重になっている。まあ俺だって万が一を恐れていない訳でもない。おとなしく女房に任せ、俺はハサミをしまった。






 

 十三枚のシール。予想通りこの前のと同じ類のそれだ。違うのは、二枚をのぞいて顔が比較的似ていると言う事だ。


「これもこの前の仲間?」

「でもこんどのはあんまり好きなのがないなー」


 こんな風に別個にしていたという事は俺は当時このシール、というかこの十一枚のシールに描かれているキャラクターを相当に大事にしていたという事だ。なぜなんだろう。裏書にはキャラクターについての説明文が書いてあるが、読む気はなかった。


「これもお店に持って行くの」

「まあそうなるな」


 もうこの十三枚のシールにはそういう役目しかない。あるいはネットオークションにでもかけてやればもう少し高値で売れるのかもしれないが、そんなご大層な事をしてやる価値があるとも思えない。

 一〇七枚注ぎ込んで二六〇〇〇円だったもんだ、十三枚ならその八分の一ぐらいの価値と考えるのが妥当な線だろう。すると三〇〇〇円ぐらいか。まあ子どもの小遣い程度にしかならないだろう。


「明日にでも私が持って行きましょうか」

「やめとけ、その程度の事にお前が行く必要はない」


 元々が子どもの頃の俺の遺産であり、自分の尻ぐらいは自分で吹かねばならない。自分がした事の責任は自分が取らねばならない。これまで親の家のスペースを占拠しておいた人間が言えた義理でもないが、それが大人って言うもんじゃないだろうか。


「出したおもちゃはちゃんと元の場所にしまっておく物だ、次に使う時あれどこに行っちゃったんだろうなってなって困るのは自分だぞ、教科書とかノートとか鉛筆とか、そういう物はきちんとしなければならない」

「あなた」

「ああどうもいかんいかん、俺ももうおっさんになっちまったな、ついつい若手社員がどうもその点がなっていないのが気になって仕方がなくてな。俺も仮にも十人の部下を抱える身だ。平社員だった頃は自分もそうだったくせにな、みんなすまないな」


 三十八歳と言うのは、「まだ」とも「もう」とも言える年だ。そして今回の場合は明らかに「もう」だ。入社したての頃は先輩や上司からの説教が重たくて辛かった物だが、今自分がその側になってみると勝手に伝染しているのだから厄介な物だ。この病気に対してのワクチンはどこも開発していないだろうし、実際問題あったとしても打つ気にはならないし打たせる気もない。




 二人の子どもと一緒に風呂に入り、妻が最近凝っているスムージーとか言う代物を呑みながら一家四人で座を囲み、テレビをつけるとまた他愛もないバラエティ番組をやっていた。

 本職の芸を見た訳でもないお笑いタレントと派手さと若さと勢いだけが取り柄のような女性タレント、それにかつて名を上げていた大御所芸能人。


 どうやら見た所によると適当に並べられた数品の中から一番価値がある物を見つけ出して行くと言うコンセプトらしい。どこかで見たような企画を対戦形式にしただけという陳腐な代物だ、若者のテレビ離れとか言われるがなるほど無理もないよなと思いたくなる。

 娘も息子も興味がないようで見向きもしていない。ならば消せよと言う気分にもならず、ぼさっと見ているとテレビに思わぬ物が映った。


 あの店にあるような、ソフビ人形が八つ。




「さてこの中で一番安い、一〇〇〇円の物を選んでしまった人が失格です!」 


 アナウンサーだかタレントだかわからない派手派手しい衣装を着た俺とあまり年の変わらない男が無駄に一回転しながら言ったフレーズは、俺の心を揺るがした。

 

 一番安いので一〇〇〇円。こちとら一〇〇〇円亭主をやっている訳でもないが、すっかりその手の物から離れてしまった人間から見るとどれも一〇〇〇円の価値すらあるように見えない。それまでの陶器やら掛け軸やらならばなるほど数百万の価値があるように思えて来るが、今度はどうしてもダメだった。




「四〇〇〇〇〇円で二位だって、じゃあ一位はいくらなのかしらねえ。それで私は、この子が持ってるこれが箱ありだし一番かなと思ったけどそうでもないのね」


 妻は軽やかに舌を動かし、私は黙って見ている。それで一番高い奴に五〇〇〇〇〇円の値が付いていた時には妻は呵呵大笑し、俺はやはり黙っていた。値段を付けたプロだと言う人間の裁定、それぞれの人形に隠されたエピソードを妻はずいぶんと楽しそうに聞いていたが、俺にはまるで他国の話に思えた。


 これが掛け軸や磁器陶器となるとなるほどと思えるが、おもちゃの類になるとどうしてもその方向に行ってしまう。自分が子どもにおもちゃを与えているのにだ。




「それにしてもやり方が汚いわよね、この前できたばっかりの商品を混ぜ込むだなんて、しかもそれが一番安いとは限らないって言う」


 この番組で評価できる点があるとすればそこぐらいだろう。それなりに凝った演出だし、悪い意味でのお約束ではない展開も呼び込んだ。もし俺が上司ならば少なくともその点はほめてやりたい所だが、俺はテレビ業界の人間ではない。たかが一視聴者と番組の企画者では次元が全く違う。意識しなければ交わっていると言う実感すらない存在だ。

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