貼ったり貼られたり
@wizard-T
二六二九〇円
元々は何が入っていたんだろう。それを想像するだけで少しは時が潰せそうな箱。おそらくは元々なんかの小包が入っていたんだろうけど、乱暴に表面がはがされていてその跡が生々しく残っている、小さな段ボール箱。
なぜこんなもんを取っておいたんだよとか聞いてみたが、おふくろはさあねとしか答えない。
「貴重品でも入ってるの」
女房からはそう言われたが、俺自身全く心当たりがなかった。俺の小学校一年生の娘と年長さんの息子も興味津々と言った様子で、ある日このおふくろが唐突によこして来た荷物に近寄って来たが、俺自身全くわからなかった。
なぜだかわからないが、子どもの時の思い出ってもんを親ってのは案外大事に取っておくもんらしい。俺も今や二児の父であるが、同じように子どもが見捨てたおもちゃとかを取っといて孫とかに見せたりするんだろうか。
ダジャレ、文字を一部変えた物。それから出典のよくわからないネーミング。輝く物もあれば、ただ名前とデザインだけが描かれた物もある。
そんな非常に薄っぺらい物体が、この箱の中身だった。
「お父さんこれ何」
「お前たちぐらいの時集めてたもんだよ」
「なんか面白そうだね」
子どもの時に必死になって集めていた記憶がある、お菓子のおまけシール。どうしておふくろは俺すらも忘れていたもんを残しておいたんだろう。いくら子どものころ必死に集めていたと言っても、今となってはさしたる思い入れがあるわけではない。
「史郎さんならばわかるんじゃないの」
史郎のやつは五年前、小さな店の雇われ店長になった。こういう代物を取り扱う店だ。そう言う訳でこの段ボール箱の行き先は、すぐに決まった。
住宅街の片隅に文字通りひっそりとある、知る人ぞ知ると言う冠がぴったり来そうな店。そこには一体何のためにあるのかよくわからないような代物がズラッと並び、それに理解しがたいような値段が付けられている。
それでも買う奴は買い、売る方もそれを見越して値段を付けている。今までのいっぺんしか来た事のない店に、此度二度目の来店をする事になった。
「相変わらず暇な店だな」
「めったに人が来るもんじゃないし、それにしても何を買いに来たんだ」
史郎と来たら相手が俺である事に気付くや、すぐにタメ口になる。こっちがタメ口で話しかけて来たとは言え店主と客だってのにまあずいぶんな物言いだが、それを言った所で始まらない。
「懐かしいな」
「まったく世の中ってのはわからんもんだよな」
中学高校時代と、史郎の方が俺よりずっと成績は良かった。それが今は俺が真っ正直に働くサラリーマン様であり、史郎はこんな店でひとり店長と言う名の孤独な生活をやっている。
「ったくお前は今年で三十五だと言うのに女っ気一つないな。いいかげん婚活の一つでも始めたらどうだ。聞けば年収も俺とそんなに大差ない程度にはあるようだし、確かに女性が寄り付きにくそうな職場とは言えな……」
「お客様」
ああいけないいけない、どうにも史郎の顔を見ていると説教臭くなる。俺はあくまでお客様として、持ち込んだ代物の買い取りを願い出た。
一枚一枚ピンセットで確かめては、拡大鏡越しに状態をチェックしている。その間俺は店内を見渡しているが、どれもこれも信じられない様な値段が付いている。
店に入って来て真っ先に目に付く、箱に入ったまんまのソフビ人形に一〇〇〇〇〇円と言う値札がついているのを見た時は目をこすらずにいられなかった。
「ああそれ箱書きに誤字があってね、箱なしだと三〇〇〇〇円だよ」
たかが誤字のある箱書きのために七〇〇〇〇円も出すと言うのか、全く物好きと言う奴はつくづくわからない。他にもいろんな代物が並んでいる。
俺が持ち込んだのと同種のシールも並んでいた。ガラスケースの中に入っている物もあれば、小さなビニール袋の中に入っている物もある。
「何だよこの三五〇〇円ってのは」
「それはまあそういう事だ」
三〇円で買えたもののおまけに三五〇〇円、全く面白くもない話だ。しかも史郎の話によれば状態が良ければ倍はすると言う。
期待を抱くつもりはない。確かに四〇〇〇円する物もあれば、二・三〇円に過ぎない物もある。十把一絡げにかき集められたシールの中に、玉が一つでもあれば重畳ぐらいの気持ちでここに来ている。美味い外食ができればそれで百点満点だ。
「会計済みましたよ。えっとまずこれ、さすがですよね、よく持ってましたよ。これ三〇〇〇円で。あっちょっと」
「失礼」
―――三〇〇〇円。
史郎のその言葉は、いよいよ俺の心を打ちのめした。三〇〇〇円で買うという事は、売る時はもっと高い値段を付けるのだろう。思わず大きなため息を吐いてしまい、シールを吹き飛ばしそうになって平謝りを強いられた。
「あとこの八枚、この時はだいぶ人気が落ちてて発行数も減ってましてね、一般シールでもそれなりの価値はあるんですよ。だから全部一枚四〇〇円で。あとこれは数は多いけどキャラの人気が高いから三〇〇円で……」
史郎はペラペラと別に聞かせる必要もない理屈を並べながら値段と理由を述べて行く。その目と来たらまったくきれいなもんであり、これを止めたら俺の方が悪魔になる。
ああ悪魔と言えばこの悪魔のシールって奴もキャラクターの人気と活躍のせいで他より少し高いらしい。まあ十円と五円の差だったが、それでも俺の首を傾げさせるには十分だった。
「で、合計二六二九〇円で」
一〇〇枚ほど持ち込んだ結果の数字がそれだった。正確に言えば一〇七枚だったが、俺と女房の予想の一〇倍近い額を見せられた俺ははいそれでお願いしますと言うセリフを口から出す事ができなかった。
「まあ全体的に状態がいいのが多いから、もうちょい高くしてもいいかなってのが何枚かあるけれど」
「仮にそちらの言う通りだとしてあとどれぐらい変わるんです」
「うーん、一〇〇円ぐらい」
「二六二九〇円でいいです」
一〇〇円でごねるのはみっともないし、第一にこの場を早く立ち去りたかった。この場所には世の中年男性が魅かれそうな物が揃ってはいるのかもしれないだろうが、俺には別世界の代物ばかりだった。早く逃げだしたくて仕方がなかった。
「へえー……」
二六二九〇円と言う金額を聞かされた女房の第一声はそれであり、そしてそれから三秒ほど女房は何も言わなかった。まったく俺と同じ反応だと言ったら、ようやく女房は動き出しそして大笑いした。
とにかくだ、今の俺にとっては何の価値もない代物に万札二枚半以上の価値が付いた事は決して悪い事ではない。息子などは一、二枚気に入った物があったようで少し残念がっていたが、だったらなんでその時に言わなかったのと姉から言われて黙ってしまった。
後でどれとどれなんだよと聞いてみたら確か二〇円と一〇円の物だった。三〇円の菓子のついでだからほぼ原価ぐらいの値段だろう。三〇円で子どもたちをときめかせる事ができるとは、まあずいぶん罪深い紙切れだ。
昔の俺だってそうだった事を思うと、人間なんぞそうそう変わらないんだなという事がよくわかった。どうせ店で値段が付いた所で五〇円と二〇円ぐらいだろうし、いずれ買い戻してやってもいいか。
「あなたの所有物だったんだから好きに使っていいですよ」
「じゃ来週どこかにディナーでも喰いに行くか」
趣味は何ですかと聞かれれば読書と言う事にしているし、じゃ愛読書はと聞かれると阿Q正伝と答える事にしている。と言ってもそんなに御大層な事をしている訳でもない。話題になったベストセラーや古典文学を漁るのがせいぜいで、そこから踏み出すつもりもはみ出るつもりもない。
古本屋に行けば数百円であり実に安上がりな趣味だ。よく仕事や子どもを生きがいにしていると退職し子どもが自立した後危なくなるとか言うが、そうなったら自分で書いてやるのもいいかもしれない。もちろん賞を取るなんぞギャグでしかないだろうが、自分で自分の世界を作り出すのはなかなかに面白そうだ。
ちょうど就職氷河期世代にぶち当たった三十八歳、俺は大学三・四年生を就職活動に費やし、ようやく七社目で採用された。一応希望の食料品関連のメーカーではあったが、最初の見込みより一回り小さな会社にしか引っかからなかった。
それでもそこに根を下ろして十六年、ようやく妻と二人の子と十人ほどの部下を持つ身になった。少なくとも後ろ指を差される覚えはないつもりだ。それが社会人としての義務って言う奴じゃあるまいか。
シールのなれの果てである万札を握りしめ、ファミレスに入った。もちろん今日一日で全部使い切るつもりはない。
おそらくは半分ぐらいが今日なくなり、残り半分は二人の子どもに叩き割って与える事になっている。端数は俺が使うつもりだ、別にいいだろう。
娘の方はミートソーススパゲッティ、息子はお子様ランチ。俺と女房はステーキ。なんとも平和な光景だ。息子はお子様ランチにくっついて来た今流行りのゲームのキャラのぬいぐるみを横の席に置きながら満足そうにほおばっている。三十年前の俺とほとんど変わらない。違う事があるとすればあの時隣にいたのが女の子ではなく男の子であると言う事と、その二人の子どもの内年かさの人間の方がはしゃいでいると言う事ぐらいだ。
昔の若者はとか言った所で子どもはそうそう変わる物でもない。俺には姉妹はいなかったし親族にも近い世代の女の子はいなかったが、もしいたら今の娘と同じような物を好んだのだろうし、俺も娘に対して同じような感慨を抱いたのかもしれない。
「なあお前」
「何」
「お前が子どもの頃夢中になったもんと今娘が夢中になってるもんって違うか?」
「あなたは同じみたいね、私は違うつもりだけど」
家に帰り子どもたちと適当に遊び寝かせた後にその事を聞いてみたが、どうも女房と娘は違うらしい。男と女の差なのか、それとも個人差なのか。平日に仕事場で同期の妻子持ちの人間に聞いてみたが、要領を得る回答は返って来なかった。
子どもの時の事とか言われてももう忘れましたしとか、男の子はともかく女の子はわからないよとか、女性に聞いてみても同じ調子だった。
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