疲れが取れれば、その体は健康体そのもの。疲れを気にしないから、見つけられなかったものも見つかる。




 坂春とタビアゲハが水上バイクに乗り込むと、毛むくじゃらの男はアクセルを握る。


 水上バイクは向こうの島に向かって、海面を走り始めた。




「少し聞いてもいいか? おまえは変異体を匿っていると言っていたが、あの島に変異体が住んでいるのか?」


 坂春にたずねられて、ハンドルを握る男は前を向いたまま「そうだ」と答える。

「おいらはもともと、あの島を開発していた開拓者だったんよ。そこであいつらと出会ったんだあ」

「開発ッテ……ナニヲ?」

 タビアゲハはその甲高く奇妙な声を隠さずに質問した。

「町を建てようとしたんだ。だけど、そこで働いていた労働者や居住をしようとしていた人がみんな体調不良を起こしてなあ……工事は中心になった。それところが、その島に立ち入ると体調を崩してしまうって、ウワサが立ったんよ」

「それでフェリーの方も廃れたというわけか……まさかその原因が変異体じゃないだろうな」

「じいさん、感が鋭いねえ。確かにあいつらのせいだ。だが、あの時は力をうまく活用できなかっただけだあ。今はすっかり使いこなせるようになっている」




 島が近づいてきたころ、男はちらりとタビアゲハを見た。


「娘さん、あんた、どうしてこのじいさんの旅に付き合っているんかえ?」

「……付キ合ッテモラッテイルノハ、タブン私ノ方ダト思ウ。私……世界ヲコノ“触覚”デ見テ回リタイカラ」

「旅か……変異体であることがバレると、建物に隔離されたり駆除されるというのに……やっぱりおいらと同じだあ」


 男は目線を前に向けた。いや、ちょっとだけ空の方向を向いている。


「おいらはあいつらが充実感を得るために、こうして疲れている人間を運んでいるんだ。本当は、誰にも悟られずにあいつらと一緒に静かに暮らしたいもんだけど……」






 やがて、水上バイクは島の波止場の前で止まった。






 坂春とタビアゲハは水上バイクから下りたが、男は運転席に座ったままだった。

「おまえは下りないのか?」

「ああ、本当は買い出しに行くためにあっちに行っていたんだ。あんたたちは先に温泉につかってこい」

「温泉……?」「オンセン……?」

 予想外の言葉を、ふたりは声をそろえて繰り返した。

「この森の奥に脱衣所があって、そのすぐ向こうに温泉がある。その温泉はすごい効果だからなあ。肩こりはおろか、悩みですら運びだしてしまうほどだよ」


 男は「そんじゃあ、ゆっくり楽しんでくれよ」と言い残して水上バイクを飛ばした。


「……ドウスル?」

 その場で立ち尽くす坂春に、タビアゲハがたずねる。

「……せっかくだから、その温泉につかってみるか。肩こりは温泉が効くとも言われているからな」

 坂春は左肩を回しながら、男が指さしていた方向に向かって歩き始めた。タビアゲハは後に続きながらも、質問を続ける。

「オンセンッテ……浸カルモノナノ?」

「でっかい風呂みたいなもんだが……まあ、つかればわかるだろう」




 ふたりは森の中の道を進むと、目の前に公衆便所と間違いそうなコンクリートの小さな建物を見かけた。

「ここが脱衣所なのだな。それじゃあ、タビアゲハはそっちの部屋で着替えてくれ」

「ウン……コノ先ハ別々デ温泉ニハイルノ?」

「いや、多分混浴だろう」

「コンヨク……?」

「男女共有で入る風呂だ。恐らくは他の人間にタビアゲハの姿を見ないからだいじょうぶだが、一応、ちゃんと胸から腰までタオルを巻くようにな」

 坂春は片方の部屋に入っていった。


「……温泉ッテ、性別デワケテ入ルモノナノ?」


 タビアゲハは、ふに落ちない様子で、アゴに一差し指をのせて首をかしげていた。






 しばらくして、反対側にある2つの出口のうちのひとつから出てきたのは、


 化け物だった。


 白いタオルからはみ出た青みを帯びた肌に、手足の鋭いツメ、そして、本来は眼球が収まっているべき部位から、青い触覚が生えている。その触覚はまぶたが閉じると引っ込み、開くと出てくる。

 先ほどから言われている通り、この化け物……タビアゲハは“変異体”である。


 風がなびき、長めのウルフカットが揺れる。

 右手でタオルを押さえて左手で髪をかき上げるしぐさ、そして、まぶたを閉じて触覚を仕舞う時に一瞬だけ見える、ミステリアスな美しさを持つ顔つき。ところどころに人間だったころの名残が残っている。


「……タビアゲハ、待たせたか?」


 その声にタビアゲハが振り返ると、裸の上にタオルを腰に巻いた坂春が近づいてくる。足にはちゃんとサンダルを履いている。

「ウウン、今デタトコ。ソレヨリモ、早ク入ロウヨ」

 タビアゲハは道の向こうを指さした。




 そこには、温泉があった。


 岩で囲まれた湯に、緑色の湯。


 坂春が近くまで来て上を見上げると、


 青空に雲が浮かんでいた。






「……ふううううぅぅん」「ウッ……」


 坂春は力を抜けるように、タビアゲハは入る瞬間の暑さを耐えながら、温泉に肩までつかった。

 しばらくの間、ふたりは何も言わずに、その暑さを感じるようにまぶたを閉じていた。


「……坂春サン、ドンナカンジ?」

 タビアゲハはまぶたを開け、触覚を坂春に向けた。

「ああ……体の中にたまっていた疲れが……外にはき出されるようだ……」

 坂春はまぶたを閉じたまま、大きく息を吐く。

「確カニ、普通ノオ風呂ト何カ違ウネ……」


 ふと、タビアゲハはあるものに触覚を向けた。


 それは、温泉を囲む岩の縁に設置された、木製の四角いダクトだ。岩から生えたような形状で、先は温泉の水面の下までつかっている。

 反対側にも同じ物が設置されている。


 タビアゲハはそのひとつに泳いで近づき、その場で潜った。




 温泉の中を潜ると、ダクトの出口から小さく手足のついた丸い泥人形たちが数十匹ほど出てきた。


 泥人形たちは温泉の中で、触覚ですら見えなくなるほどの大きさに自らの体を分解する。




 消えたと思って観察を終え、水面に上がったタビアゲハ、


 そして、肩の疲れを癒やす坂春、


 ふたりの体の毛の穴から、分解された彼らは体内に侵入し、


 疲れの原因の物質を回収し、体内から出てくる。


 そして、反対側のダクトへと向かい、


 その付近で再び融合し、泥人形の形に戻る。


 彼らの手にあったのは、小さな泥団子。その中に回収した物質があるのだろうか。


 その泥団子を手に、ダクトの中に付けられた小さなはしごを登り、


 奥へと去って行った。






 その後、温泉から上がったふたりは、脱衣所でそれぞれの元の服装に着替え、砂浜に向かった。




「肩コリ……モウ治ッタ?」


 海岸の砂浜に到着すると、タビアゲハは坂春の様態を確認した。

「ああ、もうだいじょうぶだ」

 両肩を元気そうに回す坂春だったが、ふと、ある疑問を抱いたように動きを止める。

「……しかし、不思議な温泉だったな。普通の温泉とは入っている時の感触が違う……まるで何かが体内に入って、そのまま外に出て行くような感覚がしたような気がするが」

「ア……ソレハ……」


 タビアゲハが自らが見た経験を話そうとした直後、海上に水上スキーが見えた。




「いやあ、遅れてごめん。向こうのフェリーターミナルでさ、明らかに元気のない人を見かけたから、連れてきちまったよ」


 水上スキーに乗っていたのは、運転手である毛むくじゃらの男、そして、フェリーターミナルにいた茶色いコートの女性だった。

「……」

 女性はクマのある目で、相変わらず目線を下に向けていた。

「それよりもあんたたち、湯加減はどうだったかえ?」

 男にたずねられて、坂春は「ああ」とうなずき、女性に顔を向けた。


「ここの温泉は素晴らしかった。旅の疲れを持ち去ってしまうほどな」


 女性の目線が、少しだけ上がった。






 その後、男は水上スキーで坂春とタビアゲハをフェリーターミナルに送り届けた。


 坂春とタビアゲハがその場を立ち去り、しばらくしてから、女性も同じように送り届ける。


 島から戻ってきた女性は、先ほどは見せなかった目の輝きを持っていた。


 もはや、彼女の体内に疲れはない。


 その様子を見た男は満足そうにほほ笑み、泥団子たちのいる島に戻っていった。






 フェリーターミナルの中のベンチに座り、女性はスマホを耳に当てた。




「もしもし……あたしです! 見つけました! やっと見つけました! まだ誰にも発見されていない秘湯を! あそこで観光開発を行えば、この世で一番の観光名所になるはずです!!」




 かつては、見つけなければならないものを見つけられないと絶望していた女性。




 今では、興奮気味に目を見開き、ハキハキと口を開けていた。

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