充実というガムは、捨て時に困る。味がないからだ。
「……いててて」
駄菓子屋の奥にある畳の部屋で、タビアゲハはうつぶせに倒れている坂春の背中を見つめていた。
服を脱いでいる坂春の背中には、湿布が貼られている。
「なんかすまないことをしたね。あまりにもあの人に似ているもんだから……」
湿布の箱を閉じ、店主は照れたように頭をかいた。
「ぎっくり腰で済んでよかったが……あの音が骨折の音に聞こえるほど力が強かったぞ……」
愚痴をこぼす坂春の側で、タビアゲハは何かを聞きたいように口を開けては閉じることを繰り返していた。
「……あんた、何か聞きたいことがあるんだね?」
その様子に気づいた店主に声をかけられ、タビアゲハはまた背中を伸ばした。
「あんたの正体はとっくに知っているよ。うちが出てきたときにカワイイ声を出して驚いていたからね」
先ほどは見せなかった笑みを浮かべる店主。
その表情から見られる本来の優しさを感じたタビアゲハはほっと一息つき、出せなかった言葉を口から出した。
「アノ……坂春サンニソックリナ、アノ人ッテ……?」
店主はその言葉を予想していたように目を閉じてうなずき、懐かしそうに店内の方向に顔を向けた。
「あの人は……私がこの店を継ぎはじめたころに出会った」
その日は、いつも来てくれる子どもたちもこなかった。
代わりに来たのは、晴れだというのに破れたレインコートを身に包んだ男。
彼は店にやって来るなり、腕を伸ばしてうちの首を絞めた。
「俺をここに匿え。さもないと折る」
うちはただうなずくしかなかった。
後に訪れた警察の事情徴収にも、カウンターの影に隠れるあの人に脅されたまま、ウソをつかなければならなかった。
警察が立ち去った後も、彼は首の手を離してくれないまま、破れたレインコートを脱ぎ始めた。
彼は、“変異体”と呼ばれる、元人間の化け物だった。
変異体の体は、人の肉眼で見ると恐怖の感情を呼び出してしまう。このことはあんたもよくわかっているだろう?
その性質上、警察に見つかると捕獲されて、人の目が向けられない場所に移されるということもね。
だけど、うちは怖くなかった。
首を捕まれていることになれるころにそのことに気づき、同時に胸の高鳴りを感じた。
唯一、人間の形を保っていたあの人の顔を見て……
新しいレインコートを着た彼を、ここに引き留めた。
「そいつが、俺の顔にうり二つなのか?」
坂春が問いかけると、店主は坂春の顔を見て、「あんたよりも若くて、もっと渋い色男だったわねえ」と笑った。坂春の表情が一瞬だけ曇った。
「ソレジャア、ソノ変異体ノ体ッテ、具体的ニハドンナ見タ目ナノ?」
「それはいえないね。うちだけの思い出に仕舞わせてくれないかい」
すっかり打ち解けた店主は、タビアゲハに明るい笑みを浮かべた。
「あの人と過ごした日々は、本当によかったわあ……まるで、飽きることのないガムをかみ続けているような幸せ……」
「……」「……」
坂春とタビアゲハは、わかりきっていた事に改めて察するように、何も言わなかった。
「どうしたんだい、いきなり黙って……あの人が警察には見つかったとか思っているんじゃないだろうねえ?」
「!?」「エッ」
戸惑うふたりに、店主はあきれたように腰に手を当てる。
「確かに、変異体を匿ったことがばれたさ。だけど、あの人はその前にここを立ち去った。近所に感づかれたことに気づいた時、うちが逃がしたんだよ」
その話を聞いて、ふたりは同時に胸をなで下ろした。
「デモ、変異体ト暮ラシテイタコトハ知ラレタンダヨネ?」
「ああ、変異体を匿えば罪に問われる。何年か牢屋で過ごして、帰ってみれば店は大荒れさ。外見はともかく、せめて中身は奇麗にしたつもりだけどね」
「すべて、あの人とやらを向かい入れるためか?」
坂春の言葉に、店主は一瞬だけ頬を赤らめた。
「そんな言い方したら、うちがクサいセリフを言っているみたいじゃないか」
数時間後、
腰をさすりながら、坂春は駄菓子屋の前に立っていた。
「坂春サン……腰ハ大丈夫?」
店内から出ながら、タビアゲハが心配そうにたずねる。
「ああ……なんとか歩けるが……今日の内に病院に行くことにするか」
坂春が立ち去ろうと歩き始めた時、タビアゲハは後ろを振り返り、手を振った。
カウンターで店主が手を振るのを見て、タビアゲハは満足そうにほほ笑みながら立ち去った。
病院へ向かう道の途中。
坂春はポケットから赤い球体を取り出した。
「まさか、ガムのくじで当たりを引くとはな」
横を見ると、タビアゲハは青い球体……ガムを手にしていた。
「アノクジッテ、赤イガムガ出テクルト10円分ノ商品ガオマケデモラエルンダネ」
不思議そうにガムを眺めるタビアゲハが横を見ると、坂春が赤いガムを口に入れる。
その後、タビアゲハの方にもう一度振り向いた。
「変異体は食べ物を食べることができないはずだが……食べるのか?」
「ウン。食ベ物ヲ飲ミ込ンダラ、スグニハイチャウケド……ガムハカミ続ケテ口カラ出スンダヨネ」
タビアゲハはガムを口に入れ、かみ始めた。
「……味はどうだ?」
坂春に聞かれたタビアゲハは、味をよく確かめるようにアゴを動かしていた。
「……思ッタトオリ、味ガ分カラナイ。デモ、味ガナクテモカム触感ガワカル。最後マデ、カミ続ケタイ感ジ」
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