第49話 ストラテクラクスⅠ

 念のため遠回りをして宿に戻った頃には、日も暮れて冷たい空気が肌を刺すようになっていた。ルーと旅を始めた頃が秋の入り口だったとはいえ、すでに二ヶ月近い時間が経過している。これから本格的な冬が訪れ、もっと寒くなるのだろうと思った。


 部屋のドアを開けると、キトリーの帰りを心配して待っていたのが分かるくらいルーの顔が強張っていた。キトリーの顔をみるとすぐに柔らかくなったけども、申し訳ない気持ちになる。


「心配しました。怪我とかはないですか?」

「大丈夫だよ。逃げてきたから」

「でも、大丈夫ですかね。あの人、宿まで追いかけてきたりしませんか?」

「さすがにそれはないでしょ。それより、ご飯食べに行かない?念のため遠回りして歩いたから、おなか空いた」

「ふふ、そうですね」


 彼女の言葉に答えるように、ぐぅっと音が鳴り恥ずかしそうに頬を染める。この街もソールズベリー領であるため、食糧事情は相変わらずだ。宿と食事代は別料金だったから、多少の出費が予想されるけれども、魔核の売却益で二人の懐事情は温かい。多少、割高だったとしても大きな問題はない。


「そういえば、ギルドでのことですけど私の服ってそんなに変ですか?」


 部屋を出たあたりで、ルーが思い出したように口を開いた。


「変じゃないよ。ただ、冒険者らしくないってだけで」

「気付いていたなら、何で教えてくれなかったんです?」


 ルーがすねるように口を尖らせる。町に入るときの旅人の服装を見ていれば誰でも気付くことだと思っていた。獣車で移動する貴族は別だろうけども、ルー以外にスカートを穿いている女性の旅人は見たことがない。同じ光景を目にしているルーなら気付いて当然だと思ったし、金銭的に余裕があるわけではないから買い換える必要も無いだろうと思った。もちろん、最初の服選びでセンスがないと言われたことも大きく、自分の見立てが合っているか自信が無かった。


「深い意味はないよ。ルーが言ったように、魔法使いならスカートでも問題ないと思ったし、そもそも、私達は別に冒険者ってわけじゃないでしょ。登録してるだけで」

「そうですけど…」

「ルーは冒険者になりたいの?」

「違います」

「じゃあ、いいじゃない」


 不満そうな顔からは、まだ何か言いたそうな気配が伝わってくる。階段を下りると、食堂には数人のお客しか入っていなかった。食糧不足のいま、わざわざ高いお金を出して、外食するよりは自宅で食事をする人たちのほうが多いのだろう。そんな事情のあるソールズベリー領のため、旅人も少なく当然のことながら宿泊客も少なめだった。


 二人は空いているテーブルに付くと、すぐに店主がパン籠とカトラリーをもって注文を取りに来る。


「何がありますか?」


 ルーが店主に質問する。いつもなら、どこの食堂にもある定番のメニューというものがあるので、そのときの気分に合わせて適当に注文するのだけども、状況的に用意できる食材にも限りがあるだろうと気を利かせたのだ。


「一応、通常メニューの用意も可能だから、言ってくれればたいていのものは作れるさ。だが、値段は張るよ。クマルのシチューなら30リュートで用意できるがどうする?」


 ルーと顔を見合わせると、それだけで相談は終了した。


「じゃあ、それでお願いします」


 元貴族とは思えないほどに、節約が身についている。作り置きのシチューの準備は早い。スープ皿によそわれたシチューには具はほとんど入ってなかった。クマルというのは鳥の仲間で少し筋張っていて硬い肉のため、シチューやスープなどの煮込み料理に使われることの多い食材だ。噛むのに疲れるからとルーに不評だったけれども、固い半面、よく噛んでいると次第に旨みが出てくるのでキトリーは好きだった。


 スプーンですくって一口飲むと、目に見える具はほとんどなかったもののシチューに素材の味はしっかりと溶け込んでいて複雑な味わいがあった。クマルの独特な風味も出ている。


「せっかく稼いだのに、しけたもの食べてんな」


 がたりと音を立てて、キトリーたちのテーブルに付いた人物に驚いて思わずスプーンを落とした。巻いたはずだった女戦士が、まるで友人のように同じテーブルに付くとパン籠から一つのパンを手に取った。余りに自然な様子に連れが遅れてきたのかと、店主が追加のシチューを持ってくる。


「バウルの串焼きもらえる?」

「かしこまりました」


 追加の注文までする始末に唖然とする。食堂の入り口が視界の中にあったキトリーには、女戦士が入ってくる姿を見た覚えがなかった。それが意味することは只一つ。


「5000リュートをあっさり投資するなんていう人が、なんでこんな宿に泊まっているの?」


 節約型のキトリーたちが泊まるのはいつだって町一番の安宿だ。上等な宿に泊まったことがないので、比較はできないけども、ベッドのクッション性も扉の立て付けの悪さも、窓から入ってくる隙間風も値段相応だと思っている。


「ただ寝るだけの場所に、高い金を払うほうが理解できないね。お金があれば、装備にまわすさ」

「ああ、そう」

「って、キトリーも何で普通に会話してるんです!!」

「さすがにこの状況じゃあ、逃げれないでしょ。お腹もすいてるしね」

「くくっ」


 目くじらを立てるルーに、肩をすくめてキトリーが答えると女戦士がおかしそうに笑みを浮かべる。


「キトリーってのか。どこの出身だい」

「グリューフェンだけど、それがなにか?」

「ダダン王国なのか…」

「なぜ」

「肝の据わり方が普通じゃないからな。シルトラハン国かオートレイリア国あたりかと思ってね。まあ、違うならいいさ」


 一人納得したように頷くと、運ばれてきたバウルの串焼きへと手を伸ばす。キトリーの肝が据わっているのは、単純に森の生活で死地を経験していることもあるが、何よりもアルノーとしての戦争の経験が一番大きい。軍医として数え切れない程の人間を看取り、生きるか死ぬのかの場面に遭遇しているのだ。今世ではないので、実感としては薄いものの魂に刻まれたものがあるのは確かだった。

 極端に言えば死にそうな目にあったどころか、二度もそれ以上の経験をしている。


「王都には何の用なんだい?」


 ギルドでのやり取りが嘘のように、気軽な調子で尋ねてくる。ルーもようやく危険はないと思ったのか、シチューに手を伸ばし始めていた。キトリーもパンをシチューに浸して食事を再開する。


「人を探してる。最後の情報がもう二ヶ月近く前だからね。寄り道しているヒマはないよ」

「事情があるなら、そういえば良いだろ。私だって話くらい聞くさ」


-聞く耳を持たなかったのは誰よ


 内心で突っ込みを入れると、キトリーは果実酒を一気に煽った。話が通じたところで、頭の痛くなることに変わりはなかった。キトリーの心の中のもやもやに気が付くわけでもなく、パンをちぎりシチューを飲んで、勝手に注文した串焼肉を勧めてくる。


 おいしそうな匂いに惹かれるものはあるけども、支払いが気になって躊躇していると、突如大音量の警報が鳴り響いた。初めて耳にする音に驚いて腰を浮かせていると、女戦士が大きくした打ちした。


「やっぱり来たか。ったく、食事中だってのに、親父。閉めるのは待ってくれよ」


 女戦士が椅子を倒すほどの勢いで立ち上がると階段へと向かっていくと、店主は開きっぱなしの窓を片っ端から閉め始めた。それを他の客達も手伝い、テーブルの上の食器類をカウンターへと返していく。同じような行動をし始めるルーにキトリー一人が呆然としていた。


「ルー、何が始まるの?」

「キトリーも片づけを手伝ってください。魔物の襲撃です」


-魔物の襲撃?


 そんなものがあるのかと、キトリーにはピンと来なかった。討伐隊のお陰で、街道を歩いているときでさえ、ほとんど遭遇することのないものなのだ。干ばつの影響で魔物の活性化と増殖があることは知っているけれども、壁のない農村や宿場町と違い、ここエルデンシャイフの町には外壁がある。


「キトリー!急いで」


 ぼうっとしているキトリーは焦ったように叱責され、みんなの真似をして片づけを行う。テーブルや椅子を積み重ねて進入口をふさいでいると、大剣を担いだ女戦士が降りてきた。


「あんたは行かないのか?」

「ごめん、状況が全く分かってない」

「ストラテクラクスを知らない?まあ、いいさ。得物を取ってきな。道すがら説明してやるよ」

「キトリー、行って来てください。私は足手まといにしかならないので、ここで待ってます。キトリーなら大丈夫だと思いますけど、無理だけはしないでくださいね」

「…えっと」

「ほら早く」


 躊躇していると女戦士に背中を大きくたたかれた。

 何があるか不明だけれども、町が魔物に襲われているのなら、少しくらい役に立ったほうが良いだろうとキトリーは心を決めると、二階の部屋へと飛び込んだ。槍を手に取り、階下へと戻る。宿屋の人たちの動きから、魔物が入ってこないように立てこもろうとしているのだけは分かった。だとしたら、逃げ遅れている人たちを誘導するくらいなら自分にも出来るかもしれないと思う。

 ルーが行くように促すのなら、そこまで大きな危険はないだろう。

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