第47話 ぬるぬる

「呪文の詠唱をしててくれる。私は燃えるものを準備する」

「分かりました」


 ルーが詠唱に入ったのを確認して、キトリーは静かに行動を開始する。結局のところ、クラムジーは火をつけることさえできれば、それで十分なのだ。前回は投槍で止めを刺したけども、その必要は無かった。火が消える頃には死んでいるはずだったから。火をつけて逃げれば勝ち。農民でも対処できるというのはあながち間違いではないと思う。


 丘をおり栄養の足りていない貧相な木の近くに駆け寄ると、足元に落ちている枝を拾い上げる。手に伝わってくるのは湿った感触。昨日の雨の所為で地面に落ちている枝は、そのほとんどが濡れていた。夏の大木の下ならば、雨避けになるところだが、いまは冬に近い秋。常緑樹でもなければ、葉は枯れ落ちて雨を避けることはできない。


 キトリーは拾った枝を両手でつかみへし折った。表面が濡れていても中心部まで湿っているとは限らない。長い森生活で得た知識だ。表面をナイフで削げば使えることもある。しかし、折った枝は使えそうに無かった。

 他の数本を確認しても、どれもこれも細く中心部までしっかりと浸水している。


 今度は貧相な木そのものに目を向ける。大地にしっかり根を張る木も、死んでいれば落枝と変わらない。太めの枝をへし折ると、パキっと乾燥してそうな良い音が聞こえた。これは使えそうだと、表面の濡れている部分をナイフでそぎ落として一本の杭を作ると、同じ要領で3本用意する。


 ルーのいる場所まで戻ると、三本の杭の先に持ち物の中で一番ぼろい布切れをまきつける。本来は油をしみこませることができないと、火をつけたところで布はあっという間に燃え尽きる。前回はクラムジーの体液をつかったけども、近づかないことにはそれは無理だ。


-さて、どうするかな


 手元にあるのは着替えの服と、調味料くらいである。本格的な料理をするわけでもないので、油の類までは持ち歩いていない。一度クラムジーの近くまで行きルーの元まで戻るか、ルーを連れてクラムジーの側まで行くか。どちらにしろ危険が大きすぎる。


 布が燃え尽きる前に、杭をクラムジーに突き刺せれば良いけどもある程度の火力がなければ、結局のところ体液に触れた瞬間、燃え尽きる。


「ルー。ちょっと待ってて。何かあれば大声出して、すぐに戻る」


 キトリーは丘の向こう側を再び観察する。

 まばらな林の中に見えるクラムジーは3体。槍に興味を失ったクラムジーが距離を取っているけども、気付かれることなく近づくのは無理だろう。だが、直線でなく大きく回りこんでクラムジーのほうに近づくことは出来そうだと判断する。


 呼吸を整えると、意識を深く深く沈みこませる。

 獣を狩るときの呼吸。キトリーの存在が虚ろになる。丘を大きく回りこみ、林の入り口に立つ。幹に背中を預けて後ろを伺うと、3体のクラムジーは短い手足を動かしてのそのそと林の中を移動していた。


 攻撃をするつもりは無い。

 動き回っているのなら、どこかにクラムジーの体液も落ちているはずだと、気付かれないように近づき地面を確認する。昨日の雨でいたることに水溜りはあるけども、水溜りと粘液溜りは見ればすぐに分かる。油と水は相容れない。テカリのあるドロットした感じの液体が落ちているのが見えた。


 足音に気をつけ、呼吸に気をつけ、服の衣擦れの音に気をつけ、気配を同調させる。


 ゆっくりとすばやく。


 相反する動きを実現させて粘液溜まりに近づくと、杭に巻きつけた布にしっかりとしみこませる。


「魔法をお願い」


 一切気付かれることなく丘の頂上に戻ったキトリーが3本の杭を差し出すと、ルーが安心したように魔法を火を呼び出した。とても小さな炎だけれども、可燃性の粘液をしみこませた布を燃やすには十分な火力である。


「そのまま待ってて」

「はい」


 頷き合うと、キトリーは燃える杭を片手に丘をすばやく駆け下りた。

 クラムジーと目が合った。巨大な口がにぃと横に開かれる。一体だけでなく3体同時にキトリーに向かってホッピングを始めた。キトリーは地面の槍を拾い上げ、右手に杭を一本、左手に杭2本と槍を器用に掴んだまま一体のクラムジーに向かって走りこむ。


 大きく跳んで落下する。それを繰り返すだけの相手ならば、動きを読むのはたやすい。紙一重で落下をかわすと右手の杭を力いっぱい胴体へと突き刺す。効果を確認するよりも先に、次の一体へと動き始める。


 背後から聞こえてくる悲鳴で、炎が上手く広がったことを判断する。キトリーの動きに迷いは無く、残りの2体も火達磨に仕上げた。燃え始めてもすぐに死ぬわけではないので、3体のクラムジーの動きに注意しつつ、距離を取る。昨日の雨で濡れているとは言っても、周囲は枯れた木が生えており、地面には可燃性の粘液が落ちているのだ。一歩間違えれば炎に囲まれる危険もある。


「キトリー後ろ!!」


 丘の上から戦いの様子を見ていたルーの悲鳴に近い大声を受けて、背後を振り返ると同時に頭を下げた。頭上を赤い何かが通り過ぎる。


 槍を構えて向き直ると、4体目のクラムジーが林の中から顔を出した。全身が夕焼けのように赤く他のクラムジーと比較すると一回り小さい。だが、油断はできない。赤いクラムジー=ハバクラムジーは普通のクラムジーとは違う攻撃手段を持っていたのだから。


 彼我の距離は10トールほど、クラムジーなら一足でジャンプできる距離なので、油断無く様子を伺っていると、にやけた口を大きく開いた。


 直後、ハバクラムジーの口の中から赤い舌が伸びた。構えていた槍で弾くが、手に残る感触は切り裂いたものではなかった。一瞬で舌が元に戻り、すぐにまた襲い掛かってくる。間断なく伸び縮みするハバクラムジーの舌を槍で弾き続ける。


 前方のハバクラムジーに注意しつつ、周辺に意識を向けて他のクラムジーが燃え尽きたのを確認する。


「ルー、なんでも良いから火をつけてこいつに投げてみて。燃えるかどうか確認したい」

「分かりました」


 延焼をすることは無かったけども、燃えたクラムジーが暴れまわったお陰で、周囲にはまだ火が燻っている。ルーは丘から駆け下りてくると、キトリーの背後で燃えている枝を拾い上げると思い切り赤クラムジーに向かって投げ込んだ。赤い目が一瞬ルーのを方を向くのを確認したキトリーは彼女の姿を隠すようにルーの前へと出る。舌の猛攻は続き、それらすべてを弾き続けているキトリーの息が上がってくる。


「ちっ」


 キトリーが舌打ちする。ハバクラムジーの足元へ飛んだ枝は何事も無く燃え続け鎮火する。判断しにくいところではあるが、たぶんハバクラムジーの粘液は燃えないとキトリーは考えた。戦っている間にも体液は地面に落ちている。もしも、燃える性質があるならルーの投げた枝で、地面の体液に火が移っていても不思議ではなかった。


-さて、どうする?


 空牙槍なら確実だろうと考える。ただ、舌の連撃を交わしつづけるので精一杯の今では、スキルの発動に至るまでの集中も溜めも出せない。キトリーが空牙槍を己のものとしたのは、キールバーンの亜種と対峙した時だった。その後、ショルイドヴァと戦ったときは、空牙槍は発動していない。あれは只の投槍だった。それでも、倒せたのはショルイドヴァがその程度の獣だったから。


 目の前の赤いクラムジーは、黒いものより格上なのだろうとキトリーは思う。体は小さくとも、その厄介さは比較にならない。ただのクラムジーですら、適当に振りまわした槍では深々と刺すことはできないほどに、皮膚は硬く弾力があったし、その上粘液で滑りやすかった。


 重たい槍を振り回し続けて、腕が悲鳴を上げ始めているのを感じながらも、ハバクラムジーの攻撃自体には慣れてきていた。だが、いずれ疲労が限界に達して動かなくなるだろう。その前にケリをつける。


 槍で弾く。


 舌が戻る。

 舌が飛び出る。

 槍で弾く。


 舌が戻る。

 舌が飛び出る

 槍で弾く。


 タイミングを見計らい、心の中でリズムをとる。槍で弾くと同時に、槍を地面に突き立てて徒手空拳となる。背後から聞こえてくるルーの悲鳴を耳に入れながら、集中を切らさずに伸びてくる舌を最小限の動きでかわす。燃やすのが無理で、近づくのも無理なら、結局のところ空牙槍に頼らざるを得ない。


 腕の疲労がスキルにどこまで影響するかはわからないが、少しでも万全の状態にしたほうがいいと判断した。攻撃を避けつつ、ポケットからスリングを取り出す。獣の革を編んで作ったスリングの端と端を両の手に持つ。


 攻撃のタイミングを見計らい空中に円を作ると、舌が中を通る。


 瞬間、キトリーは両手を力強く引っ張った。人の腕ほどもあるハバクラムジーの舌が革紐に絡め取られる。舌の表面がささくれだっていて、それが上手く引っかかっていた。


「ぐげぇ」


 声にならない悲鳴を上げて、舌を巻き戻そうと必死になるハバクラムジーとキトリーの力比べはやや相手方に有利だった。彼我の体格差を考えれば、じわじわと引きずられながらも耐えているキトリーは凄まじい力を込めている。両腕でも限界ギリギリであるのに、キトリーは革紐を左手だけに持ち替えて、右手に槍を構えた。


 左腕に力を込めざるを得ず、右手に構える槍に集中しきれないながらも、徐々に体の中で力がめぐっていくのを感じていく。不思議なことに、集中が高まっていくと左手に込められる力も幾分上昇したのか、ハバクラムジーの引き込む力に拮抗し始めた。


 突如としてハバクラムジーは巨大な目を細めると力比べを止め、キトリーに向かってジャンプした。圧殺される未来にすくみ上がりそうなる心を押さえつけて、ギリギリまで力を蓄える。大きな影が地面を支配し、空が見えなくなるほど接近したところでキトリーの槍が放たれる。


 ほんの僅かにキトリーを赤いオーラが覆っていた。街道からの全力の一撃には及ばないまでも、スキルの発動に足りていたキトリーの槍は深々と赤クラムジーの胴体に付き去り、落下してくる勢いをも相殺する。槍を放った瞬間に右へと飛んでいたキトリーの足の僅か先に、巨体は落下し動きを止める。


「大丈夫ですか」

「ギリギリだったけどね」


 心配そうに寄ってくるルーを確認して、動かないハバクラムジーから目を離す。もう大丈夫だろう。戦闘で出た汗で背中がぐっしょりと濡れていた。それに、気持ちの悪い体液を浴びせられることは無かったけども、横っ飛びに地面に転がったとき、キトリーの全身は粘液と泥にまみれていた。


「温泉行きたい…」


 キトリーの呟きに、気持ちは分かるとルーが苦笑いを浮かべながらも一歩体を引いた。キトリーのことを心配しながらも一定の距離を保つ彼女にキトリーは笑いかけた。


「ルーラル?」

「ど、どうしたんです?」


 明らかな動揺を顔に浮かべて、ルーが更に一歩下がる。


「なんで離れるのかな?」

「い、いえ、そういうわけじゃなくて…」


 額に汗を浮かべる彼女に、キトリーはニヤニヤと笑みを浮かべて更に一歩近づいた。まばらな林の中にルーの悲鳴が響き渡る。

 何があっても、クラムジーとだけは戦わないと心に誓うキトリーとルーだった。

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