第45話 老夫婦
ギースの言った兵士の行軍についていくのは大変かもしれない。という言葉の意味を二人は身をもって体験することになった。ソールズベリー領へ向かうときは、食料を運ぶ獣車が同行していたので、歩調はゆっくり、休憩も多く体力の少ないルーにも問題なくついていくことが出来た。
しかし、ただの移動となると、彼らの動きに無駄はなかった。二人だけで街から街に移動していたときは、1時間程度歩くと休憩を挟んでいた。しかし彼らはその倍以上の時間歩き続ける。それも、日の出から日没まで。宿場町に立ち寄ったところで、大人数のため宿を利用できるわけではないので基本は野宿だ。結果、二人の倍の速度での行軍が続いた。
それでも、二人だけの旅は危険なことはわかっていたので無理をしてついていった。事実、彼らと同行している間にも、2度魔物との戦闘が発生した。そのうちの一回は、10頭以上の魔物の群れだったので、もしも二人だけだったらと考えると背筋の凍る思いだった。
ソールズベリー領を抜けるまではと、必死に食らいついていたが、それでも限界がある。丸二日間はどうにかついていったものの、それ以上はどうにもできずに、二人はキードという街で休みを取っていた。
ソールズベリー領の西よりにある比較的小さな町。特筆すべきことは何もなく、良くも悪くも田舎の街というところ。ただ、この街も領都以上に食糧事情が悪いことが窺い知れていて街を歩く人々に覇気がない。
キトリー達の泊まった宿も150リュートで食事なし。食事は別料金で60リュートと高額になった。普段であれば一人20リュートもあれば、腹いっぱい食べられることを思えば跳ね上がっている。領都へ運び込まれた食料も、領地内の各町への配分が行われるまでにはもう少し時間がかかるのだろう。農民の暴動も一旦は収まったものの、それですべてが解決したというわけではなさそうである。
そんな街の様子を見ながら二人が通りを歩いていると、足取りの重い老夫婦がお互いを支えあいながら歩いているのが見えた。見る限り栄養状態も良くなさそうだし、脱水を起こしかけているように見えた。キトリーは足早に近づいていき声をかける。
「大丈夫ですか。これをどうぞ」
老婦人へと水筒を差し出す。驚いたように水筒とキトリーを見比べると小さな声で「ありがとう」といい水筒に口をつけた。皴だらけながらも、ごつごつとした手を見て、彼女も農村の出なのかもしれないと考えた。食料を求めて街に来て、何かあったのかもしれない。誰もが困窮している中で、お互いに助け合うものもいるだろうが、反対にすべてを奪おうというものも出てくる。そうしたとき、彼女たちのような弱者はカモにされやすい。
キトリーはルーと視線だけで会話をする。出来ることをしてあげよう。幸いにも二人の懐事情は悪くはなかった。公爵から貰った報奨金は金貨五枚、5000リュートと大金だった。一般的な平民の収入が月に3000リュート程度と考えれば、かなりの大金だ。それだけで、王都までの宿代や食費に不足はない。
「ありがとうね。お嬢ちゃん」
「何かあったんですか?」
「息子がね。帰ってこないんですよ。それで、保安局や冒険者ギルドに相談したんですが、無の礫でねぇ」
「それは大変ですね」
「今年はどこも食料が不足していてね。村のみんなも、残り僅かな食料では冬も越せないっていうんで、息子が狩りに出たのです。村の南の沼に時々クラムジーが出るんだ。あれの肉があれば、村人全員冬を越せる」
クラムジーはキトリーとルーが王都に向かう途中で遭遇した巨大なオタマジャクシのような魔物のことだ。二人は知識がなかったためにかなり危険な目にあったけども、倒し方さえ分かっていれば比較的弱い部類の魔物と言える。火をつければ殺せるのであれば、遠くから火矢の一本でも打ち込めば十分である。もちろん、それなりの技量は必要と思われるが。
襲い掛かってきたクラムジーの姿を思い浮かべ、あの大きさなら確かに小さな村なら冬を越せるに違いないと思った。それと同時に、あの粘液ぬるぬるの姿を思い浮かべ、ぶるるっと身震いする。アレを食べようなどと良く思えるなと考える。
「…おいしいんですか」
「まあ、あんまりおいしくはないさね。でも、食べることはできるさ」
「そ、そうですか。それで、息子さんはクラムジーを狩りに行って、戻ってこなかったと」
「そうさね。クラムジーは魔物と言っても、火をつければ簡単に殺せるし、息子は走るのは早いから大丈夫だと言っていたんだ。でもねぇ。一向に戻ってこないんだ。何かあったんじゃないかと思うけど、私らじゃあ、魔物がいたらひとたまりもないさね。それで、助けを呼びに来たんだが、だーれも話を聞いちゃくれない。お嬢ちゃん達はやさしいね。こんなお婆の話を最後まできいてくれるなんて。お水ももらったし。ほんとにありがとうね」
少し老夫婦から距離をとり、小声でルーが話しかけてくる。
「どうします?様子だけでも見に行きますか」
「息子さんが帰ってこなかったって事を考えると、沼に出たのがクラムジーとは限らないわけか」
大きくため息をついた。以前のキトリーなら、困っている人がいるのなら危険を顧みずに飛び込んでいた。でも、いまのキトリーは心に誓ったことがある。
ルーを守る。
そのためには、今までとは違う線引きも必要かもしれない。
「止めとこう」
「キトリー?」
まさか断るとは思わなかったのか、ルーが驚いて目を白黒とさせた。
「街道沿いを行くのも危険なときに、無理は出来ないよ」
「…ですよね。でも、どうしたんですか?前のキトリーなら…」
「お嬢ちゃん達。ありがとうね。私達はもう行くから。はぁやれやれ」
二人で内緒話をしていると、老婦人が間に入ってきた。あいたたたと腰をとんとんと叩いて、歩き出そうとする。思わずルーが声をかける。
「あの、どうされるんですか?」
「そうさね。このまま村に帰るかね。村で戻ってくるのを待つしかないさ。ねぇ、お父さん」
「んだな」
「キトリー、せめて村まで送っていきましょう。沼に行くのは危険かもしれませんが、街道沿いでしたら…」
見ている限り二人の歩く速度は遅い。きっと走るのは無理だと思う。キードの街まで何事も無く来れたからといって、村まで無事に戻れるとは限らない。たまたま運がよかったのかもしれない。キトリーは逡巡して、小さく頷いた。
「分かった。そうしよう」
たぶん、この辺が妥当な線引きなのかもしれない。いままでのキトリーは手が届かないものでも助けることを是非としていた。でも、それでは本当に助けたいものに手が伸ばせなくなる。人助けを止めることはこの先も出来ないだろう。いままでの生き方をばっさり変えることは簡単ではないのだ。だったら出来る範囲でやるだけだ。
「村まで送りますよ。いまは街道沿いも安全じゃないですから」
「おやおや、そんなことしてもらっていいのかい。でも、村まで歩いたら半日は掛かってしまうよ」
「そのくらいなら問題ないです」
もとより、この日は強行軍の疲れを休むつもりだったので、休養には成らなくなるが日程的な問題は無い。出来る限り急いで入るけども、タイムリミットがあるわけでもない。もちろん、本格的な冬が来る前に王都に入りたいとは思っている。
「じゃあ、お願いね」
老夫婦を送っていくことを決め、キトリーはいったん宿に戻り槍を手に戻ってきた。絶対に安全という保証はないので、かなりの緊張感を持っている。簡単に引き受けてしまったが、話をよくよく聞いてみると老夫婦の村までは草原地帯を通るため、見通しもよく安全そうだった。魔物はドルマの濃い暗い森の中を好む性質があるので、草原というのはそれだけアドバンテージになる。
老夫婦の足取りは、街中で見た時と同様にかなりゆっくりだった。村まで半日とはいうけども、普通の大人であれば、2時間程度の距離なのかもしれない。二人の歩調に合わせて、キトリーたちもゆっくりと歩く。
彼らの村で育てている野菜の話や、今年の不作の話、王都から食料が届いたことなど、当たり障りの無い話をしながら老夫婦と共に歩いていく。
この日は比較的気温が高く歩いているとほんのりと汗ばんでくる。時折拭いてくる乾いた風がやさしく頬を撫でた。まだお昼前なのでこれからもう少し温かくなるだろう。雲間に見える太陽が燦燦と輝いているのをみるとそんな気がしてくる。
「少し休憩しますか」
町を出て半刻ほどたったころ、とても大きな木が見えた。干ばつの影響をまるで感じさせず、深い緑の葉にはみずみずしさがあり、そこだけ別世界のように周囲から浮いていた。キトリーたちは問題なかったけども、横を歩く老夫婦の様子を伺うとかなり疲れているように見えたのだ。元々、栄養状態もよくないのだ。普通以上に疲れやすいだろう。
大木の下、地面からうねるように盛り上がる根っこが座るのにちょうどよさそうだったので、老夫婦が腰を下ろすのを手伝ってあげる。ルーがカバンから飲み水を取り出して二人に手渡すと、自身も一口水を含む。キトリーは魔物の気配がないかと周囲への警戒を怠らない。
「お嬢ちゃんも、座ったらどうだい。ここなら、見晴らしもいいし、そんなに張り詰めていたら持たないよ」
「…そうですね」
老婦人の柔和な笑みをみて、キトリーは槍を地面に置くと腰を下ろしてルーから水を受け取っった。こくりと水で喉を潤す。
「動くな!」
上から人影が飛び降りると、弓を手にキトリーに狙いを定めている。他に二人、大木の上からもキトリーに向かって弓矢が引き絞られていた。三つともキトリーに狙いが付けられ、この場にいる4人のなかで一番の危険人物だと認定されているらしい。その判断は正しい。
「親切なお嬢ちゃんごめんね」
いままでと変わらぬ口調で老婦人が動き出す。キトリーに弓を向ける男達は、自由に動く老婦人をとがめるつもりは無いらしい。ルーはそれを不思議そうに視線で追いかけ、キトリーに目を向ける。
-はめられた?
キトリーが動けないことをいいことに、二人の荷物にゆっくりと手を伸ばす。着替えの類は宿においてきたけども、貴重品は身につけてたほうが安全だと思ったのだ。水筒と少しばかりの携帯食料が入った小さなバッグには財布も入っている。
「おばあさん?」
ルーの悲しそうな声を無視して、カバンを開けて中を吟味する。キトリーは弓を構える男を静かに観察する。おそらくは農民なのだろう。食うに困り盗賊行為に手を出した。よくある話だ。
老夫婦はカモを引っ掛けるための疑似餌。
キトリーが幼い頃に与えられた役割と同じ。同情を誘う姿に引っかかる”良い人”をただひたすらに待つのだ。キトリーたちの服は古着だし、それほどお金を持っているようには見えないだろう。でも、”旅人”というものはそれだけで、お金を持っていることの証となる。宿に泊まるお金、外で食事をするお金。街に入ってきた二人をどこかで見ていたのかもしれない。
それに、キトリーたちは若い女の子で、とてもじゃないが強そうに見えない。槍を手にしていても、ただの護身用と思ったのかもしれない。それに、街に入るときを見ていたのなら、兵士と共にいたのも目撃されているかもしれない。つまり、二人はただの虎の威を借る狐だったと。
さらに、二人は足取りの重い老夫婦に、率先して声をかけるような、珍しい人種。
純粋に腹が立った。
彼らの行いに対して、そして何よりも自分のよく知る手法ではめられたことに対して。
略奪行為を許すつもりは無い。唯一の救いは、キトリーだけを危険視して、弓をルーに向けていないことだ。キトリーの動きを封じるには最適かもしれないが、本当の意味で動きを止めるにはルーに弓を向けるべきだったのだ。
だが、動けない。
キトリーには彼らの技量が手に取るように分かる。騎士とやりあった時と比較すれば、大人と子供ほどに差がある。ナイフを投げれば上の一人はやれるし、正面の敵にも一瞬の踏み込みで対応できる自信がある。でも、一人残る。
キトリーのすばやい動きに素人では付いて来れないだろうが、素人であるがゆえに予想できない部分もある。飢餓感を覚えている農民達の必死な顔を見れば、いざとなれば弓を射ることを躊躇わないことがキトリーには分かった。人を殺してしまうことに忌避感を抱くような相手であれば、まだ見込みはあったのだ。
荷物の中からお金の入った袋が取り出されるのを見ながらキトリーは何も出来ずに奥歯をかみ締めていた。老夫婦が「ごめんね」と何度も口にして申し訳なさそうな表情で盗賊行為を見ているのが居たたまれなかった。根っからの悪人だったなら、どれほど良かっただろうか。
「ばあちゃん達は先に行ってくれ」
リーダー格の男がそういうと、老夫婦がこちらに軽く会釈をして街道を歩き出した。男達の弓矢の狙いはぴたりと張り付いたまま動かない。しばらく硬直状態が続くと、キトリーたちに後ろに下がるようにいい。上の男達が降りてくる。キトリーにポイントしたまま後ろ向きに歩き続け、ある程度の距離が確保できたところで後ろを向いて走り出した。
いまから追いかけても手遅れだ。
後に残された二人の表情は重い。地面に置いた槍を拾い上げ、カバンを背負う。
「ごめん」
「なんで、キトリーが謝るんです。村まで送りましょうって言ったのは私のほうですよ。私の方こそごめんなさい」
「そうじゃない、私なら気付けた」
「そんなこと…」
「子供の頃、何度も何度もおんなじことを繰り返しやってたんだよ。気付かないなんてどうかしてる!」
「キトリー」
意図せず怒鳴り声を上げたキトリーは、慰めようとする伸びてくるルーの手を振り払った。
悔しかった。ルーを守ると決めたのに。それを心に誓って何日もしないうちに、ルーの働きが認められて手にした大金を失ってしまったのだ。
「帰ろう」
呟くように言って街へと歩き出そうとしたところで、ルーは背中からキトリーを抱きしめた。
「ちょっと残念ですけど、あのお金で農民の人たちが冬を過ごせるならいいじゃないですか?お金なんてまた稼いだら良いんですよ」
「…」
「それに、おばあさん達の話が嘘なら行方不明の息子さんもいないんですから良かったじゃないですか」
前向きなルーの言葉にハッとしたキトリーは自分の体に回されている手に視線を落とし、赤くなっていることに気がついた。さっき振り払ったときに出来たものだろう。そっと手を重ねた。
「ごめん」
「気にしてませんよ。そんなことより街に戻って美味しいものを食べましょう。今日は元々お休みしようって言ってたんですから」
「そう…だね」
お金のほとんどを盗まれはしたけども、全財産失ったわけではない。美玖時代の海外旅行の経験から、金貨を一枚ブーツに忍ばせていたし、小銭程度の銀貨や銅貨はポケットに入っている。槍もナイフも残されている。比較的善良な盗賊だったのかもしれないと、ルーの真似をしてそんな風に考えてみると、ちょっとだけ心が救われた。
何を食べようか?そんなことを話しながら二人は来た道を戻っていった。
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