第43話 返事
屋敷の外に出ると同時に、渡された身分証を取り出し空に掲げた。薄桃色の宝石がキラキラと輝いている。いままでは光を反射しない闇のような黒い石が収まっていた場所である。
ルーの青い瞳から一滴の涙が零れ落ちた。いままでのことを思い出しているのだろう。
「私達、平民になれたんですね」
「まだ実感わかないけどね」
「ふふ、そうですね。それじゃあ、宿にでも向いますか?もうお昼を回っていますし、今日出発するのは無理でしょう」
「うん。そうしようか」
実感が得られるのは卑人差別を受ける場面になるだろう。いまは身分証の石が変わっただけに過ぎないのだから。宿に向かえばすぐに実感できるはずだ。何しろ、宿代が今までの半分になるのだ。
宿に向かって歩き出そうとすると、二人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「キトリー。それにルーラル殿」
「ギース?」
ここまで走ってきたのだろう。額に汗をにじませて、肩で息を切らせている。護衛任務についていたときとは違い鎧ではなくモスグリーンの軍服を着ている。ソールズベリー家のカラーなのだろう。王都で見かけた軍人は白を基調とした軍服を着ていた。
「すまない!」
キトリーの姿を認めると、腰を九十度にまで折って謝罪してきた。突然のことにキトリーはキョトンとする。
「どうしたんです。謝られることなんて何もなかったと思いますが?頭を上げてください」
「私は君に剣を向けてしまった。数日前には結婚を申し込んでおきながら、躊躇することなく全力の一撃を叩き込んでいた」
「騎士としては当然のことじゃないですか?」
あのときのキトリーは間違いなく反逆者だった。ギースの元で働くように言われていた以上、彼の指示に従うのは絶対だ。奴隷落ちになるところを公爵令嬢であるマティエスのお陰で拾われた命である以上、従うのが道理である。それを無視して、仲間である騎士に槍を向けたのだ。暴動を抑えるルーの行動を補佐するためだったと言えるが、あくまでも結果論だ。
「かもしれん。かもしれんが…。小さい頃から騎士としての在り方を、軍人としての心構えを叩き込まれていた。だから、軍人としては正しかったのかもしれん。だが、私は軍人である前に、一人の男なのだ。私は、君の事を信じるべきだった」
「無理ですよ。だって、知り合ってまだ半月も経っていなかったのに」
「だが、私は求婚したのだ。自分の妻を信じられない夫などあってはならない」
段々と熱くなっていくギースとどこまでも冷静なキトリーの間には明らかな温度差があったのだが、彼は気づかない。蚊帳の外に置かれたルーはどうしていいのか分からずに一歩下がって成り行きを見守っていた。口元に手を当てているのは、笑いを堪えているのかもしれない。
「いまの私では君の夫には相応しくないと思う。もっと自分を見つめなおして、軍人としてでなく一人の男として君の前に立てるようになったとき、もう一度会えないだろうか」
キトリーはようやく気がついた。プロポーズされた日、作戦会議に呼ばれて、そのままどうやって断るかと考えていたものの、明確な答えを出していなかった。最後の数日の行軍では一緒にいたけども、顔を合わせにくく、ほとんど会話をしていなかった。そもそも、周りに人のいる中でする話でもない。
「無理です。ごめんなさい」
「え?」
驚いたようにギースの目が開かれた。言葉の意味が理解できないという顔をしている。或いは、断られると微塵も思ってなかったのかもしれない。悪い人ではないけども、ちょっと暴走しすぎだ。それでよく100人もの兵士を纏め上げられるものだと不思議に思う。暴走する相手にはハッキリ言うに限る。
「そ、それは、やっぱり、剣を向けたから」
「いやいや、違いますって。べつに気にしてませんから」
「じゃあ、なぜ」
「だってまだ知り合って半月ですよ。結婚とか考えられませんって」
愕然として首が折れ曲がる。本気でいけると信じていたらしい。キトリーはふと自分の行動を省みて、そんなそぶりをしていただろうかと考える。
-いや、無いよね
行軍中の話題の多くは、戦闘に関するものだったり、スキルについてだったり、少なくとも色気のある会話など一つもなかった。逆に聞きたくなった。どこでいけると思ったと。
「そんなわけですから。体も何とも無いですし、気にしないでください」
世界の終わりとでも言うような表情のギースに別れの挨拶をする。ここで下手にやさしさを見せれば、ますます勘違いをさせてしまうので、後顧の憂いを立つためにも足早に立ち去ることにする。
「ルー、行こう」
そういって歩き出そうとしたところで、再び待ったがかかる。
「待ってくれ」
「ギース…」
やれやれと肩を落として振り返る。
「いや、そうじゃない。君の気持ちは…分かった。それは、その、まだ、なんとも言えないんだが、もう一つ用事があるのだ」
「そうなの?」
「体が何ともないと聞けてホッとした。しかし、キトリーの槍は折れてしまっているだろう。これから王都に向かっていくのに、それでは心もとないだろう。私の訓練用のもので恐縮だが、貰ってくれないか?」
体格がいいといっても、槍の長さは身長を超えるため隠しようが無かったのだ。剣士であるギースが持っているのは不自然ではあったけども、あえて触れないでいた。その槍をキトリーにずいっと差し出した。思わず受け取ったそれは、いままで使っていたものよりも、ずっしりと重い。
「柄の部分も鉄製だから、重いかもしれない。だが、君なら使いこなせると思う」
キトリーが肩で担いでいる槍は中ほどでぽっきりと曲がっている。悩んでいたことではあるけども、キトリーたちへの褒美は身分向上だけでなく報奨金も含まれていたので、新しい槍を購入することも十分可能だった。
「貰っていいの?」
フッた後でプレゼントを貰うというのは気が引けるけども、背に腹は代えられない。お金に余裕はあるからといって節約できる部分は節約したほうがいいと、キトリーは合理的に考える。
「もちろん、そのために持ってきたんだ。好きに使ってくれ。それと、出発する日は決めているのか?」
「いえ」
ルーと顔を見合わせて答える。まだ、何も話していなかった。これから宿を見つけて、じっくりと計画を練るつもりだったのだから。
「だったら、明後日にするといい。我々と一緒に来た兵士たちは、明後日の朝、王都に向かって出発する。先日の戦いでも分かっていると思うが、ソールズベリー領はいまだ魔物の数が多い。討伐部隊の巡回もあるが、彼らと共に進んだほうが安全だろう。もちろん、キトリーの槍術と、ルーラル殿の魔法があれば多少の危険は問題ないかもしれないが…」
「ま、待ってください。私に攻撃系の魔法はないです」
「そうなのか?」
あわてて否定するルーに、ギースが不思議そうに首を傾げる。
「ルーが使えるのは、焚き火を起こす程度の魔法だけです」
「焚き火?いや、しかし、ああ、でも、そうか…。つまり、あの時我々はあわてる必要は何も無かったということか…だが、そうなら、なおさら兵たちと行動を共にしたほうがいい。兵士の行軍についていくのは、大変だと思うがソールズベリー領を出るまでは出来る限り一緒に行くといい」
「ありがとうございます」
二人で礼を言い、ギースとはそこで別れることになった。
彼の心配りに感謝する。多少暴走気味ではあるけども、いい人であることは間違いないのだ。そのうちいい人が見つかるだろう。案外惜しい人を振ってしまったのかもしれないなぁとそんなことを考えた。
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