第二章 冒険者として
第42話 褒美
毛の長い藍色の絨毯をマティエスは歩いていた。斜め後ろにはケーナが付いている。二人は廊下の途中にある一際重厚なデザインの両開きの扉の前で足を止めた。マティエスは大きく深呼吸をする。自分の親に会うのに、何をこんなに緊張することがあるのだろうかと思うけれども、早鐘のように打つ心臓を落ち着かせることは出来なかった。
数年前のマティエスは、もっと気軽に父親の元へ顔を出していたのだ。だが、兄が亡くなってから彼女の生活は一変した。ケーナが教育係として付いていたのは変わらなかったが、教育の方針は180度変わった。領主の娘として、いずれ他領の跡継ぎと結婚することを前提としていた教育から、領主の跡継ぎへの教育へと。そのどちらにも対応できるケーナは稀有な存在であるが、領主への教育とはいえ、ほとんど付きっ切りとなる教育係が女性であったのは幸いだった。
扉の両脇には騎士が二人立っており、余計に物々しい雰囲気に思えるのかもしれない。正面のドアに向き直り、コツコツとノックする。一拍置いて、中から声が返ってくる。
「入れ」
野太く短い声に、余計に緊張を高めると「失礼いたします」と声をかけて重い扉を開いた。
分厚い絨毯、一枚板を削りだして作り上げられたデスクに繊細な細工の施されたイス。天井からぶら下がるシャンデリア、壁には細かな刺繍の施されたタペストリー、飾られている調度品のすべてが高級品で溢れている豪奢な部屋。
机に向って作業をしているのは壮年の男。緑髪の毛はオールバックになでつけられ、眉間に皺をよせたまま鋭い眼光で書類に向き合っている。入れといいながらも、作業している手は止まっていなかった。マティエスはデスクの前まで歩み寄ると、父親が顔を上げるのを待って声をかけた。
「お父様、ご報告があります」
「ご苦労だったな。表の騒ぎについては聞いている。暴徒と化した農民を上手く纏め上げたそうだな。陛下の平和主義には呆れたものだが、結果領民の心が離れなかったのは幸いだった。それもこれもマティエス。お前のお陰だ」
娘を褒めているとは思えないような他人行儀な態度。しかし、賛辞が送られたマティエスはうれしそうに頬を緩ませた。
「ケーナ、君の教育の賜物でもある。褒めてつかわす」
「勿体ない言葉にございます」
「して、報告とは?」
眉根を上げ、先を促す。マティエスがケーナのほうをちらりと見ると、彼女が小さくうなずいた。
「先の暴動を治めた際、我々に協力してくれたものがいます。そのもの達へ褒美を与えたいのですが、よろしいでしょうか」
「ほう。どんな働きを?」
父親が興味深そうに目を光らせる。マティエスを褒めるときにもしなかった目に、彼女はほんの少し寂しさを感じる。父親のことは誰よりも分かっているつもりだ。公爵は人を大事にする。だが、それはあくまでも使える人に対してだけだ。有益な人物であれば、何よりも優先して自分のところに取り込もうとする。それが領地の発展につながり国力の向上になると信じているから。
完全なる合理主義。
それを理解しているからマティエスは父親に認めてもらうために努力している。娘といえども結果こそがすべてだと分かっている。二年前に兄が亡くなったときから、それは揺るぎなかった。
マティエスは暴動の収束がルーラルの力によるものと理解していた。ほんの少し前まで馬鹿にしていた子が、自分に出来なかったことをやってのけたことに嫉妬した。できればその事実は無かったことにしたかった。自分の手柄にしたかった。だが、それは自分自身を貶めることに他ならない。
ケーナにも人の上に立つものとしての在り方として、それではダメだと。上に立つものが有能であるのは最低条件である。だけど、人は一人で何でも出来るわけではない。自分に出来ないことも人をうまく使えばいいだけである。
人を正しく使えるものが、正しい為政者だと教えられた。マティエスのために働いたものには、その働きに報いるべきだと。父親のやり方を学べと。娘に対してすら合理的な会話しか出来ないのは、やりすぎではあるけども彼は人を上手く使う。同じように動けと教わった。
まだ若いマティエスにはそれは難しいこと。まだ、帝王学を学び始めて時間の浅い彼女は、そこまで割り切れなかった。自分以上の働きをしたルーラルを褒めることに屈辱すら感じていた。だが、奥歯をかみ締めてそれを乗り越える。
「暴徒と化したものを止めることは、私には出来ませんでした」
ゆっくりと話しはじめる。ルーラルが人々の気を引くために魔法を使ったこと、農民へ語りかけた言葉。彼女の言葉がなければ、その後に続くマティエスの言葉は届かなかったことだろう。最後を纏め上げたのは確かに彼女の実力だった。でも、それはルーラルのお膳立てが無ければ、ありえなかった。
「なるほど。興味深いな。それに騎士連中を相手に大立ち回りをしたという女槍術士か。ここへ連れて来い。直接会って話をして見たい」
父親が二人を手札に加えたいのだということが分かった。直接会う。それだけでも、ただの平民に許される幸運ではない。マティエスは悔しく思いながらも、これはすべてソールズベリー領のためになることなのだと自分を納得させようとする。
「お言葉ですが、お父様。あの二人をこの場に連れてくるわけには…」
「何か問題があるのか?」
「その…」
「はっきり言いなさい。時間は有限だ。無駄には出来ん」
「二人は犯罪者です。王都で事件を起こし、奴隷となるところをケーナの助言もあり拾い上げたのです。そのため、いまも牢に入れています。これは仕方ない処置なのです。働きは認められるものですが、騎士への暴行に、部隊長の命令を無視して魔法を発動させたことは、反逆罪に値するかと」
「話は分かった。だが、とりあえず連れて来い」
「…かしこまりました」
マティエスはそういうと、部屋の前で待機していた騎士の一人に伝令を頼む。二人が連れてこられる間に、ケーナから二人の情報が伝えられる。王都で起こした事件だけでなく、キトリーがキールバーンの亜種の撃退に貢献したことも、ルーラルがエディンバラ元男爵の娘ということも含めて公爵である父親の耳に入れた。
しばらくして扉がノックされ、二人が部屋に入ってくる。
何を言われるのかと脅えているルーラルを見た瞬間、舌打ちしたくなった。あの時、群集に向って堂々とした様子で、話していた人間と同じとは思えない。それが、ますます彼女の心をかき乱した。或いは常に尊敬できる人物であったなら、彼女はルーラルを認められたのかもしれない。そんな風に考える。
「なるほど、元男爵夫人によく似ているな」
「は、母上をご存知なのですか?」
「2度ほどあったことある。エディンバラ元男爵にも、先の戦いでは世話になった。父上のことは残念に思う。あの実直な男が、とは思わないわけではないが、魔が差したのだろう」
「ありがとうございます。公爵様からそのようなお言葉をかけて頂けたこと幸せに存じます」
「お前達の働きに関して二人から聞いた。どうだ。我の元で働かぬか」
ルーラルの家族に関する会話など、特に意味は無いのだろう。早速とばかりに本題に入る。何を言われるのかと脅えていた彼女の目が驚愕に大きくなる。
「か、斯様なお言葉私には勿体のうございます」
「それは、どっちだ。この度の働きには十分報いるつもりだ。受けるも断るも自由だ。もちろん、受けてほしいがな」
無駄を嫌う父親らしい言葉。選択を促しているようで、それは強制力を持つ言葉。公爵の誘いを断ることなど、一歩間違えれば人生の終わりを告げる。ルーラルが震えているのが見えた。
-まさか、断る気じゃないでしょうね
そんなありもしない考えがマティエスの脳裏に浮かぶ。ルーラルの手にキトリーがそっと手を添えた。耳元で何かをささやいている。すると、彼女の震えが収まった。同行していたときから見ているが、いまだに二人の関係が理解できなかった。
「無礼を承知で申し上げます。身に余る光栄ですが、お断りさせていただきたく存じます」
「理由は」
公爵の目が鋭く細められる。
「父が起こした事件により、私と弟は住む家も何もかも失いました。王都の貴族学院にいた弟がいまどうしているのか私には分かりません。ですから、私は弟を探さなければならないのです」
「なるほど。君の事情は分かった。ならばそちらのキトリーといったか。お前はどうだ?」
「私はルーラルの護衛ですので、ルーラルと共に行きます」
「もう男爵令嬢というわけではないのだぞ。得られるものもあるまい」
「いまはまだ。ですが、公爵様が雇いたいと思えるだけの理由があるのでしたら、私にとってもそれがルーラルに付いていきたい理由です」
「かか、ただの武人かと思えば、貴様も頭が回るな。実に惜しいな。マティエスのためにも、二人にはぜひとも働いてほしいところだったが残念だ」
「お父様。よろしいのですか」
あっさりと身を引く予想外の言葉にマティエスが口を挟んだ。
「誠に重要なのは、側で働くものの能力もさることながら忠義の心よ。我にこの者等の心を掴むだけの魅力がなかっただけのこと。それはマティエス、お前にも言えることだ。ぜひとも、お前の元で働きたい。そう思わせるだけの力がお前に足りなかったのだ。もっと精進せよ」
「…はい」
顔が赤くなるのを感じる。
公爵が、父上が彼女にたいして直接的にアドバイスをするのはこれが始めてのことだった。ケーナに教育のすべてを任せ、何かあるときも彼女を通して伝えられていただけに、直接の言葉がとてもうれしかった。
「残念ではあるが、二人にはその働きに応じた褒美を取らせる。何かあれば申してみよ」
ルーラルとキトリーが顔を見合わせる。
「それでは、一つお願いがございます。我々二人、もしも可能でしたら私の弟も含め平民へ格上げしていただけないでしょうか?」
「二人に関しては支障ない。もとより召抱えるつもりだったのだ。卑人や奴隷というわけにはいくまい。だが、おぬしの弟に関しては、無理だな。この場にもおらんし、特別な働きをしたわけでもない」
「十分でございます」
平伏してお礼を述べる。
二人が残らなかったことにマティエスはどこかでホッとしている自分に気が付いた。二人の存在、特にルーラルのことを受け入れるは耐えられそうも無かった。彼女を使う自信が無かった。でも、いつか、そうできることを、そうなることをマティエスは心に誓った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます