第41話 輝き
ギースには側にいるように言われていたが、キトリーは確認も取らずにルーの元へと走った。マティエスの乗る獣車は、騎士の半分に固められてるので比較的安全といえるが、相手は5000人にも及ぶ怒りに満ちた集団。獣車の外にいるルーに身を守る術はない。
唯一の救いは、農民達のリーダー格である村長たちが必死にみんなに手出ししないように呼びかけていることだった。だが、若者を中心とした血気盛んなものたちにはその言葉も届いていない。武器を構える兵士や騎士たちには隙が無くすぐに切り結ぶということはなかったが、少しずつ包囲網は縮められ切っ掛けさえあれば、すぐにでも斧を振りかぶり襲い掛かりそうであった。
「キトリー、お願い。手を貸して」
ルーの元にたどり着くと、強張った表情でルーが懇願した。こんな状況で彼女に何が出来るのか、キトリーは不思議に思いながらも、すぐに頷いてみせる。
「どうしたらいい」
「魔法の邪魔をさせないで」
説明しているヒマはないと、ルーは呪文の詠唱に入ると、そのままマティエスの獣車の御車台に足をかけた。何をするのかと御者がぎょっとするなか、そのまま天板の上へとよじ登ろうとする。農民達の一部は彼女の突飛な動きに注目していたが、外の敵にばかり意識を向けていたマティエスの護衛騎士たちは、ルーの奇行には気がつかない。
それでも、いつ気付かれるか分からないためキトリーは御者台の前に立ち、農民達に向かうようにして槍を構えた。農民と護衛騎士の両方に気を張っていたなか、魔法使いがルーの動きに気がついた。
「あの子を止めて!魔法を…」
「ごめん」
気付かれたことを悟ったキトリーはすばやく魔法使いに詰め寄ると、石突で腹部を殴り黙らせる。仲間と思っていたキトリーの突然の凶行、さらに魔法使いの言葉から、騎士等はキトリーとルーを交互に見て状況を判断する。精霊魔法を使えば、光のきらめきが集まるのは周知の事実。ルーが魔法を使おうとしていることは戦いの心得のあるものには明らかだった。それを理解していない農民も、獣車の上に立つルーに注目が集めていた。
「貴様、血迷ったか」
ルーに魔法の心得があることはマティエスサイドの誰にも伝えていなかった。それはつまり、公爵令嬢であるマティエスにとって危険な情報を秘匿していたことに他ならない。加えて攻撃するなという隊長の命令にも背くものだ。攻撃魔法を持たないルーの魔法に危険がないことを知るのは、この場ではキトリーだけだ。
ルーの魔法を止めようと獣車の上へ詰め寄ろうとする騎士達にキトリーは槍を向ける。ほんの少し前までは、力強い味方であったキトリーの暴挙に、軍人である彼らは感情を押し殺し対処する。
剣を構え、槍を構え、キトリーを無力化するために動く。
振り下ろされる剣を槍ではじき、連携して突き入れられる槍の切っ先を体をひねって躱す。一人ひとりがスキル持ちという、兵士の格上の存在である騎士を二人も相手取りながらもキトリーは一歩も引かない。それどころか目の前の二人の相手をしつつ、獣車の反対側にいる護衛騎士にも意識を傾ける。二人のうちの一人は農民への警戒をしていたが、もう一人の剣使いは御車台へと足をかけた。
キトリーは斬撃を掻い潜り、槍を振り回して槍術士の一撃をはじくと、ナイフを投げて背後の騎士へも攻撃をする。鎧の隙間にナイフが突き刺さり、背後に倒れこむように御車台から落下した。
「どういうつもりだ」
走りこんできたギースが幅広の剣を両手で構え、キトリーに静かに声をかける。他の騎士と違い攻撃よりも先に口を開いたのは、キトリーへの感情ゆえか。背後を気にしつつ、キトリーはギースへと向き直る。ギースの強さは他の騎士とは一線を隔す。一対一でも勝てる自信はないのに背後にも敵はいるし、他にも二人剣士と槍術士がいる。キトリーは歯噛みしつつ、出方を待った。必要なのは時間稼ぎであり倒すことではない。そう考えると気持ちは少し楽になる。
「反逆の意思はないですよ」
張り詰めた空気を崩すような軽い物言いする。
「だから、どういうつもりだと聞いている!」
攻撃を躊躇いつつも、剣を握る手に掛かる力は最大限に引き絞られている。キトリーとしても、言葉でどうにかできるのならそうしたかったが、ルーが何をしようとしているのか正確に把握しているわけではない。どういえば良いだろうかと思案し、いつでも迎え撃てるようにと、ギースに教わった重心を落とした構えで切っ先を彼へと向ける。それが、間違いだった。突然起こった仲間割れのような状態に、農民達も二の足を踏んでいた。好機には違いなかったが人は予想外の出来事の前では思考を停止させる。
「語る言葉はないということか、ならば!」
奥歯をぎりっとかみ締めると、ギースが一気に間合いの内側まで踏み込んできた。身構えていてなお、ギースの踏み込みの速度と、剣速はキトリーの想像を超えた。キトリーは槍を振り上げギリギリの所で斬撃を受け止める。だが、スピガネの首を一刀の元に切り落とす彼の剣を受け止められるのは不可能だった。
勢いよく弾き飛ばされて、車体に激しくぶつかる。
肺の中の空気が吐き出され、後頭部にも強い衝撃を受けて意識が飛びそうになる。ギースの斬撃を受け止めた槍は半ばでへし折れ、ギリギリの所で切断は免れていた。ただの木の棒に薄い鉄板を巻いただけの柄が切られなかったのは、キトリーが攻撃を受けつつも自ら後ろに飛んで多少なりとも威力を削れたからだろう。
すぐに立ち上がり、追撃を避けなければと思うキトリーが動くより先に、首元へ剣の切っ先が突きつけられた。
「何のまねだ」
感情を押し殺した声が静かに突き刺さる。キトリーに出来るのは、口角をほんのわずかに上げるだけ。何度となくルーの魔法を見ていた彼女には、詠唱に掛かる時間が分かっていた。何をするかは分からないけども時は満ちた。役目は果たされたのだ。
「ブブ・エローラ!」
発動句が聞こえた。
獣車の上に一人ぽつんと立ち、さらには突然の仲間割れで、農民の耳目は先頭の獣車に集まっていた。ルーの発動句と共に、空中に出現したのは獣車を丸呑みできるほどの巨大な火の玉。だが、それは誰を攻撃するわけでもなく、現れた時と同じく唐突に虚空へと消えた。
無。
何が起きたか分からない人々に、静寂が訪れた。
「届いています」
しんと静まり返った中にルーの声だけが響いた。その言葉の意味が分からず、どういうことだ?とみんなの関心がより高まる。視線を一身に浴びているのを感じながら、ルーが続きを口にする。
「皆さんの想いは、領主様の元へ届いています」
言葉が染みわたるようにと、ルーは一拍おいて農民たちの顔を一人一人見回した。
「争う必要はありません。皆さんの想いに答えた領主様が食糧を用意して下さりました。ここにある獣車に乗っているのは皆さんのための冬の蓄えです」
「そんなこと言って、自分たちだけのものにするんだろう!」
どこからか聞こえてくる声に、ルーは優しく微笑みで応える。
「領主様の指示で、一人娘であるマティエス様が領都をお立ちになったことはご存じでしょう。それを知った時に、皆様が何を思ったのか、それはよく心得ております。大事な娘を逃がしたのではないか。あるいは王都へ援軍を頼みに行ったのではないか。そんな風に考えたのではありませんか」
ルーの言葉は力強さとやさしさを内包し凛と響いた。キトリーはその語りを聴きながら誰よりも驚いていた。普段の彼女からは想像もできない堂々とした振る舞い。でも、それは、考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。ルーはマティエスやほかの貴族と相対するときは、貴族らしく振舞い、弟のことを話すときは姉の顔をしていた。
どんなときでも下を向かずに前を見て、自分の能力を卑下せずに何が出来るかと常に考えていた。キトリーのアドバイスに従い、マティエスやケーナにどれだけ馬鹿にされようとも、考えることをやめずいつだって自分の意見を持とうとし続けた。
その結果が今なのだ。
戦う力を持たない彼女が、戦いを止めるために何ができるか考えたルーはキトリーの教えに従っただけだ。人々の耳目を集めるために、誰も予想しない方法を選び、皆が興味を持つようにと最初の一言をわざと意味深なものとした。いつか語った交渉の場でペースを掴むための方法をこの場で昇華させた。
「王都の援軍がどこにあるのでしょうか。ここにいるのは僅か100人ばかりの兵士だけです。彼らはみなさんに無事に食料を届けるために王都より派遣されました。飢饉の影響はご存じでしょう。人だけでなく森の動物たちにも影響を及ぼし、街の外はいつも以上に危険にされされています。そんな中、マティエス様は数名のお供だけで、王都へと向かったのです」
皆がルーの言葉に聞き入り、世界は静まり返っていた。獣車のなかに避難していたマティエスとケーナがゆっくりとドアを開け外へと出てくる。真上から響く声を一番聞いていたのは二人なのかもしれない。
「危険を承知で向かったのは、領民のために食料を分けてもらうためにほかなりません。なぜ、領主様は危険とわかっていながら大切な娘に向かわせたと思いますか?それが何よりも大切なことだからではありませんか」
領民であればだれも知っている事実、跡継ぎであったマティエスの兄がなくなり彼女が跡継ぎになったということ。それほど大切な者を危険にさらすはずがないと領民は納得する。たとえ真実が別にあったとしても、彼らが納得すればそれでいいのだ。
「マティエス様のお蔭で、私たちはこれだけの食料を運ぶことが出来ました。もちろん、これで終わりではありません。準備が整えば、第二陣、第三陣と食料は運ばれてくる予定になっています」
ルーは少し間を置くと、暴動に火をつけた男性へと視線を合わせた。
「争う必要も、血を流す必要もないのです。大切な人が待つ村に食料だけではなく皆さんの元気な姿を届けませんか」
「だけど、クララは…」
ボロボロになった服の破片を大事そうに握りしめながら訴えるように言葉を絞り出す。救えなかった命に対して、言葉を紡ぐのは難しい。安易な慰めは人を傷つけ、激情をもたらす事もある。争いを引き起こしてしまえば、もっと多くの犠牲が生まれてしまうのだ。
「マティエス様は一刻も早く食料を届けようと最善を尽くされました。ですが、間に合わなかったのですね。…本当に申し訳ありません」
言葉と共にルーが深く頭を下ると、農民たちに衝撃が走った。平民からすれば理不尽極まりないことを平然と命令し、無茶な要求に逆らうことは許されず、失敗すれば責任を取らされる。それが人々の考える貴族の姿で、平民に向かって頭を下げることは、太陽が西から昇るくらいありえない。獣車の上に立ち、人々に声を届けるルーの正体を知るものはいない。服装からは平民にしか見えないことだろうが、彼女の言葉はマティエスを代弁し、領主の代理のように映っていた。
声をかけられた男は、力なくその場に崩れ落ちた。握り締めた手で太ももを叩き、涙を流す男にこれ以上の反抗の意思は見えなかった。彼を中心に農民達は力を失い、手にしていた武器は地面へと落ちていった。一人が武器を落とすと、周りのものも同調するように武器を落とし、戦意喪失の輪が広がっていく。
戦いが終わったことは疑う余地も無かった。
ルーは獣車の下を覗き込み、マティエスと視線を合わせる。
「マティエス様、あとはお願いしてもよろしいですか」
突然、声をかけられたマティエスは目を瞬かせケーナに視線を合わせた。ケーナはこくりと肯いて彼女を促す。
「領主の娘として、みなに言葉をかけてください」
すぐに護衛騎士達が動き、獣車の天井に上がりやすいようにと木箱で階段が用意される。ルーのように御車台から這い上がるようなはしたない真似は貴族の令嬢として出来ない。階段を一段ずつ優雅な足取りでのぼり、ルーの手を借りてマティエスは天井に上った。
「ソールズベリー公爵の長女、マティエス・クーナ・フェン・ソールズベリー様です」
ルーに紹介される形で、彼女の横に並び立つマティエスは威厳のある態度で民衆へと声を響かせる。
「ソールズベリー領に住むすべての民よ。苦しみのときは過ぎ去りました。夏が終わり秋が始まり、冬が来るように物事は巡ります。夏の大日照りの影響で、民の努力も空しく秋の収穫は激減しました。人は自然には敵いません。自然と共に生きていくしかないのです。我々は抗うことの出来ない自然の脅威に対して、手を取り合い前に進んでいくしかありません。今回…」
マティエスが朗々と語り始めたところで、ルーは自分の役目は終わったと入れ替わるように地面に降りた。
「キ、キ、キ、キ、キトリー」
直後、その場で膝を折って座り込もうとし、慌ててキトリーが彼女を支えると膝をふるふると震わせながら、歯の根が合わないようにがくがくと歯を打ち鳴らした。さきほどまで、堂々たる姿を農民に見せていた人物と同じとは思えないほどの豹変っぷりにキトリーは苦笑いを浮かべると、ルーを胸元に抱き寄せ頭をぽんぽんと叩いた。
「よくやった」
「はぅう」
嬉しそうに相好を崩しながらも、まだ興奮が冷めないのだろう体が震えているのが伝わってくる。獣車の上でマティエスが滔々と語っているのを耳にしながら、キトリーは一つのことを心に誓った。
-ルーを守ろう。
彼女の演説を聞きながら、キトリーの中で確信めいたものが芽生えていた。ルーが以前に語った彼女の夢、卑人の差別を無くせるようにダダン王国の現在の制度を変えたいという途方もないほどの大きな野望。誰もが鼻で笑い無理だと口にする妄言と言えるようなことでも、彼女なら出来ると思った。
ルーは生まれながらの為政者なのだ。
様々な名言や格言というものが歴史の中で生まれてきたことだろう。だが、ルーと同じことをしても、キトリーの言葉は農民の胸には届かなかっただろうと思う。人々へと届かせる力があるのは、紡がれる言葉だけではないのだ。声、抑揚、間の取り方、そして言葉に込められた想いがあって初めて声は届く。
ルーの中にある資質にキトリーは気が付いた。
しかし、彼女のやろうとしていることをよく思わない人もいるかもしれない。体制を変えると言うことは、現体制の利益を享受しているものには目障りでしかない。彼女の進む道には立ちはだかるものが現れるかもしれない。そんな時、彼女を守るための盾となり槍となろうと心に誓った。
女である自分がそんな風に思考することを不思議に思いながらも、心のどこかでは納得していた。美玖としての人生も、アルノーとしての人生も、どちらも今の自分に活かされている。誰かを守るための力をつけようとしたアルノーの心が、今のキトリーに残っているのかもしれない。
なるべく減点を減らすことしか考えていなかったキトリーの人生は空虚で投げやりだった。森で生きていることも、緩慢な自殺とも言えた。戦いの中に身を置き、命を落とすことがあっても微塵も惜しくはなかった。犯罪者に仕立てられても、奴隷になったとしてもどうでもよかった。日々楽しく生きているようでも、目的も目標もなかった彼女の心はずっと乾いていた。
『ルーを守る』という思いが生まれた瞬間、彼女の中に温かな感情が奔流となって暴れまわった。キトリーの空っぽの心はルーという光で満たされ、世界から霧が晴れたように輝き始めていた。
生きる意味を手にしたキトリーは、腕の中の少女に向けて優しく微笑んだ。
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ここで1章完結になります。
拙い作品にお付き合いありがとうございます。
そして、引き続き宜しくお願いします。
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