第40話 激突
「何かいます」
「警戒しろ」
キトリーとギースが同時に口を開き、お互いに目を合わせた。
ギースが手信号で後方の部隊に情報を伝え、キトリーが周囲に意識をめぐらせると林の中に人の気配があった。一つや二つではない複数の視線を感じる。
「どう思う」
「斥候ですかね」
ギースの質問にキトリーは答える。一昨日の一件以来、気まずさが残っていたせいで道中の会話は少なめだった。でも、それを仕事に引っ張るギースではないし、キトリーも頭の切り替えは出来ている。命の危険があるかもしれないところで、何かに心を囚われているようでは森で生き残れるはずも無かった。
最後の宿場町を出て、まばらな木の生える林を抜けている途中だった。このあたりも干ばつの影響なのだろう、木々の成長が妨げられ枯れている木も多い。昼ごろには領都には到着する、そんな頃だった。マティエス達が王都へ向ったことは農民を含めて周知の事実であり、その目的が武装蜂起した農民達を制圧するための援軍を求めたものだということは隠しきれていないのだ。
いつ何が起きてもおかしくないと、全軍が緊張感を持って進む中、林の中の気配が消えた。
「行ったか」
「みたいですね。文字が読めていればいいんですけどね」
ルーのアイデアで作られた横断幕には『皆さんのために王都より救援物資を貰ってきました!』と書いてあった。
白旗も掲げてある。戦う意思を持たないことをあらわす旗の色。軍人の中にも文字の読み書きの出来ないものは多い。そのため、色で分かりやすく表現をしている。それは、ダダン王国だけでなく他国も含めて同じ色が用いられ、交渉の呼びかけは青であり、赤い旗は降伏宣告であることは農民といえども広く知られている。
斥候らしき影がいなくなってからも警戒しながら行軍していた彼らの元へ、数十人規模の一団が姿を現した。先頭に立つのはひげを蓄えた白髪の老人だが、力強い目が肉体の衰えを感じさせなかった。
「全軍止まれ!」
獣車が停止し、ギースが老人の下へと歩み出る。キトリーは少し離れて様子を伺っていた。老人の周りには斧や鎌といった農具の中では殺傷能力のありそうなものを構えた20代から40代くらいの男達が身構えていた。
「農民の代表者の方か」
「いかにも。そこの文句に偽りはないか?」
老人がいうのは横断幕の文字。ルーの考えたとおり農民の中にも文字の読めるものはいたのだ。先ほどの斥候は白旗と横断幕を見つけ、文字の読めるものを連れてきたというところ。
「もちろん。国王陛下の慈悲により、領民のための食料をご用意いただいた。これから、領都へと入り、配給を行いたいと考えている。もちろん、その方ら農民への配給は率先して行う。道を開けていただけないだろうか」
この場の交渉に、マティエスやケーナは出てこなかった。何が起こるかわからない一触即発の状況で危険をさらすわけには行かない。全権の委譲がされているわけではないが、想定される交渉内容を吟味していたので、基本的にはギースが代表して交渉することになっていた。
「ワシらとて、争いたいわけではない。言葉が誠であれば、邪魔をする理由はない。付いて来るがいい。みなも食べるものがなくなり、気が立っておる。ワシらと一緒のほうがいいだろう。ユース、先行して村長連中に伝えてこい」
「ご理解いただき感謝いたします」
ギースが頭を下げ、ユースと呼ばれた若者が駆け出した。残った農民達を先頭にキトリーたちは後に続く。少なくともこの場での戦闘は避けられたらしい。気が立っているという不穏な言葉もあり、領都の門を通るまでは安心は出来ないが伝言が上手く伝われば農民も矛を収めるだろう。
兵士達からも緊張が幾らか解けたのが分かった。彼らは国民を守るための兵であって、国民に刃を向けるためにいるわけではない。上官からの命令とあれば、それを辞さない覚悟はあるが誰も好きこんでやりたくはないのだ。その可能性が少しでもなくなったことに、ホッとしたのは素直な感情といえた。
林を抜けた平原の先、巨大な山脈を背後に抱えた街が見えてきた。
町をぐるりと取り囲む壁の一角にある、大きな門の前には農民達が集まっていた。街道沿いを進む獣車のために脇にそれて道を開けているが、決して許したような雰囲気はない。
怒気をはらんだ、一触即発の気配をにじませてマティエス一行の動きに注視している。何か切っ掛けがあれば、すぐにでも暴れだしそうな雰囲気もあり、農民の間に出来た道を歩くのは精神がごっそりと削られる。彼らが大挙して押し寄せてきたら兵士達にはなす術がない。すでに囲まれている以上、逃げるという選択肢もないのだ。
根本的に攻撃を良しとしておらず、戦うよりも身を守ることに重点が置かれた命令では防ぎようがないのだ。最後尾の獣車まですっぽりと農民達の集団のなかに入った頃、声が上がった。
「おい、ちょっと待て。それは何だ?」
一人の農民が3台目の獣車に近づいてきた。周りが見えていないように一点だけに視線が集中していて、獣車への接近を止めようと兵士が前に出てきても、気がつくのが一瞬遅れた。
「それは何だって聞いているんだ!」
怒鳴り散らしながら男が指差す先に、御者台下の収納スペースに置かれた一つの木箱があった。討伐したジェスタから剥ぎ取った衣類とアクセサリーを木箱に納めて運んでいたのだが、荷台は食料で一杯だったため御車台下の隙間に載せるしかなかった。
貴族の服と比較すれば、なんの特徴もないようなものだけども身近なものなら分かるかもしれないし、遺品として可能なら家族へと返したいと持ってきていた。
「来る途中に回収した農民のものと思われる遺品だ。持ち主がわかるのか?」
迫ってくる農民の剣幕に、兵士が不用意に口を開く。
-まずい!
キトリーの内心を反映するように、「遺品」と聞いた男の目が激しくつりあがる。
「遺品だと!?それはどういう意味だ。貴様が殺したのか!」
「ま、待て、違う。落ち着け」
宥めようとする兵士が突き飛ばされて、男が遺品の入った箱を掴み取った。獣車はすでに停止されられ、周囲の視線が彼に注がれる。突き飛ばされた兵が立ち上がり、他の兵士達と共に男を取り押さえようと動く。
キトリーは焦燥してギースに視線を走らせた。
「お前達、何もするな」
ギースが足早に、兵士達のほうへと駆けつける。男が木箱の中から、緋色の布を手に取り顔に近づけた。布を持つ手が震えている。
「クララ…」
それが服の持ち主、彼にとって大切なものの名前なのだろう。布切れを抱きしめ、崩れ落ちるように膝を折った。ギースが駆け寄り、肩に手を置くと振り払って立ち上がる。
「貴様等か!貴様等が殺したのか!」
「違う。聞け!」
「うるせぇ。ふざけるな。ふざけんなよ。お前達軍人は俺達農民の事なんか、これっぽっちも考えてないんだ。クララが何をした。あいつは村でオレの帰りを待ってただけだ。なんでこんなことになる!貴様等がっ!」
ギースの胸倉を掴み、怒りに身を任せて怒鳴り散らす。騎士や兵士が殺したわけではないが、その事実を伝えるのも容易なことではなかった。一つ言葉を間違えば状況を悪化させかねない。その事実を伝えたくても伝えられない。言葉が出てこなかった僅かな躊躇いの時間、それが男の感情を爆発させ、すでに気持ちの高ぶっていた周囲へと簡単に伝染した。
ガンっと車体に何かが当たる音がして、キトリーが視線をこぶし大ほどの石が地面に落ちていた。
一つ、二つ、三つ。
「落ち着け!!」
ギースの怒鳴り声が響く。だが、感情の波が大きなうねりとなって伝播した先に起こるのは、地震や津波や嵐のような人の手にはどうすることも出来ない自然現象のようなもの。
「誰も手を出すな!いま手を出せば、我々の努力が無に帰すぞ!」
投石に始まった農民達の攻撃は、すぐに直接的なものへとシフトする。武器を手にじわりじわりとにじり寄ってくる。包囲網が徐々に狭まり、血が流れるのは時間の問題だった。
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