第38話 キトリーの相談
「あのさ。ちょっと相談あるんだけど」
「どうしたんです」
珍しいキトリーからの相談にルーが興味津々という顔で目を輝かせた。キトリーはそれほど大事にするつもりもなかったので、ちょっと失敗したかなと、切り出したことをすでに後悔し始めていた。
「なんていうのかな…」
いつもと違う歯切れの悪い様子にルーはどんな言葉が飛び出てくるのかと身構えている。ソールズベリー領都への行軍も残りわずか、あと二日三日くらいの距離まできていた。先日のような魔物の襲撃も数回経験した。キトリーたちの陣営には怪我人こそ出ていたが、幸いにも命を落とすものは一人も出ていない。
そんな中での相談ということもあり、ルーは真剣な表情でキトリーの言葉を待った。
「ギースなんだけど…」
「ん?部隊長さんがどうかしたんです?」
「…私に惚れてる」
「はい?」
キトリーは顔がかあっと熱くなるのを感じていた。自分で言うのも恥ずかしいのだが、ちょっと困っていた。これまでの道のりで、ずっと一緒にいたために出発した頃と比べれば親密になっていているし、明日もきっと一緒に行軍することになる。それを思うと、顔を合わせにくい。
ルーはきょとんと目をぱちくりさせると、手のひらをキトリーに向けて続きの言葉を押しとどめる。
「ちょ、ちょっと、待ってください」
数秒の時間をかけて、言葉を咀嚼する。そして、どういうわけかルーの顔が徐々に険しくなった。
「えっと、いま、私達はソールズベリーの領都に向けて進んでいるわけですよね。領内に入った頃から魔物の襲撃も多くなり、領都に近づいていることもあって少しずつ緊張が高まっている。そんな状況で二人は何をしているんですか!」
「なんで怒るの?」
「だ、だってですね。ええ、気づいていましたとも、私がケーナさんに、戦術について相談されて、一生懸命に答えを返した挙句、冷たい目で見られている中。キトリーがギースさんと毎日、毎日、毎日楽しそうにお喋りしているのは知っていましたよ。戦いの後も、二人ともお互いの健闘を称えあったり、なんだか、最近は連携も上手く取れているみたいですし…」
「ま、待って。ルー、何か勘違いしていない?」
「勘違いですか?」
「そりゃあ、10日以上も一緒にいるし、たくさん話しているから、最初に比べれば打ち解けたとは思うよ。でも、何にもないよ」
「で、でも、じゃあ何で、ギースさんがキトリーのことを好きってことになるんです?」
「求婚された」
「…はい?」
裏返った声をだして、ルーが驚くを通り越して自失した。
ジェスタの襲来が遭った夜、なんとなくそんな気配を感じていたキトリーだったが、今日宿場町に到着した後、二人きりになり、ストレートに告白された。付き合ってもいないし、お互いの気持ちを確かめあったわけでもない。もちろん、ギースに対して悪い感情は抱いていない。どちらかといえば、好きなほうだ。なんだったら、ちょっとタイプでもある。見た目もかっこいいし、まだ若いのに100人もの部隊を任せられるくらいに仕事もできる。
「最初は騎士にならないかって話だったんだよね」
「それは聞きました」
「でも、それは難しいって話をしたら、騎士にならなくても、一緒に働かないかって、領主様に口を利くことも可能だからって。そんな感じで、ここ数日、何回か誘われていたんだけど、さっき町に入って、夕食に行く前なんだけど求婚された」
「えーと、ごめんなさい。話が飛んでませんか?」
「そうだよね。そう思うよね。だから私も困ってるの。みんなそんな感じなの?」
「どうなんでしょ。貴族は基本的に親が決めますけど、平民の方は自由恋愛だと前にも話したと思います。もちろん職業とかはある程度気にされると思うんです。兵士、商人、農民、職人とではやっぱり生活環境が異なりますから。でも、ごめんなさい。やっぱり、平民の方の結婚事情まではよく分からないです。いきなり結婚を申し込むというのは、ちょっと普通じゃないと思いますが」
「やっぱり、そうだよね」
「…その、キトリーはどう思っているんです?」
ちょっと寂しそうな声音でルーが聞いてきた。もしも、キトリーが求婚を受けたらどうしようと思っているのだろう。キトリーが前世の記憶もなく、この世界に生まれた普通の少女であれば前向きに考えたかもしれない。しかし、自由恋愛が基本の日本で生まれたキトリーが、付き合いもなしに求婚に応じることはありえない。
「ギースのことは好きだよ。まだ、知り合って間もないけど、悪い人じゃないと思う。話も面白いし、すごく頼りになるからね」
「じゃ、じゃあ、キトリーは、求婚を受けるんですか!?」
目を白黒させて焦った声を上げるルーを見て、誤解をさせてしまったことに気が付いた。ただ、ちょっと、その顔が可愛かったので話に乗ってみる。
「騎士って、軍人の中ではエリートなんだよね?」
「そうですね。一般兵とは違います。それに、ギースさんはまだ若いですし、現在の地位を考えれば、これからも出世すると思います」
「将来も有望ってことだよね」
ルーが段々と泣きそうになってくるのみて、思わず笑い出しそうになるのをぐっと堪える。
「ギースに聞いたんだけど、代々騎士の家系らしくてね、お父様は王都で要職についているって。今はマティエス様の護衛をしてるけど、将来的には王都の軍部に入ることになるかもしれないらしい」
「それは…すごいですね」
「うん。でも、現実的には無理だよね。私は卑人だし…」
「そんなことないですよ。キトリーは大活躍ですし、領主様にお願いすれば、王都での件だけでなく、もしかしたら平民への格上げも出来るかもしれません。で、でも…」
ルーが最後の言葉を飲み込んでもごもごとする。言いたいことがあるのに言えない。彼女が結婚を選んだら、自分との旅はどうなるのか。そこを聞きたいのだろう。彼女の顔がますます悲しそうに沈んでいく。ちょっとやりすぎたかな。そんな思いが脳裏をよぎるけども、キトリーは止まらない。
「私もね、急な話だとは思う。でも、前世でも結婚できなかったし、憧れってあるんだよね。私の親は犯罪者だし、まともな職についているわけでもないでしょ。13歳から森で生活しているから、一般的な常識もないと思う。こんな機会はもうないんじゃないかなって」
「そ、そんなことはないですよ。キトリーは色々知っているし、いまは卑人かも知れないですけど、キトリーが何か悪い事したわけじゃないんですから、卑屈になる必要ないんです。きっと平民になれます。騎士になれば、キトリーならどんどん出世できますよ。だから…自信を持ってください!」
ルーの中で、何かが吹っ切れたのか、幸せを応援するように力強くキトリーの両手を握り締めた。ルーはやさしいので、自分のことよりもキトリーが幸せになれるなら喜ぶべきだと考えているのだろう。そんな彼女の思考が手に取るように分かって、罪悪感に胸がチクリと痛んだ。
「キトリー」
ルーがぐいっと顔を近づけて、真剣なまなざしでキトリーをみつめる。
「私は応援します。私が力になれることは少ないかもしれませんが、がんばりましょう。ちょっと、怖いですけど、ケーナさんにも相談してみましょう。領主様へ口利きをしてもらえれば、きっと分かってくれます。キトリーの働きは絶対に認められるはずです。だって、他の兵士よりキトリーのほうが優秀ですから、それに…」
「ぷっ」
キトリーは我慢の限界とばかりに噴出すと、そのままケラケラとおなかを抱えて笑い出した。
「な、何で笑うんです?」
「はは、ご、ごめん。ちょっと、待って」
「もう、何なんですか。私そんなに変なこと言いました?」
大笑いするキトリーが理解できずに、ルーが不思議そうな首を傾げる。
「だ、だって、ルーが、あはは」
「もう!」
「ご、ごめん。うそ、うそ、うそ。結婚する気なんかないの。ホントはどうやって断ろうか、相談しようと思っただけで」
「な、な、な、な、キトリー!!!!」
顔をゆでだこの様に真っ赤にしてキトリーを押し倒すと、バカバカバカと子供の喧嘩のように腕を振り回す。
「ちょ、ちょっと。ルー。痛い。止めて、ごめん。だって、可愛いんだもん。私と離れるのがそんなに嫌だった?」
「うぅ。分かってるなら聞かないでくださいよぉ。寂しいですけど、キトリーが幸せになれるならって、応援しようと思ったんですよ」
怒った顔もかわいいなぁとか思っている自分は最低だなと感じながらも、キトリーは彼女の想いを聞いてさらに幸せな気持ちになれた。キトリーにその気がないことを知ってルーも徐々に落ち着いてくる。もちろん、騙されたことには腹を立てているけども、キトリーがいなくなってしまうことよりも一緒にいられることのほうがうれしいのだろう。安心したように、顔がにやけてくる。
そろそろ大丈夫かなと、本来の相談事を口にする。
「で、どうしたらいいのかな。明日からギースとどんな顔して会えばいいのかな」
「…知りませんよ。そんなのは自分で考えてください!」
一蹴された。仕方ないか、と苦笑いを浮かべた。ちょっとやりすぎてしまったし、でも本当にどうしようと考えていると部屋のドアがノックされた。
「失礼します。マティエス様がお呼びです」
扉越しに男の人の声が聞こえてくる。マティエスの護衛の一人の声だろう。キトリーに馬乗りになっていたルーが立ち上がって部屋のドアを開けると、予想通りの顔が現れた。
「どういう用件なのでしょうか」
「明日からの道程に関して、ご相談したいことがあるそうです。ギース隊長ほか、各中隊のリーダーも集められています。ご同行願えますか?」
「えっと、私だけですか」
「私がお呼びするように伺っているのはルーラル様だけです」
「キトリーを連れて行っても?」
後ろを振りかえり視線を合わせてきたので、キトリーは首を振って拒否をあらわした。ギースと会うにはまだ、心の準備が出来ていない。
「こちらでは判断できかねます。一度同行していただいて、マティエス様にご確認いただくのが一番かと」
「じゃあ、そうしましょう」
「ちょ、ちょっと。ルー?私は行かないよ。会議とかそんなの柄じゃないし、いつもルーだけなのに、私がついていったら変でしょ」
「いえいえ、そんなことありませんよ。キトリーは物知りですし」
いつもの明るい笑顔とは違う、何かを企むような悪い笑みを貼り付けてルーが笑った。
「怒ってる?怒ってるよね?さっきのこと」
「何言ってるんですか?全然気にしていません。これっぽっちも気にしてないですよ。むしろ、助けてほしいんです。キトリーに言われて、いつも何とか意見を出してますけど、ケーナさんには呆れられてばかりですから。キトリーにそばにいてほしいなぁって」
-笑顔が怖い
普段ニコニコしている人ほど怒らせると怖い。ルーが怒るところは何度か見たことあるけども、こういうのは初めてだ。伝令に来た騎士に急かされて、キトリーは仕方なく付いていくことにした。
いつもの会議は数日置きに夕食前に行われていて、昼間の時点でケーナから参加するようにルーへ打診があるのだが、今日はなかった。こんな風に急に呼ばれるのは初めてのことなので、ルーの顔が緊張で固くなっている。何か不測の事態が発生したのかもしれない。一抹の不安を抱えながら、案内されるままキトリーたちは会議の場に入っていった。
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