第35話 キトリーの告白
「どうしましょう」
不安そうにルーが上目づかいでキトリーを見上げる。
「その目、禁止って言わなかった?」
小動物のようにくりくりとした青い瞳で見つめれれると無い袖すら振りたくなってしまう。
-やれやれ。
キトリーは心の中でため息をつくと、古い知識を呼び起こした。
「『ブレインストーミング』ってのがある」
「ぶれんい・・・?耳慣れない言葉ですね」
この世界に無い言葉にルーが小首を傾げるのを見て、キトリーは小さく笑った。言葉の響きだけでなく、発音もこの国の言葉とは全く違う。
「『ブレインストーミング』。まあ、言葉に関してはどうでもいいんだけど。簡単に言うとね、会議のやり方の一つなんだけど、4つの基本ルールがあるの。一つは結論を出さないって事。次がどんな意見でも構わないってこと。それから、数多くの意見を出すこと、最後に意見を合体させること」
「結論を出さなくて良いの?」
「なんていえばいいのかな。反論をしないということかな。二つ目にどんな意見でもいいって言ったでしょ。それに絡んでくるだけど、例えば…そうね。私達は食糧不足のソールズベリーに食料を運んでいる途中なわけだけど、食料を捨てましょうって意見を聞いたらどう思う?」
「何言ってるんですか?」
「まあ、そうなるよね。でもね、そんな意見でも、その場では否定せずに一つの意見として会議中は残すの。それが結論を出さないってこと。いちいち否定していたら、会議は前に進まないし、意見を出しにくくなると思わない?」
「そうですね。ケーナさんに睨まれたら私はもう何も言えなくなる自信があります!」
なぜか自信たっぷりに答えるルーに、キトリーは小さく笑い声をもらす。
「だからね。ブレインストーミングではそれを禁止するの。とにかく数多くの意見を出すことが重要でね。突拍子もない意見に思えても、他の意見と組み合わせると案外使える可能性もでてくるからね」
「…うん。キトリーの言うことはなんとなく分かってきました。でも、そうなると、私がケーナさんたちに『ぶれいんすとーみんぐ』を説明しないといけませんね」
「そうだね。それができれば一番だと思う。貴族が入る会議っていうのは想像もつかないけど、立場の上の人が結論を出して指示を出すだけだったら、会議をする意味なんてないと思う。でも、ケーナは会議を開いてルーの意見も聞きたいって言ってるんだよね。だったら、十分聞いてくれると思うよ。もしも『ブレインストーミング』が分かってもらえなかったとしても、尻込みせずにどんどん意見を言ったらいい。どんな意見でも必ず役に立つから」
キトリーの説明に、ルーが頷いた。加古川美玖が経理課員として働いていたころ、会社のプロジェクト会議に参加することが度々あった。玩具を扱う歴史ある会社で、古くはコマやおはじき、積み木といったものから、ゲームソフトの開発まで手掛けるような会社で、そこで教わったのが『ブレインストーミング』という手法だった。
ゲームやおもちゃの開発では柔軟な思考がヒットを生みだすという社長の方針により、プロジェクトに関係のない部署の面々にも、会議への参加と意見の発表が求められた。事実、清掃スタッフの意見を元として、とあるゲームがミリオンヒットを記録したこともあったのだ。残念ながら7年近い会社員生活で、美玖のアイデアが採用されたことはないのだが。
「はぁ。キトリーは本当に物知りです。『ぶれいんすとーみんぐ』ですか。なんでキトリーはそんなことまで知っているんです。森で生活していたキトリーが会議の方法を知ってるなんて不思議です」
「それは…」
ルーの尊敬した視線に、言葉を詰まらせチリっと胸に痛みが走った。また、やってしまった。そんな風に思った。そして、これはどうあっても言いつくろえないと思う。だったら、いっその事すべてをぶちまけてしまおうか。
キトリーの脳裏にシュライセの街での喧嘩が思い出される。自分は本当は大したことのない人間なのだと、わかってもらった方がいいと、その時にも考えていたことだ。でも、いままで口に出来なかったのは、ルーの反応が怖かったから。人は普通と違うものを拒絶する。
もちろん、彼女なら変わらないだろうという思いもあった。でも、100%の確証がなかった。それでも、これからも続けていく関係なら、これ以上無理をすることはできない。何でも知ってる理想のキトリーではいられないのだ。
「聞いてくれる?」
「どうしたの」
「えっとね…」
キトリーの改まった様子に、ルーが首をかしげる。彼女の青い瞳を見つめて、キトリーはすべてを語ることにした。美玖としての人生、アルノーとしての人生。さすがに天界での出来事までは口にできない。加点減点システムを知ることは、ルーもまた『呪い』にかけてしまう可能性があるから。
キトリーの説明をルーは口を挟まずに聞いていた。多少驚いている様子はあるけども、それだけだった。話が終わってもルーはいつも通りだった。
「気持ち悪くない?」
「何でですか。ふふっ。でも、ようやくキトリーが物知りさんな理由がわかりました。あれですね。おばあちゃんの知恵袋的な」
「ちょ、ちょっと。待ってよ」
「んふふふ。キトリーおばあちゃん」
「ルー!!」
キトリーは目をきりっと鋭くしながら、ルーの頬を両手でつまみあげ、彼女の変わらない態度にホッとする。これで、もう無駄に尊敬されることもないだろう。なにしろただの「おばあちゃんの知恵袋」なのだから。ほっぺから手を離すと、赤くはれ上がった頬をさすりながらルーが質問する。
「キトリーは、その、前の人生のとき結婚してたんですか?」
「ずいぶん唐突だね。無いけど、それがどうかしたの」
残念ながら美玖としてもアルノーとしても独身のまま終わった。2回とも短命だったのは偶然なのか必然なのか。そう考えると、今回も短く終わってしまうのかと不安になる。
「でも、成人はしていたんですよね。お仕事していたという話ですし」
「もちろん。ダダン王国と違って20歳で成人になるけどね」
「そうなんですね。じゃあ、成人してすぐだったんですか?」
「何が?」
「亡くなられたのがです」
「ううん。一度目は、29歳の時だったよ」
「え?」
「え?」
「「え?」」
29歳と聞いて驚いたルー、ルーが驚いたことを不思議に思ったキトリー。
そして、お互いに顔を見合わせて「え」がハモった。
一拍おいてルーが顔を背け、彼女の疑問符の理由を悟ったキトリーはルーの顔を両手でつかみ、真正面に見据える。
「ルーラル。今なんで顔をそらした?」
「キ、キトリー。顔が怖いです。なんで、ルーラルなんですか。今まで通りルーって呼んで下さいよ」
「29歳で!独身だったら!何か!問題あるの!?」
「ち、ちがっ」
「ルーラルは、私を行き遅れの残念な女だとそういいたいわけ!?」
「だ、だから、違いますよ」
怯えた目で首を横に振ろうとするのを、つかんだまま目を反らせないようにする。この世界の基準はともかく、日本ではそれほど異常ではなかった。もちろん、母親や親せきにはつつかれてはいたけども。
「じゃあ、どういうこと?」
「た、ただ、結婚生活ってどんなかなって興味があっただけです。私も父があんなことにならなかったら、来年結婚するはずだったんです」
「…そうなの」
ルーを開放する。意外な話だった。貴族の結婚が早いことは想像できる。この世界はともかく、元の世界の歴史を振り返ってもそうだった。でも、目の前の幼い(精神的に)少女と結婚が結びつかなかった。
「相手は?」
「リズバーン子爵家の二男です。1度だけお会いしたことありますけど、優しそうな方でした」
「子爵家ってすごいんじゃない?」
「でも、二男ですから、家督はつぎませんし」
「でもさ、来年結婚する予定だったのなら、なんでルーのお父さんは兵法教えたり、商売の仕方教えたりしてたの?それより花嫁修業の方が重要だと思うけど」
「ふふ、そうですね。父は商売はしてましたけど、根っからの軍人でしたから…」
ルーが昔を懐かしむような遠い目をする。
「あんまり器用な人じゃなかったんです。私が11歳の時に母がなくなって、娘との接し方が分からなかったんだと思います。それでも、私のことを大事に思っていたのはわかるんです。だから、父は自分の知っていることを私に教えることで一緒に過ごそうとしてくれていたんだと思います」
「良いお父さんだね」
「ええ」
彼女の話を聞くほど、何で犯罪に手を染めたのかが分からなくなる。率先して悪いことに手を出すタイプとは思えないので、何かがあったのかもしれない。
「で、ちょっとごまかされてみたけど、私の年齢聞いて驚いた理由にはなってないよね」
「え?戻すんですか。そこはもういいじゃないですか?」
「ふふ、冗談だよ。この世界と文化が違うからね、別に29歳で独身でも珍しくないところだったの」
「そうなんですか。この国だと、平民でも遅くても22~23歳くらいまでには大体結婚を決めます」
「早くない?相手がみつからないこともあるでしょ」
「そうですね、平民の場合は自由恋愛ですけど、見つからない場合は親を中心に周囲の人が話をまとめるみたいです。女性の場合、どうしても子供を産み育てないといけませんから、あんまり遅くなるのも…」
ルーが言葉を濁したけれども、その先は想像がついた。日本のような先進国では、出産までの問題も、出産後の問題もかなり小さくなっている。でも、この世界ではそうもいってられないのだろう。神の奇跡や魔法のある世界では、逆に医療技術の進化は見込めないのかもしれない。
子供が無事に生まれなかったり、成人するまで生きられない世界では、当然のように子供は一人ではなく二人や三人と求められる。キトリーには知る由もないことだが、彼女には二人の兄弟がいた。
「キトリーは美人ですから、きっと引く手あまたですよ」
「私が?」
「ええ、キトリーの目ってすごくきれいなんです」
そういって、正面から見つめられる。
「ルーの青い目のほうがよっぽどきれいだと思うけど」
「そんなことないですよ。キトリーの目って普段は灰色っぽいんですけど、光の加減で色が変わるんですよ。外だと青っぽくなりますし、室内だとオレンジ色に近いです。こうやって見てると、吸い込まれそうになります」
「そんな不思議な…」
鏡というものが一般的でない世界で、キトリーは自分の姿をちゃんと見たことはなかった。水面に反射する姿や、街中でガラスに映る姿を見ることはあったけども、ほとんどくすんでいて、輪郭程度はわかっても自身の瞳の色などわかりようもなかった。
-まあ、美人というのはバイアスがかかっているんだろうけど。
と、鵜呑みにはしなかった。
キトリーは決して絶世の美人とはいえないまでも、整った顔をしている。灰色の切れ長の瞳に、赤い髪、スレンダーなボディライン。男性受けよりも、女性が憧れるタイプだが美人のカテゴリーには入っている。
明日の会議への不安から始まった二人の話は、一変してキトリーの過去話へと花開いていき、朝方近くまでお喋りは続いた。
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