第33話 出発
東門の先には大型の貨物用獣車が行列を成していた。牽引用につながれたグルゥも一台当たり4頭と、贅沢な仕様となっている。荷車自体はそれほど立派なものというわけではない。簡素な幌が設けられている程度で、雨風が凌げれば十分という程度。
ただし、それら獣車の周囲を鎧を身にまとった100人ほどの兵士が守っているのが異様ともいえた。ただの大商隊ではない。見たものは誰しもそう考えたに違いない。
キトリーとルーは獣車の横を通り過ぎて、先頭の豪華な獣車へと向かった。一台だけ牽引しているのがグルゥではなくシンドラという足が六本もある珍しい獣である。上級貴族の獣車によく見られるグルゥよりも早く走ることのできる獣である。
三本の爪の紋章の刻まれた車体の横にはケーナが立っており、マティエスは当然のように車内の座席に腰掛けていた。先日とも違う衣装ではあるけれど、相変わらずケバケバしい彩りでキトリーは安っぽい印象を覚えた。ルーが貴族らしい挨拶をかわすと、用は済んだとばかりにマティエスは反対側の車窓の外へと視線を動かした。
「ちゃんと来たようね」
「この度は、我々をお引き立ていただき誠にありがとうございます。若輩故、どの程度お役に立てるかわかりませんが、誠心誠意お役目を全うさせていただきたい所存にございます」
「いい心がけね。あなたは、このまま先頭の獣車の横を歩いて付いてきなさい。それから、そちらの…」
「キトリーと申します」
ルーの言葉遣いを真似るところまではしないまでも、キトリーもできる限りの丁寧なものいいを心がける。彼女達の機嫌を損ねれば、どうなるか分からないのだから。
「キトリーは、あそこにいるこの部隊の長を務めるギースの下で働きなさい」
「べ、別々なのですか?」
ルーが不安そうな声を出す。
「あなたとキトリーとでは、役目が違います」
「そ、そうですね」
助けを求めるような視線が注がれるが、キトリーとてこの場で出来ることは限られている。一人になることに不安そうな目をしているルーを宥めるような言葉を考える。
「休憩中や夜は一緒にいても構わないでしょうか?」
「その程度なら問題ないわ。でも、ギース次第だけど、夜の見回りに選ばれた時は従いなさい」
「はい。ルーもそれでいい?」
「うぅ。仕方ないですぅ」
「あなたたち、一体どういう…まあ、いいわ。それじゃあ、出発するわよ」
気軽な物言いのキトリーと、デスマス調のルーの二人の関係が気になったのだろうが、詳しく聞こうとしないのは必要ないと判断されたからだろうか。切替えの早さはケーナの優秀さの表れかもしれない。
ルーと軽い挨拶を済ませて、ギースと呼ばれた部隊長の元へと急ぐ。彼の周りには数人の兵士が立っており、なにやら話し込んでいる。ただ、深刻な話のようではなく、彼らの顔には時折笑顔が見えていた。ギースが近づいてくるキトリーに気が付くと手招きをした。
彼は短い金髪で、無精ひげを生やしていて、キトリーとしてはなじみ深いドイツ系の顔立ち。身長はキトリーより頭一つ分高く、肩幅も広い。一般兵が装飾の無いシンプルな鉄板むき出しという胸当てなどをしているなか、部隊長らしく装備も彼だけは違っていた。つや消しの黒い鎧で縁に網目模様のシルバーの装飾がされている。その特徴的な鎧で、マティエスと初めて遭遇した時の護衛の騎士の一人だと分かった。
「あんときは世話になったな。上空の敵には手の出しようがなかったから、君が来なければ苦戦を強いられていた」
「へぇ、この子が『空牙槍』の嬢ちゃんなのかい?」
ギースに続けて、軽い調子で話に入ってきたのは、年齢は50歳に届こうかという古参の兵らしき男。部隊長を前に軽い調子で会話をすることからも、二人は旧知の間柄なのかもしれない。好々爺という感じの優しそうな目でキトリーのことを見る。
「あの『空牙槍』とは何のことですか?」
「なんだよ。嬢ちゃん、知らずに使っていたってのかい?」
目を丸くする古参兵に、ギースが納得顔で頷いた。
「なるほど、自力でスキル習得に至ったというわけか、それならばあの威力にも納得がいくな。ただの鉄の槍で、亜種とはいえキールバーンのうろこを貫いたんだからな」
「…どういうことでしょうか?」
二人の会話の意味が分からずに、キトリーは眉根を寄せる。彼女の疑問にギースが丁寧に説明してくれた。それによると、スキルとは、剣術、槍術、弓術、格闘術などの戦闘術全般における魔法のようなものらしい。いくら体を鍛えても到達することのできない領域というものが存在する。そこへ至る道がスキルと呼ばれる技術である。
スキルは魔法と同様に、人から教わることができる。ただ、ルーの使う精霊魔法との違いは詠唱句さえ覚えれば使えるという類のものではなく、何年にも渡る修練が必要になることだ。だが、スキルを教わることなく自力で身につけることもあり、その場合は人に教わった時と比べて高い力を発揮するといわれている。
森で獲物を狩るために鍛え上げた技術と思っていたが、実際にはそれ以上の力を発揮していたということらしい。使用している本人には見えていないが、スキルの使用時には、精霊魔法使うときに光の粒子が輝くように、赤いオーラのようなものが体を包み込んでいる。
キトリーは威力や命中精度を上げるために、集中し力を溜める。それが、『空牙槍』の極意だ。溜めた分だけ力を発揮する一撃必殺の技。もちろん、練度による限界はあるものの、今のキトリーは亜種とはいえキールバーンという竜種のうろこを貫くほどにまで高められている。
つまり、兵士からしてみれば、十二分に話題にしたい人物なのだ。
「そんなものがあるんですね。あの時、私はなんで皆さんが槍を投げないのか不思議だったんですよ」
「はは、そりゃあ、そんなスキルがあれば、やってたさ。投げることはできても、スキルでなければ鱗にはじかれて終わりだったよ」
「でも、弓矢は刺さってましたし、あの青色のキールバーンが落下した後は、倒してましたよね」
「矢が鱗の隙間に刺さることはあるし、地上に落ちて剣や槍の届くところなら、やりようはあるさ。我々もいくらかはスキルを習得しているからね」
「幾らかってお前さんは、格が違うだろうが」
古参兵がギースの胸を叩くと、うっと軽くうめく。若いながらも部隊長を任されるギースは、やり手ということなのだろう。それにしても、そんな人を相手に気軽に話をしているこの人は誰なのだろうかと疑問に思う。それが表情に出ていたのだろうか、古参兵が柔和な笑みを浮かべて、キトリーの心の声に答えてくれる。
「昔な、こいつの親父さんの部隊にいたからな。お偉い騎士様と兵士じゃ、貴族と平民くらいに身分が違うが、それでも仲良くしてもらっててな。子供の頃から知っている坊主が、俺達を率いるっているんだから、長生きするのも悪くねぇって思うぜ」
「エンジュさん。坊主はよしてくださいよ」
照れくさそうに笑うギースを見ていると、本当に良好な関係が築かれているのがよく分かった。
「それで、ケーナさんにギースさんの下で働くように言われたのですが、私は何を?」
「話はもちろん聞いているが、君はどこかで兵役をしていたのかい?」
「いいえ」
アルノーとして戦場に立ったことはあるけども、銃の戦いと剣や槍では勝手が違うだろう。
「なら、私のそばで待機していてくれ。兵士は本来単独で動くことは無い。そのため、連携した作戦行動を常としているからな。連携を知らないものに、勝手に動かれると混乱を招きかねない」
「わかりました」
「必要な時が来たら、得意の『空牙槍』で役に立ってもらえばいい」
そういって笑い声をあげた。信頼できそうな男だと直感的に思った。ルーには悪いけども、ケーナやマティエスの傍にいるよりよっぽど気が楽だ。槍を担ぎ、キトリーはギースの後ろをついて歩いていく。
ソールズベリー領までは歩いて15日ほどの距離と聞いている。こんな大規模な兵士の行軍を邪魔するような山賊はあり得ない。野獣や魔物が出るかもしれないが、味方は多い。案外、気楽な旅路になるかもしれない。
そんな事を考えながら、空を見上げると明るい未来を暗示するように雲一つない青空が広がっていた。
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