第32話 思惑
「それで、大丈夫なの。弟君はともかくルーはちんぷんかんぷんだって言ってなかった」
「えっと、それは…」
ルーが言葉をにごす。二人は、それぞれ独居房に入れられて、壁越しに背中合わせに座っていた。石の床の硬さと冷たさが、二人にどうしようもない現実感を与えていた。ソールズベリー家の力は本物で、次の日には釈放されることは決まっているらしい。そのようなことを、兵士から説明を受けたけども、手続きが済むまではこうして牢屋の中に放り込まれていた。
もちろん、釈放されても勝手な行動が許されるはずも無く、監視が付けられているわけではないが、万が一逃走を企てようものなら、即日のうちに賞金首になり、捕まれば一生奴隷という身分に成り下がる。5年の刑期が終身刑になると思えば、逃げるという選択肢はない。
町に入るにも身分証の必要なこの世界で、逃げ回るのは容易なことではない。キトリーのように森で暮らすしか道は無いのだろう。キトリーはそれで良いかもしれないが、弟探しを続けたいルーにその選択肢はないはずだ。
「あ、あの。やっぱり、正直に言ったほうがいいんでしょうか」
「まあ、お陰でこうして外に出られたわけだから、私としてはいいんだけど、ルーがあんなに大胆に嘘つくなんて驚いたけど」
「う、嘘じゃないですよ。お父様から兵法について教わったことは本当のことです。でも…」
「でも?」
「キトリーも見たでしょ。ケーナさんのあの目!すっごく怖いんですよ」
「つまり、怖くて、うっかり、「はい」って返事しちゃったわけ?」
「そ、そういわれると…」
「はぁ」
力説するルーを見て、呆れたようにため息をつくしかなかった。キトリーの想像通り考えがあっての行動ではなかったのだ。確かに横目にもケーナの目は鋭く射抜くような感じがあって、ルーが脅えているのは分かったけども、いくらなんでも無謀すぎる。兵法に書かれていることを聞かれでもしたらどうするのだろう。
例えうっかりにしても、ルーがあの時「はい」と返事したことで、こうして外に出られたのだから、そのことについては感謝している。自由は無いが、働きさえ認められれば、5年の刑期が無かったことになるのであれば安いものだ。失敗しても元の5年の刑期に戻るのならば損はない。
ただ、何の目的で二人がソールズベリー家の預かりになったのかが分からない。
「ルーは何か心当たりないの?」
「私はそれほど、政治に詳しいわけではないですから。でも、そうですね。先日の収穫祭の時にも話したとおり、ソールズベリー領は干ばつの問題がありましたから、何かそこで人手が必要ということかもしれません」
「でも、それだと、兵法云々は関係ないと思うけど」
「…ですよね」
「兵法が必要になるって考えると、戦争ってことになるけど」
「どうでしょうか。私の知る限り戦争状態にはないはずです。もしも、戦争が起こっているとしたら、国境から離れているからといっても、王都の雰囲気も変わってくるでしょうから。ただ、モート帝国と国境のあるソールズベリー領は10年ほど前に大きな衝突があったんです。それは解決しているはずなのですが…」
「でも、衝突はあったんだよね」
「ええ」
ルーが悲しそうな声を出す。二人は目を合わせることはできないので、二人とも牢屋の反対側の壁を見つめていた。10年前のことなので彼女もまだ幼い時分で、詳しくそのときのことを覚えているわけではなかった。彼女が覚えているのは、長い時間父親が屋敷を離れてさびしい思いをしたという記憶だけだという。
ルーがダダン王国の歴史のひとつとして学んだ知識によると、10年前、ダダン王国の南方の沿岸地域にある塩田が自然災害のため軒並み流されてしまったそうだ。自国内に関しては備蓄の塩で問題は無かった。しかし、ダダン王国は北東に位置するモート帝国と塩の取引を行っていた。モート帝国は、内陸国で周囲に海が無いため、他国からの輸入に頼るしかなく、その最大の相手国がダダン王国だった。
ダダン王国から毎年一定量の塩を輸入していたモート帝国としては、その年も同じ量の塩を要求した。だが、それは出来なかった。自然災害を理由にしても、モート帝国は納得せず、ダダン王国へと攻め入ったのだ。ソールズベリー領を抜け、さらに南のブラックプール領まで支配下に置くことができれば、モート帝国悲願の海岸線を得ることが出来る。
自国での塩の生産が可能になれば、という考えはモート帝国建国のときよりあったのだ。人の生活に塩は欠かせない。それが自国で生産できないというのは、単純に外交での弱み以外の何物でもないのだ。モート帝国は塩と取引を可能とするための貴重な資源や技術を有している。でも、人の生活に直結しているか否かというのは、とてつもなく大きい要素となる。
ダダン王国とモート帝国では軍事力に開きがあったため、これまではそのような暴挙に出ることは無かった。しかし、災害に苦しんでいるいまが期だとモート帝国は考えたのだ。弱っている時期に襲い掛かってきたモート帝国を卑怯者と、よくない感情を滾らせている王国民も多いという。
加えてダダン王国にはその時期に、もう一つの悲劇があった。
先代の国王が崩御し、小成人を迎えたばかりの現国王が即位したばかりのことだった。高位の貴族たちが、新王に取り入ろうとするなか、王は若いながらも自らの考えで持って強権を発動させた。自国の建て直しが優先される中、他国と争っている場合ではないと、王族の私財をもなげうって周辺諸国に働きかけ、毎年輸出しているだけの塩をかき集めたのだ。
同量の塩を運ばれれば、モート帝国としても手を引かざるを得なかった。明らかな侵略行為とはいえ、塩の取引に関する契約違反という大義名分を失った瞬間、四方を他国に囲まれているモート帝国にとって、周囲の目というのが大きな壁となって立ちはだかったのだ。ダダン王国としては、侵略してきたモート帝国に思うところはあったのだが、決着させることを優先させた国王の判断により、損害賠償の類もほとんど請求しなかったという。
幼い国王の決断を、戦争が長引いて被害の拡大を最小限にとどめた王の英断と支持するものもいれば、弱い子供の思考だと揶揄するものもいた。だが、結果として戦争は食い止められ、休戦協定が結ばれ現在も塩の取引は継続している。ただし、ソールズベリー領北東の山脈の国境砦では両軍でのにらみ合いは続いている。
再び衝突が起こったのだろうかと、あまり楽しくない想像が二人の中で生まれてくる。まだ、戦争という大きなものになっていなくても、火種が生まれている可能性があるのではないかと。災害の後に攻め入ってきたモート帝国のことを思えば、干ばつのためにソールズベリー領の力が低下していることが明らかな状況で、手をこまねいているとも思えなかった。
牢の中のじめっとした冷たい空気にさらされながら、暗澹とした先行きに不安を感じる二人だった。
キトリーとルーのもとを立ち去った後、マティエスはケーナに再び同じ質問をした。彼女は冷たい牢屋の床で座る二人とは違い豪華な宿のソファでゆるりと横になっていた。湯気の立つ紅茶の入ったカップを優雅な仕草で口元に運び、茶葉の香りを楽しみつつ、喉を潤わせる。
「それで、ケーナ。本気であの二人が役に立つとでも?」
「お嬢様。上に立つものとして、人の使い方というものをもう学ぶべきです」
対面に座るケーナはメガネをはずして、レースのハンカチでレンズを拭きながら応える。部屋の中にはほかに誰もなく、言葉遣いこそ丁寧ながら彼女もかなりリラックスした雰囲気で対応していた。
「どういうことかしら」
「極論を言えば、あの二人が役に立とうと立つまいとどうでもよいのです。役に立てばいいかな程度のものですよ」
「ますます分からないわね。その程度のものだというのなら、わざわざ奴隷落ちの身分のものを拾い上げる必要など無いのではなくて」
「旧エディンバラ男爵家というのが重要なのです」
「兵法でしたっけ?本当に役に立つのかしら」
「どうでしょうね。教育を受けているのは間違いないでしょうが、あの槍使いと違って、おどおどとしていて、あまり賢そうにはみえませんでしたから」
ケーナの分析に、その通りだとマティエスは思う。教育係としてケーナがマティエスについてから10年以上経つ、特にここ2年はかなり厳しく教育がされていて、眼鏡越しの視線を怖いと思うことさえあった。それでも、あんな風におどおどするなんて、貴族としての矜持もないのかしらと思うものだ。
貴族とは為政者なのだ。
上に立つものが、堂々としていなくてどうする。と、そう考える。もちろん、今のルーラルは爵位もない平民以下の存在であっても、生まれ育った環境というのが人を形作る。そういう意味では、男爵家と公爵家の違いはあれど、同じ貴族の令嬢という立場をもってしても、情けないとしか思えなかった。
「あのルーラルという娘が、奇跡的に現状を打破する方法を思いついたとします。それならそれでいいじゃありませんか。でも、何も出来ず失敗したとしたら?」
「それは、面白くありませんわね。お父様にも顔向けできませんし」
「ええ、ですから、あの者に責任の所在を押し付けばいいのですよ。ランベルト・エディンバラの兵法だとルーラルが言い張って、我々をよからぬほうに導いたとでもいえばいい。もちろん、決定権はお嬢様にありますが、暴走したことにすれば何も問題ありません」
「つまり、手柄を立てれば、私のものとして、失敗すれば押し付けろと」
ケーナの言葉をマティエスが要約すると、肯定の意をこめて頷いた。
「そういうことです」
「なんだが、それは、あまり好きではありませんわね。ケーナらしくもない。お父様もそういう考えは好まないのではないですか」
「ええ、ただのお戯れです。もちろん、貴族の中にはそのような考え方をするものもいますが、お嬢様はそのような道を歩まれてはなりませんよ。実際、あの二人は役に立つのではないかと思っています。どの程度かは分かりませんが」
「ちゃんと教えなさい!」
からかわれたと知り、怒気をあらわにすると、反対にケーナはやさしそうに微笑んだ。磨き終えたメガネを再びかけると、鋭い視線をマティエスへと向ける。
「卑人がどういう扱いを受けるかご存知ですか?」
「さあ、そんな犯罪者まがいの連中のことなんて…」
「知るべきです」
ケーナがマティエスの言葉にかぶせるように、力強く口にする。
「知識は力です。ましてやお嬢様は人々の上に立つお方。貴族以外のもののことも勉強なさってください。貴族よりも平民の方が多いのです。貴族なくして平民はありえませんが、その逆も然りです。平民がいるからこそ、貴族も在るのです」
「それで?」
「卑人という身分ではまともな食生活をすることすら不可能です。仕事は簡単に見つからず、あらゆる場面で卑人は差別を受けます」
「それは仕方ないでしょう。いずれ罪を犯すのだから」
何を当たり前のことを言っているのかしらと眉根を寄せる。
「ええ、そうですね。多くの卑人は、そうなります。だからでしょうね、彼ら卑人は基本的に卑屈なのですよ。下を向いて歩いている。でも、ルーラルを見た時、ただの平民だと思いませんでしたか?」
「そうね。よくは覚えていないけども、卑人とは思わなかったかもしれないわ」
礼儀を弁えていることにケーナは驚いていたけれども、マティエスに挨拶をすることが許される僅かな平民は当然のように、貴族への接し方を心得ている。それが当たり前の世界で育った彼女には、何も不思議なことはなかったから、ほとんど印象にも残っていなかったというほうが正しい。
「あの娘は私の知る卑人とはまるで違う。初めにあった時、彼女の目は上を向いていました。槍使いとどういう関係か分かりませんが、お金もない爵位を剥奪された元貴族に付き従う従者などまずありえません。それなのに、あの槍使いは卑人であるルーラルと共にいました。全財産を没収され、お金もまともに無い元貴族の令嬢がテリオンから王都まで旅してこれたというのも十分異質なのですよ。ひょっとしたら、あの子には何かあるのかもしれません」
「そういうものなのかしら。私にはそれほど特別な子には見えなかったけど、ケーナが言うのなら…いいわ。少し様子を見てみましょう」
マティエスはカップに残った紅茶を飲み干し楽しそうに微笑んだ。公爵家の跡取りとして未熟なマティエスにとって、ケーナの言葉というのは父親の次に信用できるものだった。座っているだけで得られる知識というのは少ない。今回、王都へと派遣してくださった父上に感謝すると共に、さらなる経験が得られる機会が目の前にあることを彼女は素直に喜んでいた。
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