第31話 エディンバラ
裁判など行われるわけもなくキトリーとルーは伯爵家の子供に怪我をさせた罪により、5年間の奴隷となることが決まった。両手には手かせをはめられ、腰紐を引かれて廊下を歩く。二人がいるのは、保安局の本部事務所であるが、さまざまな行政機関が集まった総合庁舎のようなところでかなり大きな建物だった。
平民に限らずいろんな種類の人が来ることが、床には立派な絨毯が敷かれていることから想像できる。
ルーの顔はキトリーと森で再会した時のように暗く沈んでいた。自分の軽率な行動が招いた結果を受け止めるにはまだ時間がかかるのだろう。なにしろ、捕まってからまだ半日も経っていないのだ。たったそれだけの時間で、事情聴取も事実確認も行われずに伯爵夫人の証言のみで二人の処遇は決定した。故意ではないとはいえ、怪我をさせたことは間違いないため、二人にも取り繕うことはできなかった。
-だからって5年は長いよね
これから先、どんな生活が待っているのか想像するくらいしかできることが無く、ロープで無理矢理引っ張られないようにと、兵士達の速度にあわせて歩いていると、二人の前後を挟みこんでいた軍服の兵士達が突然立ち止まった。
「壁際によって、頭を下げろ」
唐突な指示にビックリしながらも、言われたとおりに動く。
道を開けろということだろう。廊下は特別狭いわけではないので、そのままで十分にすれ違うことは出来る。つまり、すれ違う相手が高位のものなのだろうと推測した。ここが役所である以上、一般人だけでなく場合によって貴族が来ることもあるのかもしれない。つまり、犯罪者であるキトリーたちが目を合わせるのも無礼なのだ。
「明後日には準備できるということだけど、たった百人だなんてふざけるにもほどがあるわ。私達を誰だと思っているのかしら」
「お嬢様…」
絨毯に足音を消されているため、接近を知らせるのは二人の女性の話し声が先だった。雰囲気からして、貴族とその御付の方という組み合わせだろうか。そんな想像をしていると、下を向くキトリーに何者かの足元がみえてきた。
刺繍の施された美しい文様のスカートに、光沢のある高級そうなヒール。
それが、キトリーたちの前で立ち止まった。
「あなた…?」
自問自答するような声に、キトリーは聞き覚えがあった。ただ、キトリーには王都に知り合いなどいないし、ましてや相手は貴族と思われる。それも役所のような場所にいるような人物に心当たりはないので誰だろうかと想像を巡らせる。
「お嬢様。こちらのものは先日の…」
耳打ちする声が聞こえてくる。
「あなたたち、面をあげなさい」
いいのだろうか?そんな疑問がわいてくるけども、貴族を無視するのもまた無礼にあたるのだろう。これ以上堕ちるところはないけども、只でさえ長い刑期が延びるのはいただけないと顔を上げた。
「マティエス様?」
ルーの声にハッとする。目の前の女性に見覚えがあった。緑髪に碧眼、派手すぎる衣装。リースへの道中、青キールバーンの襲撃を受けていた貴族のご令嬢。高飛車な態度で助けたお礼に金貨を投げてきた余りかかわりたくない相手。それと知的なメガネの教育係らしき女性を伴っている。
「あら、いつかの?それにしても、ずいぶんとお似合いのブレスレットをしてらっしゃるのね」
キトリーたちの手かせに視線を落として、オホホと嘲笑する。
「マティエス様におかれましては、ご健勝のようで何よりでございます。このようなお見苦しい姿をお見せして大変申し訳ございません」
ルーの口から、とっさにそんな挨拶が出てくる。
「やはり」
したり顔で教育係らしい女性が頷く。
「あなたお名前は?」
「私はルーラルと申します」
「その先は?」
鋭利な刃物のような鋭い目つきでルーを見通す。商人や工房主が屋号を家名のように使用する場合もあるが、基本的に平民に苗字はない。先ほどのルーの貴族らしい挨拶や、青キールバーンの時の態度から彼女の身分に疑問を抱いているのだろう。
「ありません」
きっぱりと言い切った。爵位を剥奪された時点で、当然のことながら家名を名乗ることは許されない。
「以前名乗っていた家名があるのではないのかしら?」
確信を持った目つきで、教育係が挑発するように言う。マティエスのほうは、彼女の意図を掴みきれないようで成り行きに身を任せていた。眼鏡越しの目は鋭く、横で見ているキトリーにも感じられるほどの圧力があった。そんな視線に耐えられるわけも無く、また剥奪された家名を名乗ることの意味が重たいのだろう。ルーは固く結んでいた唇をゆっくりと開く。
「以前はエディンバラの名を名乗らせていただいておりました」
「あら。あなた、あのエディンバラ元男爵…?」
マティエスはその名を聞くと、まるで獲物を見つけた獣のように口元をニンマリとゆがませた。反対にルーが羞恥に唇を噛みしめている。狭い貴族の世界では爵位を剥奪された男爵の話は、瞬く間に広がっていたのだろう。
「やはり。それがどうしてこのような?」
聞かれたら答えないわけには行かず、掻い摘んで二人の身に起きた悲劇を語る。すると、教育係の女性が面白そうに笑った。キトリーの片眉がぴくりと動く。傍から見れば、滑稽な話でも当人にとっては笑えない悲劇だ。余りにもあっという間の出来事過ぎて、いまだ実感はわかないものの目の前には5年の奴隷生活が待っているのだ。
「あのヒステリーおばさんに目を付けられるなんて、ツイてないわね。お嬢様、この者達の身柄を我々で引き取りましょう」
「ケーナ?」
「お嬢様、我々は人手を欲しています。少なくとも、そっちの長身の彼女の槍の腕前は先日のキールバーン亜種の討伐でお墨付きです。それから、エディンバラ元男爵の娘であれば使えるでしょう」
「ハッキリおっしゃってくださいます?」
キトリーにもエディンバラ男爵という名が持つ意味が分からなかったが、それはマティエスという公爵令嬢も同じだったのだろう。教育係ケーナの思考についてこれず、マティエスが眉根を寄せる。
「旧エディンバラ男爵家といえば、『ラガルトの大戦』で活躍した『神出鬼没のランベルト』に与えられた家名。相手の裏をかき、背後に突然現れる。さらには戦場を縦横無尽に駆け巡り、敵を翻弄する独自の兵法を編み出したといわれる御仁。エディンバラ家では彼の者の兵法が伝えられると聞きます」
マティエスへの説明を簡潔したケーナの知的な紫紺の瞳がきらりと光る。ルーとの会話を思い出し、キトリーにも彼女の意図がようやく分かる。でも、ルーは兵法についてはちんぷんかんぷんだと言っていたので、役に立つとは思えない。
「あなたもエディンバラ家のものなら、兵法についても教わっているのでしょう」
「は、はい」
ルーが上ずった声で返事をすると納得したようにケーナが頷き、キトリーは驚いて目を瞬いた。
「お嬢様。そういうことです。我々は人手が足りていない。ならば、使えるものは、シュロでも使えということです」
「本当に役に立つのかしら?私には、とてもそのようには見えないけど?」
「役に立たなければ、そのまま返却しても問題ないでしょう」
「まあ、ケーナが言うなら、それでいいわ」
「では、そのように」
恭しくマティエスへ頭を下げる。教育係とはいえ、ずいぶんと発言力のある女性らしい。二人は何が起こったのか分からないまま、そのまま牢に連れて行かれたが、翌日あっさりと釈放された。
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