第30話 王都三日目(午後)
アーバンの友人であるクルトの住まうチェルムスフォード伯爵家の前で二人は待機していた。屋敷の前には大きな鉄柵が設けられ、大きなゲートの近くには軍服らしきものに身を包んだ男が二人たっている。ゲートの外ではなく内側にいるのは、来客時には屋敷に知らせに走るためだろう。
屋敷の前をうろうろとする二人に訝しげな視線が向けられるものの、いまのところは無理矢理退去させられはしなかったが、時間が長引けばどうなるかは分からない。
鐘はすでに鳴っている。貴族学院を出れば、すぐにでもここに帰ってくるだろう。戻ってくれば馬車ごと、ゲートを越えて中に入るので、そこは全力で止めねばならない。
昨日もアーブの友達に出てきてもらうまでに、ひと悶着あったのだ。貴族学院で乗り込む前に捕まえることも考えたけども、乗り降りする時間帯は一般人は立ち入り禁止になるので、そもそも近づけない。
もっとスマートな方法があればいいのだが、二人には思いつかなかった。
カラカラカラと、車輪が石畳を叩く音を響かせて獣車がやってくる。
「来た」
遠くにグルゥの姿が見える。
灰色の馬のような見た目だけど、首は短く鬣の変わりに短い角が首から背中に向かって生えている。2頭のグルゥに引かれる車体は、黒塗りの重厚そうなデザインで、チェルムスフォード家を表すルロウ族の紋章が掲げられている。
獣車が屋敷前のゲートにつき、軍服の男によって開けられようとするので、その前に両手を広げて立ちはだかった。客室の中まで聞こえるように大きな声をあげる。
「チェルムスフォード伯爵様が次男、クルト様。私はアーバンの姉、ルーラルと申します。貴族様の邪魔をすることの愚は重々承知しております。ですが、ですが、それでもお願い申し上げます。私は、ただ、私の弟について教えていただきたいのです」
ルーが頭を下げ、その前でグルゥが嘶いた。貴族と平民、ましてや卑人では、善悪の秤が違う。獣車でそのままルーをひき殺したところで、貴族側に非はないとされる。キトリーは最悪の事態に備えて、すぐに道を開けられるように身構える。
「クルト様!お願いします」
動き出さない獣車に一縷の望みを賭けて、もう一度深々と頭を下げる。
「貴様!そこをどけ!」
後ろで伯爵家の門番が動き出す。大きなゲートを開け、ルーへと詰め寄ろうとするので、キトリーはその前に立ちはだかるも戦うわけにはいかない。だから彼女に出来るのはほんの僅かな時間稼ぎのみ。
「おねがいします」
「あー、もう。うるさいなぁ」
声変わりの終わっていないボーイソプラノが聞こえてくる。かちゃりと客車のドアが開き、金髪のくせ毛の少年がステップを降りてきた。
「クトエフもいいよ。下がってくれ。えーと、アーブのねぇちゃん?確かに似てるな…。ソルベから聞いてたから、まさかとは思ったけど、本当に待ち伏せするとはね。悪いけど、僕も何も知らないよ」
ルーを排除しようとしていた軍服をしっしと後ろに下がらせると、貴族とは思えない砕けた物言いで、頭を掻き毟りながらクルトが近づいてくる。成人前らしく背丈もルーと変わらないくらいで、幼い顔立ちをしている。客車から声をかけるではなく、わざわざ降りてきてくれたぶん、昨日のソルベよりも印象がいい。
「クルト様。お話を聞いてくださり感謝いたします。何でもいいのです。最後の日、アーブはどうしていましたか?どこかに行くとか、誰か宛があるとか、何か…」
「だから、何にも知らないって。あの日は、剣術の講義の最中に、保安兵が突然押し寄せて、アーブを連れてったんだ。それっきり顔も見てないよ。話す暇なんてなかったし。じゃ、これで。道開けてくれる」
それだけ言うと、クルトは獣車へと踵を返す。
「もっと、何か!」
ルーが悲痛な表情で、クルトの手首を掴んだ。わざわざ降りて話を聞いてくれた彼ならば、という微かな願い。でも、貴族の体に触れるなどということは許されることではなかった。
「この無礼者!」
先ほどの門番があわてて駆け出す。
「放せよ」
クルトも力ずくで手を振りほどこうとした。3歳ほどの開きがあるといっても、背丈が変わらないといっても元貴族令嬢のルーと、軍人の子として鍛えられたクルトでは力の差は歴然だった。それでも希望に縋りつくルーは必死に力をこめる。
予想外の力に驚きつつも、クルトが思い切り腕を引っ張ると、あっけなくルーの手は解けた。だが、その勢いは反動となってクルトにも襲い掛かる。突然、引っ張られる力がなくなると、クルトは逆方向に体が傾ぎ、獣車の車輪に頭をぶつけた。
「あっ」
キトリーとルーから間抜けな声が漏れる。
「大丈夫ですか」
「貴様!」
あわてたルーが駆け寄ろうとするのを門番が止める。腕をひねり上げ、あっさりと地面に這い蹲らせる。キトリーは動きたくても動けずにいた。
-どうする?
門番を弾き飛ばし、この場を逃げるくらいならできるかもしれない。でも、その瞬間、追われる身となるだろう。名前を名乗っている以上、身元はばれている。そうなると弟探しが出来なくなる。かといって、このまま手を拱いていたところで、貴族の子供を”つきとばし怪我をさせた犯罪者”になってしまうのは目に見えていた。
「いててて」
額を押さえてクルトが立ち上がると、抑えた手の平の下から赤い筋がきれいな顔に一本生まれる。
「な、な、な、な、なんなのざますかぁー」
奇声を上げて、癖のある金髪の太った女性が突進してきた。
「ク、クルト。あらあらあらあらあらあら、血が出ているざますね。痛いざますか?痛いざますね」
「母上、大丈夫ですよ。チェルムスフォード家の一員たる私にとって、この程度の怪我など大したことではありません」
「すぐに医者を!医者を呼びなさい。何をなさっているざますか、さっさとそこのものを捕らえるざますよ」
ヒステリックに叫び、連れてきた者たちに指示を出す。
門前で起きている騒ぎを聞きつけて、クルトの母親、チェルムスフォード伯爵夫人が様子を見にわざわざ出てきたらしい。感情のコントロールの得意そうでない人物の出現に、逃げ損ねたことを後悔していた。伯爵夫人なら誰かをよこせば良いものをと思うが、動き出した歯車を止める手は無かった。
「キトリー」
「ルー」
不安そうにルーが声を震わせる。キトリーはなすすべなく、素直に縄をかけられる。ルーにどういう顔を見せれば、いいのか分からず自分達の不運を嘆き、苦笑いを浮かべた。
-もう、どうにでもなれ
そんな投げやりな感情が沸き起こる。母親はヒステリーだが、怪我をしたクルト本人には気にした様子がない。もしかしたら、助かるかもしれない。「-274点の世界」でそんな楽観的になれる自分を不思議に思った。ルーの前向きさが乗り移ったのだろうか。この先、どうなるか分からない。でも、ルーと一緒ならそれでもいいかもしれない。
お互いに手を取ることもできず、悔しそうに涙で頬を濡らすルーを見ながらそんなことを考えていた。
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