第29話 王都三日目(午前)

 スイーツショップを出た後に訪ねた男爵家は空振りに終わった。

 日があけた今日はもう一人のアーブの友人である伯爵家を尋ねる予定にしている。王都に家を持つものは、ルーの弟とは違い寮に住まうわけではないので獣車で貴族学院と家を往復する。そのため、家の前で待ち伏せするしかない。そして、それは一日に一人が限界だ。帰宅時間までは時間を持て余すことになるので、その間に他の場所に行った方が効率がいい。


 この日も朝は、西門と長距離獣車の会社を訪れていた。基本的に、町への入場時には身分証の提示が義務付けられているものの、退場の際は自由だ。


 しかし、アーブは貴族らしい上等な衣類を着ていたはずなので、そんな彼がたった一人で護衛もつけずに町を出たとすれば、それは間違いなく門番の記憶に残るはず。長距離獣車の会社を訪ねたのも同じ理由だ。


 普通、貴族なら自前の獣車を使うところが、平民も利用するような獣車を使用すれば目立つことになる。


 だが、残念なことに、どちらも空振りだった。

 町から出るとすれば、テリオンにあった実家を目指すよりも叔母の住まうゴアの街を目指すほうが近い。もちろん、門番や長距離獣車のスタッフの記憶に残らなかっただけで、可能性が潰えたわけではない。潰えたわけではないが、空振り続きにルーは肩はがっくりと落ちていた。


「今日は、ほかはどうする?」

「そうですね。ダメ元ですけど、『神の家』にも行ってみましょうか?」


 キトリーも生活をしていた『神の家』、クルシュナ教の教会が運営する孤児達の住まいだが、基本的に小成人以降の受け入れはない。そして、小成人をおえた人々への救済システムはこの国にはなかった。


 単純に『神の家』が西門の近くにあったので、寄ってみようというのがルーの考えだ。


 王都はどこの道も石畳できれいに整地されている。獣車が縦横無尽に走れるためにも、段差がないようにキレイに作られており、歩行者用の道まである。走っているのが獣車というだけで、ヨーロッパの街並みと比べても遜色はないと思う。


 ダダン王国は400年の歴史をもち、王都は一度も遷都されていない。つまり、この街の歴史もそのまま400年あるということに他ならない。石造りの建物の多くは、この地に王都が出来た当初からあり、歴史を感じさせる重厚感があった。


 王都には人が集まってくるため、新しい建物もたくさん見受けられる。昨日のスイーツショップのあった新市街のあたりは全体的に明るい色調の建物が多くあったが、歴史ある街区には新しい建物の調和を乱すことのないように作られているために、若干地味である。


 加えて石畳の整地や、街にゴミがあふれないように、きれいに保たれているということに国力の大きさを感じさせるものがあった。もちろん大通りから外れれば、貧民街やスラムというものは存在する。それでも、全体として国の力が隅々まで行き渡っているのがよく分かった。


 そのほかにも、町の外は危険が多いため、中に緑がしっかりと取り込まれている。大小の公園が各所にあり、通りには街路樹が植えられている。

 二人の歩いている通りにも、常緑樹の緑が彩っていた。


「うわわーん。おかあさーん」


 5歳くらいの男の子が街路樹の近くでわんわん泣いていた。

 どこからどう見ても迷子になりましたと、誰の目にも明らかなのに街行く人は知らん振りを決め込んでいる。


「た、大変です」


 ルーが少年に向かって駆け出したので、キトリーもその後に続く。少年は黒髪をしっかりとなでつけ、毛先もきれいに整えられている。着ている服も上等なもので、人目で貴族の子供とわかる。みんなが見てみぬふりをしていたのは、下手にかかわることを恐れているのだろう。


「大丈夫?お母さんとはぐれたのかな?」


 しゃがみこんで少年と視線を合わせて質問する。


「ひぐっ、おかーさん、いなくなった」

「うーん。どこで居なくなったかわかる」

「ひぐっ、わかんない」

「ぼくのお名前は?私はルー、こっちのお姉さんがキトリーだよ」

「ひぐっ、マルク」

「マルク君は今日は何をしていたの?」

「ひぐぅ、お母さんとお買物」


 ルーが主導してマルクから情報を引き出していく。こうしていると、本当にお姉さんなんだなと思う。3つしか離れていないとはいえ、弟と過ごした経験が生きているのかもしれない。キトリーも子供は好きだけど、一人っ子だったり、末っ子だったりしたので、接し方がよく分からなかった。


 マルクはルーと話しているうちに、少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 聞き出した情報を元に、三人で手を繋いで通りを歩く。彼が居たのは、貴族御用達の服飾店や雑貨店の並ぶ通りだったので、そこを目指す。母親の方もどこで見失ったか場所が分からなければ、そこらで探しているはずだ。途中、保安兵や保安局の事務所があればそこに預けてもいい。


 放っておけないとはいえ、卑人の二人が貴族の子供を連れ歩くというのは、場合によっては誘拐と間違えられる危険をはらんでいるのだ。だからといって、他の人たちのように見てみぬ振りというのは二人には出来なかった。


「あ、お母さんだ!」


 そろそろ通りに着くかというところで、少年が二人の手を放して駆け出した。

 息子の声を聞いて、前方からも母親らしき女性が駆け出してくる。そして、温かく抱きとめる。無事、再会できたようだと二人もホッと息をついた。少年が母親から離れて、キトリーたちを手招きする。


「マルクを連れてきてくださったのね。ありがとう」


 マルクとしっかりと手を繋ぎ、女性が礼をする。いわゆる貴族式の礼である。仰々しいが、キトリーも三度目とあって、多少は慣れた。彼女はふくよかな女性で濃紺を貴重とした衣装を身にまとっていた。マルクと同じく黒髪でとてもよく似ている。少し大人しめのドレスだけれども、それを払拭するように胸元が大きく開かれ、キレイなネックレスが存在感を放っていた。大きな球形の宝石を中心に、逆三角形の形に紅いルビーのような宝石がちりばめられていた。


「あれって…」

「うん、たぶん…」


 ルーの呟きにキトリーは思案気に頷く。中央の宝玉は金色に細い紅い線が入っている。キャッツアイのような宝石。

 グリュンの街で出会ったククルというシュロイム人の瞳によく似ている。


「それでは、ごきげんよう」


 驚愕している二人をよそに、挨拶を終えたマルク母は子供を連れて去っていく。もっとよく確認したい。そう思ったけども、呼び止める言葉が浮かんでこない。考えているうちに、手を繋いだ親子はどんどん離れていった。


「あれって、あれですよね」

「私もそう思う…」


 キトリーも確信が持てずあいまいに頷く。


「一応、お知らせしますか?」

「そうね、でも、シュロに伝えればいいって言ってたけど、本当に伝わるのかな?」

「まあ、でも、やるしかないですよ」


 キトリーとルーがあたりを見渡すと、すぐに野良のシュロが見つかった。グリュンほどではないけども、王都にもシュロは結構な数がいる。裏路地に目を向ければ毛づくろいしているシュロや、日向ぼっこをしているシュロは簡単に見つかるものだ。


 野良のシュロを刺激しないように、ゆっくりと近づこうとするが、シュロは音や気配に敏感な生き物である。あと数歩というところで、耳をピンと立てると、キトリーたちに背を向けて走っていった。


「ダメですね」

「野良のシュロを捕まえるのは結構大変だよ」

「ですよね」

「なんか、餌かなにかで釣る?宿に戻れば、干し肉はまだあるよ」

「うーん。そうですね…あ!また、いました」


 出窓の屋根で日向ぼっこしている灰色のシュロが気持ちよさそうに伸びをしていた。


-可愛い


 今度こそはと慎重に近づいていく。

 しかし、先ほどと同じように、あと少しというところで、灰色シュロがすくっと立ち上がって出窓から飛び降りる。


「待って、ククルさんに伝言したいの!」


 あわてて追いかけながら、ルーがそういうと立ち去ろうとした灰色シュロが「ナー」と声を出して、立ち止まった。


「嘘でしょ」


 キトリーだけでなく、話しかけたルーも目を見開いていた。ククルという名前に反応したようなシュロの仕草に二人は顔を見合わせた。

 ルーの元に灰色シュロが戻ってくる。足元まで近づいてくると、クリクリとしたつぶらな瞳でルーの顔を見上げた。


「ナー」


 ルーは腰を落として灰色シュロと目が合うようにする。


「ククルさんに伝えてほしいの。探していたものが見つかったかもしれないです。王都に住んでいるアバディーン伯爵夫人が持っているかもしれません。と伝えてもらえますか?」

「ナー」

「昔からシュロとおしゃべりしたと思ってたんですけど、わたし、いま会話してましたよね」

「うん。相手の言ってることはわかんないけど、会話してたと思う」


 ルーの言葉が分かっているように、返事をすると尻尾をゆらゆらとさせながら立ち去っていく。狐につままれたように不思議な現象に、灰色シュロが立ち去った路地を二人は見つめ続けた。

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