第28話 王都2日目
二人は王都に8本ある大通りの一つテイジーン通り、その真ん中あたりにあるファンシーな建物に出来た行列に並んでいた。祭りの時には無かった秩序ある行列にも驚いたけれども、それ以上に衝撃だったのは餡子があったことだ。まだ、実物は見ていないけども、お店から漂ってくる匂いで確実に分かる。
「はぁ。この甘い香り。溜まりません」
「ありがとう」
ルーの両手をがしっと掴み、キトリーは泣き出した。
予想外のリアクションにルーがびっくりする。
「ど、どうしたんです」
慌てふためくルーをキトリーは抱きしめた。
「付いて来てよかった。私を誘ってくれてありがとう」
「え、えええ。喜んでくれてうれしいですけど、本当にどうしたんです」
抱きしめれて苦しそうになりながら、キトリーを心配そうに見つめる。キトリーのテンションはメーターを振り切っていた。元日本人として餡子が嫌いなはずがない。むしろ大好きだ。塩大福なら100個は食べられる自信がある。
一昨日の温泉も気持ちよかったけども、餡子がくれる安心感には敵わない。ルーの弟を探しに森から連れ出してくれたことを心の底から感謝する。この理不尽な世界にも、救いはあったのだとキトリーは確信する。
「ねぇ。でもさ、甘味って高くないの?この前の収穫祭の時は特別だったんだよね」
「えーと、そうですね…」
ルーが言葉をにごす。収穫祭の時の屋台が安いことには理由があった。あの時は領主が農村から花の蜜を買い上げ、格安で業者に卸していたのだ。あくまでも祭りの間だけの特別措置。甘味料はかなり貴重なのだ。
「ちょっと高いですけど、大丈夫です」
「本当に?もちろん食べたいけど、無理はしたくないよ」
キトリーは内心、絶対に断わらないでと思いつつ建前的にそう口にする。日本の伝統菓子を前に、日本人的遠慮が顔を出す。すると、ルーがちょっと思い悩む顔をする。
-あれ、まずった?
「温泉探すのにルーにも無理させちゃったしね。ショルイドヴァとの戦いでも活躍したし」
「そ、そうですよね。たまには贅沢もいいと思います。毛皮の売上げもありますし」
美味く誘導できたことにほっとする。漂ってくる匂いに胸を躍らせながら、行列を一歩一歩進んでいく。入っていくお客と、出て行くお客。中ではお喋りに夢中になるのか、お客の回転は余り早くは無い。でも、行列に並ぶことも、餡子が待っていると思えば、いささかもつらくは無かった。
「あら?随分とみすぼらしくなったようですが、ルーラルじゃありませんこと?このような場所で何をなさっているのかしら。地下でどぶさらいでもしているほうがお似合いじゃなくって」
げっ、とルーの小さなつぶやきが耳に入る。ようやく順番が来たかなというところで、堂々と二人の前に女性が二人の付き人を伴って割り込んできた。並んでいる人々もおしゃれな店ということで、着飾っている女性が多いのだが、彼女の装いは比較にならないほど華美に装飾が施されている。ゴテゴテとした装飾品も指輪、ネックレス、イヤリングとこれでもかというほどに身に着けている。社交界ならともかく、平民も出入りする場所の格好としては過剰だと思う。
成金。
その言葉がキトリーの脳裏に浮かび上がった。
「だれなの?」
「ノリッジ男爵の子です。昔からこんな感じでつっかかってくるんですよ」
「そこの目つきの悪いあなた!仰りたいことがあるのでしたら、はっきりと聞こえるように言ってくださいませんこと?」
ルーの感情が流れ込んできて、睨みつけていたらしい。決して、目つきが悪いことはないはずだ。高飛車な物言いにイラッとしてキトリーは、貴族っぽい言葉遣いで言い返す。
「お貴族様のご令嬢がわざわざこのようなところに足を運ばれるなんて珍しいとお話ししていただけです」
「は?それはどういう意味ですの?」
「このような下々の来るような場所にわざわざ足を運ばずとも、誰か人を走らせればよろしいのではないかと…」
「な!」
キトリーの指摘に顔を真っ赤にして言葉を詰まらせる。ルーから話に聞いていた貴族の在り方を参考にすれば、貴族最下層の男爵とほかとの違いは明らかだ。もちろん、貴族の娘がお忍びで街に繰り出すというのもいくらでもある話だ。だが、それなら、周りに気付かれないような服装をするものであるし、本来なら、使用人に一言いうだけで十分なのだ。
もちろん、男爵令嬢の彼女にも使用人はいる。なぜ、直接店に足を運ぶのかといえば、単純に行列のあるところで、貴族の権力を振りかざして割り込みをしたいという、滑稽なまでに小さな支配欲に他ならない。
彼女の身なりから、顕示欲の強さが伺い知れたので、キトリーはその小さなプライドをあげつらったのだ。伊達に長く生きているわけではない。同年代の女性と比較すれば、人間を観察してきた時間に雲泥の差があるのだ。
「小汚い卑人の分際で、何て口の利き方を。私はただ出来立てのお菓子を食べたかっただけですわ。でも、そうね。わざわざ足を運ぶまでもなかったかしら」
負け惜しみのようにそう口にする彼女が哀れで仕方がない。
「ああ。さすがは貴族様でございますね。そのようなお考えがあるとは、至らずに大変申し訳ございません」
慇懃無礼にとりあえず謝る。
ルーに対する悪辣な発言を思えば、もう少し意趣返ししたいところだったけど、立場を考えればやりすぎるわけにはいかない。
「ええ、そうですとも」
「あの、エリス様」
「なんですの。あなたに様付けされなんて、面はゆいですわね」
「私の弟のことをご存じありませんか」
「弟?ああ、アーバンでしたっけ。生意気そうな顔は覚えていますけど、あれがどうかしたの?」
「行方が分からないのです。エリス様の弟君も年は違えど貴族学院の生徒様でいらっしゃいましたよね。何か聞いていないでしょうか」
「知るわけがないでしょう。卑人のことなんて、どうせ食うに困って人様のものに手を出したあげく、父親と一緒に鉱山で働いているのではなくって」
「…そうですか。お時間を取らせましたことお詫び申し上げます。僭越ながらエリス様の今後のご健勝をお祈り申し上げいたします」
言葉に詰まりながらも、ルーは「何も知らない」という情報に丁寧に礼をする。そして、結びの言葉を紡ぎ、話を終わらせる。もう、あなたには用はないからさっさといけと。内心は思っているに違いない。
キトリーの手を握るその力で、ルーの感情が読み取れた。
彼女の気持ちが伝わったのか、エリスはお供を連れて店内へと入っていく。彼女が貴族とわかっているためか、あからさまな割り込み行為に文句をいう人は誰もいなかった。
「貴族の子もたまに来るので、ここなら話が聞けると思ったんですけど、残念ながら無駄でしたね」
「甘味を味わうだけじゃなかったのね」
「ふふ。私だって考えているんです。もちろん、キトリーにここのエシャルを味わってほしいというのが一番ですけどね。あ、順番みたいですよ」
貴族の子も来るというのにふさわしく、店員さんもよく教育をされている。案内の人に連れられてテーブル席についた。運よくエリス達とは離れた場所に案内されたことに幸運をかみ締める。壁と床は空色にぬられ、シャボン玉のような丸い透明感のあるカラフルなデザインがかわいらしい。そこに白く塗られたテーブルが浮かんでいるように置いてあった。
「どちらになさいましょうか」
「エシャルを二つください」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
特にメニュー表のようなものはないので、ルーが注文するのに任せると、店員は丁寧に頭を下げて、下がっていく。
「で、エシャルってどういう…いや、やっぱり良いわ。出てくるのを楽しみにしたいもんね」
「ふふ、キトリーが楽しそうで私もうれしいです」
「うん。まだ見てみないと分からないけど、この匂いがね」
鼻から大きな息を吸い込んで、甘いにおいを堪能する。店内に充満するのは間違いなく餡子とわかる香りだ。ルーとお喋りをしていると、ほとんど待つこともなく店員さんが戻ってくる。エリスは出来立て云々いっていたが、ケーキのようにすでに作られているのだろう。
トレイに乗って運ばれてきたものはシフォンケーキのようなものに餡子が乗ったものだ。
見るだけで美味しいのが分かる。
「食べていい?」
「もちろんです」
興奮しているキトリーが、必要も無い許可を求める。ナイフとフォークでケーキに小さく切り分けた。一口大にしたそれを口へと運ぶ。キトリーの好きな粒餡で、小豆の味がしっかりと生きている。甘さも絶妙でちょうどいい。
甘いものさえあれば世界に争いなど起こらないんじゃないかと思うほどに平和的な味わい。大福や牡丹餅には劣るけども、キトリーはアンパンも大好きだった。むしろ、餡子があればそれだけでいいくらいだ。顔が弛緩しているのが自分でも分かった。
「喜んでくれたみたいでよかった。ルシャナで確信したんですよ。キトリーは絶対これも気に入るって!」
「正解だよ!ルー。ほんっとにありがとうね。すぐにでも弟君探しに、あちこち駆け回りたいだろうに、私のために…」
「ううん、キトリーがいなきゃ私はここにこれなかったんですから。旅はまだ終わりじゃないけど、これは感謝の気持ち。っていっても、エシャルのお金を稼いでいるのもキトリーなんですけどね」
ルーが苦笑いを浮かべる。キトリーは彼女の気持ちをうれしく思った。まだ、旅は終わらない。でも、終わったらどうするのだろうか。ふと、そんなことを思った。今まで考えなかったことだ。
ルーから頼まれたのは弟を見つける旅の護衛。ここで、弟を見つけることができれば、それで旅は終わってしまう。旅が終われば二人の関係も終わってしまう。
それは嫌だな。とキトリーは思った。
まだ分からない答えを考えるのをやめて、キトリーはエシャルに手を伸ばす。いまは目の前のスイーツに集中しよう。
考えるのは後でいい。
「他にもいろんな味があるの?」
「そうですね。ここはエシャルがメインですけど、お祭りで食べたルシャナもありますよ。でも、ここのお客さんはほとんどエシャルですね。いつきても行列ができてて、一年ぶりくらいですけど、んー甘くて美味しいです」
にへらっと笑みを浮かべてルーがうれしそうな顔をする。甘いものは人々を幸せにする。嫌なことも何もかも忘れさせてくれる禁断の果実だ。中毒性もあって危険だけれども止められない。一口で喜びを感じて、二口で幸福に浸り、三口で心の安寧が訪れる。
「アーブも連れて、また来ましょうね」
「もちろん」
美味しいものを食べた二人は前向きな約束を口にする。きっと見つかるはずそんな未来を想像しながら、至福の時を過ごしていた。
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