第26話 共闘

 目を閉じてうつらうつらとしていたのもつかの間、パキっとキトリーの耳が枝の折れる音を拾った。ルーの体を揺さぶり、覚醒する前に口元を抑える。目を覚ましたところで、静かにするように指示を出すと槍を拾い上げて、音のした方に目を向けた。


 闇の中に二つの丸い光が点った。

 

 否、四つある。

 敵は二体。

 月の光を反射した獣の目。

 高さは人と同じくらい。

 でも、目と目の間が離れている。

 つまりは顔がそれだけ大きいということ。

 キトリーは心当たりのある獣を想像する。

 次の瞬間、光が消えた。

 音が二つに分かれた。


-まずい。まずい。まずい。


 内心の焦りが出ないように気を付けながらルーに指示を出す。


「魔法の詠唱を」


 油をまとったオタマジャクシが相手でもなければ、ルーの炎で敵を倒すのは無理だ。なにしろ、魔法の火を飛ばすことが出来ないから、燃やすなら対象に接近しなければならない。それに炎は一瞬で対象を燃やすことは出来ない。薪に火を付けるときでも、10秒くらいは燃やし続けている。でも、接近する敵の眼前で大きな炎が上がれば牽制にはなる。

 戦闘で役に立たないことを、悔しがるルーのために、いつくかの戦術を二人で考えていた。それを実践する。


 キトリーは槍を左手に持ち替えて、スリングに石ころをセットするといつでも打ち出せるようにスリングを回転させる。音は二方向から聞こえてくるため、キトリーは正面を見据えたまま、耳だけを頼りに敵の姿を想像する。


 ショルイドヴァ。腕の長いサルもしくはゴリラ。立ち上がった状態から、地面に手がつくほどに腕が長く。足よりも太い。人の何倍もの筋力を持ちながら、ショルイドヴァは知恵が回り道具を使う。


 そこらへんに落ちている石を投げ、太い枝を振り回す。

 二度、マライシンの森で狩った経験はある。

 ただし、相手は1体ずつだった。それでも、苦戦を強いられたのが思い出された。それに、今回は背後にルーを守りながらの戦いとなる。


 ブオン


 森のざわめきにかき消されそうな小さな音。

 左手から聞こえてきた瞬間、キトリーは体を大きくのけぞらせた。眼前をこぶし大ほどの石が通過する。当たれば死ぬ可能性すら感じさせる一撃に、汗が一気に噴き出した。キトリーはそちらに意識を向かわせつつも、手にしたスリングを右手に向かって放った。


 左側の一体に意識を集中させてから、反対側からの攻撃。知恵の回る獣らしい連携だが、キトリーは動きを読んでいる。ショルイドヴァの投げる石に比べれば小さなそれでも、当たればダメージはある。


 一人ならこのまま飛び出して追い打ちを掛けるところだが、それができない今の現状に歯噛みする。人を守りながら戦うことに慣れていない。


 狩りのスタイルは、忍ぶことにある。


 直接の戦闘も不得意ではないが、気配を消して行う一撃に比べれば、練度は低い。そのうえ、人を守りながら、二方向の敵を同時に迎え撃つ技術など持ち合わせていない。


 それでも、牽制のような投石が左右から連続して行われているなか、キトリーは身を躍らせて交わし、槍ではじき、ルーを守り続けていた。いっそのことルーをそのまま背後の川にでも落としてしまおうかと考える。水の中までは追っては来ないだろう。


 ルーの呪文の詠唱が高まり、周囲にキラキラとした光が踊りだす。

 もう、いつでも魔法は発動できる。


 せめてどちらか一方でも殴り掛かってきたら、と考えるがショルイドヴァは慎重を期していた。光の正体を知っているのかもしれない。


 あくまでも闇を味方に、投石での攻撃を続けている。

 均衡状態が続く。


 キトリーも音だけを頼りに守り続けるのには限界がある。

 集中力はいずれ切れてしまうだろう。

 そうなる前に、行動を起こす必要があった。


-さて、どうしようか?


 キトリーは手詰まりを感じながらも、できる限り気楽に考えようとする。おそらくそれが、キトリーが幼いながらもたった一人で森で生きてこられた理由なのだろう。

 答えを出すまでの時間も短い。

 迷っている間に、命のろうそくは刻々と短くなっていくということを理解している。

 投石の途切れる瞬間を狙い、闇に向かって槍を投げた。


-結局、今の私にはこれしかないしね。


 いつもよりも短い溜め。しかし、距離と敵のサイズを思えば十分な力が込められている。ナイフを手にとり、一頭目のショルイドヴァのことは意識から外した。


 投げた瞬間に、結果は見えている。


 相棒を失ったことに加えて、キトリーが槍を捨てたことでもう一頭のショルイドヴァは森の中から躍り出てきた。


 月明かりに初めてその姿が現れる。

 闇の中に潜みやすい濃紺の毛並みは薄汚れていて絡まるほどに長く、眼光は赤く鋭い。半開きの口からのぞくギザギザの牙。長い腕には倒木が握られている。

 ナイフで応戦するにはどう見ても分が悪い。

 まだ、10トールほどの距離があるというのに、ショルイドヴァは一足飛びに棍棒を振り上げて襲い掛かってきた。


「ルー!」


 キトリーの叫びにこたえて、ルーが呪文の発動句を口にする。


「ブブ・エローラ」


 極大の炎が二人の前に壁となって出現する。

 薪に火を付ける程度の魔法でも、時間を掛けて大量のマナを精霊に譲渡すれば、それだけ大きな結果をもたらすこともできる。


 着地と同時に炎に包まれたショルイドヴァは慌てて温泉に飛び込んだ。

 火を消すには水。

 本当に知恵のある獣だ。

 だが、人には劣る。


「ルーは下がって」


 キトリーは温泉から飛び出してきたショルイドヴァを冷静に見つめ、懐に飛び込みナイフを一閃させる。

 血が噴出すが、傷は浅い。

 怒り狂ったショルイドヴァがこぶしを振り回す。

 キトリーの頭上を剛腕を掻い潜りながら、ナイフで切り裂くと距離を取った。

 体から滴る水滴に朱が混じる。

 キトリーは焦ることなく、ショルイドヴァに挑みかかり、攻撃の合間を縫って一つ一つ、傷を増やしていく。


 ショルイドヴァが温泉に飛び込まなくても、焼き殺すことなどできなかった。それどころか、瞬く間に火は消えていたはずなのだ。火に手をかざしたからと言って、一瞬で手に火が付くことなどない。


 だから、ショルイドヴァは、わざわざ消す必要などない炎を消すために水に飛び込んだ。結果、大量の水を毛が吸い込み、体は重くなる。

 動きの鈍ったショルイドヴァならばナイフ一つでもキトリーは恐れない。攻撃と離脱を繰り返し、止めの一撃を差し込んだ。心臓を貫かれ、ショルイドヴァは動きを止める。


「ルー、助かった」

「ふふ。役に立てて良かったです。それにしても、ショルイドヴァを相手にナイフ一本で立ち回るなんてやっぱりキトリーはすごいです」

「そうなの?」

「そうですよ。騎士でも一対一で戦うのは大変だと聞きますから」


 褒められてうれしく思う。

 でも、キトリーとしては、もう少し力をつけたいなと思った。槍の修練を欠かしていないけども、まだまだ投槍に頼りすぎている。


「はぁ。疲れたね」

「折角、温泉でゆっくり出来たのについてないですね」

「もう一度入りたいとこだけど…」

「私もこれはちょっと…」


 がっくりと項垂れる二人が見つめる温泉には、大量の毛が浮かんでいた。ショルイドヴァが火を消すために飛び込んだせいで、お湯は汚されていた。お湯はゆっくりと流れているので、毛もそのうち流れていくだろう。


 だからといって、入るには気持ちが悪すぎた。

 盛大にため息を吐いた二人は、苦笑いを浮かべて枯葉のベッドに戻っていった。

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